絶え間ない存在感
帰宅後、しばらくは夢を見ているかのような、現実と離れた場所で浮遊しているかのような感覚から抜けきれずにい
た。心を締め付けられるような苦しい胸のうちは、誰にも打ち明けることが出来ないまま、同じ週、東京公演を迎えた。
渋公での元春は何も変わらず、いやむしろいつも以上に精力的なステージを繰り広げ、光り輝いて見えた。
佐野元春という一人のアーティストにこんなにも夢中でいられること、長年に渡って情熱を注いでこられたこと、そ
して沢山の楽しい仲間達に出会えたこと。きっとすべて幸せなことにちがいない。2日間の渋公で、少し心が軽くなっ
た。
終演後しばらく経ってからある友人が、私が盛岡で抱いた複雑な思いに耳を傾けてくれた。その人は私の痛みに共感
を示してくれた。それは何よりの救いとなり、また新しい気持ちで元春を追い続けるための糧となっていく気がした。
「こういう仕事をしていると、もしかしたらぼくは単なる"点"に過ぎないんじゃないか、という孤立感を感じる
ことがある。ひとりで寂しいパーティーをやっているだけなんじゃないか、と弱気になってしまうことがたま
にあるんだ。でも、ウッドストックでレコーディングをしたことで、ぼくらは、それまでウッドストックで作
られてきた音楽の連綿とした"連なり"のなかにいる、ぼくは点ではなく、ロックンロールのストリームのなか
にいるのだ、と実感することができた。そしてそれは、ぼくのとても大きな自信になった。」
これは後日、偶然読み返してみたインタビュー(Asahi Graph
8/27号)の中の元春の言葉だ。
私はあの日まさに「点の孤独」を感じていたのだろう。
そしてそんな孤立感を払拭してくれたのは、またしても佐野元春その人であり、彼の音楽を聴き続けて成長してきた
友人の存在だった。
自分の人生に自信を持つ、だなんていうレベルには到底達することはできそうもないけれど、こうして過ごしてきた
日々は決してまちがいではなかったのだと、そう信じて歩いていきたい。
盛岡、東京公演のあと、そんなことを考えている。
1999年 秋
Esme
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