内面の旅が徐々に加速してきたときに大きな壁となるものの一つに「孤独」があります。「孤独」といっても、一人ぼっちで話相手がいない、というようなレベルの「孤独」とはちょっと違います。
家族や友人や、あるいは恋人さえも、以前と同じようにあなたのそばにいるかもしれません。でも、その人達との距離がどんどん離れていくような感じがする。きらいになったり、いやになったりしたわけではありません。
ただ、自分の内面がどんどん変化していくにしたがって、それまで親しくしていた人を含めたすべての世界が遠くなっていくような感覚、自分一人だけがこの世界の中にたった一人で存在しているような感覚がわきおこってきます。
しかし、その感覚はそのまま受け入れてしまうには、あまりにも恐ろしいもののように感じてしまうかもしれません。想像してみて下さい。それまで毎日当り前のように言葉をかわしていた家族や親友たちが、ある日突然見知らぬ人になり、何を話してもうまく話が通じないような感覚を感じるのです。この世界にあなたのことを知っている人はあなたの他にはだれもいません。絶対的な孤独。
そんな恐ろしいことは到底受け入れることができません。はじめのうちは、そんな感覚を出来るだけ感じないように抵抗したり、他の何かにしがみつくことで、その感覚を忘れようとがんばります。その努力は、この住み慣れた世界を離れたくないという精一杯の抵抗です。
しかし、一度歩み始めた内面の探究の旅は後戻りすることはできません。その抵抗が無駄だ、ということを理解し始め、この世界にたった一人ある自分の姿を受け入れ始めたとき、あなたの在り方に微妙かつ根本的な変化が起こってくるのです。
不安と恐怖に満ちているとばかり思っていた「孤独」な世界が、実はこれまで体験したことのない光と喜びに満ちている。
そのとき、あなたは何かを手放し、また一歩「死」に近づくのです。同時に、この世界の神秘をかいま見るでしょう。
もちろん、抵抗を手放していくプロセスは苦痛に満ちたものであることが多いです。その渦中にいるときは、いったいその先に何があるのかまったくわからず、想像すらつかない状況の中で、後戻りすることも、先に進むことも出来ずにもがいているわけですから。
しかし、その体験の中から「手放す」ということを覚えていくような気がします。
この「孤独」は「死」と深く繋がっているのですが、これはまた次回。(【まほろば通信】vol.38掲載2000/02/19)