喫茶店か何かのお店で周囲の人たちをぼんやり眺めていたとき、このタイトルがこころに浮かんできました。なんでだろ。よーく考えてみると、そのときわたしのとなりの席で話をしていた2人の間に、何か暖かいものが交流しているような気がしたからでした。
みなさんはどんなときに人のこころの暖かさを感じますか?あなたは人のこころの暖かさを感じたことがありますか?
なんでこんなことを考えたかというと、もしかすると人のこころの暖かさをうまく感じ取ることのできない人がいるような気がしたからです。かつてのわたしのように。それはもちろん、感じる力がないのではなく、その力が発揮できないまま眠っている、というべきなのですが。
わたしは、あるとき、人のこころの暖かさをとても強く感じたことがありました。それまでの自分は多くの人がわたしに向けてくれていた暖かい気持ちを全然感じたことがなかったのだな、と気づいたのでした。それは同時に、自分の中に暖かいこころがある、ということにも気づいた瞬間でした。
こころの暖かさはだれもが持っているのに、自分のこころの暖かさにフタをしている人は、他の人のこころの暖かさにも触れることができない。そうして、世界にあふれている暖かいこころに全然気がつかないままに過ごしていくのですね。
そうそう、なんだかとりとめない話になってきたついでにもう一つ。どんなささいなことでもいいですから、誰かのこころの暖かさを感じたら「感謝」してみましょう。大きな声でもいいですし、誰にも聞こえないようにこころの中で言ってもいいです。「ありがとう」と言ってみます。こころの中でだったら何度でも言えますね。そうすると自分のこころの扉がどんどん開いていく感じがしますよ。(【まほろば通信】vol.53掲載2000/10/13)