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「意識する」ということ


最近はブログでもいろいろな文章を書いています。「心の癒しと意識の目覚めのために」もご覧下さい。

よく「意識して〜をする」という言い方をします。「無意識に何かをすることはよくない」なんていう言い方もありますね。

この言い方って、もしかしたら、人間の意識の進化(深化)の流れの中でキーワードになる言葉なのではないかと思ったのです。

人類が誕生して以来、長い間、人間は他の動物たちと同じように「自分」というものを意識しないまま生活していたのでしょう。それが、どこかで「自分」と「他者」が違うものである、ということに気がついたとき、他のものとは違う「自分」を初めて意識しました。

そうなってからも、人間の行動のほとんどの部分は意識されないまま行われていたのだと思います。作物を作ったり、狩猟をしたり、家族や社会の中で暮らしたりすることは、それ以前にでき上がっていたやり方に無意識にしたがって行われていたのでしょう。

近代社会に入って、分析的な思考方法が広まるにつれ、それまで無意識に行われていたさまざまなことが人間の意識の内に取り込まれていくようになりました。まず、科学技術の分野では、その成果が著しく発揮されました。

さらに現代に近づくにつれ、そのプロセスは社会的な側面にまで拡がってきました。例えば、男女の性の違いに基づくさまざまな固定観念。それまで無意識に当り前だと思い込んでいた「男は〜であるべき」「女は〜であるべき」という思い込みが、一つの思い込みにしかすぎなかった、ということに気づく人々が増えているのです。

一方では、これらの「思い込み」は生きていくことを楽にしてくれていたのかもしれません。多くの人が当り前だと思い込んでいる観念をそのまま信じ込んで、それにそのまましたがっていれば、自分で考えて行動する必要がないので、その意味では楽だったのかもしれないのです。

しかしながら、今、その「思い込み」が単なる「思い込み」にしか過ぎなかったことに多くの人が気づき始めています。その理由をあれこれ分析することはできるのでしょうが、やはりなんといっても、意識の進化の流れの中で「その時が来た」ということなのでしょう。

ただ、それまで、まわりから与えられた情報によって作られた「思い込み」にしたがって生きてきた人は、その思い込みが崩れていくと、何にしたがって生きていけばいいのかわからず、一時的な混乱状態におちいる傾向があるようです。

これから必要になってくるのは「自分の内側の声を聞く能力」そしてそれは「自分自身の本当の姿に気づく」ということでもあります。

多くの人は、成長の過程の中で心のどこかに傷をおい、自分の本当の姿に気づくプロセスがそこでストップしているようなのです。

古い思い込みが壊れて混乱している現代社会の中で、しっかりした足場を確保するためには、その傷の存在を意識し、さらに深い気づきのプロセスの存在を意識する必要があるのです。

物質的な気づき、社会的な気づきの次にやってくるのは、「霊的な気づき」なのでしょうか。

【まほろば通信】vol.41掲載2000/04/09)


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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2001/06/10