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おめでたき日々

(2003年1月)
今月のことば:「しらべてまとめて伝えよう」


2003年1月26日

実篤記念館の朗読会「実篤を聴く」

●昨日1月25日(土)に実篤記念館で朗読会が開かれた。行けなかったが配役などもつつじヶ丘駅の掲示板に出ていたので、記録しておく。

朗読会「実篤を聴く」
朗読作品:(1)「一休の独白」(2)「仏陀と孫悟空」(3)「平凡な四人の男の会話」(4)「だるま」
演出:川和孝
日時:2003年1月25日(土)
第1回:午後1時〜2時半、第2回:午後3時〜4時半(同内容で2回公演)
会場:実篤記念館内
参加費:700円
定員:各回50名(事前申し込み)
出演:
 中野順二 (1)一休、(2)仏陀、(3)男B、(4)だるま
 藤沢健志 (2)孫悟空、(3)男C、(4)男B
 上村隆弘 (3)男A、(4)男A
 倉田照三 (3)男D、(4)僧

●朗読会は去年に引き続き2回目で、前回は人生論と詩が朗読された(「MトピWEEKLY2002年2月28日号」)。

「二人の女傑」

宮崎県医師会の「日州医事」第613号(平成12年9月発行)に、「二人の女傑」という文章を宮崎県木城町の吉田隆氏が寄せている(「はまゆう随筆」の内)。二人の女傑とは、児島虎次郎の夫人友と武者小路房子である。
●児島友は夫虎次郎没後、父石井十次が開いた友愛社に暮らし、その臨終を看取ったという話である(昭和46年2月11日没)。房子の思い出も書かれていて、「思ったことはすべてずばりと云う」ことを最後まで続けたのは「さすがに立派だと思った」と紹介している。「あんたが来た時には私はもう冷たくなっているよ」と話していたというのは、いかにも房子らしい。

2003年1月24日

『七人の武蔵』(その5 現物確保)

●新聞報道をその後も調べたが、朝日新聞の「実篤『武蔵』を採るつもりだった」という記事も見つけた。本の表紙画像つきでやや煽情的に報じる「スポニチ」の記事も確認。このあたりで一段落か。

●私は図書館から借りて読んだので実物が手元にない。実篤の「宮本武蔵」を掲載した訂正本が出るはずだが、これは誤った版を購入した人向けのもので、一般市販はされないようだ。となると、実篤「武蔵」の入った文庫本というのは幻の本になってしまう。そこであわてて新聞報道された夜からオンライン書店をあたってみた。
●私が初めてレビューを書いた時点(1月11日)でbk1では取り扱い停止だった。その後、新聞報道された日から、Amazon、Yahoo!ブックスショッピング、eS!BOOKS、で取り扱い停止になった。
e-honでは注文できたので注文してみたが、その後、版元に問い合わせたところ取り寄せ不可とのメールがきた。その後楽天ブックスがまだ注文可能なようだったので注文してみたが、こちらも取り寄せ不可のメールがきた。

●これはダメかとあきらめかけたところ、今日つつじヶ丘駅前の書店・書原でなにげなく棚にささっているのを発見。即購入した。店頭のものは回収されたはずと探さなかったのだが、灯台下暗しというか、きちんと足で探さないといけないものだ。
●ということで、訂正本入手編へつづく。


●同じく書原で「生本−NAMABON−」(3月号)という雑誌の背表紙に「進め、進め。」とあったので、もしやと思って手にとると、やはり実篤の同名の詩が紹介されていた。巻頭に原田宗典が「私を変えた一言」として実篤との出会いを4ページほど書いていた。
●初めは志賀直哉が好きで、実篤はその対極にあると思い敬遠していたが、ある日「真理先生」を知人にすすめられて読んでみたところ、常識を超えた構成と内容にファンになったそうだ。実篤の一般的な受け入れられ方や、著者が好きな実篤の部分などがすっきりと整理された文章だった(アクセス・パブリッシング刊、2月21日発売)。値段(350円)の割には薄い本だと思ったので、購入はしていない。

●名前の「哉」を説明するとき、「ちょっと前までは『志賀直哉の哉です』と言うと分かってもらえていたのに、最近では『志賀直哉って誰?』と聞き返されてしま」い、「そこで『木村拓哉の哉です』と言うとバッチリ通じる」そうだ(「苦楽園口バーチャル駅長室」“進化する名前”【2003/01/22】)。
#志賀直哉から木村拓哉ねえ。どっちも「いい男」じゃん(強引なまとめ方)。

1月17日にちょっと紹介した寿岳文章訳・ダンテ「神曲」(集英社文庫)だが、ブレイクの挿絵89枚も収録されているそうだ(1月19日付け産経新聞)。どんなものか気になるので、書店でもう一度見てみたい。

2003年1月19日

『七人の武蔵』(その4 新聞発表)

●今日(1/19)付の朝刊(+昨日付の夕刊?未確認)で、作者取り違いの件が報じられていた。Webでも読むことができる(Yahoo!ニュースなど)。2月上旬の訂正本は交換用のみで、店頭には出ないらしい(日経新聞)。2ちゃんねるでもスレッドが立った。
「ZOO ZONE enterance」によると編者(磯貝)は実篤の「宮本武蔵」を入れようとしていたが、同名の直木三十五の作品を誤って入れてしまったとある(ソースは朝日夕刊らしい)。それでも巻末の解説(磯貝による)で、直木「武蔵」に対して、絵について注目しているのは実篤らしいと書いており、その時点で取り違いに気づいていないのは問題があるだろう。

●しかしながら、縄田のアンソロジーを見るまでは私も直木「武蔵」を実篤作品と信じて疑わなかったので、磯貝だけを責めるのはフェアではない。白状すれば私は実篤の「宮本武蔵」を重要な作品とは思っていなかったので、全集で手元にはあったが今まで読んだことがなかった。会話で進むきびきびとした文章、のちの山谷五兵衛を思わせる聞き手の「俺」、伝説とは視点をずらして人間・武蔵に迫る語り口(「浦島太郎の出発」を思い出す)、これらはいずれも実篤の特徴であり、私は不覚にも実篤作品と思い込んだ。
●だが、実際の実篤「武蔵」はそれらの特徴のまったくない、退屈な文章のようだ。退屈そうでいまだに読んでいない。これのどこに磯貝が注目し、ほかの6人とならべてどういう効果を生もうとしたのかは不明だが、直木「武蔵」とはまったく違うものだ。これだけ違う文章を取り違えるということはやはり理解できないし、問題があるだろう。

●また今回の件で直木三十五に実篤に似た部分があるのか気になったので、「宮本武蔵」を収録している『直木三十五全集第13巻』(示人社)を図書館から借りてきた。こちらについてはまた改めて考えてみたい。


●それから『近代つくりかえ忠臣蔵』(日高昭二編)も借りてきたので、こちらも後日。

2003年1月18日

太宰治『愛と苦悩の手紙』(角川文庫クラシックス)

●亀井勝一郎が編んだ太宰治の書簡集。かもしだ商店にあったので何気なくパラパラとめくったら、太宰がばったり実篤に会ったときのことが出ていた。

亀井君のとこへ、本を返却しに行ったら、都新聞を読まされました。(中略)亀井君の応接室に武者氏がとつぜんあらわれました。意外なほど、瀟洒なおじいさんでした。 (昭和16年2月1日山岸外史宛てハガキ)

●当時太宰(1909〜1948)は三鷹村下連雀113番地、実篤(1885〜1976)は三鷹村牟礼490に住んでいた。20歳も違えば「おじいさん」か。亀井は今の武蔵野市御殿山に住んでいたそうで、3軒の位置関係は「三鷹文学散歩・追憶の太宰」の地図で確認できる。

●他に白樺関係の記事は出てこないと思うが(精読はしていない)、甲府に住んでいた太宰が仕事の上で不便なため、「浅川、八王子、国分寺」近辺に引っ越そうと思うのだが、「三鷹、吉祥寺、西荻、と、とうとう井伏さんのお宅まで来てしま」ったが「貸家札一つもなく」驚いたこと、やっと井の頭公園裏の麦畑に見つけた新築中の家は家賃が27円で高すぎ、近くにもうじき23、4円の家を建てる予定があるのでそちらにしようと思ったことなど、当時の三鷹近辺の様子がわかり収穫だった(昭和14年5月26日中畑慶吉宛て手紙、同年6月4日鰭崎潤宛てハガキ)。

●また年ごとに太宰の活動と世の中の動きを亀井が書いているが、簡潔にして要を得ており、太宰の姿が生き生きと伝わってきた。
●亀井勝一郎と言えば、新潮文庫と昔の角川文庫の『武者小路実篤詩集』の編者であり、戦後の実篤紹介に大きな役割を果たした人である。そんな彼を接点に、ベクトルが正反対と思われている太宰と実篤が遭遇するとは、おもしろいものだ。(昭和37年5月28日初版、平成10年6月25日改版初版) (Amazon)


●「武者組B」にあった「武者をたずねて三千ページ」を「武者組」に移動。ちょっとしたページも速報的にリンクしているので、楽しんでいただけると思う。

2003年1月17日

1月の展覧会

2003/01/17付け「武者組“あるね”ニュース」より転載。

○ [開催中] 木村荘八展(小杉放菴記念日光美術館)
 小杉放菴記念日光美術館(栃木県日光市)では、「木村荘八展−東京繁昌記の挿絵を中心に」を開催中。会期は1月1日(水)〜2月16日(日)。春陽会より寄贈された資料の中から、『東京繁昌記』の挿絵原画を展示している。
 同館のホームページに展示作品の一覧もある。年譜や作品リスト、論文一覧などもあり、あっさりしたデザインのサイトだが、けっこう充実している。
◆ 小杉放菴記念日光美術館ホームページ
http://www.city.nikko.tochigi.jp/museum/index_j.html
◆ 「木村荘八展」の紹介ページ(トップページからのリンクは誤り)
http://www.city.nikko.tochigi.jp/museum/moan_020/020_ex44.html

○ [開催中] 棟方志功展(ひろしま美術館)
 ひろしま美術館(広島市)では、「生誕100年記念棟方志功展〜板に刻んだ日本のこころ〜」を開催中。会期は1月3日(金)〜2月9日(日)。同館ホームページにはインターネット割引券というのがあり、印刷して持参すると入館料が100円引きになる。
 その後、滋賀県立近代美術館(大津市)に巡回して、2月22日(土)〜3月30日(日)に開催される予定である。
◆ ひろしま美術館ホームページ
http://www.mighty.co.jp/museum/
◆ 滋賀県立近代美術館ホームページ
http://www.biwa.ne.jp/~sg-kinbi/

○ 岸田劉生の絵の講座(名古屋市)と劉生「道路と土手と塀」(岡崎市)
 名古屋市守山生涯学習センターでは、「一枚の絵 名画の見方、楽しみ方〜岸田劉生『二人麗子図』(童女飾髪図)1992年〜」が開かれる。1月24日(金)13:30〜15:30で、講師は浅野徹名古屋芸術大学教授。入場無料で、定員63名(当日先着順)だそうだ。
 一方、劉生の国立近代美術館蔵の「道路と土手と塀」は、現在、愛知県岡崎市で展示されている。「国立博物館・国立美術館所蔵名品展 日本人の風景表現」がそれで、会期は1月4日(土)〜2月16日(日)。
◆ 生涯学習情報
http://www.city.nagoya.jp/sysdata/kokai/syogai/syogai20030107164231.htm
◆ 岡崎市美術博物館(マインドスケープ・ミュージアム)催事案内
http://www.city.okazaki.aichi.jp/museum/ka321.htm

●これにあわせて、展覧会の予定のページを更新した。

『七人の武蔵』(その3)

●角川書店からメールの返事をいただき、やはり直木三十五の作品に誤って実篤の名前を付けて出版してしまったとのこと。現在回収中で、同社ホームページにも「お詫びとお願い」が掲載されている。私は図書館で借りたので問題ないが、買われた方は交換してもらえるとのこと。訂正本は2月発行の予定。

原田宗典『はらだしき村』(集英社文庫)

●原田宗典の公式サイト「はらだしき村」の文章が、文庫本になっていた(Amazon)。今日発売だったらしい。表紙の絵も実篤風。以前紹介した、サイトの名前と実篤の関係について書いた文章が巻頭に載っていた。それだけを読むならば、ちょうど集英社ホームページで全文立ち読みできる。また、「はらだしき村」ホームページでも手書き原稿が公開されている(オープン記念特別エッセイ)。
●同じ1月新刊に、寿岳文章訳・ダンテ「神曲」(地獄篇、煉獄篇、天国篇)も出ていた。


ひさしぶりに「文學界」を立ち読みしたら、小谷野敦の「昭和恋愛思想史」という連載が始まっていて、その第1回が「有島武郎情死事件」だった。どういう趣旨の連載か立ち読みではつかみきれなかったが。

●あさって(1/19)の「新日曜美術館」はゴッホ特集だから、見逃さないように。

2003年1月13日

角川文庫「宮本武蔵」武者小路実篤作者説に、重大な疑義あり

●おととい感想を書いた角川文庫『宮本武蔵』の中に、同名の実篤の作品があると紹介したが、これはまちがいの可能性が高い。

●昨日別のアンソロジー『宮本武蔵』(廣済堂文庫、縄田一男編、平成9.11.1)を借りてきたが、開いてみてびっくり。巻頭の直木三十五「宮本武蔵」が、角川文庫で実篤の作品とされていたものと書き出しから結末まで全く同じだった。
●そこであわてて小学館の実篤全集を取り出して第9巻を確認したが、似ても似つかない作品が載っていた、角川文庫の作品と、全集第9巻の作品は別物だ。
●廣済堂文庫の出典は「直木三十五全集第13巻」とあったが、未確認。
●角川書店にメールで問合せ中だが、角川文庫の実篤初出が「キング」(昭和9年)となっていたこと、実篤全集第9巻所収の「宮本武蔵」はその昭和9年の「キング」が初出誌なことから、編者の取り違いである可能性がきわめて高い。全集から採っていれば典拠に全集を挙げるはずと、思い込みで確認をしなかった私の大ポカである(角川文庫は初出に出版年がないなど不備な点があったのに)。
●本件についてはメールの返事を受け取ってから、まとめをさせていただきたい。


●先週紹介した日経新聞の「鄭道昭」は連載で、1月12日に「その2」が掲載されていた。西暦500年前後の人なのか。
リンク集のページを少しメンテナンス。

2003年1月11日

意外な実篤作品

●こんなところで実篤作品がというのを2題。

●大河ドラマにひっぱられた宮本武蔵ブームで各種武蔵本が出ているが、その中の1冊『七人の武蔵』(磯貝勝太郎編、角川文庫)。山岡荘八、津本陽、司馬遼太郎、海音寺潮五郎、山本周五郎といった名立たる時代小説の大家にまじって、武者小路実篤。表紙に名前がならんでいたが、異様に浮いて見えた(あともう1人光瀬龍がおやっという感じ)。
●実篤の「宮本武蔵」は昭和9年の作品だが、読んでみると意外によく書けている。なぜ武蔵なのかという動機付けが弱いが、取材メモの引き写しにならずに、描くべき場面をかちっと切り取っている。武蔵という有名な人物を描きながら、それに負けずに実篤の作品となっているのはさすがと言うべきか。オーソドックスな津本陽の「宮本武蔵」よりもおもしろかった。
●7作の中では山本周五郎の「よじょう」が一番おもしろかったが、吉川英治とは違う切り口を楽しめた好アンソロジーだった。武蔵像の変化については「歴史街道」2月号(PHP研究所)の「徹底比較 武蔵を描いた小説」(縄田一男)が参考になる(実篤は出てこないが)。

●もう1冊は『近代つくりかえ忠臣蔵』(日高昭二編、岩波書店)。これは未読だが紹介文によると、近代に書かれた忠臣蔵を題材にした作品を集め、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」 にならって11段に配し、その序で実篤の「木竜忠臣蔵」(昭和6年)と谷崎潤一郎の「顔世」が挙げられているそうだ。図書館の予約待ちだが、どんな風に紹介されているか興味がある。ちなみに「木竜」とは「ぼくりゅう」と読み、「僕流」にひっかけてある(「木龍うるし」とは関係ない)。

●武蔵と忠臣蔵、2002年の新刊に実篤の名前を見るとは思わなかった。

実篤記念館「新収蔵品展」見学

●実篤記念館の「新収蔵品展」を見学してきた。今回は昨年3月末で閉鎖となった東京都近代文学博物館から移管を受けた資料が中心のため、質量ともに例年を上回っていると思う。ふつう新たに収蔵した品というのは散発的に集めたり寄贈を受けたりするものだから、内容や時代がばらばらだったりするが、今回は実篤宛の書簡などまとまった量を受贈したため、書簡だけで実篤の生涯を追うことができるぐらいだ。
●記念館の中庭の梅の木にメジロが来る様子をそっと見られるように、えさと双眼鏡が置かれているので、忘れずにのぞかれるように。残念ながら私は見られなかったが、来館者の記帳を見ると、今日も見ることのできた女の子がいたようだ。それだけこの辺にはまだ自然が残っているとうことだ。

●東京都近代文学博物館の廃止については、以前反対意見を書いたように、かえすがえす残念なことだ。帰ってから廃止についてインターネットを検索したが、「駒場公園に来たのは、去年の九月以来。」「ちょっとだけ、中に入ってみた。文学の展示物のない空間を見ると、 どうしてもガラーンとした印象。」とか、「撤収した時のまま痛々しい状態で」「建物の寿命を縮め、かえって都の財政を圧迫するかもしれ」ないという感想があった。

●「国会議員になれたのも、東京都知事になれたのも、この『小説家』だったおかげ。その彼の、先輩作家たちの業績を後世に伝えようと、文学都市・東京ならではの発想のもとに作られた『文学博物館』を、『財政難』を理由に、いとも簡単に切り捨てたのが、この『小説家』にして『都知事』の、慎太郎なのである。」「で、その石原都知事を、まず『小説家』として発掘した」「作家・石原慎太郎誕生の最大の功労者が、浅見淵(ふかし)」であり、「 『浅見淵著作集』の編集に関わり、この『著作集』で『解題』をしている保昌正夫」が「『東京都近代文学博物館』の閉館に抗することになる最後の運営協議会会長(実質的な最高責任者)であった。」「彼(石原慎太郎:引用者)は『東京都近代文学博物館』を閉鎖することで、生みの親でもあり、恩義ある師、浅見淵を『裏切った』ということになる。」(早稲田サイドウォーク:EDI)という激しい指摘もあった(うなずくところが多い)。

●その所蔵品の大半は江戸東京博物館にされたようだが、「図書、生資料その他、合計十六万七千八百十九点、これらをすべて江戸東京博物館にお願いをするということは何か不可能だというふうにも伺っております」という指摘や、「建物の維持費が三千四百万ぐらい。管理運営費も入れると、年間予算の大体四割ぐらいは建物の維持管理などでかかる」「四割ぐらいは今後もかかる予定にしていて、かつ、江戸東京博物館に移すわけですから、その費用もかかる」「したがって、費用的には余り節約ということにもならない」という指摘もあり(ともに「東京都議会文教委員会速記録第二号(平成14年2月19日)」)費用削減・資料活用のお手並み拝見といったところだ。

●白樺関係は実篤記念館に移管されたが、俳句関係のコレクション「神谷瓦人(がじん)文庫」約10万冊は北上市の日本現代詩歌文学館へ与謝野晶子愛用の鏡台やたんすなどは大阪堺市の与謝野晶子文芸館へ雑誌『文芸広場』所収の直筆原稿168点ほか図書約800冊は実践女子短期大学図書館へ移管されることがWebでは確認できた。
近代文学博物館が閉館になると聞いて、駆け込みで見学に行かれた方も多い(「萬亀眼鏡の東京散歩」)。

●今回調べていて「スケッチはまちへのメッセージ」「スケッチをすることで建物とまちなみの保存を求めるメッセージを伝えたい」というサイトにめぐりあった。私も顔を上げて、Webに見学記を書くことは文学者と記念館へのメッセージと思って、これからも励んでいきたいと思った。

2003年1月7日

鄭道昭

●1月5日(日)の日経新聞「美の美」は、鄭道昭をとりあげていた。たしか実篤が好きな書で、名品展でも見たことがあるなぁと思いながら脇に置いていたが、よく読むと実篤の名前も出ていた。さらに、拓本における「四度の輪廻」ということで柳宗悦の言も引かれていた。
●書には詳しくないが、大写しの拓本の写真をぱっと見ただけで思い出すとは、特徴のある書なのだろうか。それとも私の認識データベースが、相当「武者組」的にカスタマイズされてきているのだろうか。
●インターネットで検索したところ、広瀬裕之(舟雲)武蔵野女子大学助教授による「鄭道昭とその書」という文章が見つかった。また「写真等資料紹介(鄭道昭)」(田村鄭雲氏が1980年8月に撮影)というページもあり、下のほうの「T7下碑額」が拓本の碑文だ。

松江で河井寛次郎展

島根県立美術館(松江市)が発行するメールマガジン「Shimane Art Museum eNEWS」が届いた。1月の展示予定が載っていたが、1月15日(水)から「河井寛次郎と民芸の仲間たち」が始まる(4月13日(日)まで)。企画展ではなく常設展なのであまり大規模ではないと思うが、同館では2002年1月22日(火)〜4月14日(日)にも「土と炎の詩人 河井寛次郎2」を常設展で開催している。
同館ホームページの「コレクション」の「工芸」には、河井寛次郎の「辰砂双頭壺」「茄紫ち蝓龍茶甌」が写真付きで紹介されている。たしかかなりの数の河井作品が収蔵されていたと思う。なお、コレクションのページでは名前が「河井かん次郎」と表記されているが、「寛」の字は正しくは「、」がつくからと思われる。展示予定とかでは「寛次郎」と表記されている。

松江と白樺派

●松江と言えば小泉八雲だが、白樺関係では志賀直哉と里見とん^が短期間だが住んでいた。志賀「堀端の住まひ」里見「今年竹」(の一部)に松江滞在の様子がうかがえる(「宍道湖と文学者たち」など)
●志賀や里見も舟遊びをしていたようだが、現在もある堀川遊覧船でその風情が楽しめそうだ。志賀が住んでいた近くを遊覧船が通るらしい(亀田橋付近)。志賀や芥川龍之介が滞在した記念碑がつくられているとのこと(「ヘルンの道整備文豪記念碑サイン」)
●「松江市の観光」ホームページでは、「松江百景」として自由に使える写真を公開している。そこから亀田橋付近の写真を1枚いただいた。いずれ行ってみたいところだ。

堀川遊覧船から亀田橋付近をのぞむ
2003年1月5日

「2002年のアクセス状況」を簡単にまとめた。1月3日の記事にもリンクを追加。

●まだ「お目出たき日々」まわりはリンク等がガタガタしている。気づいたところから直しているが、ちょっとおかしいところが残っているかもしれない。ご容赦を。
●展覧会情報も直さなければならないが、手が回っていない。この冬もおもしろそうな展示がいくつかある。

2003年1月3日

謹賀新年

 新年あけましておめでとうございます。本年もゆっくりとではありますが、いろいろなことを書いていきたいと思いますので、ご愛読の程、よろしくお願いいたします。

2002年を振り返って

メールニュースのバックナンバーを見ながら、「武者組」的2002年三大ニュースを考えてみた。

  1. 実篤記念館のイベント盛ん
  2. 実篤記念館公式ホームページ公開
  3. 「武者組」の着実な充実

2003年の目標

今年の「武者組」の目標は、次の2点にする。

  1. より個人色を出したホームページへ
  2. データベース化を進める

いずれにしても、具体的な作業方針については整理してから改めて発表したい。

このページは「武者組B」の「リアルタイム或る男」を統合して、より日記的なページになる予定である。これまでよりも細かな話題が出てくると思う。


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