私の日記(Etsuo)2007.1.21

平成19年1月21日

残念なお知らせです。当サイトの管理をしていた妻、芙美子が昨年11月4日に59歳の若さで逝去いたしました。一昨年の五月に癌の手術を受け、療養中でしたが、治療のかいなく落命致しました。このサイトを楽しみになさっている方のために、すぐにでもお知らせすべきだったのですが、心の整理がつかず、今日まで先延ばしになってしまいました。

 彼女は26年間のラグ作家活動で160以上の作品を残しています。その作品は繊細なファイン・フッキングから大胆でユーモラスなスーパーワイドカットまで幅広く、使う素材も豊富で、常に新しいことに挑戦していました。子供の頃から、手芸が好きで、ラグフッキングにもフランス刺繍を始めとする様々な手芸の経験を生かしていました。多様性と並んで彼女の作品のもう一つの特徴は「動き」です。カナダの画家エミリー・カーの作品の模写などを通して培ったもので、模写をするために毎日美術館に通いつめたこともあります。

とはいっても芸術論議とは距離をおき、「ラグフッキングは日々の生活を豊かで楽しくするもの」ということを信条としていました。そして、この手芸本来の精神、Waste noneの精神(何も無駄にしない精神、あるいは「もったいない」の心とでも訳しましょうか)、を実践していました。例えば、新しいウールを染色して使うことは必要最小限に抑え、友人から貰ったり、旅先で買い集めたりした古着など大切にとっておいた布を巧みに使い、一作、一作、思いを込めて、暖かみのある作品に仕上げました。思い出いっぱいの彼女の作品はいつも私の心を癒し、励まし、楽しませてくれました。

こうしたラグ作家としての活動のかたわら、この手芸を何とか日本にひろめようと心を配っていました。私の事情で転居が多く、教室での普及活動はままなりませんでしたが、1987年に婦人之友社に記事を寄稿して以来、著作や展示会などを通してフッキングの魅力を紹介しておりました。二人の小遣いを出し合って出版した、彼女の著書『一冊のラグフッキングの本』の「一冊」という言葉には、この一滴が呼び水になって、もっと沢山の本が世に出され、ひとりでも多くの人がこのぬくもりのある手芸に出会って欲しいという願いが込められています。一方、マイラレポートをご覧になった方はお分かりと思いますが、北米のラグ作家達との広い交友関係を通して日本のフッキング活動の紹介もしておりました。

そして、彼女の大好きだったラグフッキングも彼女を裏切りませんでした。長年住み慣れたカナダ西海岸の美しい都市、バンクーバーから、米国バージニア州アパラチアン山脈の山中に移った時、引っ越し疲れと大きな環境変化のせいで、彼女の心は大きな負担を背負いました。けれど、ラグフッキングに没頭することでその危機を乗り切ったのです。この時期の作品数は多く、速い時は一週間で一作を完成させています。そして今回も、作品づくりが彼女の心をどれほど前向きにしてくれたことでしょう。写真の時計は入院中の制作で、昨春、館林のつつじ祭りに出かけたときの思い出を図案化したものです。

このように、ひとりでコツコツできるのもラグフッキングですが、ラグキャンプやフックインなどでワイワイガヤガヤやる楽しみもあるようです。フッキングの旅から帰ると、びっくりするような土産話をよく聞かせてくれました。そうやって広がった交友の輪は、時を超えて思いがけない出会いをもたらすこともあります。彼女の遺作となった‘Large Chinese Cherry’のパターンは二度目のカナダ・ノバスコシアの旅に出かけたとき、フッキング仲間から託されたものです。芙美子の友人であり、尊敬していた故ジョーン・モシマー(Joan Moshimer)夫人のデザインですが、モシマーさんが二十年以上も前にその友人に贈ったものだそうです。構想がまとまらず、長い間、手をつけずにいたところ、妻の作品を見ていて、替わりに刺して貰おうと思いたったといいます。直径1m近い大作で、まだバックグラウンドの一部とボーダーが終わっていませんが、いずれ完成したら紹介致します。妻がこのサイトを立ち上げて6年になりますが、「私の日記」に掲載した最初の記事が、モシマーさんの訃報だったことに何かの縁を感じます。

芙美子の好きな言葉はチャレンジ、好きなフレーズは‘could be worth(心配しないでいいよ、だってもっと悪かったかも知れないじゃない)’と‘one at a time(あわてず、ひとつずつ片づけて行けばいつかは終わるよ)’でした。子供と犬に好かれ、ちょっと悪そうな顔をした野良猫と、ゴーガンの色彩、そして幸田文さんの凛とした生き方が大好きな、ウィットに富み、気配りの細やかな女性でした。読書好きで、外出するときは、いつも大きな「魔法のバッグ」の中に一冊忍ばせていました。

ところで、私とラグフッキングの付き合いもかなり長く、妻の第一作からその制作活動を見つめてきました。次第にできあがっていく作品を見ながら、お茶を楽しみ、いろいろ話し会うひとときが暮らしの中心にありました。以前から初心者用のデザインなどは手がけていたのですが、ついに病膏肓に至り、三年程前に妻の指導のもと作品づくりを始めました。まだまだ未熟で、彼女が残した言葉の真意がようやくわかりかけてきたという段階です。そういうわけで、妻の伝えたかった事をこのまま埋もらせてしまうのはとても心残りで、彼女がやりかけた事、やろうとした事を何らかの形で続けていこうと考えています。

このホームページもそのひとつで、彼女の作品の一ファンとして、弟子として、夫として、そして何よりもラグフッキングの愛好者として、引き継ぐことにしました。彼女の残した未発表の研究資料や原稿も、折りに触れて、少しずつ紹介して行くつもりです。彼女との経験の差はとても埋めることは出来ませんが、習い始めの頃の悩みがまだ感覚的に残っているからこそ伝えられる事もあるかと思います。ラグフッキングには興味があるけれど、近くに教室がないなどの理由で、きっかけをつかめずにいる方々の一助になることが出来ればと願っています。

そして、「暮らしに根付き、暮らしの中から湧き出てくる。それがフォークアートの原点」という彼女の言葉を忘れずに、彼女から受け取った襷をしっかりつなげていこうと思っています。

写真:「アゼリアの花の下で」デザイン:山本芙美子,制作:山本芙美子・悦雄


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