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エックハルト・トール「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」勉強会レジメ第9・10章


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第9章 「心の平安」は幸福と不幸を超えたところにある
    Beyond Happiness and unhappiness there is peace

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第1節 「良い」「悪い」を超えた至高の善
    The higher good beyond good and bad

「幸福」はポジティブと呼ばれる状況に依存している。「心の平安」はなにものにも左右されない。

より高い視点から見れば出来事はみなポジティブ。さらに正確に表現すれば、出来事はどれもポジティブでもネガティブでもなく、「ありのまま」。

愛する人を失ったときや、自分の死期が近いことを知ったときに幸福ではいられないが、心の平安を保つことはできる。

できることはすべてすること。それと同時に、「すでにそうであるもの」を受け入れる。

世界の苦しみの目的は、名前をかたちを超えた「本当の自分」への気づきへと人間を導くこと。

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第2節 すべてを「あるがまま」に受けいれれば、人生の「ドラマ」は終わる
    The end of your life drama

人生で起こる、いわゆる「悪いこと」のほとんどは「無意識に生きていること」=思考を本当の自分だと思い込んでいることから生じる。この「悪いこと」を「ドラマ」と呼ぶ。どんな「ドラマ」も「無意識な人間」が集まってしまったことが原因。

ほとんどの病気も、エゴの抵抗がからだのエネルギーの流れを抑制することから生まれている。

「すでにそうであるもの」を100%受け入れて生きると、人生の「ドラマ」はすべて終わる。

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第3節 人生は永遠にうつり変わるもの
    Impermanence and the cycles of life

物質界では「生と死」「創造と破壊」「成長と衰退」などの上昇と下降のサイクルがあるように見える。思考は上昇がよくて下降は悪だと決めつけるが、それは真実ではない。下降のサイクルは意識の進化のためには不可欠。形あるものはすべて生々流転(せいせいるてん)の宿命にある。

病気のほとんどは、わたしたちに不可欠な、低いエネルギーのサイクルに抵抗することによって生じる。

形あるものに執着しなくなったとたん、「かたちある世界」の状況が突然好転することがある。幸福になるために必要だと思い込んでいたもの(人、状況など)にしがみつかなくなったとたん、それらがスムーズにやってくる。

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第4節 ネガティブ性を利用することと手放すこと
    Using and relinquishing negativity

「すでにそうであるもの」に抵抗すると、必ずネガティブな感情を経験する。ネガティブ性はみな抵抗が原因。

エゴはネガティブ性をつくれば現実をコントロールでき、ほしいものを手に入れられると信じている。

いったんネガティブな要素をアイデンティティにしてしまうと、それを手放したくなくなり、ポジティブな変化を望まなくなる。無意識のうちに変化が起こることを邪魔する。

いくらネガティブな感情からメッセージを受け取ったとしても、意識レベルの変化をともなわないかぎり、うわべだけの変化に終わってします。「意識レベルの変化」とは「いまに在ること」。

ネガティブな感情はみな、認識し、観察する必要がある。そうしないと、観察されない感情がどんどん心の中に積もっていく。

自分が「非・平和」にいることを完全に受け入れると、「非・平和」は平和にかわる。「なにか」を完全に受け入れると、その「なにか」を超えることができる。

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第5節 憐れみってなんだろう
    The nature of compassion

自分がうちなる「大いなる存在」とつながってはじめて、他者のからだや思考を単なるカーテンと見なすことができる。他者のカーテンの奥にあるその人の実体を感じることができる。相手の「大いなる存在」を自分の「大いなる存在」を通してみている。

「大いなる存在」の次元ではすべての苦しみは幻想にすぎない。苦しみは形でアイデンティティを作ることで生まれる。すべての人の「大いなる存在」に気づくことで奇跡的な癒しが起こることもある。これが「憐れみ」といわれるもの。

すべての人は死を免れないということと、わたしたちの本質は不死であるということ、これが憐れみの2つの面。

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第6節 人間の死は幻にすぎない?
    Toward a different order of reality


「わたしは、この世に生まれ、いくばくもなく死んでいく『もろい肉体』です」という考えが、幻。肉体と死、これは同じ幻想。
誰かの痛みや欠乏に同情し、手を差しのべたいと思う気持ちは、あらゆる痛みは究極的には幻であり、すべての生命の本質は不滅であるという、深遠な認識とバランスをとる必要がある。

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第10章 「手放すこと」って、どういうこと
     The meaning of surrender

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第1節 「いま」を受けいれよう
    Acceptance of the now

「手放すこと」とは、受け身の姿勢で自分がおかれた状況に耐えることではなく、人生の流れにさからわず、それに身を任せるという、シンプルでありながらとても奥深い知恵。「今この瞬間」を何の不安も抱かずに無条件に受け入れること。

「手放すこと」を行うのは内面だけでいい。

「手放すこと」をすると「大いなる存在」につながることができ、行動にまったく別のクオリティが反映される。「手放すこと」をしていない意識からは真にポジティブな行動は生まれない。

「手放すこと」は「どうなっても、いいです」というような、なげやりな態度のことではない。そこには怒りがひそんでいて、実際は「手放すこと」という仮面をかぶった抵抗である。

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第2節 思考のエネルギーを、意識のエネルギーに変えよう
    From mind energy to spiritual energy

「自分が抵抗している」という事実に気づくことが最初のステップ。思考が、状況、自分自身、他者にレッテルを貼っていくプロセスを観察する。次に自分のネガティブな感情エネルギーを観察する。意識をすべて「いま」に集中させると、抵抗という「無意識」は「意識」に変わる。これで「ゲーム」は終わり。

「手放すこと」をした人は「目に見える世界」を動かしている思考エネルギーよりも、はるかに高い波動のエネルギーを発するようになり、そのエネルギーがその人の人生を動かすようになる。

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第3節 個人的な関係で「手放すこと」
    Surrender in personal relationships

「手放すこと」は無意識な人からいいように利用されていい、という意味ではない。感情的なリアクションではなく、そのときに自分にとって何が正しくて何がそうでないかという判断にもとづいて「ノー」という。

自分は正しく、相手は間違いでなければならないという考えの原動力になっている、感情、思考のエネルギーを感じること。それがエゴ的思考のエネルギー。エゴ的思考の存在をきちんと認識し、十分感じることで、それを意識に変容してしまえる。

「無抵抗」は必ずしも何もしないことを意味するのではないが、強烈に「いまに在る」ときには、「ないもしないこと」自体が威力を発揮し、状況や人々を変化させたり、癒したりすることがある。

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第4節 病気はさとりのチャンス
    Transforming illenss into enlightenment

「いま、この瞬間」に意識を集中させ、症状にレッテルを貼るのをやめると「病気」と呼ばれるものは「身体的痛み」「虚弱」「不便さ」(または「障害」)のうちのいずれかの症状にしぼられる。その症状に抵抗するのをやめる。これは病気をあきらめるという意味ではなく、苦しみを「いま、この瞬間」へと自分を追いつめ、悟りをひらくために活用すること。

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第5節 災難に見舞われたとき、どう在るか?
    When disaster strikes

災難がふりかかってきたとき、とてつもなく「まずいこと」が起こったとき、その出来事には別の側面がある。ただ悲嘆にくれるのではなく、比類なきほど素晴らしいことのほんの一歩手前にもいるということに気づくべき。

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第6節 苦しみを平和に変える方法
    Transforming suffering into peace

「すでにそうであるもの」をありのまま受けること。「すでにそうであるもの」を「そうでないもの」に変えることはできないことを知ること。

わたしたちの目には、状況が苦しみを作っているように見えるが、実際は状況に抵抗することで自分自身が作っている。

外界の状況が受け入れられないときは、内面にあるものを受け入れる。心の苦しみに抵抗しないこと。心の苦しみをあるがままにほうっておくこと。

苦しみを受け入れることは「死への旅」。自分の意思で「死」の中に入っていくこと。この「死」を体験してしまうと、一般的な意味での死などもともと存在しない、ということに気づく。

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第7節 苦難を通してさとりをひらくこと
    The way of the cross

厳密にいうと苦しみを通して悟りをひらく=神を見出すのではなくて、強烈な苦しみによって、やむを得ず「すでにそうであるもの」を受け入れ、「手放し」の境地に至り、神を見いだす。

しかし本当は「神を見いだす」のではなく、神は「存在するすべて」であって、わたしたちから独立した存在ではない。

さとりをひらくために苦しみを必要としないほど意識レベルが高まった人間も着実に増えている。

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第8節 「選択すること」の意味を知っていますか?
    The power to choose

痛みや機能不全の人間関係を自分から「選択する」人はいない。それが起こるのは過去を溶かせるほど十分に「いま」にいないから。それができるまではパターン化された思考が人生をコントロールしてしまう。

「ほんとうの自分」のアイデンティティを過去から引き出しているうちは、他者はもちろん、自分自身をもほんとうには許していない。「いま」につながってはじめて、真の許しができる。

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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2012/07/29