精神世界の本などで、よく「そのままでいい」「ありのままでいい」という言い方を見かけますね。わたしも、つい無意識に使っていることがあるのですが。「そのままでいい」ってどういうことでしょう。「そのまま」の「その」って、どれなんだろ。「ありのまま」って、何のこっちゃ。
10年と少し前、わたしは某地方国立大に在籍していました。その大学では、全国的にはすでに下火になっていた左翼系のグループが比較的活発に活動していて、授業が始まる前に、ヘルメットにサングラスとタオルで顔を隠した学生が突然数人組で教室に入ってきて、すごい勢いで机の上にビラを置いていったりするのが日常でした。何だかよくわからないうちに、成田空港まで連れていかれて空港反対のデモでスクラム組んだ友人もいたなぁ。
大学院に進学したあたりから遅ればせながら世界のもろもろに目覚め始めたわたしは、そういった活動をしている人とも多少の接点を持っていました。
そんな人達との会話の中で、わたしはほとんど無意識に「ありのままでいい」というような意味を言葉を使ったようです。それを聞いた新入生らしき女性がわたしをにらみつけるように言いました。「だったら、何でもいい、ということじゃないですか!」
そのときのわたしは、かなりあたふたしながら「い、いや、、、そういう意味じゃないんだけどね、、、」とかなんとか答えたような気がします。
たぶん彼女は、社会で起こっている様々な問題もそのままでいいのか?という意味で聞いたのでしょう。同じ問題意識は当然わたしの中にもあったので、その問いでわたしの心は揺れた。
でも、今ならもう少し落ち着いて「そう、何でもいいんだよ」って答えられるように思います。
「起こっていることにはすべて意味がある」。わたしはよくこの言い方もするのですが、実はこの言葉は「起こっていることはすべて無意味である」と言うのと同じこと。すべてのことにまったく同じように意味があるのなら、どれか一つが他のものより特に意味があるのでないのなら、物事に意味があるのかないのかは決められません。
「自然」という言葉は、普通は植物や動物たちの営みを指して使われますが、実はわたしたち人間や人間の創り出したさまざまな文明もこの大宇宙の自然の一部なのです。そういう意味で、今わたしたちの眼前に展開されているすべての世界はまぎれもなく、ありのままの自然の姿。
そして、今この瞬間、これを読んでいるあなたの心の中に沸き起こっているすべての思考、感情、感覚も。(【まほろば通信】vol.25掲載1999/09/15)