なんで生きているんだろ。そんな疑問が心に浮かぶことがある。
今週は、個人セッションの数がこれまでになく多くて、自分でもびっくりするようなスケジュールの日が続いた。ちょっと一息ついたら、また久しぶりにそんな疑問が心の中にぽつんと浮かんでいた。
なんで生きているんだろ。
スペースまほろばで出会わせていただいている方々は、言葉にはされない方もいらっしゃるけれど、みなさん同じ疑問が心の底にあるような気がする。
わたしもセッション中はそのことを忘れているけれど、セッションの間に起こったいくつもの波が心の中からひいていって、静寂が戻って来たとき、突然その疑問が浮かんできたのだ。
なんで生きているんだろ。
なんで生きているんだろ。
なんで生きているんだろ。
その疑問に対して、わたしは、言葉で表現できるいくつかの解答を準備している。もし、誰かからその質問に対して解答を求められるようなことがあったらなら、わたしは準備しているいくつかの解答の中から、そのときの気分でどれかを口に出すかもしれない。
いわく、
自分自身の本当の姿を知るため、
いわく、
この世の本質を知るため、
いわく、
本当の幸せをつかむため、
いわく、
生と死の輪廻を超えるため、
いわく、
いわくら ともみ、、、
ありゃ、、、、、
こほんっ
たしかに、どの解答も正しい解答だろう。
そして、どの解答も間違っている。
なんで生きているんだろう。
その疑問が浮かんできた瞬間、わたしは、その疑問がそこから浮上してきたであろう、目に見えない広大な暗闇に想いをはせる。
そして、その疑問をいとおしく思う。
そうこうしているうちに、その疑問は、再び、それが生まれてきた広大な暗闇の中へと消え去っていく。
そして、そこに残るのは、
遠くを走る車の音、
窓の外から聞こえる秋の虫たちの鳴き声、
パソコンのハードディスクが回転するかすかな響き、
足の裏にあたる健康サンダルのイボイボの心地よさ、
キーボードの手触り、
カーソルの明滅、
そんなものだったりする。
そうだったのか。(【まほろば通信】vol.28掲載1999/10/08)