◆1. 熱田(名鉄神宮前) → 名鉄萩原 | 2001年12月1日(土) | 晴 |
06:07 → 12:46 (6時間39分) | 区間歩数:37,171 | ![]() |
[参考]自宅発11/30 23:40、熱田駅着12/1 06:00 | ||
名鉄萩原駅発12:35、自宅着16:18 (帰路:名古屋・東京新幹線利用) |
当日総歩数:41,986 |
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06:07 熱田駅 初の夜汽車での移動だ。金曜夜の宴会に出てから、0:11横浜で乗る予定にしたため乗車はぎりぎりになってしまった。何とかすべりこみ、一部で人気の大垣行き夜行「ムーンライトながら」で熱田に向かう。熱田は、前回終了の名鉄神宮前とほぼ同じ場所。 熱田はまだ早朝で真っ暗。神宮も暗くこんもりした静寂だ。やばい、前夜の酒がたくさん残っている。アセトアルデヒドとの戦いだ。 |
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06:27 やまちゃん? まだ夜明け前の町中を熱田から金山方面へ向かう。そのうち妙なものをみつけた。二日酔いのせいか焦点が合わない。でも確かにおいらのハンドルネームと同じ屋号の店だ。 |
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07:40 名古屋城 正確な道がわからないので、国道19号線を北に向かう。大須観音、白川公園を右に、御園座を左に見ながら進む。左手奥には名古屋駅前の巨大なタワーがいやでも目に入る。やがて国道は22号線になり正面右には早朝のさわやかな光に浮かぶ名古屋城が現れる。 |
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08:19 枇杷島橋 名古屋城の前を道なりに斜め左に折れ、広い通りをのんびり進む。名鉄線を越しやがて庄内川を渡る。 |
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08:22 西枇杷島町 枇杷島橋を渡りすぐ左折。美濃路の案内看板に従いやや細目の街道を進む。 |
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08:28 問屋記念館 東海道線の在来線と新幹線のガードをくぐると、地名は問屋町。そしてすぐ右側には問屋記念館。早朝でまだ開いていない。 |
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08:28 問屋記念館前の通り 細目だが、車も双方向に通り、しかも人々の生活がある、そんないかにもという感じの美濃路。 |
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08:50 新川一里塚跡 道は人工河川のような新川を渡る。右側に名鉄線を意識して進むとやがて左手には一里塚跡の石碑。どこから数えて何番目かはよくわからない。説明書きを読んだがまだ昨晩の酔いが残っていて失念。 |
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09:21 清洲古城跡 新川町の古い街並みなどを抜け、やがて清洲町に入る。地図に従い、何度か左折右折を繰り返し、五条川を五条橋で渡る。渡ってすぐの右手には清洲古城跡の石碑。道はすぐ先のワッフル屋さんに沿って右折。左に清洲本陣の建物などを見て進む。 |
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09:21 新清洲城 五条橋から見た今の清洲城。多分観光用の建物なので寄らずに先へ行く。 |
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09:47 春日町 東名阪自動車道の下をくぐり道はやがて春日町。ん?、「はるひ」?「かすが」じゃないのかい?世の中の読み方はいろいろだ。 |
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10:00 北市場 上とは逆でこれもよくあるのが、同じ発音で漢字が異なるケース。この辺りも「一場」という地名を過ぎ「市場」へ。写真は北市場美濃路公園。ここで所用を済ませ(きれいで助かりました)さらに美濃路を進む。 |
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10:02 長光寺道標 清洲から稲沢へ向かう途中、長光時境内にある、美濃路と岐阜街道の分かれ道を示す石の道標。左京都道、右ぎふ道と読める。 |
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10:51 国府宮神社 途中で道がわからなくなり、やむを得ず名鉄線に沿って国府宮駅まで進む。稲沢市に入ったのは間違いない。この名鉄線は私も利用したあの豊橋から続いているのだ。 |
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11:18 稲葉宿本陣跡 稲葉宿本陣の跡の碑は、小沢二丁目にある尾張西農業改良普及センターというところの道ばたにある。目立たない。この後は情報も少なく、地図を頼りに萩原方面へと進む。まだ、酒が残っているぞ。天気はいいのに気分はイマイチだ。 |
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12:24 名鉄萩原駅 稲葉宿を出てからは正確な美濃路がわからないので、県道136号(尾西清洲線)を中心に北西方向へ萩原を目指して進む。約1時間、名鉄の萩原駅に到着。本日はこれにて終了。 教訓、時間的に間に合うからと言って、宴会後の夜汽車は控えよう!こんな教訓、「金曜夜、宴会。土曜朝ゴルフ、ティーグラウンドで気持ち悪い」ってことで学んだはずではないのか?自省。 |