実篤記念館とは、どういうところか


 実篤記念館の図録を改めてじっくり読んだところ、冒頭にこんな実篤の文章があってびっくりした。彼がつくりたいと思っていた小美術館とは、ほとんどそのまま今の記念館の様子なのである。もちろん実篤の文章が先にあり、その思いに添うように記念館の方々がいろいろとご苦労をなされたことと思うが、まさにこの文章にある一冊の本のようなすてきな記念館になったと思う。私が書くとひいきの引き倒しのように受け取られるかもしれないが、記念館はどんな感じのところだろうかと思われた方は、次に引用するような場所だと思って期待しておいでいただきたい。

 二十年後は、僕は自分が生きていれば百歳になるわけで、楽天家の僕もそれ迄生きていたいとも思わない。しかしあと十年生きられれば、僕は僕風の美術館をたてたい希望は失なっていない。それは一冊の僕の本のような、小美術館で、僕の短い詩の書が方々にかけてあり、それを読むと大体僕が何を人間にのぞんでいるかがわかり、挿画がわりに僕の画や、僕の愛蔵した美術品がならべられている。入って出る迄に僕の生きた本に接する事が出来るような特別な小美術館で、あまり見物人が来ないで静かに三四人の友達と話が出来る室もつくりたい。(中略)
 そして画も館全体の空気も統一のとれたものにしたい。美術館と言うより、一冊の本、本物の挿画のあった本を歩いて見る所にしたい。しかし之は夢かもしれない。しかしあと十年、頭がぼけずに生きられれば出来る事と思っている。

「満八十になって」(『この道』昭和40年7月号より)、武者小路実篤記念館 図録 (平成6年5月12日発行)より引用

→ 「実篤記念館・公園のあらまし」を読む

(1998年5月4日:記)



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