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おめでたき日々

(2001年11月)



2001年11月23日

記念講演「昭和文学の流れと武者小路実篤」聴講メモ

●今日、実篤記念館主催の記念講演「昭和文学の流れと武者小路実篤」を聴講してきたので、簡単ではあるがメモを書いておく。2001年11月23日(祝)13:30〜15:30、於東部公民館。講師は文芸評論家の川西政明氏。
●「昭和文学史」(全三巻)2,000ページ1,000枚という大著を書き上げた直後(執筆3年、校正1年1ヶ月、索引作成9,000項目)で、その上、体調も崩されたということで万全な状態ではなかったが、静かにそして熱く昭和の文学を語られた。昭和文学と言うと薄っぺらな知識しかなかったが、芥川の限界とそれを超えようとする新世代、プロレタリア文学の隆盛と転向、文士徴用と「戦争の文学史」など具体的にわかりやすく話していただき、よりはっきりとイメージできるようになった気がする。
●川西氏は実篤の研究家ではなく、また昭和文学史に占める実篤の位置は決して重要なものとは言いがたいため、あまり詳しいお話は聞けなかった。しかしその背景となる昭和文学史のかたちが明瞭になってきたため、その中に実篤をどう位置付けるのかは我々の作業だと思う。講演の中で何回か繰り返されたことばに、「文章と肉体の一体化」「肉体と言葉の合致」というのがある。これを唯一達成したのは実篤であり志賀直哉であるというお話だったと思うが、これが芥川の超えられなかった部分であり、小林秀雄が背骨にしてそれ以外を全否定した拠り所とされていた。この「一体化」はよく指摘されることであるため見過ごしてしまいがちだが、もう一度重く受け止めてまわりを見回してみる必要があると思った。
●講演の最後に、川西氏が初めて会った文士・実篤のエピソードが紹介されたが、原稿を取りに来た川西青年を池に伴い、鯉にえさを投げさせた(投げる場所は実篤が指示したそうだ)という話は、晩年の実篤らしいのんびりした話で会場の暖笑を誘っていた。

仙川の巨大ニジマス

●Yahoo!掲示板を「武者小路実篤」で検索したら、実篤公園の巨大ニジマスという話題がヒットした。そのメッセージでは「フ雑」と省略されていて何のことかまったくわからなかったが、どうも「フライの雑誌」のことらしい。ホームページも見つかったので最新号(第55号)の目次を見ると、「仙川の巨大ニジマス 上利邦幸」という記事があることを確認した。あまりメジャーでない釣り雑誌(季刊)のようで、一般書店にはあまり並ばず、むしろ釣具店で手に入るようだ。常備店のリストを見て近所ではと仙川の東国書林に行くと、11月1日発売のせいか、もう見つからなかった。それではともう1軒、つつじヶ丘のアウトドアワールド(ライフの地下1階)に行くと幸い雑誌売場にまだ積んであった。
●2ページの記事で、上利(あがり)邦幸氏が学生時代仙川に住んでいたころ、金がなくて好きな釣りができなくなり野池を探していたところ実篤公園を見つけたが、そのニジマスについての思い出を書いている。50〜60センチのニジマスが16匹、パンをよくやりに行ったがセミが大好物。寿命は5〜6年で、産卵しても育たないため稚魚を放流しているらしいことなどが書かれている。小さいころから釣りが好きで小学校の池にブラックバスを放流して鯉を食わせたとか、食費を切り詰めて九州へ北海道へと釣りに行っていたがそれもできなくなって地元で野池を探したとかあったので、いつ実篤公園で釣りを始めるのかとハラハラしながら読み進めたが、実際にはそんなことはなくてホッとした。
●この文章で紹介されている池は、実篤公園の中の「上の池」と呼ばれているもので、旧邸のそばにある小さい池だ。ここは水が澄んでいて今もニジマスがいる。よく話題になる池は「下の池」と呼ばれる方で、実篤記念館の近くの大きな池である。こちらには錦鯉がたくさんいて、餌をやるとものすごい勢いで集まってきて子供ならずとも楽しめる。上の池の水が下の池に流れ込んでいて、上の池は記事では「井戸水をくみ上げて」となっていたがそれは誤りで、少し上の崖から沁み出してきている湧き水を水源としている。今日の講演会の後で実篤記念館の方に確認したが、井戸水を補うのは夏の渇水のごく限られた時期だけで、通常は湧き水だけでじゅうぶんだとのことだった。
●ニジマスというと水のきれいな山奥の魚というイメージがあるが、それを調布で見られるというのもありがたい。東京では奥多摩まで行かないと釣堀でも見られないだろう。上の池には東屋が張り出していて、そこからニジマスを間近に見ることができる。そんなに巨大ということもないと思うので安心して見に来てほしい。これらの池を支える国分寺崖線(こくぶんじがいせん)という多摩の自然も、合わせていつまでも守っていきたいと思う。国分寺崖線については、ManoJuhskeさんの「City of Woods - 杜の街 武蔵府中」の中に詳しく説明されていて、実篤公園も写真入りで紹介されている。ご一読をおすすめする。

「世界を賭ける恋」を熱く語れ!

●これもYahoo!掲示板の検索から。
「『わが青春の裕次郎』・・・あのころ。」という一連のメッセージがあって、その中で、「世界を賭ける恋」(原作は実篤の「愛と死」)が取り上げられている。裕次郎と浅丘ルリ子の共演で、「好きなのにとても嫌いな映画」「裕次郎さんの魅力が溢れている映画でお薦めでもありそうでもない映画」と紹介されている。
●石原裕次郎が青春ということはかなりの年配の方とお見受けするが、当時の思い出を熱く書き込まれている。記憶で書かれているということなので、一部正確でないところがあるかもしれないが、今では見ることが難しい映画の概要を知るには良い記事だと思う。本編で歌われた歌をキーに書かれているが、私はこの歌よりも「庭の さんしゅ(山茱萸)の木 鳴る鈴 掛けて」という歌の方が印象に残っている。インターネットで調べてみると、この歌は宮崎県の「稗つき節」だそうだ(暁洲舎さん作成「日本の民謡」)。
●Yahoo!掲示板ではこの他にも「世界を賭ける恋」の解説があるので、そちらにもリンクを張っておく

ついでに「2ちゃんねる」での白樺関連スレッドのご紹介

●こちらはYahoo!掲示板とは少し毛色が違うが、「2ちゃんねる」文学板の白樺関連スレッドには以下のようなものがある。毎度のコメントだが、あんまり目くじらは立てられないのがよろしいかと。
白樺派について語ろう!
武者小路実篤
志賀直哉
衝撃事実!志賀直哉はバカだった!!!
有島武郎
里見dってどう?
●「白樺派について語ろう!」では正親町公和が出てくるなど、けっこうおもしろい。ほかにもスレッドがあれば見ておきたいので、ぜひ教えてほしい。

2001年11月17日

「友情」は材木座海岸が舞台?

●古本屋で見かけた神奈川県のローカル出版社発行の某文庫を見ると、「友情」に登場する海は鎌倉の材木座海岸とあった。私はいまだに鎌倉方面がよくわからなくて、湘南も鎌倉も鵠沼も区別がつかないのだが、材木座といえばサザンオールスターズ?とすっかり混乱してしまった。
●地元の人が言うからそうなのかもしれない(常識?)が、思い違いということもあるかもしれない。何せ初見だったので面食らってしまった。鎌倉に詳しい方の情報求む(他力本願)。

都立の公園は意外と多い

「東京都の庭園・公園紹介」(財団法人 東京都公園協会作成)というwebページがあり、問合先や交通、休園日、入園時間、無料公開日(神代植物公園は、みどりの日4/29と都民の日10/1)などが書かれている。みどころや花ごよみ(いつ頃どんな花が見ごろになるか)などもあり、けっこう役にたちそうだ。実篤公園に近い神代植物公園や、徳富蘆花旧居・蘆花恒春園もちゃんと載っている。

宿泊客は無料らしい

●だいぶ先の話だが、東京・紀尾井のニューオータニ美術館(ホテルニューオータニ内)では、来年4月20日(土)〜6月9日(日)に「梅原龍三郎と『白樺派』の芸術(仮称)」が予定されている。忘れないように「これから先の展覧会」に書いておく。

愛知県豊橋市とその近くの方限定の情報

豊橋市図書館1階のCDコーナーには、朗読のCDがあるそうだ(館内利用のみ)。リストを見ると、「7 小さき者へ 一房の葡萄 有島武郎/著」「8 小僧の神様 城の崎にて/他 志賀直哉/著」「9 愛と死 武者小路実篤/他」とある。「実篤/他」って何?と思ったが、「愛と死/他」の間違いだろう。全体のタイトルは、「サウンド文学館パルナス」(北杜夫/他編、学習研究社、1995、CD60枚)。

これは全国レベルの情報

●「別冊歴史読本 皇族・華族古写真帖」(新人物往来社)というのが出ていたので見てみる。昔の写真はとても参考になるし、「お嬢様」はとてもきれいに写っている。華族でも侯爵など位が上の人々しか出てこないが、細川家などもたぶんこのような感じだったのだろうと想像してみる。残念ながら武者小路の名前は巻末リストのみ。

「光太郎智恵子、光太郎智恵子」

●「智恵子抄展 〜高村智恵子・光太郎 二人が交わした心の詩〜」が11月3日(土)〜12月9日(日)までひろしま美術館で開催中だ。webで見つけたのでチラシ等なくて展示内容はわからないが、あまり情緒に流れた展示でないことを期待したい。
●「高村智恵子」というのはなぜかちょっと違和感がある。なぜなら入籍したのはずいぶんあとで、高村智恵子と名乗った時期が短かったのではないかと思うからだ(入籍は病床に臥せってからではなかったろうか。そしてそのときまで、光太郎は智恵子の正確な年齢を知らなかったと読んで驚いたのを覚えている)。
●かと言っていつまでも旧姓の長沼智恵子では「青鞜」のイメージを引きずりすぎるし、個人的にはいずれにしてもすわりが悪く困ったものだと思っている。苗字のないのも不自然ではあるが、智恵子は「智恵子」としか呼びようがないと思ったりする。光太郎とともに芸術に社会に戦う同志だったのだ。苗字などどうでもよいではないか。
●そもそも光太郎の父光雲も高村家の養子であり、元の姓は違うのだ。そう思うと、高村という姓のすわりの悪さはそこまで遡るのかしれないと思えてくる。

2001年11月3日

●東京の上野の森美術館では「MOMA展」が開催中だ。マティスの「ダンス」のポスターをいたるところで目にする。マティスとピカソが多く出展されていて、他にもセザンヌ、ゴッホなど24人の作品が展示されている。10月6日(土)〜来年2月3日(日)までの会期中無休で、木曜〜土曜は20時まで開いているので、仕事帰りにでもぜひのぞいてきたいと思う。

●実篤記念館では新しく館報「美愛眞」の発行を始めた。創刊号が9月30日に発行され、友の会会員には「友の会ニュース」といっしょに送られてきた。年2回刊で一部カラー8ページの立派なものだ。創刊号の目次は次のとおり。

記念館でも無料配布しているので、来館の際はチェックされたし。

●実篤記念館でのビデオ上映会についてメモしてきたので、書き出してみる。11月13日(火)〜16日(金)の11時〜と14時〜の1日2回、閲覧室でビデオ上映会が催される。改造社現代日本文学全集の宣伝用フィルムで、昭和2年当時の実篤や芥川龍之介、久米正雄らの姿が映っているそうだ。時間は約40分。

●京急百貨店(横浜)7F家庭用品売場では、柳宗理特集が開かれる(11月8日〜21日)。柳氏がデザインしたキッチン用品、テーブルウェアの展示即売会だが、近くの地下鉄上大岡駅も同氏のデザインらしいので、合わせて見てくるのも良いだろう。

●渋谷区立松涛美術館では特別展「眼の革命」を開催中である(10月2日(火)〜11月18日(日))。伝統的な美ではなく、これまで注目されなかったものの中に新たな美を見出されたことを「眼の革命」と呼び、その作品を集めた展示だ。柳宗悦→木喰仏、岡本太郎→縄文土器、赤瀬川源平→超芸術トマソンなど統一性はないが、なかなか刺激的な展示のようだ。柳の活動を「眼の革命」と呼ぶのは言い得て妙だと思う。


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