GBのアームチェアCinema見ist 資料:モロトフのパン籠

焼夷弾について

焼夷弾投下するB-29 焼夷とは、焼払うこと。
焼夷弾は、焼夷剤を弾体内に入れた弾丸類で、爆弾、ロケット弾などのほか、砲弾や手榴弾として目標を焼いたり、航空機用の機関砲弾では徹甲弾と混用して、対象を破壊しつつ着火させる目的に使用する。
焼夷剤として黄燐、テルミット、油脂などを使うが、黄燐は着火剤としても使われている。
テルミットはマグネシウムまたはアルミニウム粉と酸化鉄との混合剤で、燃焼すると3,000℃もの高温を発する。
太平洋戦争当時、日本にばらまかれた爆弾は、油脂焼夷弾と呼ばれる物で、ナパーム(ナフサをパーム油(椰子油)等の添加剤でゼリー状にしたものを充填した焼夷弾。
ベトナム戦争で米軍が大量に使用したナパーム弾も油脂焼夷弾の一種である。


航空爆弾としての焼夷弾は、落下地点で発火し火災発生させることを目的とした爆弾で、木と紙の建物中心の日本には極めて有効な武器であった。

集束焼夷弾 焼夷弾を「モロトフのパン籠」と呼ぶことがあるが、モロトフは「ソ・フィン戦争(冬戦争)」当時ソ連外相を務めた人物。
その戦争で、「ソ連軍が市街を爆撃している」とのフィンランドの報道に対し、モロトフは「爆弾ではなく人民にパンなどを投下しているのだ」と言ってのけた。
それから、フィンランドの人々が皮肉を込めてソビエトの爆撃機を「モロトフのパン籠(Molotov's bread basket)」と呼ぶようになった。
また、その時に初めて使われた集束焼夷弾(小型の焼夷爆弾を数十発束ねたもので、投下後に所定の高度あるいは経過時間信管により解束し、所期の密度で着弾・発火する)も同様に「モロトフのパン籠」と呼ばれた。

大東亜戦争末期、米軍の爆撃機が日本各地の市街地を焼き払った焦土作戦に使った爆弾もこの集束焼夷弾だったので同じ渾名で呼ばれていた。

映画“火垂るの墓”でも市街地に降り注ぐ火を噴く鉄パイプが描かれている。


集束焼夷弾 テロリストが使う火炎瓶をモロトフ・カクテル等と呼ぶこともある。
これは、ソ・フィン戦争の時にフィンランドのゲリラが対戦車戦に使った火炎瓶がその名の起こり。
集束焼夷弾

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