25年を振り返って(1)

11月14日の日記より:
“今日、雑誌ラグフッキング(Rug Hooking Magazine)11/12月号のcomplementary copyが届いた。そこに掲載されたトリッシュ・ベッカー(Trish Becker)さんの記事 「ワイドカット ウールで動物を活き活きとさせる(Bringing Animals to Life with Wide-cut Woolens)」の中で私の作品「Swaledale Shuffle」とその制作のいきさつが紹介されていた。記事にはTrishを中心として、彼女の先生、生徒(私)の3代の作品が並び、その解説がなされている。この作品はラグフッカー達のメーリングリストで知り合ったトリッシュの指導の元に制作したものだ。指導はインターネットを通じて行われた。彼女はその過程を「Internet Teaching Across the Miles」というサブタイトルを付けた項にまとめている。この一冊は今年でフッキング歴25年の節目を迎えた私にとって願ってもない記念の品となった。”

振り返って見ると、私は沢山の良い指導者に恵まれた。彼女達から多くの事を学び、それを糧として自分の作風を確立していくことが出来た。節目の年も終わりに近づいた今、感謝を込めて、私の先生達を中心にフッカーとしての成長過程で出会った人々、出来事を書き残して見ようと思いたった。

ところで、この刺し布幅、2cmという超ワイドカットの作品への挑戦は私の計算ミスがきっかけだった。#9(9/32インチ)と#10(5/16インチ)のカットを使うというTrishの説明を読んだ時に、それをメートル法に換算し、それぞれ1.8cm、2cmと算出した(実は7.1mmと7.9mmが正しい)。こんなに太い刺し布は使ったことがない。この未体験の布幅を操って動物をフックすることを想像したとき、しばらく眠っていた私のチャレンジ精神が頭をもたげた。言い換えれば、もし正しく計算していたら興味をもたなかったかもしれない。結果としては、このミスのお陰で、超ワイドカットのフックが体験でき、多くの発見をした。それにしても自分のうかつさにはあきれている。くだんの記事で紹介されているTrishの作品の写真を見たとき、何故、超ワイドカットの刺し布で、こんなに細部がフック出来るのだろうと不思議には思ったものの、最近までこの計算ミスにきづかなかった。

写真:Swaledale Shuffle(58 x 87 cm),地布:プリミティブ・リネン,刺し布:wool(ウール) & recycled wool(古着),デザイン: Sherry Hieber Day

2006.6.25

25年を振り返って(2)


私がラグフッキングに出会ったのは、カナダ太平洋岸の都市、バンクーバーだった。今は大分、開発されてしまったが、レッド・シーダやダグラス・ファーなどの針葉樹の樹海と水鳥の遊ぶイングリッシュ・ベイ湾の狭間で、目まぐるしい時代の流れをよそに、ゆっくりと時を刻んでいた町だ。Downtownのはずれには、渡りをやめたカナダ雁が遊ぶスタンレーパークがあり、その森の中をノースバンクーバーへ続く道が走っている。この町で私はその後のラグづくりの礎となる三つの大切な出来事を経験した。ひとつはフッキングへの道を開いてくれたファーン・アーチャー(Ferne Archer)との出会いだ。彼女の下での修行の詳しい経緯は「一冊のラグフッキング」の本にゆずるが、それはとても濃密なもので、彼女と過ごした5年には10年分のレッスンが濃縮されていた。その過程で私はフッキングの奥の深さと可能性をさまざまな角度から教えてもらった。この時期があったからこそ、Ferneの元を離れた後も自分の歩むべき道を歩き続けて来ることができたと思っている。今は私のCanadian motherに専念し、先生の顔を見せなくなってしまったが、そんな彼女に時折、淋しさを覚えるときもある。

ふたつめの出来事は、ブリティッシュ・コロンビア州を代表する画家、エミリー・カー(Emily Car)による“Scorned as timber, Beloved by the sky(空の秘蔵っ子)モの模写だ。バンクーバーでの修行期間に私は55点を制作したが、その中でも特に大切にしている20作目の作品だ。彼女は私が最初に模写を試みた画家だが、その絵には動きが取り入れられていて、技術的にはまだ塗り絵段階だった私には困難を極めた。私は制作にとりかかる前に町の中心にある美術館に足繁く通ってイメージをつくりあげた。制作が始まってからも美術館通いは続き、彼女の絵を眺めては、何度も刺し直した。特に、空の動きをどうやったら再現できるか、そしてこの絵の主人公の、材木としての価値がなく切り残された「ひょろりとした木」の頂きにどうやって存在感を持たせようかと腐心した。我らが主人公を引き立てようと苦労しているとき、シャーリー Shirlyが、「スカルプチャーにしたら?」と助言してくれた。その後も私はこのテクニックを駆使して問題を解決していった。そんな悪戦苦闘の続いたある夜、暗い部屋の中で樹冠がボーッと光るように浮かび上がった。そして、北国特有のどんよりとした空も動き始めた。私が作品に動きを出せたことを確認した瞬間で、今でもその時の興奮が甦る。こうしてエミリーの筆のタッチをループに置き換える作業の中で私は「フッキングの方向directional hooking」とそれが及ぼす影響とを学んでいった。大変だったが、早い時期に塗り絵を卒業し、この作品に取り組まなかったら私の作風はまったく違ったものになっていたかも知れない。チャレンジ精神、これがファーンから学んだものだった。

三つめの大切な出来事は、ノースバンクーバー・アートカウンセルNorth Vancouver Art Councelの招待で開かれた生まれて初めての個展だ。会場は緑豊かなノースバンクーバーのギャラリー、クリーウィック Klee Wyek。クリーウィックはカナディアン・インディアンがエミリー・カーにつけたあだ名で、「笑う人」という意味。三週間という期間は私にとっては、長丁場だったが、Ferne夫妻を始め、多くの人の応援で何とか乗り切ることができた。プレビューの夜に集まってくれた会場一杯の人達の中で私は様々な会話を交わして歩いた。この個展は展示会開催の基礎を教えてくれたばかりでなく、他の人の目から自分の作品を客観的に観る良い機会を与えてくれた。そして作品を通じて、沢山の出会いがあった。この体験で、フックトラグが人々の心をなごませてくれる暖かいクラフトだという確信を得た。

このすぐ後、七年間の素敵な思い出を胸に、私達は次の居住地、アパラチアン山脈の麓の小さな町、ブラックスバーグへと発った。


写真:プレビューへの招待状

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