中山道の脇街道である川越街道の2回目!新座からスタートし、行ってみたかった川越に到着の予定。天気もまあまあのようだし晩秋の街道路をいざ行かん。
 08:32 武蔵野線新座駅 池袋から東上線で朝霞台まで行き、隣接の北朝霞からここ新座に到着。コンビニのおにぎりを食べ、まずは街道へ。 |
 08:40 野火止上 高架になっている武蔵野線の下を都心へ戻るように少し進み、広い通りに出てすぐ左側が前回終了のこの交差点。 |
 08:45 神明神社 大和田小学校の信号の手前、右手奥には神明神社。野火止地区の境界にあり、ここを越えると大和田宿に入るらしい。 |
 08:50 鬼鹿毛(おにかげ)の馬頭観音 昔小栗という人が愛馬鬼鹿毛で江戸に向かう際、馬が疲れ果て倒れたが亡霊として主人を無事江戸へ届けたとか。 |
 08:53 大和田1丁目 大和田宿に入っているはずだが、名残を示すものは少ない。左手にお地蔵様があり、小路の奥にも赤い前垂れの地蔵が見える。 |
 08:59 大和田郵便局 郵便局は昔の中心地であることが多い。もしかしたらこの辺を飛脚が飛び交ったりしていたかなどと想像しながら歩を先へ進める。 |
 09:02 英(はなぶさ)橋 旧道は柳瀬川にぶつかって行き止まり。自然な流れでr254の英橋を渡る。その先道路下のトンネルをくぐりそのままr254を歩く。 |
 09:13 石碑 中野地区の登り坂左手に「大正11年 御中渡修行」と書かれ10名ほどの氏名が記された石碑がある。隣には昭和32年のモノもあるが何だろう? |
 09:14 跡見学園 坂を上がり切ると左手には跡見女子大のキャンパス。跡見というと茗荷谷のイメージが強いのだが、4年制がここにあるのは知らなかった。 |
 09:14 民家の蔵 跡見の正門前、道を隔てて反対側には民家の中に立派な蔵を発見。ここにくるまでもいくつか蔵を見たがこの辺りではまだ蔵が活躍しているのだろうか? |
 09:19 三芳町 跡見から5分程で、立派な「川越街道」の石碑が建つ中央分離帯が登場。エリア的には丁度、新座市から三好町に変わる辺りである。 |
 09:23 歩道 中央分離帯が始まると同時に歩道も広くなる。土地がたくさん使えるのか、三芳町が整備に力を入れているのか、とにかく国道の割には歩き易くて良い。 |
 09:34 藤久保木宮稲荷神社 進行方向左手には神社の鳥居が見える。右側の歩道を歩いていて容易に道を渡れないので、写真も参拝も反対側から失礼します。 |
 09:40 御嶽山信仰碑 今度は右手に石碑。木曽の御嶽山に対する山岳信仰がこの地にもあるらしく、今でも講中は大田区の御嶽神社やここに集まると説明がある。 |
 09:44 晩秋の柿 街道を歩くとき視覚的に季節を示してくれるモノの一つに果実がある。ほんじつのこの地では、少し細長い「柿」がまさしく秋を感じさせる。 |
 09:45 廣源寺 中央分離帯も終わり道は狭くなる。左手には境内の仁王像がやけに立派な廣源寺を発見。三芳の小学校の歴史はこの地に始まるらしい。 |
 09:52 松並木 再び道が広がり、中央分離帯が置かれている。そして何と往時の物らしい松並木が登場。現代の排気ガスの中でも元気に生き延びている。 |
 10:09 徳性寺 再度、道は狭くなり住所も三芳から大井に変わる。しばらくして大井宿の中心的存在の徳性寺。明治期に火事で焼失のため建物自体は新しい。 |
 10:22 大井宿高札場跡 理髪店の隣には川越まで二里十八丁(10km)の説明書き。それによるとこの辺が大井宿の高札場があったところと思われるとある。 |
 10:24 大井宿本陣跡 高札場からすぐの左手、民家の中に本陣跡の立て札。本陣と言っても川越は近いので宿泊することはほとんど無いという。明治期に3度の大火にあっている。 |
 10:29 旧大井村役場 5分程進むと国の有形文化財である旧役場庁舎。1937年完成のこの建物は当時極めてモダンな建物とされ、今でも小学校の一角に現存する。 |
 10:31 旧道は左 ラーメン屋さんをはさんで、お馴染みの旧道パターンで左の細道に入る。歩道は無いが車が減るのでそれほど歩きにくいということは無い。 |
 10:38 角の常夜灯 川越街道と大山道の交差点、つまり「角」にあるから角の常夜灯。1802(享和2)年建立というから歴史がある。ただし台座部分は1898年に再建されたもの。 |
 10:43 地蔵院 しばらく歩くと右手の塀の中には赤い前垂れの6体のお地蔵さん。晩秋の枯れ葉の中、どこを向いて何を思う、などと考えながら先へ行く。 |
 10:46 亀久保神明神社 地蔵院から数分で進行方向左手見えてくるのはには1598(慶長3)年創立と言われる神明神社。いかにも街道沿いのその地域の神社という感じである。 |
 10:47 国道に合流 神明神社を過ぎると先程別れたr254と再び合流。しばらくはまた現代の自動車やファミレス、コンビニなどの街並みとのおつきあいが必要。 |
 10:52 国道歩き 道幅が広がり歩道も中央分離帯も確保された現在の川越街道をしばらくは進む。中央分離帯は先程の松並木のような風情は残念ながら無い。 |
 11:00 藤間歩道橋 いよいよ住所表示が川越市になる。手前の看板によれば、この歩道橋の交差点から現川越街道は斜め右だが、斜め左の道に入るのが旧道らしい。 |
 11:01 名も無きお地蔵さん 藤間の歩道橋交差点を左に一歩入った所には名も無きお地蔵さん。地元の人らしき親子が清掃をしているのが何かいいねえ。 |
 11:01 鶴ケ丘八幡神社 鶴ヶ岡村の鎮守として、江戸時代の初め(貞享年間)に創建された。まあ、観光客は訪れることは無いが、村の鎮守様としては良い風情か。 |
 11:06 旧道 r254を離れて車も少なくなる。畑や民家に沿った旧道ではあるが往時の面影はなく、むしろ学校や農家、商店など現代の川越の生活を感じさせる。 |
 11:09 私製の石碑 進行方向右手の、商店の前に、「旧川越街道 藤馬中宿跡」とある。今は”藤間”が地名だが、昔、きっと間の宿でもあったのだろう。 |
 11:14 東光寺 今度は左手に曹洞宗の東光寺なるお寺がある。由緒はわからないが、奥の本堂は奥まった佇まいで、手前には幼稚園が併設されている。 |
 11:17 開明地蔵太菩薩 東光寺からすぐの左手には小さな建屋に入った菩薩様。特段の説明が無いのでこれも縁起が不明である。 |
 11:33 高階郵便局 手前の郵便局部分は現代風、奥の左半分が旧街道に似合う昔風、というのが一つになっている珍しい建物。 |
 11:33 春日神社 高階郵便局のすぐ先、同じく右側には村社である春日神社。亀久保神明、鶴ヶ丘八幡といい素朴な神社が続く。 |
 11:38 御代橋 道は歩道などないまま真っ直ぐに進む。春日神社から5分ほどで、小さな不老川にかかる御代橋を渡る。 |
 11:44 烏頭坂 やや右カーブをしながら軽い登り坂にかかる。往時は杉並木があり、川で荷揚げされた荷物を運ぶ際の難所だとか。 |
 11:47 新宿北交差点 r254と合流するとすぐに、上に歩道橋、下に東上線とJR、地上に沢山の人と車の交差点。前方の県道へ進む。 |
 11:51 川越・坂戸・毛呂山線 あのにぎやかな交差点を過ぎ、多少落ち着いた県道をしばらくはぷらぷらと直進。 |
 11:55 菅原神社 市内中心部に近づいてきたので、境内に車が駐車しているなど、先程よりはにぎやかな神社だ。 |
 12:03 川越八幡宮 そう、11月なのでちょっとした神社なら七五三参りがあっておかしくないはず。本日初の目撃。 |
 12:14 うなぎのいちのや 天保年間から続く、著名な鰻の名店。本日は単独行なので我慢してゴールを目指そう。 |
 12:19 元祖芋十 こちらは明治初期の創業の芋のお菓子屋さん。その昔、渥美清主演の「泣いてたまるか」のモデル店だとか。 |
 12:21 川越キリスト教会 街道には異質のこんな建物もある。レンガ造りの礼拝堂は 文化庁の登録有形文化財にもなっている。 |
 12:27 太田道灌像 市役所前にある太田道灌像。江戸城を作ったことで知られる太田道灌は長禄元(1457)年に川越城も築城している。 |
 12:28 市役所前 川越城大手門跡でゴール。国道歩きが多かったものの、初めて見聞することも多く、楽しかった川越街道は終了!! |
 14:25 川越駅 2時間ほど見所の多い川越の町をざあっと散策して、帰りはJRで大崎まで直行。全部見られなかったのでまた来よう。 |