愚行連鎖

■四日間の奇蹟

書店で平積みになっていた写真の本。
書店のPOPと腰巻きのアオリに釣られて買ってしまった。

2005.3.28.読了

四日間の奇蹟 四日間の奇蹟 宝島社文庫
浅倉 卓弥 (著)
文庫: 508 p
出版社: 宝島社 ; ISBN: 4796638431 ; (2004/01)

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帰宅し、夕食後、読み始めたら、これは止まらない。
中盤までは情景描写のみ延々と続き、何が起こっているのか…いや何も起こっていないのだが、それでも、何とも不思議な話だが、ページを繰る手が止まらなくなってしまったのだ。

そして、クライマックス…

涙も止まらなかった。

冷静に考えれば、テーマや仕掛けは、どこにでも転がっているような類型なのだが…
500ページのほぼ半分位まで、殆ど動きらしい動きは何もないのだが…
読み進んだ半分位で仕掛けは殆ど全て読めてしまうし、結末も想像が付いてしまうのだが…
そして、果たせるかな、結末は恐らく読者の想像通りなのだが…

そんなことを超越して、この文章には不思議な魅力がある。

そして、終盤で…

泣いた。本気で、涙で活字が見えなくなった。
顎関節がガクガクと痙攣した。
髭面で恥ずかしげもなく瞼を擦りつつ読み終わったのだった。

悲しいのだけれども、神々しい清々しさがある。
「感動」などと言う言葉は余り軽々しく使いたくはないが、確かにここには精神を浄化されるが如き「感動」があった。

文句なしに好きである。こういう作品。

随所に、些か冗長か、と思わせる部分がなきにしもあらずだが、それも又作者の個性なのだろう。
文庫版解説でも述べられているように、ネタそのものははっきり言って使い古された物と言っても良いだろう。
しかしながら、昔からある材料を新しい料理人が素晴らしい料理に作り上げることはそう珍しいことではない。
作者のストーリーテリングの力量は、これは疑うべくもない。

恐るべし「このミステリーがすごい!」大賞。

おそらくは旧来の新人文学賞では本作は日の目を見なかったのではないだろうか?
腰巻きのアオリと書店のPOPに素直に従って、泣いた。

(「驚愕のラスト!」なんてぇのは明らかに言いすぎだけどね。予測どおりの終結で、きっと大抵の人は「驚愕」なんぞしないもの…逆に「驚愕」しちまったら、感動もないだろうし。本作は非常に良い意味での幸福な予定調和。)

人と人との心のつながりを通して、人と人との関わり方を考えさせられる、そして、読後…悲しさは残る物の、なにか暖かい物がふんわりと確かに残る作品である。
解説の表題が「出会えたことに感謝したくなる傑作」となっているが、これは確かに真実である。

本を手に入れてから知ったのだが、これも映画になるのね…どんなモンなんだろうなぁ。

本作「四日間の奇蹟」は作者、浅倉卓弥のデビュー作で、宝島社第一回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。 発売から2年、文庫化からも実は既に一年経っている。

何でもかんでも映画化すれば良いというモノでもないだろうが…
映画化のおかげでこうした秀作が浮上して来るというのは歓迎すべき事ではあると思う。

刊行から年月が経っているし、映画化もあるのでググれば情報は沢山出てくる。
ただ気になるのは、ネット上であらすじや、酷いモノになると結末まで明かしてしまっているモノがある。
これは問題なのではないかと。
あらすじ読んで内容を知ってしまったつもりになるのは実は非常な損失だと思う。
私が感想を述べるときは、出来る限り、その作品のストーリーに触れないようにしている。
映画でも文章でも時間を取ってきちんと正対して頂きたいと思うからである。
特に本作は「全く予備知識無し」で読み進んだ方が得る物が大きく感じる。
(私も表紙すらめくりもしないでアオリ文買いであった)

で、これ、良いです。

☆某所に書き留めた日記より編集加筆

何故、本書が「このミステリーがすごい!」受賞作になったか、と言う意見があちこちにあるようである。
それでは「ミステリー」って何?

辞書をひもとくと…

ミステリー
 ○神秘。不思議。怪奇。  ○推理小説 mystery とある。
怪奇(推理・探偵)小説、不可思議な小説、秘密めいた小説、といったところだろうか?
『ユリイカ』の1999年12月号
小谷真里による殊能将之へのインタビュー「本格ミステリvsファンタジー」
この中で殊能が両者の違いについて「ファンタジーや幻想文学は拡がっていく想像力」で、「本格ミステリは収束していく(想像力)」だと規定していました。結末に向けて想像力を拡散させて書かれるのがファンタジーであり、一方でミステリは予め決まった結末に向けて全てが収束していく。
では本格ミステリはファンタジーに比べて想像力に欠けているのかといえば、そうではない、とも殊能は指摘します。つまり、本格ミステリは結末に向けて収束していく過程にあるトリックにこそ、作者のイマジネーションが働き、しかもそこから先は思考しないと先に進まない(つまり想像するだけではミステリにはならない)、と。

等という記述は発見したが、これ以上の納得しうる明確な定義は見つけられなかった。
このインタビューの内容にしても、申し訳ないが評論家の評論家たる言葉遊び(悪い意味ではなく、彼らはそれが職業だから…)としてしか楽しめず、私にとっては何の説明にもならない。
言葉の定義やカテゴリー分類は専門家に任せて、本好きはそのときに出会ったお気に入りの本に没頭すればよいのではないだろうか?


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