トルコ一人旅

2007年7月20日 金曜日
橋の上からハッキリとヤツが視界から消えたのを確認して行動開始。
気を取り直して再び一人旅のスタートだ。
思えばトルコリラは最初に空港で両替して交通費に使ったので残りが8YTL(≒800円)
これだと軽食は食えても貴重なエネルギー源であるビールが摂取できない。
スィルケジ駅周辺に両替商を発見したので覗いてみる。
1YTL≒100円、空港と殆ど変わらないレート。
近くに銀行もあり、空港と両替商が同じなら銀行も同じだろうと考えた。
それなら無難に銀行にしておくかと思って銀行へ。
数分待たされることになったがクーラーの効いた銀行内だったので快適。
そこで10,000円を両替すると101.60YTL。
両替商よりは若干レートが良かったがそれでも1YTL≒100円の域を出ない。
来た道とは違う道からスルタンアフメット地区へ戻る。
歩いていると現地人と思われる若者が「メルハバー」と。
最初に会ったヤツと同じ目をしていた、前回の轍は踏まない。
「メルハバー」と返すと「Where are you from?」と返された。
「Japan,Bye.」と苦笑いして足早にその場を去る。
背中に「Wait wait」と声をかけてきたが完全無視。
付け入る隙を与えない、かつ嫌な思いもさせない間合いだった。
さらに歩くと…最初に声をかけてきたヤツがいた。
仲間と思われるヤツと観光客を物色している目で道行く人を見ている。
私と目が合うとバツが悪そうに目をそらした。
私の自信が確信に変わった(どこかで聞いたセリフ…)。
すぐ横を通り過ぎると仲間が小声で「ワルイニホンジン」と私に向かって言った。
何だとコノヤロー…何か言ってやろうかと思ったが無用のトラブルは避けたい。
体格は私の方が良かったが向こうは2人だし他にも仲間がいるかもしれない。
敢えて無視した私はヘタレ、イヤイヤ大人の対応。
いずれにせよガラタ橋で別れの際に感じた心の痛みを綺麗サッパリ忘れさせてくれる出来事だった。
気を取り直して昼食。
イスタンブールへ行ったらここで飯を食おうと決めていた唯一の場所。
スルタンアフメットの路面電車の駅前通りにあるプディングショップという店。
その名の通りプリンが名物らしいのだが私が来た理由はそれではない。
沢木耕太郎の「深夜特急」で著者がトルコを訪れた際にここへ来ているのだ。
当時(1970年代)はバックパッカーが集まり情報交換をする伝説的な店だったらしい。
現在その面影を残すのは壁に貼られた古い写真や新聞記事だけ。
それなりに小奇麗な店で、店の前では呼び込みの店員も立っていた。
店内に入るとガラスのショーケースの向こうに沢山の料理が並んでいて英語で説明をしてくれる。
ラム肉と野菜が合わさったようなヤツを2品ほど注文して勿論ビールも。
暑い中を歩いていたのでビールが実に美味しい。
1品じゃ足りないかなと思って2品頼んだのだがパンも合わせれば1品で充分な量だった。
肉野菜料理2品とビール2杯、つけ合わせのパンで料金は30YTL(≒3,000円)ってチョット高くないか?
腹も膨れて燃料も補給したところでホテルへ。
イスタンブールの旧市街スルタンアフメット地区は安宿からペンションタイプまで様々なホテルがあるエリア。
私が泊まる予定のホテルもスルタンアフメット地区のホテル。
日本からネットで予約していった所だ。
車は殆ど通らないペンションタイプの小さなホテルが並んだ一角にあったそれほど大きくないホテル。
日本からネットで予約していって39ユーロ(≒6,747円・1ユーロ173円計算)。
フロントに掲げてあった正規料金だとシングル90ユーロ(≒15,570円)だからだいぶ割引。
部屋はシングルベッドにテーブル、TV、冷蔵庫。
風呂はバスタブもあったのでそれなりの部屋。
但し正規料金の90ユーロだと高い。
39ユーロで妥当といったところだ。
ネットで色々なホテル予約のサイトを見たが、その殆どが割引を行っていた。
正規料金など単なる飾りに過ぎないのだろう。
時間は14:00頃なので充分に観光する時間がある。
荷物の整理をして、貴重品以外の不要なものは全て部屋に置いていく。
身軽になったところで改めての観光へ出発。
先程は外観しか見なかったブルーモスクとアヤソフィアへ向かった。
ホテルから5分程度歩いて、まずはブルーモスクへ。
ブルーモスクは通称で、本来はスルタンアフメット・ジャーミーと言う。
スルタンアフメットはこの地区の名前にもなっており、文字通りイスタンブール旧市街を代表する観光施設である。
観光施設ではあるのだが一方で現役のモスクでもある(逆か…)。
ゆえに入場は無料で、礼拝の時間には観光客も入れないとか。
何故に通称「ブルー」モスクなのかというと、建物内のタイルが青を主体とした色使いだかららしい。
外から見ると複雑そうに見えたモスクだが中はシンプルそのもの。
ドーンとだだっ広い吹き抜けの内部で天井は遥か彼方。
薄暗いのでブルーのタイルよりもステンドグラスのブルーが印象的だった。
石造りの建物なので外の炎天下が嘘のように内部はヒンヤリとしていて気持ち良い。
観光客だらけだが、最前列まで行ってひざまずいて祈りを捧げている人も。
ブルーモスクを出て次に目指すはアヤソフィア。
ギリシャ正教の総本山の教会だったが、オスマントルコの時代にイスラム教のモスクに変えられた。
その辺りの歴史には疎い私だが、大観光地ということで入場。
入場料は10YTL(≒1,000円)
内部に入っていきなり失望。
館内の中心に大きな足場が一番高い天井まで組まれていて何かの工事をしている。
真ん中にどーんとそびえたっているのが工事の足場というのは拍子抜けだ。
ブルーモスクとは違い、こちらの方が明らかに観光地。
逆に言うと見所も多い。
石畳のスロープを登り上の階へ移動することも出来たし、壁にはキリスト教系の様々なモザイク画も見られた。
(オスマン時代は塗りつぶされていたのが後世発見された)
観光地としては偶像崇拝を禁止しているイスラム教よりも分かり易いものを遺しているキリスト教の方が歓迎か?
アヤソフィアを出ると次はトプカピ宮殿。
現地での表記は「Topkapi」となっているので「トプカピ」が正しいと思うのだが、日本では「トプカプ」とされているのが殆ど。
ためしにgoogleで「トプカプ宮殿」と検索したら144,000件、「トプカピ宮殿」だと784件とケタが違う。
ココは敢えてマイノリティに属することにして以後の表記はトプカピ宮殿で統一。
イメージとしては中国の故宮みたいなものだろうか。
オスマン時代に皇帝が居城としていた広大な敷地と建物で現在は観光地として当時の宝物を公開している。
入場料は10YTL(≒1,000円)
宮殿内は相当に広くてアチコチの部屋に入れてそれぞれに様々な展示品がある。
皇帝ってのはとことん煌びやかなものが好きなんだなーと思われる展示物多数。
宝剣やら鎧やら兜やら玉座やらアクセサリーやら光物ばかり。
皇帝は特にエメラルドとダイヤがお好きなようだった。
朝から殆ど歩き回ってばかりだったので疲労も相当溜まってきた。
後半はただ流れ作業的にアチコチ見て回った形となった。
トルコ初日でもあることだしホテルへ戻って休むことにした。
ホテルへ戻る前に燃料補給、ということで「BEER 4YTL(≒400円)」と看板を出していたオープンテラスの店に入る。
トルコのビールは殆どがEFESという銘柄。
一部の外国ビールに見られるような癖はなくて実に飲み易い。
ビールを飲むと腹も減ってきた。
ヨーグルトソースがかかったイスケンデル・ケバブ11YTL(≒1,100円)を注文。
ヨーグルトの酸味がラム肉と合わさってなかなか美味。
なんでも「ヨーグルト」という言葉はトルコ語から来ているとか。
ビール2杯にメインディッシュ、お通しっぽいパンがついて26YTL(≒2600円)。
普通のレストランでちゃんと飯食べてビールを2杯も飲むと3,000円近く行くのは普通らしい。
そう考えると最初に昼飯を食べた所の値段30YTL(≒3000円)も妥当だったということか。
観光地の入場料も10YTL(≒1,000円)だったし、物価は決して安くない。
19時過ぎにホテルへ戻るが外はまだ充分に明るい。
ホテルへ戻ってバスタブで洗濯。
日本〜シンガポール〜ドバイ〜今までずっと同じTシャツを着ていたわけで…。
洗ったTシャツとパンツはエアコンの吹き出し口の下に干しておく。
風呂も日本を出発する前夜に入って以来。
シャワーを浴びて身体中が熱いことに改めて気付く。
だいぶ陽に焼けたようで顔が常に火照っている。
ぬるいシャワーじゃないと身体が痛い。
イスタンブールは20時でも東京の夕方くらい。
サマータイムで1時間ずらしてこれだから、夏場はだいぶ陽が長い。
21時になってようやく辺りが闇に包まれ始める。
ブルーモスクは夜になるとライトアップされるらしいのだが、見に行く元気は勿論無く。
ちゃんとしたベッドで眠るのも日本以来。
2日分の疲れを抱えてすぐに眠りに落ちる。

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