絶え間ない存在感 


 休みを利用して盛岡公演に出かけることを決めたのは、ファンクラブ会報誌(先行予約案内)が送られてきた直後の
5月のことだった。外へ出たがらない母を連れての「親孝行旅行」のはずだったが、母があまり乗り気でなかったこと
と、何か自分自身に独りの時間と空間が必要だと感じていたことを言い訳にして、結局は昔よくそうしていたように、
一人で出かけることにした。新幹線と宿の手配を済ませたのは、公演日の前々日だった。

 ツアー真っ最中の今、頭の中は元春のことでいっぱいだ。小岩井農場など8年ぶりに東北各地を旅することも考えて
はみたけれど、それが魅力的に思えなくなった時点で、ライブの翌日はすぐに戻ることに決めた。盛岡駅でもしかした
ら帰途につく元春に会えるかもしれない、と思わなかったと言えばそれは嘘になる。

 ライブは楽しかった。
 2列目31番。右寄りの座席だったが、佐橋くんやKYONさんのソロプレイなどは本当によく見える位置だった。彼
等は元春と違って、時々観客の表情をじっと見つめているかのようだ。
 何よりも元春の「ありがとう盛岡!」という言葉が暖かい。前回の「THE BARN TOUR」で盛岡に来られなかったこ
とを謝り、3年ぶりにこの街で演奏できる喜びを幾度となく伝えていた。もしも私がこの街の住人で、他の会場へ自由
に出かけていくことも出来ず、本当に3年ぶりに元春に会えたとしたならば? それを思うとアンコール1曲目として
演奏された「Young Forever」のアコースティックバージョンが、心に滲みてきた。

 私の座席の左後方には、偶然にも仙台在住の知人とその女友達がいた。ライブ後には彼等と食事をしながら、佐野元
春談義を繰り広げた。彼女の方は何と知っている曲は「約束の橋」だけという、ラルクやミスチルが好きな女の子だっ
たのだが、今回のアルバムやその夜のステージについては好感を持った様子で、何だか嬉しくなってしまった。元春の
新しいファンの開拓もあながち難しいことではないのではないか、などと親心?が芽生える。

 彼等と別れてホテルに戻ったのは午後9時過ぎだった。途中盛岡駅を通り抜けてきたが、そんな時間でももう人気が
なく、ひっそりと淋しかった。地方都市の夜はいつもこんな様相だろうか。

 シャワーを浴び、少しゆっくりしたあと、元春への手紙を書き始める。テレビや音を聴きながら、そして言葉を選び
ながらの作業で、思うようにはかどらない。すべてを書き終えた頃はもう午前2時を回っていた。
 今夜のライブの感想、大阪公演のこと、元春ファンとの交流のこと、元春の音楽と共に成長してきたということ、こ
れから先のステージに期待すること、私が選ぶベストテイク、感謝の言葉、応援の言葉・・・追伸として髭を剃ってく
れて嬉しかったということ、清水一郎じゃやっぱり困るなど(笑) 便箋3枚にわたって書き連ねた。
 「こんな拙いletterでもどうか佐野さんの元に届きますように」
 運が良ければ、翌日盛岡駅で手渡したい。それが叶わなければ、渋公や名古屋でスタッフに託すとか、ファンクラブ
経由で送るとかするつもりだった。公開ラブレターとして、自分のこのホームページに載せることも考えていた。

 結果的に、ここにその全文を載せることは出来なくなった。
 つまり、翌日元春に直接渡すことができたのだ。



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