JINJIN SEVEN

 メンバー紹介

 1.名前、2.生年月日、3.出身地、4.干支、5.血液型、6. 好きな食べ物、7.モットー

音楽経験など(自己申告に基づく)
ドラム、ギター

1.ジャッキー島田
2.1951.07.08
3.東京杉並
4.うさぎ
5.B型
6.鰺
7.もっとーお酒を?

・1965年の中学時代に日本を席巻したベンチャーズにしびれ、高校時代はGSにはまる。楽器をきちんと習ったことは無いのだが、幅広く音楽好き。
・1998年から1999年にかけてオリジナルアルバム3種類を自主制作。
・ライブ活動については、長いブランクを経て1999年に48歳であこがれのモズライトギターを手にして以来、ベンチャーズサウンドを中心に音楽活動再開。セッションやインターネット上は通称「やまちゃん」で出没。なお、JINJIN7では、人出不足からドラムス担当に。
・どうしても、’60年代、’70年代の音楽が身にしみついていて、若い人達にもその良さをわかってほしいと、啓蒙(強要)中。
・「しびれた」頃に生まれた現メンバーと一緒にやれる喜び(相手は不幸せ?)を楽しんでいる。

ベース

1.ポール岩元
2.196X.XX.XX
3.◯◯市
4.子(ネズミ)
5.O型
6.?
7.前へ
 
・小学6年クラシックギターにチャレンジする。
・中学1年生の時、親から「Yairi」のフォークギター(当時ウエスタンギターと呼んでました)を買ってもらい、毎夜深夜まで没頭する。この頃井上陽水、吉田拓郎、かぐや姫、岡林信康などのフォークソングコピーに明け暮れていました。人前でギターを弾いたのは、中学2年の歌声コンクールで「夢の中へ」と卒業謝恩会で「22歳の別れ」等。
・高校に入ってからは、中学時代の友人とビートルズのコピーバンドを結成した。ポールマッカトニーが好きで、ポール愛用のリッケンバッカーモデル(グレコ製のコピー品)とばかでかいベースアンプを購入したが、結局不完全燃焼。ドラム担当がセットを持っていなかったので、他のメンバーが金を出し合って中古を購入したが、結局本人は金を払わず、自分たちはバイトでその穴埋めをした。そんなことや受験などでバンド活動は休眠。
・以後10年近くギターにもベースにも触れることはありませんでした。しかし、結婚を挟んで住居を転々としてもギターやベースを捨てきれなかったのは、やはり未練が・・。
・現在の会社に入り、「イカ天(イカスバンド天国)」で Jitter'n Jinn を見て、バンド活動再開に燃え、Jin' Jin' Sevenの前身のバンドで、「エブリデイ」等でカムバックとなりました。10年のブランクは大きく、コード等すっかり忘れてしまい、ほとんどゼロからのスタート。現在では、バンドの足を引っ張りつつも頑張っています。
ギター

1.パイン松沢
2.196X.XX.XX
3.△△
4.うま
5.O型
6. マヨネーズ
7.笑わしてナンボ
・14才の時学校でギターを弾く友人を見て影響を受ける、現ハッピーバンド藤田と一 緒に川崎で楽器を購入、グレコのレスポール色はレッドサンバースト、最初のバンド 「ラビーズ」結成男子3名女子3名の異色ユニット、主にサザンのコピーを演奏、人 生で最初で最後と思われるメインヴォーカルを経験、中学の文化祭オーディションに 出るも落選、歌が原因ともっぱらのウワサ、その後色恋沙汰発生、女性3名全て脱 退、男子数名を加え「新生ラビーズ」スタート、オールディーズ、キャロル、クール ス、銀蠅、ハウンドドック、矢沢などのコピーを演奏、リヤカーで土手に機材を運び 近隣の民家からコンセントを借りて練習などしていた、中学の卒業時お別れ会で初 LIVE。
・高校入学祝いにヤマハのSGを母に買ってもらう、色はやはりレッドサンバース ト、その後の自分のメインギターとなる、高1の時ラビーズで地元楽器店主催のコン テストに出場2位を獲得、でも全部で6バンドくらいだった・・・・その後ラビーズ 解散、オールラウンドプレイヤーに憧れトランペットを購入もすぐ に断念、高校2年3年は特定のバンドは組まず文化祭の度バンドを組み出場してい た、この頃より作詞作曲を始め、特に好きな人には曲を送ると いう一歩間違えば変質者的性癖を身に付けてしまう、当然現在の妻にもプロポーズの 歌を送る。
・高校卒業時そのころ最も影響を受けたバ ンド「ハウンドドック」のコピーバンド「ザ・フェイド」を結成、1度のLIVEの後解 散、その後友人から頼まれベーシストとして「シャドーノイズ」に参加LIVEを行う、 更に初めて自分のオリジナル曲をLIVEで演奏した「貫介バンド」を経て自分の核と言 うべきバンド「ブレイク・バック」を1987年に結成する、自分が理想とするハウ ンドドック的要素(1・キーボードを含む編成2・泣きのバラードがある3・なん たってパワーのあるヴォーカル)を目指し活動、90年に解散するまでにオリジナル 10数曲、LIVE4回とほぼ満足のいく内容。
・その後も「新生ブレイク・バッ ク」を起ちあげようとするが、頓 挫、それからは仕事仲間バンドに参加、性懲りもなくオールラウンドを目指し サックスに手を出すもやはり長続きせ ず、「もう他の楽器には手を出しません宣言」を行う。数年後ブレイクバック時代のメンバー4人と現バン ド「ハッピーバンド」結成、ほぼ時を同じくし「Jinjinセブン」にも参 加、そこで出会った大村君にも「ハッピーバンド」に加入してもらい現在に至る。
キーボード、ボーカル

1.ニコル大村
2.197X.XX.XX
3.□□市
4.いのしし
5.B型
6.プリン&おはぎ
7.「常に一番光るものを見つけよう」
楽器:エレクトーン、コルネット、キーボード 作曲:学生時代から10年程度 バンド経験
・北中野中学校吹奏楽部 都大会出場 銀賞
・ハードロックバンド「ギルガメッシュ」(ライブ後に解散)、「O.K.G(大村 弘一グループ)」キーボード担当(ライブ後に解散)
・大学サークル「多重録音芸術研究会」にて毎月オリジナル曲を発表し合う
・ユニット「Stay in the Rain」作詞・作曲・ボーカル担当(大学 時代の友人沙雪(本名堀内)氏と2名で活動中)
・ロックバンド「Happy Band Fifth Mens Beat」キー ボード担当
・「JINJIN7」キーボード担当(芸名:ニコル)
・ 制作:「Welcome」「東京のよる」など70曲ほどオリジナル制作
・ コンテスト:地方の作曲コンテストに入賞
・その他:YAMAHAコンテスト「MusicFront」にて「Stay in  the Rain」1次通過(2001年2月現在2次再予選実施中)
  http://www.musicfront.net/review/artist_list.php3
アルトサックス,ボーカル

1.キャロライン亜矢子
2.19XX.12.08
3.▽▽島(南のちっこい島)
4.丙午
5.B型
6. チョコレート&コーヒー
7.創造的工夫生活
・幼稚園の年少組(4歳)から中学校2年生までクラッシックピアノを習ってました。習わされたが正しい? クラッシックだけというのがとーっても退屈でした。こっそり、ポピュラーミュージックのピアノ弾き語りの本を買ってきては、弾いて遊んでいましたね。そのうち、家での練習がおっくうになり、練習しないと先生に怒られる=自然にピアノ教室から足が遠のく。中学3年ではきっぱり辞めました。ちゃんちゃん。
・高校生活3年間、音楽は鑑賞専門。3年の冬、大学入試当日、ライブハウス新宿ピットインでサックス奏者   MALTAのライブを偶然見て”東京ってすごい、これだー”とあこがれる、というかもう”やる気”でいる。
・MALTAの記憶そのままに上京、大学入学後軽音楽クラブ (ジャズ、フュージョンを演奏する女の子インストバンドの集まり)に入部、はじめてサックスという楽器に触れる。"タンジェリン"というT−スクウェア、カシオペアのコピーバンドを結成。 学園祭(秋)と学外でのコンサート(春)という年2回のライブ活動を経験。それまではクラブ所有の楽器を使用していましたが、3年の夏、MALTAも使用するセルマーのスーパーアクションUを とうとう購入(残念ながら、MALTAのそれはメッキではないはずなので もっと高いです、はい)。学生時代最後の一年は、一応、えー、軽音楽クラブの部長をつとめ(たいしたこと無いけど、現在のジャッキーさんと同じ肩書きよ!笑。)4年時にはタンジェリンの他にジャズ演奏オンリーの同クラブ内のバンド”ティファニー”にも助っ人参加。アルトサックスのほかにソプラノサックス、クラリネットにもチャレンジしてみました。(枯葉、オルフェ、テイクファイブ、オーバーザレインボウといった曲もこの仲間で演奏しましたね。)ちょっと大人の雰囲気をかもしだしてました。4年生になって、5月、渋谷エピキュラスでのコンサートを最後に引退。
・卒業後は友達の結婚式に披露する程度。(ほとんど独奏、今考えると無謀なことでした。。。ハハハ)
・jinjin7に参加。(とても楽しい時間を過ごさせてもらってます、みなさんどうもありがとう!)
ボーカル

1.リンダ田口
2.19XX.06.23かに座
3.◇◇市
4.未(ひつじ)
5.O型
6. アイスクリーム、さくらんぼ、野菜、果物、ベーグルetc.
7.明日は明日の風が吹く...かな
・1976年ごろ小3でバイオリンの音色に魅了され、1年かけて親を説得し小4〜中3までバイオリンを習う。 (が、高校受験、入学をきっかけにやめる。しかもビブラート習う寸前。今でも悔いが残ってます。)
・1979年ごろ中学にて合唱(男女4部)にはまる。声が大きいことから各パートの声の足らないパートにたらいまわしされつつ、ハモリの喜びを知る。以来ハモラーに。
・1983年 高1の文化祭にてその場限りのバンドを結成し、キーボードをかじり(少々勉強し)、バンドの味をしめる。≪♪RCサクセション≫
・1987年 20歳のころ、空前のバンドブームで 社内の同事業部でバンドが結成され、カラオケ好きが同期友人より広まり、ヴォーカルに誘われる。結成半年後に、事業部のイベントにて小ライブをし(キャパ500名位)人前での度胸を身につける。その後、年1ペースでライブハウスにて3回ライブ。(キャパ100名位)その後、メンバーの転勤、出産等で活動停止。≪♪レベッカ、山下久美子、アン・ルイス、プリプリ、ドリカムetc.≫
・1995年ごろ 知り合いのバンドのライブにてコーラス参加。≪♪ユーミン≫
・1999年10月  JIN'JIN'7の練習を見学(ちょっと参加)。コーラス隊のお手伝いに来たが、メインボーカルがいないということで、メインを歌うことに。その日から1メンバーとして参加させていただいてます。
マネージャー
aruaru.jpg
1.アルアル藤原
2.19XX.05.27双子座
3.今と変わらず◯◯市
4.猪突猛進
5.こう見えてもA型
6.酒(食べ物じゃないって)・乳製品・主食全般・洋菓子(ほとんど太るもの・・・(・・;))
7. お気楽極楽♪
裏方歴
・高校3年間は、文化祭の下準備・定期演奏会の受付・ソロ出演者の付き人などを経験。
・大学時代は同じく定期演奏会の受付・器楽伴奏者の譜めくり等々裏方で活躍。
・1997年、高校時代の恩師が「今までの卒業生の演奏会をやりたい」と我侭を言い出した為「しょーがないなぁ、とりあえずやってやるかぁ」ということで、恩師および友人たちと企画を練る。その際なぜか「実行委員長」に祭り上げられる。
1998年5月7日に第1回グラデュエートコンサート決行(於:さいたま芸術劇場)そしてなんとか、99年第2回、2000年第3回とやってしまう。実は今年もあるのだが、元来マメでない性格故(みなさんおわかりだと思いますが)他人にゆだねました。でも「チラシとプログラム作ってぇ〜」とか言われちゃって…ポールさん、サルでもわかるチラシの作り方なんぞ伝授してくだされ。リンダちゃんも。(ここでお願いしてどーする)
おまけ
・クラッシック歴
6歳よりピアノを始める。だが「すぐに飽きるだろう」ということで楽器は買ってもらえず、近所のピアノがある家をを渡り歩いて練習していた。この頃はハングリー精神旺盛だったようだ。職業音楽家になりたかった頃でもある。しかし小4でピアノを購入してもらったとたん練習をさぼりがちになる。世の中そんなもんだわ。
中1の時、部活でフルートを始める。が一身上の都合で一年半でやめる。県立の音楽高校を目指したが合格せず、新設した音楽コースのある私立高校に入学。そこでカルチャーショックを受け、ピアノを続けることを断念した
が、とりあえず三年間はピアノ専攻。副専攻でヴァイオリンを始める。ファゴットも始めたけど合わずにすぐやめる。音楽から離れるはずが、流されるままに音楽系大学に入学。専攻は音楽理論。だけど専攻よりも副科に専念。ヴァイオリンとフルートとオーケストラの授業を楽しむ。大学卒業とともに、すべてすっぱりとやめ、現在にいたる。
・ポピュラー歴
ピンクレディー、たのきんトリオなどいちおうアイドルも好きだったが、井上陽水・中島みゆきも好きな小学生であった。兄の影響でYMOも聞くようになる。
1984年11月29日に高見沢俊彦(ALFEE)と運命的な出会い(爆)をする。1988年からTOKYO-FMでやっていた坂崎幸之助(ALFEE)の深夜放送を聞いているうちに「LOVELOVEこうのすけ♪」となる。また、この番組などでビートルズ、S&G、CSN&Y、GS、70年代フォーク、をかなり聞く。1992年からお金と時間の許す限りコンサートに参加する「コンサート追っかけ」になってしまう。そして毎年毎年ツアーのチケット発売前に「今年こそは本数を減らす」と言いつつも、年に20本以上は行っている(^_^;)

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