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体験レポート3:ブレスワークの後に残ったもの


初めての驚きのブレスワークの後、いろいろ湧き上がってきた思いがあり、考えを整理するため、またそれをお伝えしたくてメールを差し上げております。事後のカウンセリングと重複するところもあると思いますが、もしよければ聞いてやってください。

ブレスワークの当日、正直あまり乗り気ではありませんでした。1回目のカウンセリングの後、一挙に話せてずいぶんすっきりしたおかげで気分的には楽になっていたので、ブレスワークを受ける理由がわからなくなって、行こうかどうしようかぎりぎりまで悩んでいました。それでも足がワークに向かったのは、当日出先からキャンセルしようと取り出した携帯に登録したと思っていた「まほろば」の電話番号がなく、連絡のつけようがなかったという事務的な理由がひとつ。もうひとつは、カウンセリングの時「子供のころから目に見えない世界に興味があった」と話したところでじわっと涙が出てきたことが、どことなくひっかかていたからでした。ここは泣くところじゃないのになぜだ?とちょっとびっくりしたのですが、中野さんに「悲しくもないのに涙が出るのは、心の奥深い所から何かが浮き上がってきているということです」と言われ、ひょっとしたらこれまでグッドバランスだと思っていた精神世界との関わり方を見なおす時期なのかなと考え始めていたのです。

思い当たることがあります。最近になって、仕事の現場でどう自分を表現すればいいのか、やっと何かを掴みはじめた私は、私だってできる、物質世界で手柄を立てずしてなんぼのもんじゃい!これこそ私の生きる道!とエンジンふかせて今か今かと驀進するその時を待っていました。精神世界を今さら否定はできないけど、それはおつまみ程度にしておいて、物質世界にこそより力点を置くべきだと思ってた。これが私の世界への関わり方だと。ところが、全然前に進めない。仕事にコミットするぞ、させてくれ!と周囲にアピールしても、笑っちゃうくらいチャンスが与えられない。何かに通せんぼされているようでした。仕事だけでなく、それと平行するように結婚についても新しい展開にもっていけない。出口が見えない。エネルギーはどんどん大きくなっているのに、それを噴出させる突破口が見つからないから、ひどいフラストレーションを感じて、母親のささいな一言がきっかけとなりとうとう大噴火してしまった、とこれはカウンセリング時にお話したとおりです。そして目に見える世界がままならなくなって、精神世界にその原因を見出そうしていたときに、一般的なカウンセリングではなくスピリチュアルな処方がウリの「まほろば」にお世話になることにしたのです。こう振り返ると「精神世界?今の私には必要ないね」といきがってはみたけど、結局私は精神世界の手のうちだったということなんでしょうか(笑)。

だから2回目のブレスワークまでの間、昼も夜もネットで精神世界のサイトを渡り歩き、本も手にとって、新しい関わり方を模索していました。こういう密度で精神世界に触れるのは10年ぶりくらいです。いや少しばかりの本だけ読んであまり踏み込まないようにしていた以前に比べれば、自分としてはかなりアクセルを踏んでいる状態と言えます。けれど、それぞれの考えに共通点はあるものの、ディティールには違いがあり、何が本当なのか、誰の言っていることが正しいのか、すっきりしないものを抱えて当日を迎えていました。だから「ええい、もうどうにでもなれ。ここまで来たら精神世界を少し離れたところから見るいつもの態度をやめていっちょ実際に関わってみるか。本ばかり読んでいても埒があかない。体験することで見えてくることがあるだろう!」と自分に言い聞かせて再びセッションルームのドアを叩いたのでした。

そしてワークのクライマックスで、自分の中で何かが臨界点 −人によれば神秘的合―とかエクスタシーとよぶのかも知れない− に達した瞬間「うおーーー!!!」と叫ぶと同時に涙が噴出してしまいました。アレレレ、なんで泣いてるんだアタシ?!ともう一人の自分は戸惑っていました。悲しいわけじゃない。心のゲージがふりきれてありとあらゆる感情が噴き出したみたいでした。どこからそんな声が出るんだ?というくらい身悶えしながら激しく泣く。泣き続ける。声も枯らさんばかりに。(ワークが終わった後は本当に少しダミ声になってました…)生まれてこの方、自分のこんな声聞いたことない…こんな泣き方したことない…。しかし奇妙なことに「な、なんで?!」ともう一人の自分はちゃんとその様子を理解しているのです。「うわーこんな声聞いたら隣の部屋の人はきっと怪しむよなーっ!」とか冷静に(笑)。でも号泣はとまりませんでした…。

放心して鼻水流して横たわるころには、音楽もゆったりしたヒーリングミュージックに変わっていました。「そのまま今の気持ちや感覚を味わってください」中野さんの言葉をかみしめるうち、今度はものすごく心細いようなせつない気持ちがこみ上げてきました。「帰りたい…」勝手に口が動いたと言ったほうがいいかもしれません。「どこに?!」もう一人の自分がつっこみます。「帰りたい、帰りたーい、かえりたあああい…!!」私の魂が「元いた場所」に帰りたいと泣いている。なんて遠い所に来てしまったんだ…「元いた場所」から長い長い旅をして、こんな所までたった一人で…そしてとうとう道に迷ってしまった。今いる場所がどこかわからない。早く帰りたい、安らぎのあふれるあの場所へ…!そして…迷子の魂がむせび泣いている間、赤毛のくりくり巻き毛の天使(背中に羽根の生えている例のアレ)が私に手を差し伸べてくれていました。「わかっている、わかっている…今あなたがどんなに心細いか、どうしてこんな所にいるのか、私はあなたの全てを理解している。でもあなたの旅は終わっていない。まだ帰る時ではない。あともう少しだ。がんばりなさい」という声なきメッセージが圧倒的な慈悲心とともに伝わってきたのです。私の全てが理解され、受け入れられているという絶対的な安心感。そうだ、私にはちゃんと帰る所があるんだ。どんな道を通っても必ず戻れるそういう場所が。ああ、そうだった、思い出した…。

帰れる場所があるということ、これは生きていく上で大きな心の支えではないでしょうか。今回私が思い出したのは、どんな道を通っても必ず戻れる、そういう場所でした。帰ることこそが目的。だから手段、つまりどんな道を通るかは、あまり問題ではありません。旅の道連れが誰だろうと、道端の景色がどうであろうと、実はそれはあまり重要なことではないのかもしれない。例えば、周囲の人との前世の関係を探ることで、現状が打破できると思っていたけれど、そんなことにこだわる必要はない。だとすれば何かの拍子で選び取った、今来た道をそのまま進めばいい。どこをどう通ったっていずれは必ずあそこへ戻れるのだから、必要以上に怖れることも不安になることもいらない・・・。こんなふうにすーっと自分の中にしみこんでいくものがありました。

事後のカウンセリングで、「1回目で深い体験をするというのは、それだけ機が熟していたということです。ぎりぎりのところに来ていたというか…」と中野さんに言われました。そうか、私の自我は気づいていなかったけど、道に迷った私の魂が今いる位置と目指す方向を確認したくて、悲鳴をあげていたってことなんだな…魂と自我の足並みが揃っていなかったから、私は追い詰められたのかもしれない、と思い至りました。そこまでしないと自我は魂が欲していることに気づかなかったとも言えます。だから魂がワークのキャンセルを阻止したのかな、なんて。そしてこの経験を通して、自我とは違う意識体 ―ここでは魂と勝手に呼んでいますが― が私の身体に宿っているらしいということを実感しました。ワークの最中、流れに身を委ねる自分とそれを見つめる自分。泣いたり、わめいたりしていても、もう一人の自分が「こんなワークを開発したグロフってすごいなあ。やっぱ天才」とか「この体験を誰に話そうかなー」などと恐ろしく冷静に考えを巡らせているのです。これは私にとって本当に興味深いことでした。人間の意識はいくつかのレベルがあると本を読んで頭では理解していましたが、それを実感できたのはひとつの大きな収穫でした。

そして私の魂は「帰る場所」を思い出すことによって、精神世界との新しい関わり方を私に見出させようとしたのでしょうか。結婚の波に乗り切れないだとか、仕事で思いっきり自分を表現できないだとか、身近に深いレベルで分かり合える人がいない孤独だとか、どうしようもない閉塞感の原因を、目に見える範囲で捉えようとしていたけれど、もっと根元的なところにその理由があったのかもしれない。つまり ―ほんとは精神世界に興味があるくせに、呑み込まれまいとふんばり、目に見えないものに惹かれるアブない人という世間の誹りを免れるため「知りたい」欲求をギリギリと抑えるという屈折した態度を続けてきた。その結果、心のエネルギーが行き場を失ってしまい、諸々の問題として浮き上がってきたのではないか― ということです。一回目のカウンセリングの時、中野さんに「スピリチュアルなことを特別視しすぎているようですね。物質世界と精神世界は表裏一体です」と言われた意味が今回わかった気がします。物質世界と精神世界の間に断絶はない。2つの世界は同一線上にある。このことをボディワークを通じて文字どおりからだで理解した感じです。魂が帰る場所を見つめていれば迷うことはない。魂の故郷を目指して物質世界の道を歩いていく。これが私なりの世界への新しい関わり方なのでしょう。

以上のことを整理すると今回のワークの収穫は3つありました。

・自我(自意識)と魂、二つのレベルの意識を実感できたこと

・魂が帰るべき場所を思い出したということ

・それによって物質世界と精神世界の関係の捉え直しが起こったこと

こう並べると私がかなり達観してしまったように思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。相変わらず、職場のイヤな人はやっぱりイヤな人のまんまだし、取り組まなければいけない課題は山積みです。けれど、ワークを通して複雑に絡み合っていた諸々の問題がふるいにかけかられ、今一番大事にしなければいけないことだけが自然に手のひらの上に残ったみたいです。今からは、そこに注力すればいい。そうすれば残りの問題は後から片付いてくるだろう、そんなふうに腹が決まった感じがあります。残念ながら、ワークを受けた直後より、1週間経った今、気づきのインパクトは確実に薄れているのも事実です。日常生活の中でこの感覚が薄れていくのはある程度仕方のないことかもしれませんが、また道を踏み外しそうになったら、魂が起動修正をしかけてくるのではないかと思っています。

そして、最初「うまくいかない原因をヒプノで探れないか」と聞いたとき、むしろブレスワークを勧められたことなど中野さんの助言・指摘が的確だったことに感謝しています。ありがとうございました。

(匿名希望さん)


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Written by Shinsaku Nakano <shinsaku@mahoroba.ne.jp>
Last Update: 2002/02/26