今回から数回のシリーズで箱庭について書いていこうと思います。これはもちろん、次回の箱庭研究会(注)により多くの方に参加してほしい、ということもあるのですが、今回初めてグループでの箱庭をやってみて、わたし自身が箱庭というものをあらためて見直す体験をしたので、みなさんにもう少し箱庭のことを知ってほしいと思ったのです。
まずは、箱庭とは何か、ということを簡単に。
箱庭はもともとヨーロッパで子どものための心理療法の手段として考案されました。その後ドーラ・カルフ女史がユング心理学の考え方を取り入れた新しい解釈を導入したことで、現在の形が確立されています。
現在ではユング派の心理療法の一つとして広く普及していますが、スペースまほろばでは心理療法という枠にとどまらず、自分自身に気づき、意識を拡げて、より広い視点から世界を観ることができるようになるための技法として箱庭を使っています。
具体的には、縦57cm、横72cm、高さ7cmの砂の入った木の箱と、人形をはじめとする大小さまざまなおもちゃが棚にならんでいるだけです。最近テレビドラマや雑誌などでも取り上げられているようなので、見たことのある方もいるかもしれませんね。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/shinsaku/sandplay/index.html
そして、そのさまざまなおもちゃをつかって箱の中に自分だけの世界をつくります。
初めての方でも、普通は作る前にあれこれ説明することはしません。ただ「なんでも自由に作って下さい」というようなことを言うだけです。そのときの反応は人さまざまですね。何も言わずにもくもくと作り始める方、「自由にと言われると難しいですねー」なんて言いながらしばらく悩む方、落ち着かなくなって、急に饒舌になる方、、、、。
しかし、箱の中の砂を触り始めると、多くの方は何もしゃべらず、自分の内側に入っていきます。
砂を触るということは、それだけでこころを落ち着け、癒す力があるように思います。子どものころに砂場で遊んだことや、砂浜で砂遊びをしたころのことを思い出してみて下さい。
そうして砂遊びをしながら、少しずつ無意識の深い部分に降りていきます。
中には作る前から「こんな風景を作ろう」と、ある程度のイメージをこころの中に用意してきている方もいます。そして、その通りにそれを作っていくこともありますが、一方で、どうしても考えていたようには作れないときもあります。
頭の中では「このおもちゃを置こう」と考えても、いざ置こうとするとどうしても置けない、ということが起こります。頭はそれを置こうと考えているのに、無意識は、そして身体はそれを拒否している、という状態です。
同じような状況は日常生活の中でもよくありますね。朝、頭ではもう起きなくちゃ、と思っているのに、身体は全然いうことをきかない、とか。いやな上司からの指示はつい聞き間違えてしまうとか。
特に思考の中だけで生きているような方にとっては、身体の知恵に気づくよい機会になります。
そうして気の向くままいろんなおもちゃを並べていくと、ある地点で、もうこれ以上置くものはない、という感じになります。そこで箱庭作りはいったんおしまい。研究会では、その後、みなで感想を話しあったり、その箱庭についての簡単なワークを行ったりします。また個人セッションではクライアントとセラピストの間で、さらに深くワークを行う場合もあります。
自分の作った箱庭に関して他者の意見を聴くというのは、大げさでなく、非常にエキサイティングな体験になります。自分が思いもかけなかった視点から見ている人がいたり、自分が置いたおもちゃを自分とは全然違う観点から解釈されたり。もちろん、それはそれを見た人自身の内面の反映であるわけですが、同時に自分自身の無意識だった面に気づくきっかけになることもあるのです。
なぜなら、わたしたちのこころは深いところですべて繋がっているからです。
次回はわたしが箱庭に出会った頃のことを書いてみようと思います。
(注)現在、箱庭研究会はお休みしています。(【まほろば通信】vol.9掲載1999/01/10)