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第一回日本トランスパーソナル学会の極個人的報告
最近はブログでもいろいろな文章を書いています。「心の癒しと意識の目覚めのために」もご覧下さい。
5月24日から27日まで第一回日本トランスパーソナル学会に参加してきました。
わたしとトランスパーソナルとの出会いは大学時代のフロイトへの興味にまでさかのぼります。受験勉強から解放されて、突然やってきた自由な生活の中で、「自分はいったい何をやっているのだろう」「何のために生きているのだろう」「そもそも自分とは何だ」こんな答えのない問題を抱えるようになりました。経済学部だったのですが、マルクスよりはフロイトに答えを求めて、自分なりの探究を始めました。
その後、病気をきっかけに臨死体験によく似た体験をします。すると、フロイトよりもユングのほうがおもしろくなってきました。「集合無意識」「共時性」といった考え方にとてもショックをうけ、毎日、夢の日記をつけて自分なりの分析をしていました。そのころ、いろんなワークショップをわたり歩き、精神世界の本も手あたり次第に読んでいきます。同じ「こころ」を扱っているはずなのに、どうしてこんなにいろんな考えがあるのだろうという疑問が大きくなってきたとき、トランスパーソナルという考え方を知ったのです。ケンウィルバーの「意識のスペクトル論」を読んだときは目からうろこが落ちる思いでした。もっとも、頭で理解することと、本当に「わかる」こととは別もの。その後もワークは続いていきました。
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今回の会場は伊豆半島の南端に近い、弓ケ浜海岸の「南伊豆国民休暇村」です。東京からだと3時間ほどですが、わたしの住む奈良の法隆寺からは7時間近くかかります。しかし、この弓ケ浜海岸、ここはわたしの想像していたよりもはるかに素晴しい場所でした。海水浴のシーズンにはかなりにぎわうところのようですが、学会の開催された時期には観光客はほとんどいませんでした。それだけに地元の人達の学会に寄せる期待は大きなものがあったようで、普通であれば秋のお祭りの時にしか行われない祭太鼓とお神楽の披露もあり、喜多郎の太鼓とのジョイント演奏もありました。地域社会にしっかりと根付いているspiritualityを実感し、とても感動しました。
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さて、今回の学会では、個人的にいくつか印象に残る出会いがありました。そのうちの一つが、ビルマ(ミャンマー)でテーラワーダ仏教の修行をする日本人比丘ウィマラさんとの出会いです。会議に参加した方ならば、オレンジ色の法衣を着たウィマラさんが記憶のどこかに残っているのではないでしょうか。
25日の夜の交流会の時間に、別室でヴィパサナ瞑想の会をされていたときに、初めてウィマラさんの話を聴いたのですが、その姿から想像していた印象とは違って、現代社会にしっかりと足をつけた上での瞑想の実践、という姿勢にとても好感を持ちました。
翌日、浜辺を散歩していると、同じように水際を歩いておられるウィマラさんを見つけたので、思いきって声をかけました。ウィマラさんは大学で宗教学を学んでおられたのですが、中退し、禅の修行をするも、それにも疑問を感じ、その後ビルマ仏教に出会ったそうです。わたしの仕事のことをたずねられたので、ちょうど会社を辞めたばかりだということ、会社がいやで辞めたいと思っていたときには、なかなか辞められなかったけれど、自分の中で「もういいかな」と感じたときに自然に辞められた、という話をすると、「卒業したんですね」といって下さいました。この「卒業」という言葉が妙に印象に残っています。
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今回の会議は24〜26日が講演、27日にワークショップという構成になっていました。主催者の方がいわれていましたが、断わられるかと思ってお願いした講演予定者が、ほとんど皆さん引き受けてくださったそうです。それだけ、日本においても、トランスパーソナルという考え方が必要な時代になってきたのかもしれません。
講演の中でいくつか印象に残っている言葉を紹介します。わたしの記憶にもとづいていますので、細かい表現は多少違っているかもしれません。
「わたしが存在している、のではなくて、存在がわたししているのです」
河合隼雄さんのこの言葉は、この世界で目に見えるすべてのものは、実は、ある一つの「存在」が形を変えて表現されているだけだ、ということを思い出させてくれました。
「今日一日の疲れをとって、明日も頑張って会社に行こう、と思うくらいにリラックスすることもできますし、もう二度と会社に行きたくない、と思うくらいにリラックスすることもできます」
津村喬さん(関西気功協会)のこの言葉は、会社を辞めたばかりのわたしにとってはまさにぴったりの言葉でした。
「セラピーの場での介入は、いっさいやりたくないと思うようになってきた」
吉福伸逸さんのこの言葉は、起こることにはすべて意味がある、すべてはあるがままで完璧である、ということを思い出させてくれました。
他にもずいぶんたくさんの講演があったのですが、わたしは、最初から聴こうと決めていた講演のほかは、民宿で昼寝してたり、浜辺を散歩してたりしていました。あまり覚えてなくてすみません。
会議最終日、26日の夜は、早い時間に民宿にもどってのんびりしていました。部屋を暗くして、波を音を聴きながら瞑想していると、自分の呼吸の音と波の音が一つになったような感じがして、とてもいい気分になっていました。
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ところで、わたしは国民休暇村から徒歩1分の丸屋という民宿に宿泊していました。最初の参加申込のときに休暇村での宿泊も一緒に申し込めたのですが、近くのホテルでもとろう、と考えていたので、宿泊だけは決めていませんでした。ところが開催日ちかくになって旅行会社で問い合わせてみると、近くのホテルは一軒だけしかなく、しかも値段がかなり高いのです。そのため、そのときはあまり深く考えずに、休暇村から近く、値段も比較的安かった丸屋さんに決めました。24、25日は満室だったのですが、26日はわたしたちだけでした。当初は2泊だけで26日中に帰る予定だったのですが、途中でもう一泊することにしたのです。
27日の朝、出発の前に丸屋のおばあちゃんといろんな話をしたのですが、そこで初めて、なぜわたしたちが丸屋に泊まったのかがわかったような気がしました。
丸屋のおばあちゃん、山田かつ子さんは70歳。ちょっと足の具合が悪いけれど、とてもお元気です。おばあちゃんは毎朝夜明けに浜辺にでて、朝日に向かって手をあわせているそうです。般若心教の写教をしており、「人生愉快に生きる」がモットーです。カラオケとおどりが大好きで、24日の夜行われた高橋実さんの舞踏の奉納にとても感動し、高橋さんと話をしたことを嬉しそうに話しておられました。地域の集まりで、さざえの殻を使ったキャンドルを作ったときの様子が載った新聞を見せてもらったのですが、山田さんはこの地域のシンボルのような人だと感じました。
自宅でとれたたまねぎと、さざえのキャンドルをいただき、最後にまた少しこころがゆるんで帰路についたのでした。
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Written by Shinsaku Nakano
<shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 1999/03/01