タイ旅日記
前編・マレー半島三国記
Thailand〜Malaysia〜Singapore
マレー半島を縦断する深夜特急、寝台特急

 

2002年8月28日 水曜日

海外へ行くのは昨年1月末〜2月にかけての欧州旅行以来。

アメリカでのテロ事件以来初の海外になる。

予約した格安航空券には、これまで見たことがなかった航空保険料なる料金が含まれていた。

それは何かと代理店の担当者にメールで尋ねると、

"航空保険料に関してですが、去年米国でテロがあった関係で航空会社側がその料金を値上げし、格安航空券に本来含まれていた料金の超過負担料になります。"

と回答があった、なんだかよく意味が分からない…。

ちなみに今回の旅行で私は1度も旅行代理店へ行かなかった。

1度電話で確認を取っただけであとは全てネット上で連絡した。

そして出発当日。

飛行機の出発時刻は20時。

18時チョット前に成田空港第2ターミナルへ。

成田空港ってのはいつ行っても煩わしい。

何で出発の2時間も前に搭乗手続きをしなければならないのか。

その2時間が実に暇になる。

することがなく売店コーナーや土産物屋をうろつくも、あの雰囲気がどうも好きになれない。

制服来た高校生の集団や、胸に同じステッカーを貼ったツアーのジジババ。

皆が皆海外旅行だーってチャラチャラ浮かれやがって…

いや、私も端から見りゃそうなんだろうけどさ。

日本円の小銭を処分する意味も含めて発泡酒を買って1人ロビーで飲む。

財布の中身は出来るだけ軽い方が良い。

イミグレーションを済ませた方が少しでもチャラチャラした輩は減るだろうと出国審査へ。

日本人は出入国カードを書く必要がなくなったことを初めて知った。

時間も結構遅かったのでそれほど混雑していない。

どうやって暇を潰そうかとウロウロしていると、Yah○○!の無料インターネットスペースがあった。

ブロードバンドのキャンペーンで無料で使えるという。

防犯上の理由からと、パスポートのコピーを取られた。

良い暇潰しになった、ブロードバンドって速いわ。

19時20分搭乗開始で、19時30分頃までネットしていた。

19時40分に搭乗口へ行ったが、まだ搭乗は開始されていなく、結局45分に搭乗開始。

この搭乗開始時刻ってのはいっつも遅れているような気がするのだが…。

今回は台北で経由してバンコクへ向かう。

ただ、格安航空券のために台北の到着が夜遅くで翌早朝に台北を出てバンコクへ。

つまり必然的に台北で1泊しなければいけない。

台湾時間の22時に空港に到着し、翌8時30分にバンコクへ向けての飛行機が出る。

それだけのために台北でホテルを取って一泊するのは勿体無さ過ぎる。

航空券を予約した代理店に問合せると台北の空港内で1泊出来ることが判ったので、そうするつもりだった。

台北行きの飛行機は満席。

殆どがアジア人、東南アジア系ではなくて日本人や台湾人っぽい。

恐らく台湾の航空会社、EVA航空。

機内に入ると微妙なニオイがした。

別にクサイわけではないのだが、アジア臭とでもいうのだろうか…。

窓際の席になるも、外は暗いので面白みがない。

隣に座った女性が同年代っぽかったが、機内誌で台湾語(?)のページを見ていたので話すことも出来ず。

定刻20時に出発した。

ビール飲んで機内食食ってマッタリする。

機内で台湾への入国カードが配られる。

台湾へは飛行機乗り換えで入国するだけなのだが、それでも一応は書く必要があるのかな。

なんてことを考えていると、隣の女性が話しかけてきた。

「私、飛行機乗り換えるだけなんですけど書かないといけないんですかね?」

なんと隣の女性、日本人だった。

機内誌で台湾語のページ見ていたのでアッチの人だとばかり思っていた。

「うーん、一応入国することになるから書く必要があるんじゃないですかね?」

と答えて会話が始まった。

彼女はなかなかのモノで、1人で結構アチコチ行っているそうだ。

最近ではベトナム・ラオス・カンボジア…マニアックな所ばかりだ。

カンボジアでは1泊300円のホテルに泊まり、朝起きたらネズミが体の上を這っていたという。

そんな安宿暮らしを続けているというタフな女性。

今回も1人でバンコクへ行くというのだ。

彼女と私はどうやら同じ手段で同じ代理店から同じ価格で航空券を購入していた。

その航空券は台北で経由してバンコクへ行かなければならない。

台北着が現地時間22時で台北発が8時30分なので、台北で一泊する必要がある。
たかが飛行機の乗り換えのために台北でホテルに泊まるのは馬鹿馬鹿しい。
そこでホテルではなく空港内で夜を明かすつもりだった。

…ということを彼女と話していると、彼女もそのつもりだったらしい。

だが、彼女は成田空港で航空券を発行してもらっている時にその話しをカウンターの人にしたら、それは出来ないと言われたという。

そこで焦って日本から台北のホテルを予約したという。

その話しを聞いて慌てた、台北の空港内で夜を明かすことが出来ない??

でも代理店の担当者は台北の空港で夜を明かすことは可能だと言っていた。

その話しをすると、彼女も代理店の人には大丈夫と言われたが、カウンターの人には出来ないと言われたという。

むむむ、これは台北で野宿することになってしまうのか…。

一抹の不安を残しつつもビールの酔いも回り睡眠、飛行機は台北に到着。

日本を20時に出発して日本時間23時すぎ(時差1時間・台湾時刻22時すぎ)に到着、飛行時間は約3時間。

こっちが半分寝ていたというのもあるが、隣の彼女は挨拶もせずにさっさと行ってしまった、冷たいな…。

混むのが嫌だったので、殆どの客が降りてからゆっくりと飛行機を降りた。

今後のことはともかく、とりあえず入国審査を済ませる必要があるだろう。

歩いているとトランジット(乗り換え)のカウンターがあった。

そこでトランジットの手続きをしてついでに空港に泊まることが出来るかを聞いてみることにした。

既に日本ではないので勿論英語で話しかける。

航空券を見せて、翌早朝の便で出発することを知らせて

「I want to stay here. It's ok?」

と尋ねる、すると何やら困ったような顔、近くにいた係員と何やら相談している。

何やら英語で言われたが、何を言われているのかが判らない。

ココには泊まれない、というようなことを言っているのはなんとなく判った。

だが外に出れば空港に泊まることが出来る、みたいなことも言っている。

外に出たら空港内ではなく野宿になってしまう、空港内に泊まりたいんだとこっちは言う。

だいたい外に出れば空港に泊まれるという意味が判らない。

相手が何を言っているのかがいまいち掴めない。

いや、だから、明日早いからこのまま空港に泊まりたいんだ…

と英語でなんとか言うと、それならホテルを取ってやると電話しだした。

イヤイヤ、ホテルなど要らん、そのままココに泊まりたいんだ…

だいたいホテルなんか予約したら金がかかるじゃないか。

と言おうとするも相手は既に電話をしている。

どうしたものかと困っていると横でバックパッカー風の男が同じような問答をカウンターでしていた。

「日本人ですか?」とこっちから話しかけるとそうだった。

彼もまさに空港に泊まって夜を明かそうと考えていたが、話が通じなくて困っていたらしい。

同じ状況の人が増えたことによって、多少心強くなった。

2人で交渉

「We can't stay in hotel. Because we have no money.」

それだとココには泊まれない…だが外に出れば泊まることが出来る。

どうも先程からそのようなことを言っている。

ん?それはつまり、入国審査を済ませて外に出れば空港内に泊まることが出来るということなのだろうか。

こっちが2人になったことによって、相手の言葉を聞く耳にも余裕が持て理解出来るようになっていた。

「If we go immigration so can we stay in airport?」

入国審査を済ませれば空港に泊まれるのか?と聞いてみた(文法があっているのかは判らないが…)

そしてどうやら入国審査を済ませればそこで空港に泊まることは可能らしい。

外に出るというのが空港の外ではなく、入国審査を済ませてココを出るということだったようだ。

だからココには泊まれないが空港には泊まれる、と言っていたのか。

なんとなく話を理解して彼と一緒に入国審査に向かった。

「どうなんだろう、空港内に泊まれるのかな?」

彼と話しながら入国審査・税関を終えた。

空港内のDeparture Arrival予定表を見ると、深夜の便はなかった。

飛行機の発着がないということは空港は機能しない、追い出されたりはしないのだろうか…

最悪の場合は野宿だな、ってことを彼と話しながら空港内を散策。

夏だし、凍死することもないだろう、1人ではないからそれほど不安もなかった。

ウロウロして4人掛けくらいの適当なソファに落ち着く。

空港を追い出されない限り、しっかりとしたソファもあるし環境は良さそうだ。

台湾時刻で23時(日本時間0時)を過ぎていたので、空港内での人はまばら。

どうやら彼と私は学年こそ違えど同じ年(私は早生まれ)。

一浪しているので現在M大学の4年生だという。

就職は決まったけれど、就職したくない…どうしよっかなーみたいなことを話していた。

こっちも就職したけれど、今は無職…どうしよっかなーみたいなことを話した。

彼も、飛行機内で隣だった彼女と一緒で、私と同じ手段で航空券をとっていた。

台北に夜ついて翌朝バンコクへ向かう。

飛行機の乗り換えが巧く行かないからこそ安い航空券なのだ。

そこでホテルに泊まるためにホテル代を払うくらいなら直行便のチケットだって買えたはずだ。

だからホテルに泊まることだけは彼も私も避けたかったのだ。

これまでのお互いの旅や生活などを色々喋る。

気がつくと、既に到着も出発も、飛行機はなくなっていた。

当然空港内の人も殆どいなくなっていた。

だが、空港のロビーにあるベンチには横になって寝ている人などもチラホラ。

明らかに同じ便で来たと思われる日本人もいた。

これはどうやら追い出されずに済みそうだ。

トイレに行ったときに警備員とすれ違ったが何も言われなかった。

空港のロビーではなく、そのロビーを見渡せる2階にある全く人気のないソファに横になった。

しっかり足を伸ばせるほどのソファ。

寝過ごすことだけは避けなければ…それも1人ではないからなんとかなるかな。

空港内は電気もエアコンも落ちることなく、静かな夜を迎えた。

一夜の宿
台北の空港での寝床

…寒い

短パンとTシャツで日本を出発し、そのままの格好で寝ていたのだが、エアコンの効きすぎで寒い。

耐えられなくなり、リュックの奥からGパンを取り出して人もいなかったのでその場で履き替えた。

いくぶん楽になったがそれでもかなり寒い。

腹だけは冷やさないようにハンドタオルを捲き、Tシャツの中に両腕を入れてまるまって寝た。

それほどまでに寒かった、かなり電気の無駄遣いだ。

 

2002年8月29日 木曜日

寒くて熟睡は出来ないまま、空港内のざわめきで起きる。

台湾時刻5時30分頃、どうやら第1便が到着したらしい。

彼も起きたらしい、お互いの第1声は「寒かったなー」。

6時になり、行動を開始する。

まずは冷えた身体を温めるために外へ出た。

ジトッとした湿った生暖かい、生ぬるい空気。

最初は心地良かったが、次第に不快になっていった。

トイレで短パンに履き替えて、することもないので早々にカウンターへ行ってバンコク行きの便のチェックイン。

出国手続きも朝早くなので実にスムーズだった。

一応台湾に入国したことになるので、空港使用税がかかるかと思ったが、カウンターで聞いたらそのチケットなら必要ない、というような答えだった。

恐らくは乗り換えにしか台湾にいないので空港使用税はかからなかったものと思われる。

誰よりも空港を使用した気がするのだが…

出国審査を終えたが、中に入っても早朝なので殆ど店も開いていない。

空港内をブラブラする。

するとそこにトランジットホテルなるものを発見。

そうか、それでやっと理解できた。

昨夜カウンターでココに泊まりたいといった時にホテルに電話していたのはこのトランジットホテルだったのだ。

ココを出ずに泊まるにはトランジットホテルしかないよ、ということを係の人は言いたかったのだ。

ようやく昨夜の係員の言っていたことが理解できた。

前日に機内で会った女性が泊まったホテルもこのトランジットホテルだったのだろう。

日本から予約して9,000円くらいかかったと言っていた。

空港内も散策し尽くして、搭乗口前で搭乗開始を待った。

すると前日に機内で会った女性もそこにいた。

トランジットホテルは快適だったと言う。

女性はA大学の4年生、就職が決まっていないどうしようと楽観的に言っていた。

私も彼も彼女もどうやら殆ど同年代だ。

搭乗が開始され、仲良くなった彼と彼女と3人で機内へ。

荷物のX線検査で彼女のが引っ掛かった。

係員の英語によると「Do you have scissors?」はさみを持っているかとのことだった。

彼女が持っていると答えると、それは機内持ち込みが出来ないから出せと言う。

彼女が渋々出すと、鼻毛切りバサミのような小さなはさみ。

するとこれなら良い、と返されていた。

あのテロ以来チェックが厳しくなったらしいが、それを目の当たりに見た。

もっとも鼻毛切りバサミでハイジャックが出来るとは思えないが…。

8時30分(台湾時)に出発。

機内は空いていて、航空券通りの席ではなく、誰も座っていない4人掛けの席に移った。

機内食でChicken or Porkと言われたのでChickenと答えた。

出てきたのは親子丼の具みたいなもの。

食ったそれは不味くなかったが、ChickenというよりもEggだった、鶏より卵の割合が遙に多かった。

早朝ということでか、ビールは出なかった。

やはり眠って機内を過ごし、台湾時刻12時(タイ時刻11時)頃にタイの首都バンコクに到着、飛行時間は約3時間30分。

今回の旅行では高校時代の友人にして現在も飲み友達である友人と現地で合流することになっていた。

タイ好きの友人で彼は既に何度もタイに来ているので頼れる。

私より1週間ほど早くからタイに滞在していて、現地で合流して一緒に行動することにしたのだ。

出国審査やら税関やらを済ませて、到着ロビーへ。

既に相方は人に紛れてそこで待っていた。

こっちは飛行機と空港で知り合った彼と彼女と一緒だったので相方も交えて4人になった。

彼はカオサンという場所で安宿を探すと言っていた。

彼女はこのままバンコク郊外のアユタヤへ行ってみると言っていた。

空港内で帰りの飛行機のリコンファーム(予約の確認)をして、彼と彼女と別れた。

彼は帰りの便も全く一緒だったので帰りにも会うだろうが、彼女とはもう会うことはないかもしれない。

これで一生会わないかもしれないわけだ、一期一会。

結局どちらもお互いに名前を聞くことも名乗ることもなく別れた。

気の許せる今回の旅の相方と2人になったところで、まずは何か食うことに。

空港内にフードコートがあるというのでそこへ行った。

空港職員などが利用する所らしく、観光客の姿は殆どない。

まずはカウンターでタイの通貨をクーポンに替えてもらう。

タイの通貨はバーツ、空港で両替した所だと1万円=3471バーツ。
(1バーツ≒2.9円、以後文中ではバーツをBと表記、1B=3円のレート計算で表示)

広いフロアーにいくつもの店が出ている。

現金からクーポンに替えてもらい、そのクーポンを食いたい店の前へ持っていって精算する。

何がなんだか判らないが、揚げ麺みたいなのにスープをかけて肉や野菜を乗せている店が美味そうだった。

タイ語も判らないので、指差しとジェスチャーで注文。

ラーメンみたいなものが30B(≒90円)。

カウンターには唐辛子・砂糖・酢・醤油のようなものが並んでいる。

相方によると、これらを入れて自分で味をつけるのだそうだ。

唐辛子と砂糖は同量くらいを入れると不思議とコクが出て美味しくなるそうだ。

実際に全てスプーン一杯分入れると、なるほど砂糖の甘さが微妙に唐辛子の辛さと合っていた。

空港の職員ばかりが利用するような食堂で我々はビールも飲んだ。

タイのビール、SINGHA(シンハビール、タイの呼び方ではビア・シン)の大瓶70B(≒210円)。

シンハビールは飲み易かったがアルコール度は7%か8%だったかで、チョット高め。

なんでもタイではビールに氷を入れて飲むのでアルコールは高めになっているとか。

余ったクーポンは現金に戻してもらい、空港を出ることに。

1歩空港を出るとやはり暑い、というよりも蒸す。

空港からタクシーに乗ってバンコク市街へ向かう。

空港の到着ロビー前で客待ちをしているタクシーに乗ると手数料で50B(≒150円)余計に取られるという。

そこで相方に連れられて空港の出発ロビー前の道へ。

ここならば空港に来る客を乗せた帰りのタクシーを捕まえることが出来る。

タクシーに乗り込み、相方が行き先を告げる。

するとタクシーの運転手「OK、200B(≒600円)」と言う。

どうやらそこまで200Bで行くぜ、と言っているらしい。

相方が「No meter.」とメーターの料金で行けと指示。

運転手は苦笑いで了解し、車を発進させた。

高速を使って(高速代計70B≒210円)市街へ向かう。

下道へ出ると、かなり混んでいる。

有名な(?)バンコクの渋滞だ。

結局130B(≒390円)程で目的地に到着した、運転手が最初に提示した200Bもかからなかったということだ。

ホテルは既に相方が予約しておいてくれたのでまずはホテルに向かう。

1泊1,000B(≒3,000円)程の中級ホテル、ツインでこの値段なので1人当たりだと500B(≒1,500円)。

ホテルでしばし小休止、今後の予定を考える。

翌日の昼過ぎにマレー鉄道に乗ってマレーシアへ向かうことになっていた(列車は相方が予約済み)。

この日と翌日の昼までにバンコクの市内観光をすることにした。

バンコク市内で見たかった所はとりあえず…という感じで超観光地をいくつか。

ワット・プラケオ(通称・エメラルド寺院)、王宮、ワット・ポー。(ワットとは寺院という意味)

それから法医学博物館(通称・死体博物館)。

時間は14時過ぎくらいだったので閉館時間を考えるとそれら全てを回るのはチョットきつそうだった。

ワット・プラケオや王宮と言うのは王室関係の施設なので入場時に規制が厳しいという。

だらしないと考えられている短パン・ノースリーブ・サンダルでの入場は不可というのだ。

そのために私はわざわざGパンを持ってきたのだ(台北の空港では世話になったが…)。

Gパンをはかないと入れないような面倒な所へは早く行ってしまおう。

ということでこの日は寺院系を回ることにした。

あちこちを走っているタクシーを捕まえてワット・プラケオを目指す(タクシー初乗り35B≒105円)。

目的地に到着してワット・プラケオと王宮へ。

どうやらこの2つは隣接しているらしく、敷地内はかなり広い。

こっちの金額にしたらかなり高額と思われる200B(≒600円)の入場料を払って中へ。

陽射しもあって暑い中、敷地内を見て回る。

色々な建物がある、どれもこれもきらびやかでまばゆい。

派手派手な建物がいっぱい、観光客もいっぱい。

おぉ、これガイドブックに載っていた…という建物ばかり。

暑さと陽射しで、どれもこれも駆け足で見て回る。

一通り見終えると人ごみの熱気から逃げるように外に出た。

外に出ると客待ちのタクシーやトゥクトゥクと呼ばれる後部座席着きのバイク三輪車みたいなものが沢山。

それらが声をかけてくる、観光客相手なので殆どがボラれるとガイドブックに書いてあった。

「タクシー,トゥクトゥク!」の声を無視して次に行く予定のワット・ポーを目指す。

地図を見ると歩いて行けそうな距離だったので歩いていくことにした。

どっちかなと思ってキョロキョロしていると男が声をかけてきた。

「ワット・ポーis that way.」と方向を指差して教えてくれた、そしてさらに

「But today close.」と言われた。

思わず耳を疑った、今日が休みだって??

実はこれ、ガイドブックに「バンコク騙され黄金パターン・詐欺まがい事件の典型的な流れ」として紹介されている手法。

1.今日は休みだと言って、残念だったな、代りに良い寺があるから案内してやる。と言ってトゥクトゥクに乗せる。
2.寺などにも行くがそこで今日が近くにある宝石店のセール最終日だと言われ、宝石店につれていかれる。
3.この宝石を買って日本で売れば数倍の値段で売れる、買わなきゃ損、今日がセール最終日だと言われる。
4.購入して後日日本に発送された宝石は贋物ばかりで返品も効かず泣き寝入り。

というのが大まかな流れらしい。

そんな手口に引っ掛かるのも可笑しいが、実際にその手で声をかけてきたヤツがいたことの方が面白かった。

教科書の1ページ目に載っているような手口なのだ。

観光地には英語で"Jewelry say No"(文面は違うと思う)と注意を促す貼り紙もしてあった。

でもそうやって声をかけてきたということは、それでも引っ掛かる人が後を絶えないのだろうか。

苦笑いして「Ok thank you.」とだけ言って我々はその男から離れて教えられた方向へ向かった。

「ワットポーは休みだぞー」と言っているのだろう、男の英語を背に歩き出した。

教えてくれた方向だけはあっていたようで、途中で警察官にも場所を聞いて辿りついた。

到着したワット・ポーは勿論閉まってなどいなかった。

20B(≒60円)払って敷地内へ。

ワット・ポーにあるので有名なのは大寝釈迦仏、涅槃(ネハン)、リクライニングブッダとも呼ばれる。

大仏がヒジで頭を支え、身体を横にして寝ている。

印象はうわっ、でっけー…なんか気持ち悪。

足の裏には何だか色々なものが描かれている(バラモンの神のなんとかかんとか…)。

寝仏がいる堂内の壁際には小さな器が108つ並んでいて、そこに小銭を入れて煩悩を取り払うとか…

堂内が工事中だったのもあるが、堂内が狭く感じられるほどの巨大さ。

堂内が狭いからこそでっかく見えたのかもしれないけど。

どこをまわっても暑いのでどこを見ても駆け足で回ってしまった。

観光地観光を早々に切り上げて、安宿で有名なカオサン通りへ。

歩道に屋台が所狭しと並んでいて歩くのも困難。

服だの靴だの時計だの食い物だの、様々な屋台や店が並んでいる。

カオサン通りが安宿で有名な通りだけあって観光客が多い。

暑く、散々歩き回ったので早々に燃料を補給する必要があった。

タイとはかけ離れた西洋人が集まっていそうなエアコンが効いているバーに入った。

ビールを一杯、燃料補給完了。

一杯飲むと腹が減ってきたので、相方が薦めるシーフードを食わせる店へ行った。

タクシーとBTS(スカイトレイン、モノレールみたいなもん)を乗り継いでその店へ向かった。

ガイドブックにも載っている有名店へ。

ブー・パッ・ポン・カリーなる蟹のカレー粉炒め卵とじが有名な店。

蟹と卵の旨みとコクがピリッとしたカレーと絶妙にあって美味。

他に生のエビをピリ辛いタレに付けて食うものや、ほうれん草みたいな空心菜炒め。

どれも辛いのでビールを飲みながらだったがご飯も実によく進んだ。

店内は日本人客が多かった、予算は2人で700B(≒2100円)くらいだったかな。

食後、店を出て近くにあるという有名なパッポン通りへ行くことに。

そこへ向けて歩いていると突然の雨、スコールだ。

通りにあったホテルの軒下に避難。

かなりの大雨であちらこちらで人が避難している。

15分以上は待っただろうか、なかなかやむ気配がない。

相方が、近くに行きつけのシーフードレストランがあるので雨宿りがてらそこで飲もうということに。

途中の軒下で避難しながらそのシーフードレストランまで走った。

通りに面した屋外のレストラン、テント状の屋根がついているので濡れることはない。

ビールをピッチャーで飲みながら通りを眺める。

外は大雨なので涼しく感じられて良い、次第に雷まで鳴り出した。

タイではビールに氷を入れて飲むという。

実際に試してみたが、これが悪くない。

氷で冷たくなるし、氷を入れるたびに泡が復活する。

ビールが薄まって不味くなるということはなかった。

そのレストランではタイの有名なスープ、トム・ヤム・クンを飲んだ。

エビのダシが効いた酢っぱ辛いスープ。

かなり癖のある味なので、美味いと感じられるかはその人次第のような気がする。

酸っぱいのだが、辛さも相当なもので舌がヒリヒリする。

トム・ヤム・クンは世界3大スープの1つらしいのだが、他の2つは何なんだろう。

雨がやんできたので店を出て、パッポン通りへ向かった。

屋台街で、通りに大量の屋台が並んでいる。

服飾品、靴、土産、時計、違法コピーのVCDやDVD、ブランドものは全て贋物だとか…

そう広くはない通りに所狭しと屋台が並び、その中を観光客が行き交う。

雨上がりなので大混雑とまではいかなかったが、それでも人の熱気と活気は凄かった。

新宿の歌舞伎町みたいなパッポン通りでは、それ系の呼び込みも凄かった。

屋台でも通りでも日本語で声をかけられる、いかに日本人が多いかだな。

しばらく色々歩いてうろついて、タイスキというタイ式しゃぶしゃぶを食わせる店へ。

日本にも支店がある有名なタイスキの店らしく、店内には日本人が目立ち、店員も片言の日本語を話す。

鍋に湯が張ってあり、その中に肉や野菜などを入れてそれらをピリ辛いタレにつけて食す。

まさに日本のしゃぶしゃぶだ。

独特のピリ辛いタレが美味い。

既にこの日何食目なのか、何杯目のビールなのか判らなかったが、それでも美味しく食えた。

タイスキの店ではガイドを連れた10人くらいの団体日本人客がいた。

全員が大学生っぽい若者なのだが、ギャーギャー騒いで鬱陶しかった。

あぁはなりたくない…

また少し雨が降る中をホテルまで歩いて帰る。

散々食って飲みまくった1日だった、タイ初日にしてこれか。

 

2002年8月30日 金曜日

8時過ぎ、腹の不具合と軽い二日酔いで目覚める。

トイレへ行くと見事に下痢…

暑いのでエアコンをガンガンかけて寝たので腹が冷えたのかと思った。

ところが、昨夜食ったものを思い出した。

空港でのラーメンみたいなもの(スプーン一杯の唐辛子を入れて食った)
蟹のカレーを食った店、生エビを唐辛子入りのタレで食った。
シーフード店ではトム・ヤム・クン。
タイスキでも唐辛子入りの辛いタレで食った。

その殆どのものが辛かったのだ、唐辛子がいっぱいである。

辛いものを食って下痢、なるほど。

相方によると、タイに来るといつもそうなってしまうという。

ホテルで朝食を食う。

お粥があったのでこれなら胃に優しいだろうと思うも、それも腹の調子が気になってあまり食えなかった。

食後もトイレにかけ込む…うぅ完全に下痢だ、ケツがピリピリする。

起きた直後と、朝食後、トイレで自分の腸と尻と格闘していた。

尻に不快感が残ってはいるものの行動に支障は無さそうだ。

この日は昼過ぎからマレー鉄道に乗ってマレーシアへ向かう。

列車が出る時間は14時20分、それまでの時間で前日に行けなかった所へ行く事に。

場所は法医学博物館、通称・死体博物館と言うちょっとマニアックな所。

タイへ行った友人がバンコクで見た死体博物館の様子を熱く語っていたのを覚えていて行きたくなったのだ。

死体博物館はバンコクを流れるチャオプラヤー川の対岸にある。

タクシーに乗ってチャオプラヤー川沿い、博物館のある対岸へ行った。

そこから渡し舟に乗って対岸へと移るのだ。

渡し舟は2B(≒6円)で対岸へ。

かなり揺れて排気ガスも出る、長時間乗っていたら気分が悪くなりそうだ。

チャオプラヤー川は全てが泥水のように汚い、透き通った部分や青い部分など1つもなかった。

川全体が泥水で、枯れ木や枝葉などが浮いている。

水上は渡し舟の他に観光ボートや水上バス、何かの輸送船など色々なものが通っている。

渡し舟で対岸へ行って船着場を出るとすぐにそこは死体博物館のあるシリラート病院。

死体博物館は医療の研究用に作られた施設で病院の敷地内にあるのだ。

博物館、と漢字でも書かれた案内に沿って病院の中を歩く、案内板がなければかなり判りにくい。

入口で荷物を預け、入場は無料だが署名をさせられる。

国籍を書く欄もあったのだが、日本人が殆どだった、他に中国人・韓国人もチラホラ。

最初に入ったのは解剖学博物館という所らしく、様々なものが並ぶ。

人体標本や骨格、神経標本、異常胎児、奇形児…いずれも気持ち悪い。

かなり古い建物でいかにも研究室、みたいな感じが逆に何故かリアリティを感じられなかった。

次に向かったのが同じ敷地内にあるもう1棟。

こちらの方は明るい綺麗な建物だったが、先の解剖学博物館よりもグロい。

凶悪犯の死体標本が並ぶ館内。

ロウで固められて真っ黒に樹脂化した5人ほどの死体標本が箱の中で並んで立っている。

有名なのがシーウィーとかいう凶悪犯で、1950年代初頭に幼児5人を誘拐して殺害して不老長寿の薬としてそれらの内臓を食っていたという。

タイ犯罪史上に残るシーウィーは永遠に罪を償うという意味で人体標本にされてさらし者になっているという。

他にも頭を縦に真っ二つに切断されてホルマリン漬けにされた標本。

手首から上が切られた手の標本や、異常胎児の標本…いずれも気持ち悪い。

壁際に張られた写真がまたグロくて、交通事故の写真や色々なものがグチャグチャになった写真など多数。

午前中の時間ということで館内は空いていたが、小さい子供を連れた親などもいた。

数々の異常胎児のホルマリン漬けの前には来館者が置いたのだろう、小銭やキャンディーなどが供えてあったのが印象的だった。

なんでもタイ人は死体好きらしくて、タイで1番売れている雑誌は死体の雑誌だと言う話しも。

死体博物館を見た後は肉が食えなくなる、なんて話しもあったがどうやらそこまでのインパクトは感じなかった。

やはりあくまでも標本、研究用のもの、という印象だった。

死体博物館を出て、近くの屋台通りをウロウロして昼飯時が近かったこともあってかなり混んでいた。

川沿いの食堂に入り、昼飯を食うことに。

豚・トマト・タマネギ・バジル・ワンタンの炒め物を食す。

汚いチャオプラヤー川、行き交う水上バスや渡し舟を眺めながら飯を食う。

食後、マレー鉄道が出発するファランポーン駅へ行く事に。

せっかく川沿いに来ているのだから水上バスに乗ってファランポーン駅近くまで行く事に。

8B(≒24円)払って、水上バスに乗り込む。

結構混んでいて、人の熱気で暑い。

中に入ると、修行僧ばっかりが立っている場所。

何かと思うと上にPlace for Monk.の文字。

どうやら僧侶専用場所に立ってしまったらしい、他にも観光客みたいなのがいたけど何か気まずい。

1つの駅で僧侶は全員一斉に降りていった。

大きなエンジン音をまきちらしながら水上バスはチャオプラヤー川を進む。

川の水はどこまで行っても汚いが、風は心地良い。

途中で有名なワット・アルン(暁の寺)も水上バスから見ることができた。

鉄道のファランポーン駅に近い船着場で下りてそこからはタクシーでファランポーン駅へ。

ファランポーン駅からマレー鉄道が発着している。

マレー鉄道はタイ・マレーシア・シンガポールのマレー半島3国を縦断する列車。

だが、現在バンコクからシンガポールまでの直行列車はない。

途中のバタワース(マレーシア)という駅で乗り換えが必要になるのだ。

今回購入した列車の切符はバンコク〜バタワース。

まずはバタワースへ行き、近くのペナン島を観光してからマレーシアの首都クアラルンプールへ向かう予定。

バンコク〜バタワースのチケットは私がタイに到着する以前に相方が購入済。

ファランポーン駅について、念の為遅れ等がないか時刻表を確認、出発まで1時間以上あった。

ファランポーン駅は東京駅みたいなターミナル駅なので駅構内も広く色々な店もある。

生ビールを飲ませそうな店へ入り、生シンハビールをピッチャー(120B≒360円)で。

飯としてお粥みたいなものも食う(50B≒150円)。

駅構内のコンビニでビール(缶ビール1本約30B≒90円)を4本とツマミ少々、水などを購入して車内へ。

向かい合わせの席で上にベッドが収納されている。

夜になれば向かい合わせの席と席の間にクッションが入ってベッドになり、上のベッドが出てきて2段ベッドのようになる。

バンコク〜バタワースまで1階のベッドで1,050B(≒3,150円)、2階で950B(≒2,850円)。

14時20分定刻に列車はゆっくりと発車。

所々でフルーツや弁当、飲み物などの売り子が車内を往復する。

いつまでたってもノロノロ運転。

平行した道路を走る車や原チャリにも追い抜かれていく。

国際列車のプライドを見せろよ…とでも言いたいが、ゆっくり時が流れるのもまた良し。

窓の景色を眺めてビールを飲む、4本あった缶ビールはあっという間になくなった。

車窓はタイの原風景とでも言おうか。

平気で線路上を歩く人々、川面に建った家、舗装されていない道、水田、あちこちの野良犬、これもタイだ…。

小さな片田舎の駅で止まっては物売りが乗り込んでくる。

発泡スチロールに状の弁当箱に入った弁当で20B(≒60円)。

彼らは次の駅で降りるか、列車が発車する前に降りる。

そのためなのか、列車が発車する時は常にゆっくりゆっくり発車した。

出発して2時間ほども経った頃にようやくスピードが出始めた。

車内は冷房の効き過ぎで寒いくらいだ。

景色は次第に移り変わり、何もなくなっていく。

広大な敷地にヤシの木、川なのか池なのか雨溜まりなのか水面のハスの花(?)、牛や馬なども。

18時前になって車内食を運びに来た。

列車が発車してすぐに車掌とは違った乗務員がメニューを持ってきて、車内食の注文を取りに来たのだ。

鶏香草入りピリ辛スープと魚のさつま揚げ風甘辛ソース付けと勿論ビール、2人で260B(≒780円)

乗務員が席まで運んできて、向かい合わせの席の間にテーブルを組みたてた。

それなりに美味かったが、ピリ辛スープはあんまり飲むと下痢を起こしそうだったのでチョット控えた。

さすがにマレー鉄道内で下痢はきついからな。

飯を食い終わった頃に車内のあちこちでベッドメイクが始まった。

下段の向かい合ったイスをスライドさせてくっつけてその上にシーツを敷く。

上段はたたんで収納されているベッドを出してシーツを敷いて完成。

我々はまだ眠る気はなかったので、食後少し経ってから車内にある食堂車へ行った。

色々な車両を経由して食堂車へ向かう。

車内は満席とまではいかないが、それなりに入っていた。

日本人っぽいのは女子バックパッカー2人と男子バックパッカー2人、それから男子1人。

あとは西洋人バックパッカーや中国人風旅行者、東南アジア系の人も

食堂車は4人掛けのテーブルが7つほど。

缶ビール(40B≒120円)とつまみになりそうな鶏ナッツ炒め、サラダを注文。

外は既に暗く、窓からは一定間隔でぼんやりと蛍光灯の灯かりが見える。

人家などの灯かりは見えず、蛍光灯の灯かりはどうやら水田の灯らしい。

次第に食堂車には暇人が集まってきてテーブルは全て埋まった。

ビールを2人で6,7本飲んで全部で430B(≒1,290円)程度。

22時が食堂車の閉店時刻と言うので席に戻った。

席に戻ると既にベッドメイキングがされていた。

私は上段、相方は下段。

上段の方が100B(≒300円)料金が安い。

確かに上段は天井が低いし、何よりも窓がないのでつまらない。

昼間に効きすぎていた冷房は夜には弱まったらしい。

タオルケットにくるまり、異国の寝台特急で眠りに入った。

 

2002年8月31日 土曜日

列車の揺れと音が結構あって、1度目がさめるとなかなか眠れなかった。

ずっと同じ体制で眠っていた所為か、背中と腰が痛かった。

5時30分頃に「Hello breakfast.」と起こされる。

手早くベッドが収納されて再び向かい合った席が出来て、テーブルが出される。

昨夜の晩飯時に今朝の朝食の予約もしておいたのだ。

鶏入り粥とオレンジジュース、コーヒーで65B(≒195円)。

少し昨夜の酒が残っていたので、鶏入り粥が胃に優しかった。

外は曇っていたので夜明けの瞬間は見られなかった。

景色は相変わらずの緑の田舎道。

それでも電灯などはしっかりとついていたのである程度の整備は行き届いているということかな。

7時30分(タイ時刻)に国境の駅に到着。

車内で出入国カードに記入はしておいた。

国境駅ではBorder Borderと乗務員が連呼して全員が列車の外に出された。

辺りには何もない駅でコンテナが線路上にいっぱい止まっていた。

駅構内で出国審査、終えると同じ駅構内で入国審査と税関。

こっちで出国審査、あっちで入国審査と税関という感じ、すぐ近く。

何の問題もなくイミグレーションを済ます。

列車の発車時刻を駅員に聞くと「Thai time nine.」(タイ時刻9時)とのことだった、結構空き時間がある。

売店などもあった駅構内だが、既にマレーシアの通貨リンギットになっている。

広い駅構内、売店と両替所があるだけの寂しい駅。

マレーシアの国境駅
名にもない国境駅

何もする事がないが、列車内は相変わらず冷房が効きすぎて寒い。

バンコクを出た時には10両以上もあったはずの車両が気がつけば3,4両に減っていた。

タイ時刻9時に列車は動き出した。

マレーシアとタイの時差は1時間、タイが9時ならマレーシアは10時、日本だと11時。

マレーシアに入ったからか、景色が平野からジャングルっぽくなっていた。

密林とまではいかないが、明らかに木々は増えた気がした。

木々の枝葉が何度も列車の窓にぶつかる、手入れする人なんかいないのだろう。

時間的にそろそろバタワースに近づいているのだろうと思うも、それほど街並みは変わらなかった。

タイ時刻11時55分、マレーシア時刻12時55分、バタワース駅に到着。

現在バンコクから出るマレー鉄道の終点は一応バタワースになる。

バタワースから乗換えが必要になる。

マレー鉄道はシンガポールまで走っているのだが、現在バンコクから直行で行く列車はないのだ。

タイを14時20分に出た列車がタイ時翌11時55分に到着、総乗車時間は約21時間30分。

寝台車で眠る時間があったこともあるが、殆ど退屈はしなかった。

窓の景色を見ているだけでなんだか楽しかった。

相方がいたというのも退屈しなかった原因の1つだろう、1人で21時間30分はきついかも。

バタワース駅に着いてまずすることは、今夜の寝台列車の予約をすることだ。

今夜の夜行でマレーシアの首都クアラルンプールへ向かう予定なのだ。

駅に両替所があったので、そこでマレーシア通貨、リンギットに両替。

1万円=310リンギット(1リンギット≒32.2円、以後文中ではリンギットをRMと表記、1RM=32円のレート計算で表示)

マレーシア通貨を手に入れてすぐに駅の窓口へ行って今夜の寝台車の有無を確認。

「We want today's night train to Kuala Lumpur.」

と言うと、窓口のオッサン「シンダイシャ?」と聞いてきた。

恐らく日本人の利用者が多いのだろう、寝台車なんてマニアックな言葉を知っているなんて。

幸いにして空きがあり、その場で発券してもらった、1人40RM(≒1,280円)。

駅構内で同じ列車でバタワースまで来たバックパッカー女子2人と少し喋った。

彼女らはバタワースからバスに乗ってクアラルンプールへ行くと言っていた。

21時50分発の夜行寝台列車、出発まで8時間近くある。

バタワースから海を隔ててペナン島という島がある。

マレーシア随一の国際的老舗リゾート地だそうだ。

私は沢木耕太郎の小説・深夜特急でこの島を知り、バタワースまで行くのなら行ってみたかった。

バタワースには何も無さそうだったので、列車の発車時刻までペナン島へ行くことに。

バタワース駅のすぐ近くから渡しフェリーが出ている。

車もバイクも旅人もバックパッカーも地元の人っぽいのも、あらゆる人が乗っていた。料金は0.6RM(≒19円)

フェリーは風を受けてバタワースからほぼ直進し、15分〜20分ほどで対岸のペナン島へ到着。

ペナン島はビーチリゾートとのことだったが、それほど海が綺麗だとは思わなかった。

もっともフェリーから見ただけの海なので、それなりの所へ行けばそれなりなのだろうが…。

腹も減っていたのでフェリーから降りてすぐの所にあった屋台で飯を食うことに。

とりあえず座るも、何をどう注文して良いのか判らない。

店員が来て何事かを喋りかける、ラクサという言葉が聞き取れた。

ラクサはガイドブックにも載っていた食い物だということは知っていたのでとりあえずラクサを注文。

店員がしきりに何かを喋りかけてくるが、その対応に困る度に前の席の4,5人の女性にクスクス笑われた。

こっちの女性は宗教的な理由からだろうが、頭からアゴにかけてを布で覆っている人が多かった。

ラクサと、店員の言うがままにしていたら出てきたライチジュースで昼飯。

ラクサはうどんのような麺に少しニオイのあるスープに緑の野菜(?)や生姜っぽいのが入ったもの。

口に入れるとクセのあるニオイがあって、正直それほど美味しくはなかった。

激甘のライチジュースも飲み、料金は二人で8RM(≒256円)弱だった。

曇り空で蒸し暑いペナン島をブラブラ歩く。

どうやらペナンは中華系の人が多いのか、中国語の看板をあちこちに見た。

やがてビールの看板を出している店を発見、そういえば今日はまだ燃料の補給をしていなかった。

店先にはCarry Meeの表示も。

Carry Meeとはカレー麺のことで、カレースープに麺が入った名物とガイドブックに載っていた。

ビールと一緒にカレー麺を注文するも、時刻が14時過ぎで昼飯時が終わっているのか、ないと言われた。

仕方なく、そば飯のようなナシゴレン(ミーゴレンだったかな?)なる料理を注文した。

燃料の補給を済ませて、再び歩き出した。

ペナン島中心部にして繁華街のジョージタウンをうろつく。

繁華街のジョージタウンは何だかいまいち物足りない。

人通りはあり、栄えてはいるのだが、どことなく田舎臭さを感じさせる。

そもそもペナン島はビーチリゾートで有名な地。

そこの繁華街に何かを求めても仕方ないか…。

ペナンではそれっぽいのは1人だけ見たが、はっきり日本人とわかるのは1人もいなかった。

土産物屋には日本語の表記もあったくらいだから、日本人観光客もいるのだろうが見なかった。

ジョージタウンにコムタという1つだけ巨大な65階建てのビルがある。

それの展望台に昇れるらしいというので行ってみた。

そのコムタの下はショッピングセンターで色々な店が入っていてかなりの混雑。

ところが展望台入口と思われるところはどうみても閉まっている。

この日は8月31日、実はマレーシアの独立記念日だったのだ。

国にとってみれば1番の祝日だ、だから開いていなかったのだろうか。

でも国にとって1番の祝日だからこそ、観光客が多くて開いていても良さそうなものだが…

時間が16時を過ぎていたから閉まってしまったのだろうか。

ショッピングセンター内で色々な店を冷やかして時間を潰す。

ペナン島繁華街は大方見尽くしてしまったような気がした。

クアラルンプール行きの列車まではだいぶ時間があった。

街をウロウロ歩くと先ほど食べられなかったカレー麺を食わせる屋台を発見。

屋台のカレー麺1杯2RM(≒64円)。

まさにカレーヌードルなのだが、美味かった。

ただ当たり前だがピリピリ辛い。

ヒリヒリ感を舌に残したまま、フェリー船着場近くの屋台街に出た。

ビールの看板を掲げている所へ入った。

晩飯を兼ねて飲んで食うことに。

ビール大瓶8RM(≒256円)とホッケンミーなる麺類2RM(≒64円)やお粥みたいなもの2RM(≒64円)など。

屋台なので殆ど外に面している。

小蝿は飛んでくるし、店内は汚いし、皿や鍋はバケツの汲み置き水で洗っているし、不衛生極まりない。

その分値段が安くてそれなりに美味い、衛生状態など気にしていたら飯が食えん。

屋台の料理は量によって少しの差はあるが殆どが2RM(≒64円)前後。

それに比べるとやはり大瓶8RM(≒256円)のビールは高価だ。

やはりビールは嗜好品、贅沢品だ。

マレーシアではカールスバークとこっちの銘柄なのかタイガービールなるものが目立った。

時刻は19時を過ぎても日本での夕方の明るさだった。

その屋台を出てブラブラしてもまだ時間があるので、違う屋台に入りまたビールと飯。

今度の屋台ではワンタン麺と水餃子。

屋台によって出す料理が違うので、それも楽しめる、料金はやはり2RM(≒64円)前後。

街を歩いていても中国語の看板が目立ったりしたり、料理も中華系。

どうも華僑(?)、中華系が幅を利かせているようだ。

屋台でトイレに行ったら、板を張り合わせて作った電話ボックスのような箱が1つだけ。

カギはかかるが個室内には何もなくただ床に穴が開いているだけだった。

そのまま下の土に垂れ流しだ。

手を洗う場所?そんなものは勿論ない。

店を出てフェリー船着場の近くの屋台でテータレなるミルクティーみたいなものを飲む。

店員が片手にミルク・お茶(?)が入った容器を高く持ち上げながら勢いよくもう片手に持ったコップへ注ぐ。

両手がどんどん上下に離れて行き、見事なミルク・お茶(?)の軌道がコップに注がれ、テータレの完成。

飲んだそれは普通のミルクティーみたいなモノ。

その店員の妙技を見たかったので、まぁ良し(一杯0.6RM≒19円)。

帰りの代金は無料のフェリーに乗って夜の海を行き、バタワースに戻った。

駅の到着は20時20分、列車の出発は21時50分、だいぶ時間が余ってしまった。

バタワース近くの売店や屋台街で燃料補給用のビールを探すが売っていない。

駅の売店にすら売っていなかった。

マレーシアでは宗教的な理由からアルコール類は出さない所もあるとガイドブックには書いてあった。

どうやらそれらしい…

ペナン島でビールを飲んだところはいずれも中華系だったからビールが出たのかな。

ビールを買うのを断念して、バタワース駅構内の待合所で今後の予定を検討。

翌朝にはクアラルンプールに到着する。

当初の予定ではクアラルンプールで1泊して、翌日の飛行機に乗ってバンコクまで戻るつもりだった。

だが、クアラルンプールまで行ったのにそこからバンコクへ戻るのも何か勿体無い。

マレー鉄道の時刻表を見ると、クアラルンプールからシンガポールへ行く夜行列車がある。

行こう、シンガポールへ。

どうせクアラルンプールまで行くのならマレー鉄道最後の都市シンガポールまで行ってしまおう。

クアラルンプールでの1泊の予定を、シンガポールへの夜行の1泊に充てれば予定も狂わない。

そうと決まれば早速バタワース駅の窓口でクアラルンプールからシンガポールまでのチケットが買えるかを確認。

すると、相方と別々の場所(号車)で良いのなら寝台が取れるという。

どうせ列車内では寝るだけだ、相方と一緒でなくても良い。

その場でクアラルンプール〜シンガポールの夜行寝台列車のチケットを購入した。

1人37.5RM(≒1,200円)、これで列車内3連泊が決定したわけだ。

それにしても…
バンコク〜バタワース≒3,000円
バタワース〜クアラルンプール≒1,280円
クアラルンプール〜シンガポール≒1,200円

合計約5,480円で寝台列車に乗ってマレー半島3カ国を縦断することが出来るのか…。

今後の道が決まり、安心してクアラルンプール行きの列車に乗り込んだ。

既にベッドメイキングがされている列車に乗り込む。

じゃんけんに負けた私が上段、相方が下段。

隣の下段にいたのが日本人男子でW大学2年。

少し喋ったが、相方と彼は下段同士で喋り易いが、私が上段からそれに参加するのは面倒。

次第に会話から離れていき、旅日記を書いたりガイドブックを眺めたり。

列車は21時50分発で、翌8時頃にはクアラルンプールに到着する。

機内食ならぬ車内食は出なさそうな時間帯だ。

乗務員にレストランカー(食堂車という意味のつもり)はあるかと尋ねるとあると答えた。

それならば食堂車へ飲みにでも行こうということで、相方とW大の彼も一緒に駅員に言われた号車へ。

しかし行けども行けども食堂車は出てこない。

ん?!まさかあれか?

発見したのは車両の連結部分のスペースにあった新幹線などの車内販売に使われるようなカート。

食糧も積んでいた、レストランカーと言えないこともない

乗務員が言ったのはこのことだったのか…

酒を積んでいる形跡はなかったし、積んでいても買ってお互いのベッドで飲むだけだ。

すごすごとベッドへ引き返し、することもなく早々と眠った。

 

2002年9月1日 日曜日

8時前に列車はクアラルンプールセントラル駅に到着、乗車時間は10時間ほどだ。

ちなみにマレーシアの首都クアラルンプールとはマレー語で"濁った河口"という意味らしい。

イギリスがマレーシアを植民地にしていた時代に付けた名前らしいが、"濁った河口"は酷いような…。

相方が話していたのだが、韓国のある地域に日本が植民地時代に"どぶ川"と名前をつけたようなもんだろ…って(まぁ極端な例だが)。

そのクアラルンプール、アメリカのロサンゼルスがLAと呼ばれるようにKLと呼ばれているという。

本当に誰かがそう呼んでいるのか、ただKLの人達がカッコつけてそう呼んでいるだけなのか、しかし所詮は濁った河口…。

まぁクアラルンプール(Kuala Lumpur)といちいち書くのは面倒、以後文中での表記はKLで統一。

さて、KLセントラル駅についてまずは駅の近代的建物に驚いた、案内板には日本語の表記もあったし。

ペナンやバタワースから急に大都会に来た、流石は首都(…と持ち上げておく)。

駅構内にあるフードコートでジュース等を飲む。

事前にガイドブックで調べてKLではKLタワーとペトロナス・ツインタワーの2つのタワーに登ろうと思っていた。

インフォメーションへ行き英語でKLタワーに行きたいのだが…と尋ねるとタクシーで行け、と。

あのなぁ、そりゃタクシー乗りゃ行けることくらい判るよ…。

その他の公共交通機関での行き方を知りたいんだよ…。

Not taxi…と言うとスカイトレイン(?)の乗り場を教えてくれた。

KLタワーの最寄りと思われる駅までスカイトレインで1.2RM(≒38円)

駅を出るとあったKLタワー。

頭上にそびえているのだが、小高い丘の上に立っていてその丘を上らないと行けない。

丘の入り口を探して結構歩くも見つからない。

アッチ行ってない、コッチ戻ってない…

すると同じように入口を探していると思われる中年2人若者1人の日本人がいた。

2度目にすれ違った時に話しかけた、「日本の方ですよね?タワーまで行きたいんですけど…」

すると、中年の人が親切に教えてくれた。

「どうやら、君達も我々と同じ道を辿っているみたいだけれど、コッチからは行けなかった。どうやらアッチをもっと進むと登る道があるらしい。」

最初に行ってないと思って戻った道、それのもっと先に入口があったらしい。

既に我々は最初に行ってないと思ったので逆方向へかなり来てしまっていた。

その3人はこれから歩いて登ると言い行ってしまった。

我々は意気消沈…また暑い中あの道を引き返して更に小高い丘を登れる元気があるかどうか…。

どうしようか悩んだ末にタワーを前にして何もせずに戻るよりはと、屈辱だがタクシーを捕まえた。

歩いている先の3人組を追い抜いた時は何だか肩身が狭かった。

結構小高い山道を登っていったので、タクシーを捕まえて正解だった3.1RM(≒99円)。

KLタワーは綺麗で立派、入場料はマレーシア人だと8RM(≒256円)なのに外国人は15RM(≒480円)も取られた。

入口では金属探知機ゲートをくぐらされ、荷物の中身も簡単に調べられた。

高速エレベーターで上へ向かう。

展望台につくと、日本語の説明が流れるイヤホン付きオーディオを貸してくれた。

上に来ると薄曇りで超絶景!というわけにはいかなかったが、それでも良い眺めだった。

高い所から見下ろす都心の景色というのはどこもそう変わるもんじゃないな。

タワーを出るときにドアを開けてくれた係員が一言「アリガト、アジノモト」、よく判らんが苦笑い…受け狙いか?

タワーを降りて、次に目指すはペトロナスツインタワー。

KLタワーからそう距離はなかったのだが、小高い丘から降りて暑いなか歩くのが面倒だった。

すっかり怠け者になった我々はタクシーを捕まえることに。

KLタワーの受付で呼んでもらうと高くつくらしいので、客を降ろして戻るタクシーを捕まえる。

歩きながらタクシーが来たので止めた。

乗り込んでツインタワーというと了解したようで運転手は「6RM(≒192円)」と言う(6RMで行くぜということだ)。

「No meter」とメーターを指差してメーターの料金で行けと指示。

すると運転手は「メーターで行っても6RMだ、変わらない」とメーターを作動させようとしない。

車は既に走り出していたが「Wait wait we get off」(待て待てそれなら降りる)とわめき、降ろさせた。

なんて運転手だ、まぁ僅かの距離だがタダ乗りすることが出来た。

次に来たタクシーは英語を理解しないらしく、何度ツインタワーと言っても判らず行ってしまった。

3台目に来たタクシーに乗り込み、その運転手は黙ってメーターを作動させた、ようやくまともなのに当たった。

KLタワー付近からツインタワーまで2.5RM(≒80円)で行った、最初の運転手が更に腹立たしかった。

3RM(≒96円)を運転手に渡して釣りを渡そうとする彼を遮って「No it's chip.」と言ってタクシーを降りた。

メーター通りに行った(当たり前なんだけど…)感謝の意を含めてのチップだ。

ペトロナスツインタワー、KLのシンボルとも言うべき2つのタワーで世界一の高さ452mを誇るビル。

2つのタワーはそれぞれ日本と韓国の建設会社が競うようにして築き上げたと言う。

タワー1が日本製で2が韓国製だという。

ここまではどこのガイドブックにも書いてあるが、結局どっちが早く完成させたのかは書いていない。

でも国のシンボルともなるべきそのツインタワーが、両方とも他国に建設を任せるというあたりが、まだ発展途上国なのかなと思わせる。

ツインタワーは階下と空中で繋がっていて、空中の繋ぎ目のスカイブリッジ展望台には観光客も行ける。

日曜日ということもあってか展望台へ登る整理券を求める窓口は長蛇の列。

ツインタワーはそもそもオフィスビルで展望台へは無料で入れるのだ。

あまりの列の長さに登るのを断念して、ツインタワー階下の一大ショッピングセンターをうろつく。

伊勢○デパートに紀○国屋書店、ここはどこの国だ…

フードコートで飯を食おうと思うも、昼食時はまだらしく(10時30分頃)食べ物はまだ出せない店が多し。

それならばツインタワーの列に並んで時を潰すことに。

再びツインタワーの列に並ぶ…少しすると係員みたいなのが来て英語で話す。

どうやら今日の分の整理券がもう少しでなくなり、ここまでは恐らく回ってこない…と説明する。

ぞろぞろと列から離れる人々、我々もKLタワーには登ったからツインタワーはまぁ良いかと列から離れた。

フードコートで昼飯を食う、鶏肉を400度(本当かね)の石鍋で焼く名物料理、コーラ付きで8RM(≒256円)。

ジュージュー言う石鍋ごと持ってきて自分でひっくり返して熱して食う。

鶏でしかも外国だし、赤くないように細心の注意を払って焼いた。

まぁ普通の鶏肉だった。

ツインタワーを出てブキッ・ビンタン(Bukit Bintang)なる繁華街へ。

陽射しはそれほどではないが蒸し暑く、汗が噴き出す。

考えてみればここまで2日連続の夜行列車、2日連続風呂に入っていない、3日間服を着替えていない…

どこへ行っても歩いて散々大汗をかいているのに、だ。

KLにいるうちにどこかの安宿でシャワーだけ借りられるか交渉することにした。

汚い汗臭い体ではゴミのポイ捨てでも罰金を取る厳粛なシンガポールに入国できないかもしれないし。

ブキッ・ビンタンのショッピングセンターに旅行代理店があることをガイドブックで知る。

もしも買えるのならここで翌日のシンガポールからバンコクへの航空券を買うことにした。

旅行代理店へ行き、英語で交渉。

マレーシア最大の旅行代理店とガイドブックに書いてあったからまぁ安心だろう。

翌日のシンガポールからバンコクへの航空券はあった。

料金は640RM(≒20,480円)、当たり前だがこれまでの列車の物価に比べると格段に高い。

だが、タイに到着した日にリサーチの為マレーシア航空のオフィスに行ってKL〜バンコク間の航空機の料金を聞いていた。

その時は7,000バーツ(≒21,000円)と言っていた。

それが正規の料金と考えると、シンガポール〜バンコクで640RM(≒20,480円)というのはそう高くはない。

それに翌日には戻らないと今後の予定も狂うので、翌日にはバンコクに戻りたかった。

他の代理店も調べてみたかったので、とりあえずその代理店を出た。

だが日曜日ということでか、他の代理店は開いていなかった。

最初の所で航空券を買うことに決定。

探せばもっと安く買えたのかもしれないが、早く確実に戻れる方法を選択した。

手持ちの現金はなくカードで支払ったので3%の手数料を取られて659RM(≒21,088円)。

これまでで最も高い買物。

バンコクからシンガポールまで、列車で40時間近くかけて行く距離を2時間半で行くんだからなー。

やっぱ凄いわ飛行機、文明の利器。

今後の足が全て決定して安心した所で安宿が集まるというチャイナタウンを目指すことに。

シャワーだけでも借りられないか交渉するためだ。

ブキッ・ビンタンからチャイナタウンまでも歩くと結構距離はある。

歩いているうちに蒸し暑さは変わらないが、空がどんよりと曇ってきた。

ガイドブックに載っていた安宿を発見(後で調べたらガイドブックの宿とは違ったんだけど)。

シャワーだけ借りられないか聞くとOnly Waterで1人3RM(≒96円)。

暑かったし体が気持ち悪かったので水だけでも何でも良いからシャワーを借りた。

ところがそのシャワーがトイレの個室のように狭く、タイルもかなり汚い。

裸と裸足になるのは気が引けたが、背に腹は代えられない。

気分こそ良くはなかったが気持ちは良く、久々に汗を流してTシャツとパンツも替えた。

ところがシャワーを浴び終えて外に出るとなんと先程の曇り空が一変、スコールとなっていた。

大雨に雷も…こりゃシャワー浴びる必要なかったか。

あまりにもひどい雨だったのですぐ近くのバスターミナルに避難した。

同じように避難している人が大勢いたので、バスターミナルは人でごった返していた。

ターミナル構内に屋台が並んでいる一角があり、ビールもあったので燃料補給兼食事。

燃料補給を終え、軽く飯を食ってもまだ雨はやみそうにない。

バスターミナル構内をうろうろしていると前日にバタワース駅で会った女のコ2人と偶然にも再会。

そういやバスでKLに行くと言っていたな。「あぁ…」とお互い少し驚いた感じ。

挨拶しか言葉を交わさなかったが、相変わらず雨がやまず構内をウロついていたらまた会った。

今回は1人がトイレに行っていたので1人しかいなかったが少し会話もした。

この後バスでシンガポールへ向かってそこからインドネシアへ行くという関西弁の女のコ。

インドネシアとはタフだな…と思ったが後で考えるとバリ島かな?バリ島ってインドネシアだったような気がする。

我々も翌日シンガポールへ行くのでそこでも会ったら面白いですね、と言って別れた。

結局シンガポールで彼女らに会うことはなかった、会っていれば何かの運命だと思えたのだが(笑)

ウロウロしているうちに雨は上がった、降り出して1時間ほどだっただろうか。

いずれにせよ、こっちの雨は殆ど夕立みたいなもので長時間降り続くことはあまりない。

夜行列車までの時間をどうにかして潰さなければならない。

KL観光の中心地、とガイドブックに紹介されていたムルデカ・スクエア(独立広場)へ。

前日がマレーシアの独立記念日だったので、その式典の舞台と思われる物がまだ残っていた。

ここには高さ約100mの世界一高いフラッグ・ポール(旗立て)がある。

世界一にしては大したことない、でもこれが世界一ってことは他国のフラッグ・ポールはもっと大したことないのか…。

まぁ旗立ての長さを競っても仕方ないか…。

広場のすぐ近くに入場無料の国立歴史博物館があったので入ってみた。

マレーシアの歴史を展示品で紹介。

3階には戦時中、日本が統治していた頃の展示もあった。

東条英機の写真、日本軍の軍服、日本政府発行の通貨、日章旗にされた署名など。

それらのものを見るとなんとも言えない妙な感情になる。

説明文が読めないから余計に想像をかきたててしまう。

博物館を出てもまだまだ時間がある。

セントラル・マーケットやそ○うデパートなどへも足を延ばし、何するでもなくぶーらぶら。

歩き疲れて帰りは電車(スカイトレイン初乗り0.7RM≒22円〜)に乗ってチャイナタウンまで行った。

夕方を過ぎ、明らかに屋台の数が増えた。

屋台が集合したようなフードコートで燃料補給と食事。

タイガービール大瓶11RM(≒352円)となんとか麺4RM(≒128円)。

明らかにバンコクより、ペナン島よりも物価が上がっている。

まぁ物価の判断基準はビールなのだが…。

チャイナタウンの色々なものを路上で売っている店を冷やかしながら時間を潰す。

いかにして列車の時間まで暇を潰すかが勝負みたいな感じだ。

そして結局1番安易な方法はどっか行って飲む、ということ。

幸いにしてチャイナタウンなのでどこへ行ってもビールは出してくれる。

どう考えても外国人しか来ないような店、人が多く行き来する通りに面して机を出している料理屋に入った。

大瓶1本と料理を一皿。

賑やかな通りに面していて、色々な料理屋が表にテーブルを出して色々な観光客がそこで飯を食っている。

飯を食っている観光客のテーブル間を行き交う物乞いや物売りの少年少女。

小さなカゴにポケットティッシュやライターを入れて売りに来る少年少女、いずれも小学生くらいか。

1人の物売りの少女に執拗にからまれて(?)、しきりにふざけて体当たりしてくる。

椅子を持ち上げようとしたり、肩に手を乗せて笑顔を振りまいたり…どうしたらよいのか困惑。

周りの西洋人が笑いながらこちらを見ている。

見かねた(?)相方が1RM(≒32円)でティッシュを買ってあげた。

するとその少女、私にその1RMを「It's for you」と渡して行ってしまった。

オイオイいいのか?と思っていると嘘だよー、みたいに笑って戻ってきて1RMを持って行った。

可愛らしかったが、あれがあの少女の商売方法なんだよな…。

1個1RM(≒32円)と言う、別に高い金額ではないがそれらを買う気には何故だかなれなかった。

買ってしまうと我も我も…とクセになるような気がしたし、老人の物乞いには何もやらない自分が子供になら必要ない物でも買うというのも違うなと思った。

見ると外国人観光客は子供の物売りからは結構買ってあげていたようだ。

その彼らも老人や身体障害者の物乞いには私が見た限りでは何もあげていなかった。

ビール大瓶1本だけで1時間近く粘った。

そろそろいいかというところでKLセントラル駅へ向かう。

途中のコンビニで燃料を買っておくことも忘れなかった。

駅の両替所で余ったマレーシア通貨リンギットを、シンガポールドルに両替をする。

駅構内でビールを飲みながら列車の到着を待つ。

KLはタワーやセントラル駅の近代的建物と、チャイナタウンなど雑然とした屋台街が共存している妙な街。

ツインタワーを2年という脅威的早さで完成させたように、何か急ごしらえで発展している、という印象だった。

KLでは大方のものは見てしまったように思う。

郊外やナイトマーケットなど他にも見るべき所はいっぱいあるはずだ。

だが、私はKLはこんなもんで良いかなーと思った。

もともとマレーシアでは何かを"見る"というのが目的ではなく、マレー鉄道で"行く"というのが目的だったし。

マレー鉄道終着駅(だよな?)のシンガポールへ向かう夜行列車が到着。

今回は相方と別の車両だ。

お互い国境の駅で寝過ごさないようにしようと言って別れてそれぞれの車両へ。

列車は22時30分(マレーシア時刻)に出発、マレーシアとシンガポールの時差はない。

ベッドでビールを飲んで気が付けば就寝。

ベッドが車両の1番後ろだったので、人が通る度に自動ドアの開閉音がうるさかった。

 

2002年9月2日 月曜日

6時頃、マレーシア国境付近の駅ジョホール・バルに到着。

何故か私はこのジョホール・バルという地名を知っていた、聞いたことあるなぁ…程度だが。

それが何故なのかは旅の途中には分からなかったが、帰国して思い出した。

サッカーの日本代表が初めてワールドカップ出場を決めた試合がジョホール・バルで行なわれたのだ。

中田のシュートをキーパーが弾いてそのこぼれ球を岡野が押し込んでの延長Vゴール勝ち。

劇的なワールドカップ出場決定から、それはジョホール・バルの歓喜と呼ばれた。

生でTV観戦もしていた、どうりでこの地名が記憶に残っている訳だ。

何やら列車の中でパスポートの検査に来た、これが出国審査か?

パスポートに何やら記載し、Next Borderだそうだ。

次の駅で入国審査(?)、寝過ごすことなく相方とも合流し、イミグレーションは無事に済んだ。

まだ眠たい7時40分、シンガポールに到着、乗車時間は9時間ほどだ。

シンガポールの通貨シンガポールドルは前夜にマレーシア通貨からある程度両替してあった。

だから駅構内の両替所では両替はしなかったが、レートを調べる為に見てみた。

すると1,000円が14シンガポールドル…1シンガポールドルが約71円。

これまでで1番レート計算が面倒だ(以後シンガポールドルはS$と表記、レートは71円で計算)。

着いたは良いがシンガポール、我々はシンガポールの情報を一切持っていない。

最初の予定ではKLから飛行機でバンコクに戻る予定だった。

それが急遽シンガポールへも行こうと決断したので、予備知識ゼロで来てしまった。

ガイドブックも何も持ってきていない。

相方が以前に1度来たことがあるのだが、それほど印象にないという。

駅に着いたが、さてどうしよう。

とりあえずインフォメーションで地図を貰う。

シンガポールって言ったら何かな…

思い浮かんだのはたった1つ、マーライオンである。

よし、マーライオンを見ようという安易な考え。

だけど、マーライオンってどこにいるんだ?

沖縄のシーサーのようにあちこちにいるのだろうか?

それともどこかの観光地にマーライオンがいるのだろうか?

悩みながらインフォメーションで貰った地図を眺めていると、いた、マーライオン。

セントサというリゾート地のような島の地図にThe Merlionと書いてあるではないか。

地図を見るとそのセントサ島、そう遠くは無さそうでそこまで橋もかかっている。

シンガポールでの目的決定、セントサ島でマーライオンを見る。

目的地が決まった所で便意をもよおし、駅構内のトイレへ。

入口に係員がいて小なら20セント(≒14円)、大だと1S$(≒71円)もする。

私は大がしたかったので、1S$を払って便所へ。

とても金を取るトイレとは思えない、汚いトイレで大をする。

マレー鉄道の旅では下痢を起こさないように出来るだけ辛すぎそうな食べ物は控えてきた。

それが幸いして下痢ではなく、普通の大だった。

大を流して出ようとするも、流れない。

私のタフな大が流れてくれないのだ。

いくつかした大のうち、最もタフな大が頑として流れない。

3度流しても流れない、シンガポールは美化にうるさい国だという。

噂だとトイレを流さないだけでも罰金だとか…。

いや、私の場合は流さないのではない、流れないのだ。

私が悪いのではなく、私の大が悪いわけでもなく、流れないトイレが悪いのだ。

責任転嫁して自分を納得させ、大をそのままにトイレを出た。

ギョッ!なんと待っているおっさんがいた。

目をそらして下を向いて速攻で手を洗ってトイレを出るなりダッシュ。

相方に事情を説明し早く行こうと急かして駅構内から逃亡した。

あやうく犯罪者になるところだった…。

地図を見て見当を付けた方へ歩き出すと、屋台食堂みたいな所を発見。

ワンタンミー(ワンタン麺)3S$(≒213円)と大瓶ビール8S$(≒568円)。

物価は確実に上がっている。

バンコク、ペナン、KL、シンガポール、南に行くに連れてどんどん物価が上がっている。

落ち着いて地図を見るとどうやらセントサ島とは違う方向へ来ていたらしい。

食後にバス停で、待っている人にセントサ島への行き方を英語で聞く。

何やら説明してくれたがサッパリ判らなかった。

結局、逮捕されるかもしれない恐怖感がありつつも駅へ戻ってインフォメーションで聞いた。

向こう側の道を走るバスに乗れば近くまで行けるということを聞き、そっちへ行くことに。

ところが向こう側へ行くには車ががんがん走る6車線の道を渡らなければならない。

向こう側へ渡る場所を探しながら島の方向へ歩いて行く。

ところが歩いているうちに車の交通量がどんどん多くなってきてますます渡れなくなっていった。

30分以上も歩いているうちにそれらしいものが見えてきた。

午前中とはいえ、陽射しも強くとても暑い。

それらしいものが見えても距離は遠かったが、ここまできたら歩き切ってしまおう。

結局ずっと歩いて、セントサ島へと続く入口の橋に到着。

マーライオンは遠くからでもすぐに判った。

でかい、あんなにでかいのかマーライオンって…

想像していたマーライオンとは違った…それともあれが本物の(?)マーライオンなのか。

入口へと続く橋、誰も渡っていない橋を歩いて入口へ。

本来このセントサ島はバスで入場するような島らしい。

6S$(≒426円)の入場料を払う。

園内を周回するモノレールがあるというのでそれに乗った。

ただマーライオンを見る為に来た島なので、他にはそれほど興味はない。

午前中の時間(10時)と月曜日ということもあってか、園内は空いていた。

モノレールには日本人も3,4組ほど見た。

園内の施設を眺めると同時に涼む意味も含めてどこへも降りずにモノレールを一周。

どうやらセントサ島は遊園地というよりはビーチリゾート付きの広大なテーマパークといった方が良さそうだ。

ビーチでは泳いでいる子供もいた、水はそれほど綺麗には見えなかった。

水族館や植物園、博物館、フェリー、ケーブルカー、ゴルフ場、など様々なもの園内にはあるようだが、そのどれに入るにも料金がかかった。

唯一の目的であるマーライオンは展望台になっていて中に入れるというので行ってみることに。

間近で見るマーライオンはやはり私の想像していたシンガポールのマーライオンとは違っていた。

まー!ライオン?
下から見上げるマーライオン、上半身がライオン・下半身は魚らしい。

私の想像では白くて口から水を出しそうな感じだった。

だがこのマーライオンは薄茶色で口から水どころか、口が展望台になっている。

でもマーライオンはマーライオン、入場料3S$(≒213円)を払って中に入った。

マーライオンの頭上と口の中が展望台になっていてシンガポールの景色を見渡せる。

このマーライオン、23mの丘の上に立ち、全長37mあってシンガポール1高い建造物だという。

頭上からの景色では薄くかかったようなスモッグと建設中のビル群が少しマイナスポイント。

マーライオンの中には日本人カップルが2人いただけでガラガラ。

売店に缶ビールがあったので燃料補給用に買おうと思って「How much?」と聞くと

「5シンガポールドル、サンビャクゴジュウエン」

と日本語で言われた。

缶ビールが350円…観光地価格にしても日本の物価にしても高い、買わなかった。

マーライオンを満喫(?)したら、セントサ島にもう用はない。

セントサ島はカップルや子供連れなどが来たら面白いのかもしれない。

園内で見た日本人は女性2人組やカップル、小さい子を連れた家族だった。

男2人で来ている我々みたいなのはいなかった。

園内からシンガポールの繁華街、オーチャードロードまでバスが出ていたので2S$(≒142円)払って乗車。

アジア的な屋台が並ぶ雑然さはなく、やはり都会の印象。

街に出てもとくにすることが思い浮かばず、大きなショッピングセンターのフードコートへ。

鶏肉入り粥3S$(≒213円)を食す。

しばらくあてもなく街をうろつくと雨が降ってきた。

このスコールのような雨はどこにいても降るな…。

夕方前で時間は少し早かったが、残された時間ですることも思いつかなかったので早々に空港へ。

地下鉄とスカイトレインが合わさったようなMRTで空港まで。

シンガポールの空港は広くて実に綺麗だった。

空港内にプール(金を取られる、泳いでいる奴もいた)や無料のサボテン園なんかもあった。

余ったS$を使い切るために生ビールを飲む8S$(≒568円)、日本と変わらない、むしろ高いか。

シンガポールは罰金罰金のイメージがあった。

ゴミ捨てたら罰金、タバコのポイ捨て罰金、ウンコ流さず罰金、横断歩道以外で道渡ると罰金…

どれも事実らしいのだが、路上には結構ゴミはあったし、横断歩道でなくても道を渡っていた。

でもバンコクやペナン、KLに比べれば雑然屋台もないし綺麗ではあった。

あとは物価の高さがやはり気になった。

これまで散々安い所にいたから余計に引っ掛かった。

そしてマーライオン、帰国後に調べてみると私がイメージしていた白いマーライオンもどうやらいたらしい。

しかも結構近くまで行っていたのに、全く気付かなかった。

我々が空港へ行く為に乗ったMRTのシティホールという駅から海に向かって行くといたらしい。

Merlion Parkなる所があったのだ、どうやら白いマーライオンはそこにいたらしい。

余裕で歩いて行ける距離だったので惜しいことをした。

セントサ島のヤツとマーライオンパークのヤツ、どっちが本物なんだろう(どっちも本物か…)。

次にシンガポールに行くことがあったら、その時に会いましょう、白いマーライオン。

17時30分発のタイ国際航空。

午前中に散々歩いた疲労からか、離陸前から殆ど眠っていた。

機内食でビールも飲んでやっぱり熟睡。

何だかもう旅が終わったかのような感覚。

いやいや、まだバンコクに戻るだけ、今回は内容の濃い旅だ。

シンガポール時刻19時50分、タイ時刻18時50分にバンコク到着、飛行時間は2時間20分。

タクシーを捕まえバンコク市街へ…戻ってきた。

まずはホテル探し、1軒は満室で断られ、次の1軒に決めた。

部屋は少し古い感じだったがツインで1泊1,000B(≒3,000円)、2人なので1人当たり500B(≒1,500円)だ。

私の帰国日まで滞在することにした。

拠点のホテルを決めておくと荷物を置いて出かけることが出来るので良い。

部屋について実に久しぶりに風呂に入った。

湯船でTシャツやパンツの洗濯もした。

溜まっていた疲労が一気に出てきて、次に行動を起こすまでにかなり時間がかかった。

しかし腹も減っていたし、飲みたくもあったので22時過ぎに行動開始。

バンコクのハードロックカフェで22時30分から生演奏が始まるというのでそこへ行った。

ハードロックカフェは台北で行ったことがあるが、店内のスケールの違いこそあれ雰囲気は同じ。

壁にはロックスターのポスターやレコードなどが貼られ、西洋人・白人が多く、料理もいかにもアメリカン。

生演奏で大音量の店内、通された席は生演奏が見えない壁際の奥の席…。

音だけを聞いてビール飲んでツマミを食う。

演奏は全てがコピーらしいが1時間ほど店内にいて2,3曲しか知っている曲がなかった。

深夜でも大勢の観光客がいる屋台街をブラブラしながらホテルへ戻った。

ホテル1階のレストランでまたもやビールを一杯飲んで部屋へ戻った。

長距離を歩くのには適していないスポーツサンダルでマレー半島3カ国を移動。

足にはマメの水ぶくれのようなものができて痛い。

残りの日数は帰国する日を除くと3日。

翌日は休息日に設定してゆっくり眠ることにして、4日ぶりにしっかりしたベッドで就寝。

 

後編・バンコク郊外観光記へ/旅のトップページに戻る

最初のページに戻る