今回は2、3日前が新月でしたね。最近、このメールマガジンの発行周期は、以前のように月の満ち欠けとは全然連動しなくなっているのですが、今回の新月は久しぶりに自分の中でも大きな変化を感じました。
久しぶりに大きくダウンして、内面に引きこもった感じのする数日を過ごしたのです。昨日あたり、そこから少しずつ抜け出してきて、「新しい世界よ、こんにちは」(^_^)というような感覚かな。
少し前にも書いたのですが「どうして中野さんはそんなにいつも自分が変化する感じがするのですか?わたしはそんなふうに感じることはほとんどないのですが」というような質問を受けたことがあります。それに関連して今日、心に浮かんだことを少し書いてみます。
上のような質問をされた方とわたしとの大きな違いは、生活環境かもしれません。現在のわたしは、どの組織にも属しておらず、仕事はすべて個人で行っています。とても自由ではあるけれど、会社勤めをしている方に比べれば、将来のことを考えると不安定な要素が多くあります。(もっとも、今は会社に勤めていても、それほど変わりはない、という気がしなくもないですが、、、)
今思えば、会社勤めをしていたころにも、今と同じように自分の内側で大きな変化が起こり、一時的に心身の調子がおかしくなって、なんか変だな、と感じることは周期的に起こっていたようです。ただ、その頃は、起こってくることを十分に感じることなく、その感覚を抑圧していたのですね。だって、その感覚を十分に味わって、その結果、自分自身の在り方が大きく変わってしまったら、その時にいた環境(たとえば、職場、人間関係)から自分がはみだしてしまう、その結果そこにいられなくなってしまう、という無意識の恐れがあったからです。
現在のわたしはその点で、かつてのわたしの在り方、そして、上のような質問をされた方の在り方とは違います。理性的に考えてみれば、明日の保証は何もない生活でありながら、自分の内側から起こってくる感覚を信じて、それを十分に味わい、味わうことから生まれてくる感覚をもしっかり受け止める。そうやって、起こってくることをありのままに受け止め、味わっていくことで、目には見えない大きな流れの中をゆったりと流れていくことができることを、心の深いところで信頼できているような気がするのです。
それでは、わたしのような環境にいない人は自分自身の変化を実感していく体験はできないのでしょうか?そんなことはないと思います。内面からやってくるメッセージに対して常に耳を傾けていく、その姿勢を持ち続けることができれば、人は日々変化していくことが日常なのです。変化に対する恐れはだれにでもあると思います。その恐れそのものをも、変化へのメッセージとして受け止め、味わうのです。(【まほろば通信】vol.78掲載2001/11/17)