自分のパソコンを買って、初めてインターネットに接続したのは1995年の暮れでした。「ネットサーフィン」という言葉が新聞で紹介されていて「海外のホームページを見ても国際電話料金が必要なわけではない」といった説明を読んで、なんだかわくわくしたのを覚えています。
その後、会社を辞め、自分のホームページを作ったのが96年の春です。自分のページを初めてネット上にアップしたときに感じた「世界中の人がこのページを見ることができるんだ」という高揚感は今もよく覚えています。14kbpsのモデムから響く「ピー、ガガガ」という音が世界に繋がる合図のように感じられました。
それからもう10年以上が過ぎています。
97年にスタートした「スペースまほろば」としての活動が徐々に軌道に乗ってくる中で、わたし自身もずいぶん深い所から変化してきました。そして、最近、こんなことをよく感じるのです。
わたしがこの世界に入ったのは、ホームページの中の「なーんだ、そうだったの?」
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/shinsaku/words/souda.html
に書いている、神秘体験とも呼べるような大きな内的変容の体験が直接のきっかけになっています。
それが起こった直後はあまりに混乱していて、ただ「自分はこれで助かったんだ」という想いだけが、その混乱した状態の中でなんとか自分を支えていたような記憶があります。
その後、心や人間の存在に関する様々な学びを続け、自分の内面でその体験を統合していくプロセスの中で、多くの人が意識的、あるいは無意識的に切実に求めていながら、なかなか得ることの出来ない何かが、突然自分に起こったのだ、ということを少しずつ自覚してきました。
そんな学びを通して「わたしに起こったことはずいぶん劇的だったけれど、こういったことは必ずしも劇的な体験を通して起こるわけではなく、意識的な探究を続けていけば、もっとおだやかな形で徐々に体験できるもののはずだ」と考えるようになってきました。
ところが、セラピーの仕事を続けていく中で、ある時期、その想いが多少揺らいでいる自分に気づきました。「ずいぶん多くの人が、とても熱心に探究を続けて、あの一番大切なものを求め続けているように見えるのに、それを得ている人は本当にいるのだろうか」と。
わたしのセラピーはこれでいいのだろうか、という気持ちに捕われていたこともあります。
ところが、最近、少し様子が変わってきていることに気づきました。セラピーを受けている方の中に、わたしが過去に体験したような深い意識の変容を、わたしが体験したほど劇的ではない、もう少し穏やかな形で体験する方が増えてきているのです。
もちろん、穏やかといっても、まったく何の苦しみも無く、ということではありません。深い内的探究の道に導かれる方の多くは、その前にずいぶん苦しい体験をしています。
それでも、基本的な日常生活を維持しつつ、深い内的変容のプロセスをしっかりと体験し、自分のスピリチュアルな部分とのつながりを取り戻していく方がたしかに増えているのです。
自分のセラピーに対する「これでいいのだろうか」という気持ちも小さくなりました。
セラピーの中で実際に行っていることは、この10年間ほとんど変わっていません。しかし、わたし自身の「在り方」は10年前とはまったく違っています。1年前ともまったく違っているかもしれません。
変わってきたのは、わたしのまわりの人たちではなく、まずわたし自身だったのでしょう。わたし自身がより深い部分としっかりと繋がることで、わたしの自覚、わたしの自信が深まってきたことが、セラピーを受けて下さる方々の変容を手助けしているのだ、ということに気づいたのです。(【まほろば通信】vol.114掲載2006/09/29)