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気づき


最近はブログでもいろいろな文章を書いています。「心の癒しと意識の目覚めのために」もご覧下さい。

昨年暮れのメールマガジンの中で「気づき」ということについて触れたときに、ある方からこんなご質問をいただきました。

 >気づく、ということと「そう思いたい」というのは、違いますよね?

その文章の中でわたしはこんなふうに書いていました。

 >ただ、深いところから自分自身が変化し癒されていくプロセスの中で
 >は、言葉で表されていたその知識が、実感とともに自分の内側のおさ
 >まるべきところにスコンとはまっていくような感覚がやってくる瞬間
 >が何度もあります。この感覚を「気づき」というのかもしれません。
 >
 >「気づき」が起こったときには、心と身体の緊張がゆるみ、「これで
 >いいのだ」という感覚がやってきます。すべてのものごとは、今ここ
 >に存在する姿かたちのままで完璧なのだ、という真理をちらっと垣間
 >見るのでしょうか。この「気づき」の感覚を積み重ねていくこと自体
 >が人生といってもいいような気がします。

この文章では、「気づく」というのは、何か自分の中のすばらしいものに気づくというふうに読めます。ご質問を下さった方は、「自分が気づくのはいつもマイナス面ばかりなので」もっと自分のすばらしい面にも気づきたい、でも実際は気づくのではなくて、そうありたい、そうであると思いたい、という気持ちばかりだ、という主旨のことを書いて下さっていました。

心を扱うときによく聞かれる考え方として「ポジティブ思考」あるいは「プラス思考」と呼ばれるようなものがあります。ポジティブ(肯定的)な思考を持っているとポジティブな結果を生み出す、というようなものです。

これはある意味では真実ですし、とても大切な考え方なのですが、場合によってはこの考え方自体が人を苦しめてしまうことがあります。

ポジティブに考えようとしているのに、どうしてもネガティブ(否定的)な考えが浮んでしまう。こんなことではいけない。ポジティブに考えることが大切なのに、どうして自分はポジティブに考えることができないんだ。こんな自分じゃだめだ、、、。

これでは、人を幸せにするはずの考え方が、反対に人を苦しめてしまいます。どうしてこんなことになるのでしょうか。

いつもお話しているように、癒されて楽になっていくプロセスで大切なことは、自分を愛すること、ありのままの自分を認めることです。ありのまま、というのは、一見ネガティブに見えることも含めて、すべて今の自分自身である、ということを認め、その存在をそのまま許す、ということです。ポジティブに考えようとしても、そうできない自分が今ここにいる、ということを認める、ということです。

それでは、ネガティブな部分はいつまでもそのままで、人生の中でネガティブなことを引き寄せ続けるのでしょうか。

そうではありません。ネガティブなものというのは、その存在を否定されてきたからこそ、いわゆるネガティブなエネルギーを持っているだけなのです。あなたにその存在を認めてもらうことができると、ネガティブなエネルギーは自然と消えるのです。

ネガティブを闇、ポジティブを光だと考えてみて下さい。闇そのものをなくすことは出来ませんが、光を当てれば闇は闇でなくなります。

気づくということは、光を当てることなのです。ですから、自分の中のポジティブな側面、高いエネルギーの存在に気づくことも気づきですが、自分の中の一見ネガティブに見える部分、混沌としていたり、醜いもののように見える部分に気づくのも大切な気づきです。

本当にそれに気づくと、そのエネルギーと自分との間に少し距離ができるような感覚が起こります。そのときに意識の光があたって、そのネガティブなエネルギー(闇)はもともと存在しなかったということがわかるのです。

気づくというのは、この「光を当てるプロセス」のようなものだと考えればいいのではないでしょうか。それはまた別の言い方をすると、自分自身を思いやりを持って扱うこと、とも言えるでしょう。

【まほろば通信】vol.113掲載2006/03/09)


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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2007/05/16