Professional and/or Artist


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記載者:安達治雄 on December 29, 19100 at 16:10:30:

元の記事:代表取締役 /記載者:中島 康弘 on December 28, 19100 at 12:37:54:

拝読し以下がポイントかと思われました。

>>・・・創造性はトライアンドエラーの側面ももっており、自己保身ではなく自由な創作活動が出来る環境整備も必要に思われます・・・

私のような未熟者、忸怩たるものがありますが、散漫ながら思うままを書いてみます。

建築家のプロフェッショナルとしての利他的部分とアーティストとしての「我」の部分、往々にして相反する この二つの原理をどのように整合させるか、それを今後、「説明責任」重視の21世紀型社会にどのように認知させるか、の問題と受けとめました。ちなみにJIAは主として「発注者や社会のためのプロフェッショナルとしての建築家」の認知のための運動体ですよね。

さて、医療に例えれば、臨床的「トライアンドエラー」なしには医学の発達は無い、しかし(1)今後はそうした「医学発展へ患者の協力」も全てインフォームドコンセントを求められる(2)患者の肉体に負担をかけないようなシミュレーション技術が発達する(してきた)・・・・というのと基本的にかなり相似形と思われます。
設計監理業務においてもこの(1)アートの部分を含めたインフォームドコンセント、(2)事前のシミュレーション技術の駆使、はますます求められるでしょうが、これを契約書にどう盛り込むのか?・・結局個々の事前協議の記録添付に依るスタイルになるのではないでしょうか。

ところで愚見では医療と相似形でない部分も厳然としてあると思います。
それはつまり、むしろ料理の世界、gastronomyに通じる部分で、「発注者の期待を上回る美味しさ(美しさ・住み心地・etc)」が潜在的に建築家に求められている、という点です。医療は患者の不幸(マイナス)をいかに減らすかであるのに対し、プラスの価値の提供が建築家の役割である以上、発注者のイメージのリーチに留まるのでは、発注者自身が物足りなさを感じるでしょう。こうした「計測不能」な部分は契約における特記には馴染まないのでは?とも思います。
ただしこの「意外性」の獲得が建築性能的に何がしかの犠牲を伴うのであれば、その犠牲そのものがインフォームドコンセントの対象となるということでしょうね。
「発注者 甲 は、受注者 乙 による 契約業務内容を超える芸術的意欲の無償の発露を、その概略の事前提示を前提として受認する。ただしこれに起因して建築性能等の低下や建築費の上昇の可能性がある場合はそのことにつき事前の甲の承諾を要する。」とでもなるのでしょうか?

蛇足ながら、公共建築は率先して建築の可能性の広がりを担うべき、というアーキテクト側の考えも、今後、建設・ランニング両コスト=税金に対するアカウンタビリティ(説明責任)に重点が置かれ、その「建築の可能性の広がり」を社会が欲しているかどうかと問われるようになるのかもしれません。(*)

世紀の傑作、ミースのファーンズワース邸のオーナーは、その芸術的(建築的)価値を十二分に納得しつつ、その中でとても生活できない事につきミースを訴えた、というのが 私のうろ覚えですが、
A)事前に当時として最善のレンダリング(シミュレーション)を事前にオーナーに提示していたか?
B)結露・コールドドラフト・冷暖房ランニングコストなどに付き説明責任を果たしていたか?
によって勝訴敗訴の分かれ目・・・どっちだったのでしょう?
それとも工事予算オーバー等も同時にあったのでしょうか?(たぶん)
いずれにしろ、ここまで世界の財産となるようなアートなら、ミースでなく社会がオーナーに補償するべきとも思います。
問題はそのような財産であることを社会が理解するのに、年月がかかる、という所ですよね。上記(*印)の部分と連動します。




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