最近ある方とお話をしているときに、次のような主旨の質問を受けたことがありました。
「こうして自分を見つめる作業を続けていくと、避けようのない死への怖れや不安を別にすれば、怖れや不安はなくなっていくのですね」
わたしが「死への怖れや不安もなくなりますよ」と答えると、その方はとても驚いたような顔をしておられたのが印象的でした。
「死」は誰にでも必ずやってきます。人生の中で、すべての人に間違いなく起こる出来事は「死」だけです。そのことは、頭では誰でも知っているはずなのに、実感として理解している人はとても少ないように感じます。
この人生を、怖れや不安に圧倒されることなく、もっと楽に充実して生きていくためには、「死」という事実を受け入れ、「死」と仲良くなることが必要です。
「死」を受け入れるといっても、それは、すべてに虚無的になっていいかげんな気持ちで生きることとはまったく違います。今あるものをありのままに受け入れ、それが無くなってしまうことを恐れることなく、十分にかかわり、楽しめる、という感覚です。
人生の中にはさまざまな怖れや不安があります。それらはすべて「死」への怖れや不安から来ています。さまざまな形であらわれることのある心理的な不安症状も実はすべて「死」の恐怖がその根っこにあるのです。
セラピーを受けておられる方の中には、頭ではそんなに心配する必要はないとわかっているのに、将来のことやお金のことや大切な人との関係についての心配や不安が頭から離れずに苦しくなっている方がいます。視線恐怖や不潔恐怖、さまざまな予期不安のような不安症状に悩んでいる方もいます。
そんな方は、最初のうちは、今苦しんでいる不安のことばかりを口にしますが、セラピーが深まってくるにつれて、初めはそれが「死」の恐怖であるという自覚はないかもしれませんが、虚無感などと表現されるような、何か虚しい感覚、何があるのか、どうなっていくのか、よくわかならいような感覚を感じ始めることがあります。
それまで表面的な苦しさの影で見えなくなっていた人生の根本的な課題の存在を意識し始めたときが、さまざまな不安や恐れから解放される最初の一歩です。逆に言うと、「死」ときちんと向き合うことを避けるために(それはまた「生」ときちんと向き合うことを避けているということでもあるのですが)人生に問題を作り出しているとも言えるのです。
わたし自身の癒しと気づきのプロセスの中では、周期的に「死」を身近に感じる体験が起こってきました。自分自身や周囲の大切な人が死んだらどうなるのだろうとか、自分が死ぬ瞬間はどんな感じがするのだろうとか、意識して考えているわけではないのに、そんな思考が自然と心に浮んできて、悲しくなったり寂しくなったりしました。これはこの数年の間、数カ月に1回くらいの割合で、1回は1〜2週間くらいの期間で周期的に起こっていたのですが、不思議なことに昨年父が亡くなってからはほとんど起こらなくなりました。
理由のはっきりしない怖れや不安に悩んでいる方は意識的に「死」を感じてみるといいでしょう。自分自身や自分の大切な人が死んでいく様子を心の中でできるだけ詳しく思い描いてみます。そうすると、怖れや不安、寂しさや悲しさなどさまざまな感情が心の中でわき起こってくると思います。それらを(ここが大切なところですが)理由を考えたり、理屈で理解しようとせずに、ただ感じてみて下さい。そうすると、さらに深い感情が浮んでくるかもしれません。それは感情というよりは感覚のようなものかもしれません。どんな感覚が浮んできても、それをただ感じるという作業を繰り返していくと、不思議な平安の感覚がやってきます。一番深い部分にたどり着いたような、安心感がやってきます。人生の一番大切なものを知ったような感覚かもしれません。
その感覚をベースにして人生を生きることができるようになると、あなたという存在はそれ以前とはまったく違った存在になります。外からみて何も変わっていなくても、存在の質がまったく変わるのです。
あなたの中には、まだあなたが気づいていないとても大切なものがあります。それを見つけていくプロセスが人生なのかもしれません。(【まほろば通信】vol.117掲載2007/07/29)