わたしが初めて箱庭を作ったのは、今から9年と少し前、1989年の10月だったと思います。当時わたしは修士課程の学生でしたが、その1年ほど前に、このメールマガジンでも何度か書いている内的な大変動を経験し、いろんな意味で不安定な時期でした。
大学入学のころからフロイトを読み始め、ユングや、マズローなどの人間性心理学関係の本もある程度読んではいたのですが、フロイトには納得する点が多くても、ユングになるとどうもよくわからない感じがしていたのです。
ところが、その内的な大変動以降、ユングの語る言葉の意味が非常によくわかるようになってきました。もちろんそれはユングののみならず、それに続くトランスパーソナル的な考え方がとても身近なものになったのです。以前に読んでいた本の中の「なぜだかわからないけどとても気になる言葉」の意味がおもしろいようにわかってきました。
その頃から、教養部の心理学の先生を中心に、学部に関係なく心理に興味のある学生が集まって開かれていた自主ゼミに参加するようになりました。そこでわたしは初めて箱庭というものに出会ったのです。
そこでは、毎週1回2時間のグループのうち、半分をテキストを決めて輪読、あとの半分を、一人の人が作った箱庭について皆で話あったりワークしたりする、という形式で進めていました。以前から興味があったので、わたしはその自主ゼミに参加してすぐに、箱庭を作りたいという希望を出しました。
本から仕入れた知識はあったのですが、初めて、実際に多くの人形や模型、おもちゃなどの箱庭の道具と、砂の入った箱を前すると、ちょっと興奮ぎみになったことを覚えています。
今でもときどき自分一人で箱庭を作ってみるときがあります。砂の入った箱の前に座って少しの間目を閉じていると、普通に瞑想しているときとは違って、すぐにこころの深いところへ降りていくような感覚があります。何も置かれていない箱庭が、こころの中のあれこれを写し出す鏡のような役割を果たすのかもしれません。
さて、わたしが初めて作った箱庭はどんなものだったのか?
それについては次号で書くことにします。(【まほろば通信】vol.10掲載1999/01/13)