絶え間ない存在感 


 翌朝は10時前にチェックアウトして、盛岡駅へ向かった。前夜の小雨はあがっていたが、どんよりとした空が低い。
半袖でも寒くはない陽気だった。

 東京行きやまびこ号の本数はそう多くはない。
 会えなくてもそれが当然という気持ちで、待合室の椅子に腰を下ろす。そのくせ、バッグには昨晩したためた手紙と
「ハートランドからの手紙」(単行本)を潜ませている。会えなくてもがっかりしない覚悟は出来ていた。それでもや
はり改札口方面を眺めていた。
 盛岡の平日の朝もとても静かだった。掃除のおばさんが待合室の床にモップをかけていく。

 虫の知らせか、10時55分になって席を立った私が改札方向に見たのは、数人の男性の団体。
 その中に元春がいた。

 遠くからでもすぐにわかった。
 それはどう表現すべきか、元春の姿がひときわ輝いて見えた一瞬だった。決して派手な服装を身にまとっていただと
か、大勢のスタッフを従えて歩いていたとかいうわけではない。
 思えば、普段私がよく目にする元春は、ライブステージという元来華やかにセッティングされた場所に存在している。
輝いて見えてもそれは当然のことなのかもしれない。だが、駅という何の装飾も施されていない公共の場に佇む元春の
姿からは、明らかにステージ上のそれとは異なる光が放たれていた。

 サングラスにブラウン系のセーター姿の元春が、エスカレーターのあるこちらに歩いてくる。私は緊張した面もちで
よろよろと近づいて「佐野さん、昨日のライブ見ました」と言葉をかける。
 「どうもありがとう」と元春。知らず知らずのうちに、渡辺さんにガードされているような気がする。
 手紙を差し出すと受け取ってはもらえたものの、一行はエスカレーターに乗って、ホームへと上がって行ってしまっ
た。小田原さんはお土産を買ってから、一人遅れて上がっていく。この人はなんて親しみのある表情をしているんだろ
うと思う。

 しばらくの間、私は放心状態で立っていた。手紙を渡せたのだから、もうそれだけでいいはず。
 それでも何か複雑な思いを抱きつつ、ふらふらとホームへ上がってみると、彼等はキオスクで何やら買い物をしてい
る。その姿を見ているだけでも充分のはずだった。
 ホームでは元春はサングラスを外していた。やがて買い物を終えて、こちらへ歩いてくる。
 (この機会を逃したらきっと後悔する)そう思い、意を決して再び声をかけた。
 「佐野さん、サインしていただけますか?」
 元春は「はい」と快く応じてくれた。私はバッグから「ハートランドからの手紙」を取り出す。右手でペンを走らせ
るその仕草と共に、本を抱える左手の親指の爪をなぜか私は見つめていた。とてもきれいにカットされており、本当に
美しい手だったのだ。
 「名前は?」
 「マルヤマユキコといいます。横須賀から来ました」
 「どうもありがとう」

 最後は握手をして別れた。地元イベンターに見送られ、6号車(喫煙車指定席)に乗り込む元春の姿を見届けてから、
私は4号車の自分の座席についた。盛岡11:18発、やまびこ10号。東京へ向かう約3時間ものあいだ、元春を想
いながら、一睡も出来ずに車窓の風景を眺めていた。

 いつの頃からか、私の歩む人生は元春が中心となっていると言っても過言ではない。この人に伝えたい想いはあふれ
んばかりなのに、目の当たりにしてしまうと何も言えない。言葉にならない。この人の前では、私は無。
 喜びと同時に、私はこれまで味わったことのないような虚無感を抱いた。
 ミュージックシーンに確かな足跡を残しつつ、偉業を成し遂げてきたこの人の前では、自分はあまりにちっぽけで、
つまらない人間だ。ずっと佐野さんに憧れ、追い続けてきた。でもいったい何をしてきたというのだろう。私って何だ
ろう・・・と。

 東京駅の喧噪の中では、再び彼等の姿を見出すことは出来なかった。



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