ときどき、死がとても身近に感じられる時がやってきます。そんな ときな自分の内面が大きく変化している時でもあるようです。
いろんなところで書いていますが、わたしは10数年前に一度死んでしまったのだと思っています。その前と後では、生きているという感覚が全然違うものになりました。もちろん、身体的には同じもの引き継いでいますし、「自分」という意識も継続している部分がたくさんあるのですが、何かが根本的に変わってしまった、という感覚です。
そのことにいったい何の意味があるのでしょう?それはたぶん、「あの世からの視点」を持てるようになった、ということでしょう。
生きていくことの辛さや苦しみの根本的な解決は、「あの世からの視点」を持つこと、「あの世からの視点」から自分の今生きている現実を見ていくこと、です。
少し分かりやすい言葉で言えば、辛さや苦しみを少し離れて眺めてみる、ということでしょうか。
人生の前半では、その視点から物事を見ていくのはとても難しいことかもしれませんし、必ずしもその必要はないでしょう。現実の世界の中で競争し、物質的に成功し、地位や名誉、お金や伴侶を得ていくことが、生きていくために、自分自身や家族たちを物理的、身体的に維持していくためにまず必要とされるからです。
しかし人生の後半にさしかかったとき、いつまでも同じ心の姿勢で現実に向き合っていると、さまざまな歪みが起こってきます。人生の後半は、それまで外の世界に向けていたエネルギーを内側に向け、肉体の死に向ってさまざまな準備をしていく時期なのです。
しかし、21世紀に入った今、わたしだけでなく、比較的若い人を含めた多くの人たちが、意識的に、あるいは無意識的に「あの世からの視点」を得ようとして努力を始めているように思えます。
それは、社会全体が物質的な成長の限界に達し、個人の人生の後半と同じように、社会全体が外から内へとエネルギーをシフトさせる必要があることに、多くの人が気づき始めているからなのでしょう。
いつのまにか中年の域に達した自分の肉体を感じながら、久しぶりに自分自身の死を身近に思う、暑い夏の夕暮れです。(【まほろば通信】vol.72掲載2001/08/08)