月も蟋蟀(いとど)も宵を待つらむ
<松が風にざわめいている。その風で桂浜の海に白波が立
っている。月の名勝というが未だ明るくて月もこおろぎも
出て来れないのかきっと夜になるのを待っているのだろう。>
奇(く)しびに遠き大和(やまと)偲びぬ
<宮巫女の優雅な姿を見ていたら不思議と未だ見たこともな
い大和の宮廷を思い描いて何ともいえない良い気持ちになっ
ていた。やっぱり私も大和人(びと)の末裔なんだなあ。>
秋の海彼(かいひ)の風や冷たし
<夕雲の中を雁が渡って行く姿に心惹かれて見ているが秋も深
まってきたのか海の彼方から吹いてくる風が一段と冷たくなっ
てきた。(北陸地方ではこの風が次第に強くなりやがて季節風と
なって雪を降らせ厳しい冬に入って行くのである。)>
<承平4年(934)12月27日土佐の国・長岡郡大津> 12月27日= 大津から、浦戸に向かって、漕ぎ出しました。 この夜は浦戸にとまり、藤原のときざね、橘のすえひら、そ のほかの人々と酒宴。 12月28日=浦戸から漕ぎ出て、大湊を目ざした。この日、出 発まで、以前ここの国の守だった人の子供・山口のちねみの 差し入れがあり、酒を飲んだり食べたりしました。 12月29日=大湊にとまりました。国の役所の医師が、わざわ ざ、屠蘇(とそ)、白散(びゃくさん)などの正月用の品に、 お酒まで添えた差し入れがあった。 <承平5年(935)1月1日、土佐の国・長岡郡大湊(十市)> 1月元日=同じ大湊に泊まり。 1月2日=同じ大湊に泊まる。国分寺のお住職が、船中のお正月 のお見舞いに、たべものや、お酒を届けてよこした。 1月3日=同じ大湊に泊まる。この国の風や波が、私にもう暫く とどまって欲しいといっているのだろうか。 1月4日=風が強く出発できず。まさつらさんがお酒や結構な食 べ物を届けてくれた。 1月5日=風も波もやまず、同じところに泊まったまま。見舞の 人が入れ替わりやってきてくれる。 1月6日=きのうと同じように過ごす。 1月7日=とうとう正月も7日になってしまった。同じ港に泊ま っている。 都では今日、白馬(あおうま)の節会(せちえ)の日、その 白馬を見たいのに、イヤな白波が見える。イケというところ から川海野の沢山入った長持ちが届いた。その中に都風な若 菜が! それには歌が添えてあった。 あさぢふの 野辺にしあれば、水もなきいけに摘みたる若菜なりけり (わたしの処は、浅茅の生えている原でございますので、い けとは名ばか りで、水もないそのいけで摘みとった、若 菜でございます。) この日、割り篭に食べ物を入れてやってきた人が、白波を見 てよんだ歌は 行く先に 立つ白波の声よりも、おくれて泣かんわれや まさらん (あなたさまの行く手に、立ちさわいでいる白波の声よりも、あなた に立 ちおくれてこの国に残るわたしの嘆きの泣き声の方が、上こ すことでござ いましょう。) この方は返歌をあげないうちに帰っていました。そこで、同行のも のに返歌を募ったら、少年が次のよう歌を口にしました。 行く人も とまるも 袖の涙川。みぎはのみこそ 濡れまさりけれ (行く人もとどまる人も、ともに袖は涙が川のように流れるが、そ の涙川の岸辺ではないが、この岸辺にとどまるあなたは波の声より も大声に泣くというのだから、その涙で、岸辺はいっそう濡れまさ ることでしょう。) 1月8日=物忌みのため出発ぜず。この夜、海に入る8日の月の美しさ に、浮かんできた業平の歌に引かれて、 照る月の流るる見れば、天の川 いづるみなとは 海にざりける (今、こうして照っている月が流れていく方を見ると、天上の天の 川も、それが流れ出る川口は、やはり海であった。)とかいうのでご ざいました。 (歌の訳は池田弥三郎氏の著書から)
*新宮神社の由緒
ホームページへ戻る
(C)当掲載データの一部または全部の複写・複製・改編・転載使用を厳禁します。
(C)Copyright 1996 Aicon-m Corporation.All Right Reserved.
Name :Singujinjya Guji
E-Mail:aicon-m@amy.hi-ho.ne.jp