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■「最初の体験」前夜■


の最初の体験をしたのは、1988年の2月の終わりでした。大学院での最初の1年が終わり、春休みで実家に帰っていたのです。「なーんだ、そうだったの?」にも書いているように、無我夢中で勉強していた1年間でした。勉強することで空虚な自分自身をなんとか維持していた、という感じでした。

し前に「燃え尽き症候群」という言葉がよく取り上げられたことがありましたが、まさしくそれでした。まあ、わたしの場合は、まだサラリーマンのように社会的な責任をそれほど担っていたわけではなかったので、周囲の人に与える影響がそれほど大きくなかったことだけが不幸中の幸いだったのかもしれません。

どもの頃から周囲の期待に添うことを無意識に学び、本当の自分の姿を押し殺して生きてきました。人からよく見られ、人から受け入れられることが最大の価値基準になっていたような気がします。そうしていくと、いつのまにか外から見れば一見立派な仮面を身につけることができますが、内面はからっぽでいつも不安を感じていることになります。とはいっても、わたしは「感じる」ことそのものを長い間抑圧してきていたので、その不安すらほとんど感じとることができなくなっていました。

たしにとっての癒しは、長い間に溜め込んでいた膨大な「不安」に直面することから始まるのですが、それはもう少し後の話になります。最近、携帯電話やインターネットを通していつでも誰かとつながっていないと不安を感じる人たちや、パニック症候群のように突然不安に襲われてコントロールがきかなくなる症状を持つ人が増えているようですが、根っこの部分はみな同じなのではないかと思います。

分の内側にしっかりしたものを持っていないために、神経症的に外とのつながりを求める。内側にあるいろんな感情を感じ取ってあげることができないために、それが突然の不安として現れてくる。どれも同じプロセスが違った形で表現されているように見えます。

て、当時のわたしは、さまざまな感情、感覚、内的な欲求を極限まで無視し続けていたのかもしれません。大学院の最初の1年間を通して、少しずつ身体の調子を壊していき、心理的にも不安定になっていきました。長くなってきたので、次回に続きます。

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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2001/01/12