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おめでたき日々

(1999年)


1999年11月13日

●開設3周年ということで、一部コンテンツの配置を変えて整理を行いました。おもな改版ポイントは以下の通りです。

 これで、「記念館 + 勉強 + メールニュースなど道具類」というコンテンツに沿ったすっきりした構成になりました。まだ不整合な部分はあるかと思いますが、順次調整していきますので、お気づきの点がありましたらご指摘ください。

宇多田ヒカルと「生きること」

 宇多田ヒカルは実篤の「生きること」という文章を読んで感動したと、あるインタビューで語っている(『週刊プレイボーイ』No.44)。私も読んでみたが(小学館版『武者小路実篤全集 第17巻』P.684)、いつもの持論を述べているもののピントがぼやけていて生彩を欠き、あまり良いものとは思えなかった。少なくとも、苦労して探してまで読む値打ちのあるものではない。むしろ手に入りやすい文庫本の『人生論』等を読んだ方が、実篤の主張をより理解できる。

 初出は『この道』(新しき村の会報)の1964年4月1日号で、実篤晩年の文章だ。このような文章で感動したのだろうかと、ちょっといぶかしく感じた。「全集第17巻所収」というのはインタビュアーの補足だが、全集の索引を見る限りでは他に適当な文章は見当たらない。似た題名では青年期の雑感と詩があるが、そのいずれも彼女の発言内容と符合しない。昭和30年代に多く発行された人生論集の類に、同じ題名で違う文章が載っている可能性もなきにしもあらずだが(全集は3段組で文字も小さく、コピーして授業で配るのには向いておらず、何か単行本からのコピーの方が可能性がありそうだが)、確固たる証拠がないためここでは全集第17巻に拠るしかないだろう。

 逆に考えれば、実篤にとっては「当たり前」のことをちょっと下手に書いたものであっても、それを初めて読んだ彼女にとっては「読んだ瞬間に“あっ、これ、わかるわかる”って叫びそうにな」るほどのインパクトを持った文章だったとも言える。それは私が中学のときに(多分いろいろなところで誤解をしながら読んでいたと思うのだが)、自分の問題として問題解決の糸口として実篤を読んでいたのと同じようなことが、彼女の中で起こったのだと思う。インタビュアーとしては「宇多田ヒカル」と「武者小路実篤」をならべてそのミスマッチ感を出したかっただけだと思うが、私はやはり実篤の文章には「10代の心をつかむ何か」「求める者には応える古びない何か」があるのではないかという感触を得た。

1999年10月26日

ゲストブックをつくりました。おいでになった記念に、ひとことメッセージをお書きいただけるとうれしいです。このゲストブックは「武者組B」からリンクしていましたが、今回「武者組」からもリンクするようにしました。ゲストブック内の「戻る」ボタンをオスと「武者組」に戻ります。「武者組」&「武者組B」の読者の方々の交流用ですので、趣旨をご理解の上、楽しくご利用ください。

1999年10月17日

●久しぶりの更新です。少しだけですが、展示情報など手を入れました。ホームページのリニューアルは構想はまとまりましたが、若干作業量が大きいので、時期を見て行いたいと思っています。

●メールニュースではお知らせしましたが、日記「リアルタイム『或る男』」を始めました。トップページからリンクしてあります。ちなみに日記のタイトルは、実篤の自伝小説「或る男」にちなんで、それをリアルタイムに書いていくということからつけました。日々の雑感が中心であまり大したことは書いていませんが、リアルタイムなこぼれ話を書いていきますので、時折のぞいてみてください。

●実篤記念館の「美術遍歴 〜実篤コレクション展」は今日までです。次回は秋の特別展ということで、さらに力が入ります。関川夏央氏の記念講演も予定されていますので、お楽しみに。

1999年9月1日

●今日は防災の日です。1923(大正12)年の関東大震災では、9万1千人余りが亡くなり、46万5千戸が全壊焼失したそうです(『20世紀年表』毎日新聞社 による)。『白樺』の同年9月号(当時は9月発売の号を9月号と呼んでいた)は印刷が終わり倉庫に積んであったのですが、震災でそれらすべてが焼失してしまいました。その後『白樺』は刊行されることなく、廃刊となったのでした。『白樺』だけでなく、多くの雑誌が震災のために廃刊になったそうです。
●調布市では今日9月1日に、総合防災訓練が行われます。今年の総合訓練会場は、実篤記念館の近くの第四中学校です。ほかに一時避難訓練場所というのが3つ設けられ、その1つが実篤記念館資料館前です。記念館外側の駐車場とその向かいの小さな公園あたりがそれにあてられると思いますが、訓練時間中(8時半〜11時半)は記念館周辺は混み合うかもしれません。

●8月29日(日)に「人間萬歳」展を見てきました。実篤の全体像をつかむにはひじょうに良い展示だったと思います。毎年展示も工夫されており、楽しく見ることができました。こういうホームページをつくっているといろいろ余計なことを考えがちなのですが、それをすっきりとさせてくれる展示でした。会期は今度の日曜日までです。

●今月後半ぐらいまで忙しいため、ホームページの更新があまりできないと思います。あらかじめご了承ください。ほんとうは開設2周年を機にリニューアルをしたいと思っていたのですが、10月に入ってからになりそうです。

1999年8月14日

●実篤記念館では、毎年夏休みに開いている「人間萬歳」展を今年も開催中です。実篤の全体像を紹介する展示として、初めてご覧になるには最適の展示だと思います。それ以外の企画展・特別展は、その回ごとのテーマを中心とした展示となるため、実篤の一面しか紹介されないことがあります。私のように何回も通っている者にはそういう展示の方が興味深いのですが(展示を準備される記念館の方々のご努力はたいへんなことと思います)、初めて行ってみようという方には、この「人間萬歳」展か、春と秋の特別展をおすすめします。
 また、8月21日(土)には、実篤や展示についての説明会「聞いて・見て・楽しむ会」が行われます。時間は午後2時〜3時半、中学生・小学5、6年生が対象で、父母の参加も歓迎とのこと。実篤記念館専門員の岩井貞雄氏がお話をされますので、参加希望の方は当日記念館までおいでください。予約は不要で、参加費は通常の入館料のみです。

●東京の大丸ミュージアムで「智恵子 その愛と光彩」展が開催中です。会期は、8月12日(木)から8月24日(火)まで。北海道立旭川美術館で6月12日〜7月28日に開かれていたものと同じタイトルで、「協力 旭川市彫刻美術館 日本近代文学館」となっているので、その巡回展かもしれません(主催は毎日新聞社)。智恵子の紙絵100点と光太郎の彫刻・素描・書、『智恵子抄』の原稿などが展示されているそうです。
 智恵子の活動は病後の紙絵ばかりが取り上げられますが、元気だった頃の彼女が目指した芸術というものも見ていかないといけないのではないかと思っています。たしかに紙絵にも美はありますが、そこには彼女の悲劇を下敷きにした鑑賞の影響も否めません。経過はどうであれ、残った作品を評価すべき(彼女の健康な頃の作品は残っていない?)という考えもありますが、紙絵が智恵子の本領ではないということは忘れてはいけないと思います。

寡作家と読者

 先日『サライ』の山頭火特集を読んでいたら、井月を慕って長野を旅したとあった。井月とは江戸時代の俳人で旅に斃れたひとりだが、彼のことはつげ義春の連作「石を売る」の中の「蒸発」で知った。私の知る範囲では、この作品がつげ氏の最新作であり、しかも10年以上も昔の作品である。私はつげ氏の熱心な読者ではないが、おもだった作品はすべて読んでいる。そして次に出る作品も(もしも出るのであれば)読んでみたいと思っている。熱望というわけではないが、頭のどこかで気にしているので、井月という名前に反応してしまうのだろう。

 熱心でない読者ですらこうなのだから、ファンなどは首を長くして待っているのだろう。つげ氏の性格からいって、待たれているからすぐ描くというわけではないということも、ファンは皆じゅうぶん承知している。描けない理由もわかっている。それでも待っている。昔の作品をときおりひっぱり出しては読んでみる。そうする中で、作品やつげ氏の周辺情報に鋭敏になっていく。今回の井月などもそうだろうし、彼が通った多摩川の競輪場が媒介になって、「多摩川」ということばに反応することがあるかもしれない。そういうのが、寡作家のファンのたのしみというものかもしれない。

 つげ氏の創作ペースと志賀直哉のそれは似ているかもしれないと、ふっと思った。2人を並べることはあまり適当ではないかもしれないが、少ない作品を味わいながら新作を待つというファンの様子は、案外こんなものかもしれないと、『サライ』をめくったときにそう思った。

1999年8月1日

●今日の夕方、仙川の夏祭りを見てきました。今日はナイトバザールということで、商店街の駐車場に夜店やフリーマーケットが出店していて、にぎわっていました。町内会の人たちのつくる焼きそばや商店街のパン屋さんなどお店の出張所、一般のフリーマーケットにヨーヨー釣りなどの夜店が入り交じり、みんな楽しそうに夕涼みをしていました。この土日にお盆休みをとっている商店もあり、7月15日以外に7月末にもお盆の習慣があるのかもしれません。

1999年7月31日

●記念館のページに書簡展の見学レポートを追加しました。最近レポートをお休みしてばかりでしたので、久しぶりの掲載になります。

●メールニュース発行に利用している「まぐまぐ」さんが、8月14日(土)から、8月18日(水)までサービスを停止します。この間はメールニュースの発行ができなくなるとともに、購読の申し込み・取り消しなどの手続きもできなくなります。また「まぐまぐ」上でのバックナンバー閲覧もできなくなりますので、あらかじめご承知おきください。なお、武者組で提供しているメールニュースのバックナンバー閲覧は独自機能のため、上記期間も利用可能です。

「角川文庫の150」というホームページができていたので見てみたら、高村光太郎の『智恵子抄』が『校本 智恵子抄』と改称されていました。他の文庫との差別化のためなのでしょうが、書店で奥付けを見ると今年1月初版に引き続いて3月に改版されていました。カバーと扉しか変わっていないようで、資源のムダ使いですね。

1999年7月13日

●「勉強勉強勉強」に「文庫・新書で読む白樺派」を追加しました。これまでメールニュースで連載してきた「目録より」の総集編というべきものです。一時期に比べると文庫がだいぶ減ってしまったのが残念です。
 昔話になってしまいますが、私が実篤を読み始めた中学の頃は新潮文庫でおもだった作品はすべて読むことができて、角川文庫の一部が絶版になり始めた頃でした。新潮文庫の古いものや角川文庫の絶版の一部は古本屋で入手できて、自転車で走りまわって文庫本のコレクションを増やしたものでした。また新書サイズの人生論の類もまだ古本屋で安く手に入る時代でした。今ではそのいずれもかなわなくなってしまいました。
 私は小学館版の全集を持っているから良いのですが、初めて読んでみようという人には接しにくくなってしまいました。実篤に関してはまだ新潮文庫が健闘しているので期待したいと思いますが、他の作家も同じような傾向にあると思います。

●メールニュースの発行部数を更新しました。おかげさまで通巻50号になりました。

●トップページに置いたアクセス解析サービスのバナーが機能していないようなのではずしました。

1999年6月30日

●仙川の京王ストア(古くからある方)が今日閉店します。「26年のご愛顧に感謝します」と館内放送でありましたので、実篤の最晩年に開店したことになります。仙川駅に隣接した京王ストアは引き続き営業しますが、ちょっとさびしくなります。

●メールニュースの発行部数をまとめてみました。グラフ付きで掲載しましたので、ご興味のある方はご覧ください。今のところ70名弱の方にお読みいただいています。

1999年6月12日

●今日から実篤記念館で、『書簡展』〜手紙から見る交流〜が開かれます。記念館公式ホームページによると、「実篤の知られざる交流を手紙を通してご紹介します」とあるので、新資料に期待してみましょう。

メールニュースの見出し一覧ページを改良しました。これまでは見出しと日付の確認しかできませんでしたが、そこから当該記事へジャンプする機能を追加しました。これまで参照しにくかった古い記事も、容易にたどることができますので、どうぞご利用ください。ジャンプの不具合がありましたが、昨日夜に修正いたしました。
●また、総目次のページもバッチ処理で作成できるように変更しました。使い勝手や見映えは変わりませんが、手作業を減らしたためより頻繁に更新できるようになりました。

1999年5月31日

●土曜日に実篤記念館に行ってきました。展示ケースいっぱいの実篤グッズ。昭和30年代から40年代にかけてひとつのピークを迎えていたようです。展示の説明にありましたが、高度経済成長から来たゆとりが実篤の絵の普及させたとのこと。写真パネルに当時の住宅の様子がありましたが、なにかなつかしいものがありました。

●記念館で見つけましたが、笠間日動美術館で木下利玄関連の展示があるようです。トップページに「開催中」ということで概略は書きましたが、豊臣秀吉400年祭記念ということで、木下利玄は北政所ねねの親族木下家の血を引く縁で取り上げられています。チラシを見るとねねの寺・高台寺などの寺宝、秀吉・ねね・家康らの古文書、大阪夏の陣屏風に交じって、利玄の「白樺派画帖」というスケッチやゴッホの「サン=レミの道」、白樺ということで梅原龍三郎の絵などが出展されます。なんかすごいとりあわせですね。たしかに秀吉の朱印状とゴッホの絵を同時に見ることはめったにないと思いますが、かなりカルチャーショックがあるのではないでしょうか。木下利玄の書画は、先日の「白樺と美術」展(東京ステーションギャラリー。現在、千葉そごう美術館に巡回)で、短冊を2、3点見ただけなので、どういうものが展示されるか興味はありますが。

●日曜美術館で、静岡市立芹沢けい^介美術館で世界の民族衣装展が開催中と聞きました。芹沢自身が世界各国から集めたものだそうです。芹沢の作品ではないから展示がつまらないという見方もあるかもしれませんが、視点を変えれば彼が集めたものから彼のめざしたものが見えてくるかもしれないとふと思いました。いわゆる「古人のあとを求めず、古人の求めたるところを求めよ」です。私も最近白樺関係の人のあとばかりを追っていることに気づいて、ちょっと反省しました。これからはもう少し幅広く、「古人の求めたるところ」も追ってみたいと思います。

1999年5月26日

●トップページの「千葉そごう美術館」へのリンクですが、配布されていたチラシの通りに入力していたのですが、アクセスできなくなっていたようです。「千葉そごう」へのリンクに修正しましたので、お試しください。リンク先の左下のフレームの中に、美術館へのボタンがあります。

●検索エンジン「Lycos」がリニューアルされたので、「ふだん使いのリンク集」に追加しました。「文学/日本文学/近代文学/その他の作家」というカテゴリーに、当「武者組」も登録されていました。

●実篤記念館の春の特別展「絵皿・看板・包装紙」〜街にあふれた実篤展〜も、いよいよ今度の日曜日までとなりました。興味のある方はお見逃しのないように。実は私は先週末にも行けなかったので、今週こそは行きます。

1999年5月13日

●ホームページへのアクセス解析に利用していた「GigaHit」のサービスが停止したのにともない、関連部分を修正しました。新たにアクセス解析は「Posinet」を利用してみることにしました。以前より画像が大きいですが、当面様子を見させてください。

1999年5月8日

●実篤記念館の春の特別展にちなんで、今年3月にこのページに書いた「実篤のブックカバーを求めて」を独立した記事にしました。「レポート用紙」の「見る」に登録してあります。

●メールニュースのバックナンバーは、これまでは武者組上で公開していましたが、それに加えて1999年4月分以降は「まぐまぐ」さんのホームページからも参照できるようになりました。武者組での公開は継続しますが、最近のものだけをご覧になる場合は、「まぐまぐ」からの方が読みやすいかもしれません。

●今後「定点観測」と「読書速報」は、メールニュースにまず記事を載せて、それからホームページに転載という流れにします。他にもメールニュースが先でもいいものはどんどん掲載して、メールニュースに活動の軸足を移そうかと思っています。これまでの経験から、この方が新しい記事を書きやすいように感じています。本ホームページをよくご覧になっている方で、まだメールニュースを購読されていない方は、この機会にご購読をご検討ください。詳しい説明は「武者組『あるね』ニュースのご案内」にあります。

1999年5月6日

●5月2日の日経新聞に、「幸福を描く職人(1)」としてルノワールの特集が掲載されました。彼の眼から見た印象派の限界とその克服の部分がおもしろかったです。まだ何回か続くと思うので、続きを楽しみにしています。

●このページの2月分を、「読書速報」、「白樺発見」、レポート用紙の「考える」に移動しました。移動の際に文章を常体にしたり、若干ことばを補ったりしています。

●トップページに、日本民藝館の河井寛次郎展の案内を追加しました。情報源はネットワーク民藝の会会員宛の電子メールです。この会には日本民藝館のホームページから入れますが、展示や企画の案内がメールで届くようです。


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