新しい年が始まりました。わたしは喪中なので今年は「おめでとうございます」は言えないのですが、みなさんは年の始めをどんなふうに過ごしておられるでしょうか?
昨年、わたしはいわゆる「厄年」でした。年の初めにそれに気づいてから、一度神社でお払いをしてもらったらどうだろう、という話をしていたのですが、そんな機会もないほど、ある意味では厄年にふさわしい出来事が立続けに起こって、あっという間に終わってしまった1年だったような気がします。
大切なものが壊れてとても焦ったり、身体の調子が悪くなってずいぶん心配したり、そして父の死。
起こったことだけ見るとなんと大変な一年だったのかと考えたくもなりますが、今のわたしは、とても心が静まっていて、身体もずいぶん健康になり、存在の中心からわき上がって来るような不思議なエネルギーを感じています。ある意味では、生まれ変わったような感覚でもあります。
ある方が、今年の自分は大殺界に入るので気をつけないと、とおっしゃっていたのを思い出しました。日々の生活をより意識的に送る、という意味では、気をつけることは大切ですが、だからといってそれほど心配することはないと思うのです。
人生にはリズムがあって、上昇していくときもあれば、下降していくときもあります。下降していくときに、その流れをありのままに受け入れることができずに抵抗してしまうと、生きることはとても辛くなってしまいます。
「厄年」「大殺界」というような言葉は、下降のリズムのときに、それに必要以上に抵抗しないように、という注意の言葉なのではないかと思いました。
昨年のわたしは、しらないうちにずいぶん抵抗して、自分で自分を苦しめていたようです。年の終わりが近付く頃になって、そのことがずいぶんはっきりと見えてきて、すると、身体の力がどんどん抜けていくような不思議な感覚が起こってきたのです。もうずいぶん楽になってきていたはずなのに、まだしぶとく残っていた微妙な抵抗がはっきりと意識に上ってきたような感覚です。
生きることが苦しくなっている方は、みなさん同じように、自然の流れに抵抗しているように感じます。
抵抗をやめることはできません。ただ、抵抗は、抵抗していると気づいたときに、自然と消えていきます。ただ気づくだけでいい、とわたしがよく言うのはこういうことです。
今、社会の中でさまざまな問題が現れています。それらは、人間の意識が成長していくプロセスの中で、まだ残っている根深い抵抗が最後の悪あがきをしているようなものなのではないかと思っています。
変化の流れに逆らっていると生きることは辛くなる。流れに身をまかれていれば生きることは楽になっていく。大切なことは、逆らっている、抵抗していることに気づくこと。
なんだかあまりにも当たり前の結論になってしまいましたね。
ここまでの文章と何の関係もないように見えるかもしれませんが、今年のわたしのキーワードは「目覚め」です。
本年もどうぞよろしくお願い致します。(【まほろば通信】vol.116掲載2007/01/02)