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見えないもの


最近はブログでもいろいろな文章を書いています。「心の癒しと意識の目覚めのために」もご覧下さい。

このところ、妻がいくつか気になる身体の不調を訴えていたので、先日、検査のためにわたしもつきそって病院へ行ってきました。簡単な検査の結果では特に何も問題なく、念のため、もう少し精密な検査をすることにしました。まずは一安心です。

ただ、少しおもしろいことがありました。医師の診察の中で、ずいぶん肩が凝っている、ということを指摘され、それが不調の原因かもしれないと言われたそうなのですが、本人は自分の肩が凝っているなんて思ってもいなかったようなのです。

妻いわく「以前はかなり肩凝りがあったけれど、体操したりしているうちにすっかりよくなったと思っていた」とのことです。それを聞いたわたしは、とても不思議な感じがしました。わたしから見ても、最近でも妻の肩凝りはずいぶん辛そうに見えていたからです。

妻からこの話を聞いているとき、以前、ある人から聞いたこんな言葉を思い出していました。

「ありのままの自分を受け入れることができれば楽になるはずです。わたしはありのままの自分を受け入れているし、まわりの人にも受け入れてもらっています。どうして楽にならないのでしょうか」

「ありのままの自分を受け入れることができれば楽になる」ということは、わたしもその通りだと思います。わたし自身の体験からもそれは実感してきました。では、その人はなぜ楽にならなかったのでしょうか。

その人が「ありのままの自分」だと思っていたのは、ありのままの自分のほんの一部だけだったのです。自分の肩凝りに気づいていないのと同じように。

ありのままの自分の全体性にしっかり触れていくと、その一番中心には何ものにも影響されない、どっしりとした存在の中心があります。そのエネルギーをもっと感じとることができれば、人生は今とはまったく違う輝きを帯びてきます。

それならば、どうして誰もがその中心に触れていくことができないのでしょうか。

それができなくなっている人は、その内なる輝く中心の周囲が分厚いヨロイにおおわれてしまい、その奥にある光が見えなくなっているのです。

「心の奥には光輝く部分がある」と頭で理解し、内面を見ていこうとしても、まず最初に見えてくるのはその周囲を覆っている分厚いヨロイの一部ばかりですから、多くの人はそこでひるんでしまいます。

もちろん、そのヨロイは、これまでのあなたの人生の中ではとても大切な役割をはたしてきました。分厚いヨロイでしっかりと守ってあげないと生きてこれなかった事情があったのです。

しかし、いつかそのヨロイはあなたの存在にフィットしなくなってきます。あなたの心と身体に、そして人間関係に、さまざまな問題が起こってきます。そのヨロイを脱ぐときが近付いているのです。

セラピーを受けに来られる方は、意識して内面を探っていこうとしている方が多いですから、それほどでもないのですが、中にはどうしても、その「ヨロイ」の存在に気づこうとしない人がいます。よろいなしでは生きていけないと思い込んでいるのです。

わたしにはその人の「ヨロイ」がすぐに見えてしまうのですが、本人がそれに気づいていくのにはかなりの時間とエネルギーを必要とすることもあります。

もし今、何か原因のわからない苦しさを感じているとしたら、まずこう考えてみて下さい。「わたしの中にはわたし自身が気づいていない何かがたくさんあるのだ」と。

そして、そうだとすると、あなたのその苦しみには、あなたが今は考えもつかない解決も必ずあるのです。

もちろん、今現在、苦しみのまっただ中にいる方にとっては、こんな言葉は信じられないかもしれません。

ですから、わたしの言葉を信じる必要はありません。ただ「あんな変なことを言っている不思議な人がいたな」と、心のどこかに留めておいて下さい。その想いが、いつかあなたの力となることを祈りつつ。

【まほろば通信】vol.100掲載2004/10/31)


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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2005/04/29