トルコ一人旅
2007年7月20日 金曜日
トルコ時間の朝7:30すぎに着いたので空港内も空いている。
イミグレーションの列に並んでいると「アレ?」と日本語で声をかけられる。
見るとシンガポールの空港で少しだけ話をした同年代くらいと思われる日本人女性。
私が足マッサージ機でボーっとしていると隣の足マッサージ機に座った人。
何やら使い方が分からなかったらしく「これってどうやってやるんですか?」と日本語で話しかけられた。
どうやら機械自体が壊れていたらしく、私と同じように操作しても動かなかった。
「向こう側にもありましたよ」
と教えてあげると
「ありがとうございます。じゃあそっちへ行ってみます」
と言って巨大な荷物を台車に載せて行ってしまった。
2度と会うことも無いと思っていたので全然気にも留めていなかった。
お互い「トルコだったんですねー」と会話が始まる。
なんでも、これからイスタンブールの日本料理屋で1年くらい働く予定だとか。
おまけにその前はベルギーで1年くらい働いていたとか。
トルコも観光で2,3回来ていて私よりも遥かに旅慣れた人だった。
翌日に乗る予定の国内線ターミナルやイスタンブールでの電車の乗り方など基本情報をアレコレ教えてもらう。
入国審査はすぐに終了。
彼女は預けた荷物が出てくるのを待つという。
こちらも予定は無かったので喋りながらお付き合い。
出てきた荷物は私の腰くらいまである巨大なスーツケース。
1年間イスタンブールで働くつもりで来たのならそりゃ大荷物になるわな。
荷物を受け取って税関を通過。
税関では声すらかけられずに完全スルーだった。
税関を経ていよいよそこはイスタンブール。
まずは空港の銀行でイスタンブールの中心までの交通費として1,000円分だけ両替。
1,000円が手数料込みで9.8トルコリラ(Yeni Turk Lirasiということで表記は以降YTL)。
面倒なので1YTL≒100円で計算。
最新版の地球の歩き方を見ると2006年12月時点で1YTL≒82円となっている。
1年も経たずに高騰しすぎだろう。
ちょうど世界的に円安の時期で1ユーロが170円を越え、1ドルも120円を越えている。
悪い時期に来てしまったものだ。
私はこれから街へ出る予定。
彼女の方は働く予定の日本料理屋へ直接行くことになっているらしい。
街へ向かうメトロの入口近くまで案内してもらって彼女とはお別れ。
シンガポールの時点ではまさかイスタンブールで再会するとは思ってもいなかった。
まさに旅の一期一会。
今回の旅は良くなりそうな気配。
いよいよここから本格的な一人旅の始まり。
メトロに乗って終着駅のアクサライを目指す。
メトロの料金は行き先がどこであれ一律1.3YTL(≒130円)。
アクサライへ着き、いざ外へ。
強烈な陽射しでかなり暑く、海も近いので湿気もある。
アクサライからトラムヴァイなる路面電車に乗り換えると観光名所が並ぶイスタンブール旧市街へ行ける。
しかし地図を見るとアクサライから歩いても旧市街の中心地であるスルタンアフメットへは行けそう。
その途中に有名なグランバザールもあるのでアクサライからは歩いていくことにした。
15分〜20分ほど歩いた頃に店が増えてきたなと思ったらグランバザールの入口だった。
何だかアッサリ到着した印象。
中近東一と言われる大規模商店街のグランバザール。
アーケードの中に様々な店がひしめく。
時間は10時くらいだったので観光客もあまりいなくて活気は無い。
グランバザールに隣接している古本屋街なども少々冷やかしつつ軽く散策。
少ない観光客なので冷やかしもなんとなくし辛い。
適当にフラフラしつつグランバザールを出た。
しかし出た所がどこなのかがサッパリ分からなくなった。
グランバザールは広くて入口が東西南北アチコチにある。
迷路のように入り組んだバザール内でとりあえず外へ出ては見たものの現在地が把握できない。
ベンチに座って地図と睨めっこし、何となくコッチがスルタンアフメット地区だろうなと思われる方向へ向かって歩き出した。
少し歩いていると標識に「Sultanahmet」の文字が。
やはり間違っていなかった。
大通りへ出て驚愕。
目の前にでっかい建物が。
これはガイドブックで見た…アヤソフィアか!?
ということはすぐ近くには…あった、ブルーモスク!
イスタンブール旧市街の大観光スポット。
スルタンアフメットジャーミー(通称ブルーモスク)とアヤソフィア大聖堂。
近くにあるとは知っていたがこんなにも近くに2大観光地があるとは。
京都で言えば金閣寺と清水寺がすぐ近くにあるようなものか?(宗教的・歴史的に認識誤りならゴメンナサイ)。
午前中の着いたばかりにして早くも2大モスクへと到達してしまった。
2大モスクの場所が分かったのでここを基点に旧市街を歩いてみることに。
歩き出したら現地人と思われる若者に「メルハバー」と声をかけられ、親しげに英語で話しかけてきた。
どこから来たんだ?いつ来たんだ?どのくらい滞在するんだ?などと質問攻勢。
最初は調子に乗って色々話していたが途中で気がついた。
"コイツ、どこまで付いてくる気だ?"
"これは注意しろとされているボッタクリガイドや旅行代理店の客引きじゃないか?"
"ボッタクリガイドや客引きならまだ良い、睡眠薬強盗という線もあるぞ?"
疑い始めたらキリがない、平行して歩きながらこちらから切り出した。
「どこまで行くんだ?」
するとガラタ橋まで行こう、と。
ガラタ橋はイスタンブールの旧市街と新市街を結ぶ橋。
いずれは行くことになるのでガラタ橋まで行くことに。
スィルケジ地区、エミノニュ桟橋を経てガラタ橋へ。
エミノニュ桟橋からはアジア側やボスフォラス海峡(アジアとヨーロッパの間の海峡)クルーズ船などが出ている。
ガラタ橋から眺める景色は壮観。
橋に立って正面がアジア側、左が新市街、右が旧市街とイスタンブールが見渡せる。
橋の欄干で釣りをしている大勢の現地人に交じって休憩。
その間にも若者は何やら色々と喋って教えてくれる。
向こうがアジアサイド、あっちが新市街であれに見えるのがガラタ塔、こっちが旧市街で云々…
事前準備で殆ど知っていたので適当に相槌を打って合わせる。
頭の中ではどうやって後腐れなく別れられるかだけに集中していた。
「あの海沿いに見える建物がトプカピ宮殿だ、これからあそこを案内するよ」と言われた。
ココだ!と思った。
「ありがとう、でももう充分です。今朝イスタンブールに着いたばかりで疲れているのでホテルで休みたい。」
すると向こうは、やや非難めいた調子で
「どうしてそんなことを言うんだ。オレをその辺のガイドと思わないでくれ。ただ日本語の勉強をしたかっただけなんだ。」
その割には全く日本語を話さなかったなと思いつつ、自分からその辺のガイドと言うところも怪しく感じる。
「申し訳ないけれど、疲れているので1人にしてくれないか。貴方の親切にはとても感謝している。」と伝える。
すると
「オレのことが信用できないのか。身分証明書だってある、イスタンブール大学の学生証だ」と学生証を見せてくる。
学生証を見せられてもそれが本物かどうかの区別が私に出来るわけがない。
おまけに敢えて学生証を見せること自体なんだか怪しく感じてしまった。
後はひたすらSorryを繰り返した。
そこから先は無言の根競べ。
私は彼とは目を合わせずにひたすらガラタ橋から海峡を行く船を眺めていた。
周りには現地人釣り人が沢山いるので身の危険は感じなかった。
数分して「分かったよ」という感じで彼が去っていった。
その背中に向けて「Sorry,thank you」と矛盾した2語を投げかけた。
ネットやガイドブックにある事前の情報から彼が十中八九は私の想像通りのヤツだろうという自信はあった。
仮にそうしたヤツだったにせよ、別れ際の寂しげな視線には心が痛んだ。
最初の時点でそんなにフレンドリーにしなければココまで来て、こんな思いはしなくて済んだはずだった。
空港で巧く日本人女性と仲良くなったので、その勢いを引きずったまま来てしまった。
ここは外国、トルコのイスタンブール。
改めて気を引き締めなおした瞬間だった。
不測の事態ではあったが、結果的に良かったこともいくつか。
何よりも英語での会話が普通に出来たということ。
普段は公私共に英会話とは無縁の生活をしている。
相手が観光客慣れしていたとはいえブランクのあった私の英語で普通にコミュニケーションが取れた。
自分の英語が腐っていない、という自信に繋がった。
さらに今回の旅でいずれ行くつもりだった地区に簡単に来ることができた。
スィルケジ、エミノニュ、ガラタ橋。
スィルケジはオリエント急行の終着駅のある所。
エミノニュからはボスフォラス海峡を行く船が多く通っている。
ガラタ橋は旧市街と新市街を海を越えて繋ぐ要の橋。
最初にヤツから声をかけられなければここへ来るのはもっと後になっていたはずだった。