麻雀ゲームを覆う「イカサマ」の幻想

公開日 : 2010年9月20日
書いた人 : 石畑 恭平

はじめに

何から書いたら良いものか・・・
まずは分かりやすい例から見ていきましょう。

あなたはいまお店で麻雀を打っています。
最近波に乗っているあなたは、ついに緑一色をあがることができました。
役満をあがって有頂天のあなた。しかし相手がこんなことを言い出しました。
「そんな低確率な役をあがれるわけない。どうせイカサマだろう。違うというのなら証拠を見せろ」
イカサマじゃない証拠なんて見せようがないあなたは困ってしまいました。

とんでもない言いがかりですね。
「低確率だからイカサマ」などという言い分には論理的根拠がまったくありませんし、何よりイチャモンを付けるならイチャモンを付ける側がイカサマである証拠を提示するのが筋でしょう。でなければ言ったもの勝ちになってしまいます。
実際にこんなイチャモンを付ける人がいたら、場合によってはタコ殴りに会うかも知れません。
もっとも、幸運にもこういう困った人に遭遇したことは、私はいまのところありません。リアルのお店においては。

ところが、麻雀ゲームの利用者には、これと同様のイチャモンを付けたがる人がやたらと多かったりします。
実際に利用者から受け取ったクレームをいくつか挙げてみましょう。

本質的に、言ってることは上の例の言いがかりとまったく同じです。
ところがこういったクレームは後を絶ちません。困ったものです。

私はこれまでにPCやPDA、および携帯電話で動作する麻雀ゲームプログラムを制作してきましたが、これらのプログラムにはイカサマは一切ありません。
(ここで言う「イカサマ」とは、手牌やツモ牌等を意図的に操作する行為のことを指します)
しかし、残念ながらこのことを信じてもらえないことがたびたびあります。
主に有料配信している携帯電話用アプリの利用者からもらうクレームがそうなのですが、フリーソフトのPC版の利用者からも「イカサマではないか」という指摘を受けます。

私はそういった意見をもらうとその都度、イカサマはしていないということを論理的に説明してきたのですが、悲しいことに理解してもらえることは少ないです。
(もちろん理解してくれる人も中にはいますが・・・)
正直悔しいです。というか、泣けてきます。

ここでは制作者からのささやかな反撃ということで、「これはイカサマだ」と言っている人たちの間違いを指摘したいと思います。


「起こりにくいこと」への誤解

「これはイカサマだろう」と言ってくる人たちがよく陥っている間違いは、「起こりにくいこと」への誤解が下地になっています。
「起こりにくいこと」とは、つまり発生確率が低い事象を指します。
間違いにはいくつかパターンがありますので、パターンごとに解説したいと思います。

パターン1
内容 起こりにくいはずのことが起こった
相手がリーチをかけた直後に引いてきた牌を捨てたら一発で振り込んだ。しかも単騎の地獄待ちに。さらに裏ドラがアンコで踏んだり蹴ったり。こんなのあり得ない。イカサマに違いない。
作者から一言 それで、その事象の発生頻度はどれほどなんですか?
解説 確率とは結局のところ発生頻度のことです(あまり正確でない書き方ですがここでは深く論じません)。発生頻度を見ずに、1回起こったか起こってないかで判断するのは、確率論を完全に無視した発想です。起こりにくいことが起こったというだけでは、イカサマの根拠には到底なり得ません。
もしこんな主張が通るなら、役満をあがった人は全員イカサマをしていることになりますし、ドリームジャンボの1等に当選した人はスーパーイカサマ師ということになります。逮捕するべきでしょうか?
問題となるのは「起こるか起こらないか」ではなく、あくまで「起こる頻度」、つまり、何回の試行に対して何回起こるかの率です。
パターン2
内容 同一の「起こりにくいこと」がたくさん起こった
カンチャンを崩した直後にその間の牌をツモった。同じことがもう何回も起こっている。こんなのおかしい。イカサマに違いない。
作者から一言 私もリアルで同じことをもう100回は経験してますが…
解説 上にも書きましたが確率とは発生頻度のことです。頻度であって回数ではありません。低確率な事象も、たくさんプレイしていればそれだけ多く発生して当然です。
パターン3
内容 同一の「少し起こりにくいこと」が数回連続で起こった
リーチ一発ツモが3回連続で起こった。低確率なことが高い頻度で起こったことになる。イカサマに違いない。
作者から一言 サイコロを何回も何回も何回も振って、その中で連続して5回、同じ目が出ることがあったら、その「5回連続して同じ目が出た」という部分だけを見てイカサマ認定していいのですか?
解説 発生頻度を問題にするには明らかにサンプルが少なすぎますし、サンプリングの無作為性も保てていません。
(発生頻度を検証するには“多数の”サンプルを“無作為に”採取する必要があります)
「連続して起こる」こと自体は確かに低確率ですが、それでは単に「低確率なことが1回起こった」だけであり、上に書いたパターン1と同じです。イカサマの根拠には到底なり得ません。
パターン4
内容 様々な「起こりにくいこと」が高い頻度で起こった
地獄待ちのリーチに一発で振り込んだり、カンチャン待ちを崩したらすぐその間の牌が来たり、ピンズの清一色を狙っていたらソーズばかり引いてきたり、他にもいろいろな起こりにくいはずのことが高い頻度で起こった。こんなのあり得ない。イカサマに違いない。
作者から一言 「地獄待ちのリーチに一発で振り込んだ」という事象単体の頻度はどれほどなんですか?
「カンチャン待ちを崩したらすぐその間の牌が来た」という事象単体の頻度はどれほどなんですか?
「ピンズの清一色を狙っていたらソーズばかり引いてきた」という事象単体の頻度はどれほどなんですか?
解説 一つ一つの事象は低確率でも、多数の異なる事象をひとまとめにしてしまっては、「そのうちのどれか一つの事象が発生する確率」は高くなります。発生頻度が高くなるのは当然です。

簡単な例を挙げると、1から100までの目がある単純なルーレットがあったとして、このルーレットを1回まわして38の目が出たとしたら、それは1%の確率で起こったことになります。もう1回まわして85の目が出たら、それもまた1%の確率で起こったことになります。同じように100回まわして100回ランダムな目が出たとしたら、それらもすべて1%の確率で起こったことになります。つまり、確率たった1%のことが100回も連続で起こったことになります。ですがこれをイカサマ呼ばわりする人はいないでしょう。

低確率な事象が高い頻度で発生したと主張したいのなら、多数の異なる事象を一緒くたにするのではなく、あくまで個々の事象ごとの発生頻度を検証するのが妥当でしょう。上記ルーレットの例で言えば、38の目が100回中50回出たなら、イカサマである可能性は非常に高いと言えるでしょう。同様に、無作為に選んだ100回の地獄待ちリーチに対して50回一発で振り込んだなら、イカサマである可能性は非常に高いでしょう。
パターン5
内容 決まった条件で決まったことが高い頻度で起こった
最近レベルの高い人にばかり良い手が行く。こんなのおかしい。イカサマに違いない。
(注釈:レベルとはゲームでの経験値のようなものですが、その値によってゲーム内容が変わるというものではありません)
作者から一言 その「最近」というのは、具体的に直近の何回のプレイを指すのですか?
そしてそのうちの何回で、レベルの高い人とプレイしたのですか?
さらにそのうちの何回で、レベルの高い人に良い手が行ったのですか?
解説 条件付き確率の問題になりますが、条件を絞った場合、その条件に合致する状況が限られるため、そもそもたいしてサンプルがとれないことが多いです。これでは結論の出しようがないはずです。
サンプルが少ない段階で率を計算してもまったく当てにできません。実際、「レベルの高い人にばかり良い手が行く」という意見と「レベルの低い人にばかり良い手が行く」という意見と、両方とも受け取っています。少ないサンプルだけ、あるいは、自分が着目しているサンプルだけを使って結論を出そうとするとこうなります。

これらの「起こりにくいこと」への間違った解釈は、おそらく多くの人が持っている「低確率なことは滅多に起こらない」という強い思い込みから生み出されるのだと思います。

その思い込みが大きな間違いです。

実際には、低確率なことなど日常茶飯事的に起こっています。上記のパターン4で出したルーレットの例を見れば、ルーレットを回すたびに確率1%のことが確実に起こることが分かります。
麻雀でも、たとえば「1457萬 336筒 124索 南白白」という配牌がたまたま来たとして、この形の配牌が来る確率はとんでもなく低いです。これ、イカサマでしょうか?
そもそも、「低確率なことが起こったらインチキだ」と言うのであれば、これを読んでいるあなたの存在すらインチキということになります。なぜなら、この地球上で生命が誕生するとき、それが人間として生を受ける確率は非常に低いからです。あなた、本当に人間ですか?

麻雀では局のはじめに洗牌(すべての牌をシャッフル)して牌山を作ります。このとき、およそ4.3×10185分の1の確率(4!^34/136!)で、特定の形の牌山が出来上がります。それこそ天文学的とも言えるほど低確率な事象が毎局起こっていることになります。

低確率なことが起こること自体はごくごく自然なことですし、身の回りでいくらでも起こっています。
「起こりにくいことが起こるのはおかしい」という考えは、その考え方自体がおかしいのです。

とは言え、この手の主張をする人の気持ちも分からなくはありません。
一つ例を挙げると、実際にユーザーからもらったメールに「いきなり人和を振り込んだ。こんなのあり得ない」というものがありました。この主張をそのまま解釈すれば「人和は起こり得ない役である」ということであり、人和という役の存在を否定するものですから、イカサマ云々以前に麻雀を語る上で完全にナンセンスな指摘ということになります。ですが、役の存在を否定する人はいないでしょうし、この人にもそのような意図はないでしょう。つまり、「どこかの誰かが人和をあがる」ことや「どこかの誰かがそれに振り込む」ことは否定しないはずです。ですが、自分がその当事者になることは理解の範囲外なわけです
この心理は私にも理解できます。「よりによって俺かよ!?」という心理です。誰かに災いが降りかかることは分かっていても、まさか自分に降りかかるとは思わない、いや、思いたくないものです。「自分にだけは起こらない」と信じたいものです。そういった心理は私も持っています。ですがもちろん、そのようなものに合理的根拠はなく、単なる願望に過ぎません。

弱小とはいえ曲がりなりにもネット麻雀のシステムを運用している立場から見れば、毎日千人以上もの人たちが何度もプレイしているのですから、その中で人和を含めた「起こりにくいこと」がそれなりに起こるのはごく自然なことです。それらの「起こりにくいこと」を持ってきてイカサマ呼ばわりされてはたまったものではありません。

ちなみに、イカサマを確率で論じるとき、「確率何パーセント以下の事象が起こるとイカサマなのか」といった線引きをしたがる人がいます。たとえば「確率が100万分の1程度のことなら起こり得るだろうけど、100億分の1のことが起こったらさすがにイカサマだ」というような論調です。ですがこの考えには論理的根拠がまったくありません。と言うか、確率論を完全に無視しています。100億個の目があるルーレットを用意すれば、簡単に100億分の1の事象を発生させることができます。100兆分の1だろうと100京分の1だろうと、簡単に起こります。

問題になるのは「起こるか起こらないか」ではなく、あくまで「特定事象が起こる頻度」です。


ツキとは何なのか?

次に多い指摘は、いわゆるツキの問題です。
各プレイヤーに「ツキ」という隠れパラメータが存在し、そのパラメータによって配牌やツモ牌の良し悪しが変わるようになっている、という主張をする人が多くいます。そして、「ツイているときとツイていないときの流れのギャップが大きすぎる」ことを問題とします。

この手の指摘をする人に対する返答を考える際に頭が痛いのは、その人自身が、そもそもツキとは何なのかということを曖昧にしか捉えていない場合がほとんどなことです。リアルの麻雀でも、特にテクニックがあるわけでもないのにボロ勝ちするということや、結構打ち慣れているのに素人にボロ負けするということはたびたびあるはずです。そういったことを一般にツキとか運とか場所の良し悪しなどと言います。リアルでそういったことが起こったとしても、それをイカサマ呼ばわりする人はいないでしょう。せいぜい、「お前ツイてるな〜」とか「俺、今日は全然ツイてないや」などと言うだけです。ところがそれと同じことがゲームで起こると、とたんに「こんなのおかしい!」「あり得ない!」になります。リアルとゲームとで、どんな違いがあるのでしょう?

この手の主張をしてくる人とメールのやり取りをしていると、多くの場合その人は、リアルでの「ツキ」の存在を、超自然的な力として無意識のうちに受け入れてしまっていることが分かります。つまり、リアルの対局ではそれぞれの人にツキの良し悪しがあるのだからボロ勝ちすることもボロ負けすることもあって当然だけど、ゲームではツキなんてものはないはずで、手牌は公平にランダムに配られるはずなのだから、ボロ勝ちしたりボロ負けしたりすることはそんなにないはず、というわけです。

「超自然的な力は存在しない」ということは証明できません。いわゆる悪魔の証明だからです。ですから私は、超自然的な力という意味でのツキは存在しないと主張するつもりはないです。ですが、ランダムであろうと局所的な偏りは発生します(詳細は次の項で説明します)。そのため、ツキがあろうとなかろうと、偏りが生じるのはごく当然のことです。

ただ、そういうことを説明しても、「それにしても偏りが多すぎる」という人もいます。その人の対戦履歴を見てみると、割れ目ありで赤牌8枚入りの三人麻雀ルールでばかり打っていたりするのですが…。まったく同じ条件でリアルで打った場合との比較をすると良いでしょうね。


ランダムには偏りがない?

ランダムについての話が出たので、少しランダムについて書きたいと思います。
単にランダムと言った場合、その定義は非常に曖昧ですが、麻雀に限って考えた場合、牌山を作った際にその牌山の中のどの位置の牌も、どの柄であるかがすべて一様な確率(たとえば一萬である確率は34分の1でかつ全部で4つ存在する)でしか与えられず、他の位置の牌の柄からも予測できない、といった意味でランダムという言葉を使って良いと思います。
配牌にしてもツモ牌にしても牌山から持ってくるわけですから、牌山がランダムであればそれらもランダムということになります。

さて、そのランダムですが、「イカサマだ」と言っている人たちの間ではランダムについてある思い込みがあるようです。それは、「ランダムには偏りがない」という思い込みです。「ランダムなはずなのに偏りがあるからおかしい」という主張は、この「ランダムには偏りがない」という思い込みが根拠になっています。

「ランダムには偏りがない」という主張は、ある意味では正しいのですが、別のある意味では間違っています。「ランダムに偏りがない」という話は、より正確に言えば、「試行回数(サンプル数)を増やしていけば平均的に偏りがない状態に近づいていく」ということになります。試行回数が非常に多い場合、統計的に事象ごとの発生頻度が理論値に近づく=偏りが小さい、ということになりますが、逆に言えば、試行回数を限定してごく一部のサンプルだけを見れば、ランダムに偏りがあったとしても特におかしなことではありません。たとえば「サイコロをランダムに振る」という試行を非常にたくさん繰り返した場合、その一部に同じ目が10回連続して出ている部分があったとしても、それはおかしなことではありません。なぜなら、局所的に偏りがあったとしても、試行回数が無限大に近づけば、平均的にはその局所的な偏りは無視できるほど小さな偏りでしかなくなるからです。これが「ランダムには偏りがない」ということの本来の意味です。

ところが、その局所的な偏りだけを見て、「こんなのランダムじゃない!」と言い立てる人がいるわけです。

この誤解は、「ランダムには偏りがない」という、あまり正確でない言葉をそのまま鵜呑みにしてしまうために起こるものだと思います。偏りが完全になくなるのは、あくまで試行回数(サンプル数)が無限大のときの平均値(統計量)だけです。ランダムに局所的な偏りが生じるのは当たり前のことです。

これによく混同される話として、「コンピューターはランダム(乱数)を生成できない」という話がありますが、それはまた別の話ですので気をつけてください。
念のために説明しておきますと、コンピューターは原理的にあくまで計算機であるため、あらかじめ決められた計算をすることはできてもデタラメなことはできません(ハードウェアによる乱数生成器を使うという手もありますがあまり一般的ではないと思います)。そのため、コンピューターでランダムなことをするには、ある決められた数式をもとに生成する擬似的な乱数列を利用します。この数列は決められた数式から導き出されたものなので本来の意味での乱数列ではありませんが、人間の知覚からすれば十分デタラメな数列なため、ゲームなどのプログラムではこれが用いられます。「まうじゃん」シリーズでも疑似乱数列を用いて牌山を作っています。
もちろん疑似乱数列を用いることによる偏りは存在しますが、そもそも本当のランダムであろうと局所的な偏りは必ず発生します。リアルの牌を手で混ぜて牌山を作っても全自動卓で牌山を作っても偏りはできます。繰り返しますが、ランダムに局所的な偏りがあるのは当たり前なことです。


検証可能なんですが…

「これはイカサマだ」と主張する人は、よく「明らかに意図的に操作されている」ということを言います。もしも本当に「明らか」なほどおかしなことが起こっているのなら、イカサマの有無を科学的に検証可能なはずです。しかし、検証した上で科学的根拠を提示しながら「イカサマだ」と言ってきた人は一人もいません。

検証方法として私に思いつくのは、大きく分けて2種類です。一つは統計をとる方法、もう一つは実験です。
(もしかしたらもっと効率的な方法があるかも知れません)

統計をとる方法は至極単純で、多数の対局データ(牌譜データ)を無作為にサンプリングして問題としている事象の発生頻度(統計的確率)を算出し、理論上の確率と比較するというものです。
ここで大事なのは、サンプルが多数必要であることと、サンプリングが無作為に行われなければならないことです。また、統計学の手法を用いることで、たとえば「レベルの高さ」と「勝ちやすさ」の相関なども求められるでしょう。

ただしこの方法では評価対象を数値化する必要があるため、たとえば「手牌の良さ」など、プレイヤーの主観が入り込むなどして数学モデルの作成が困難な場合、検証するのは難しくなります。
そのような場合は以下のような実験で検証できると思います。
まず、ゲームでの対局の牌譜を複数用意し、紙に記録します。
同じように、リアルでの牌譜も複数用意します。
もちろんこれらの牌譜は無作為に選び、数もなるべく多い方が良いです。
また、すべて同じ面子での牌譜が望ましいです。
揃った牌譜をすべてシャッフルして、第三者に1枚ずつ見せていき、「おかしい」と思える牌譜を指摘してもらいます。
もしも「明らかにおかしい」のであれば、ゲームでの牌譜は簡単に選り分けられるはずです。
牌譜の数と選り分け参加者を増やすことで検証の精度を高めることができます。

以上のようなことを書くと、「そんなこと言ってもゲームの対局内容をわざわざ書き留めておくことなんてできないだろう」というツッコミが来そうですが、私が作ったソフトには「局の自動保存」機能(PC版)や「牌譜保存」機能(ケータイ用ネット対戦アプリ)があります(宣伝になってすみません(笑))ので、対局が終わった後で対局内容を読み返すことができます。対戦相手の手牌も見れるので十分検証可能です。

ここで言いたいことは、イカサマの有無は科学的に検証可能だということです。イカサマがあると思う人は、自分の手で調べれば良いのです。その結果、「明らかにおかしい」と言える合理的、客観的なデータが出たのであれば、それは確かなイカサマの証拠になるのですから、それを制作者(=私)に突きつければ良いのです(その場合は行った検証の方法も具体的に提示してほしいです)。そうすれば、私は「ごめんなさい」としか言えなくなります。

調べようと思えば調べられる。にもかかわらず、調べた上で「イカサマだ」と言ってきた人はいない。
ある意味、結論は出ているのではないでしょうか?


打ち方の違いによる感覚のずれ

上では主に確率に関する問題を書きましたが、「イカサマだ」とする人の言い分は他にもあります。それは、対戦相手の打ち方についてのものです。

もっとも分かりやすいパターンは「一発が多い」という指摘です。「私は長年打っているがこんなに一発が出ることはない。絶対おかしい!」といった感じの指摘がたびたび寄せられてきます。実のところを言うと、私自身、アプリで対戦していると「一発が多いな」と思います。実際、統計をとると1半荘あたり平均約2回という、結構な高い数値が出ます。ですので、指摘としてはごくごくもっともなものです。しかし、それではこれはイカサマなのかと言えば、答えはノーです。

一発の発生率は対局者の打ち方によって大きく変化します。極端な話、対局中に誰もリーチをかけなければ、一発など絶対に出ません。逆に、対局者全員が「テンパったら何でもいいから即リーチ!」のような初心者的な打ち方をして、しかも「リーチなど何する者ぞ!」とばかりに危険牌ばかり捨てていれば、一発は当然多く出ます。
ケータイアプリで観戦していると、その初心者的な打ち方をする人がとても多いことが分かります。であれば、一発が多くなるのは当たり前です。

一発が多いのは事実ですし、そのことに違和感を受けるのも十分分かるのですが、こんなことでイカサマ呼ばわりされても困ります。

ではなぜそんな初心者的な打ち方をする人が多いのかですが、こればっかりは当人に聞かなければ本当のところは分かりません。ただ、私の想像としては、普段あまり打たない人が流れ込んで来てるんじゃないかとか思っています。あくまで想像(妄想?)ですが。
あと、これはあまり大きな声では言えませんが、あまり真剣に打たない人が多いんじゃないかとも思います。だってほら、負けても何かとられるわけではないですから。

対局相手によって場の流れや雰囲気がガラッと変わることなど十分あり得ることです。初心者3人を相手にするのとプロ級の人3人を相手にするのとでは、麻雀というゲームに対する印象自体がまったく違うでしょう。普段打ってるときと比べて何かが違うからと言って、それだけで即イカサマと決めつけるのは間違いです。

打ち方の違い以外にも、ルールの違いから違和感を受けることもおるようです。もっとも典型的なパターンは三人麻雀ルールに対するものです。たとえば「三人麻雀でやたらと役満が出る。こんなのは麻雀とは言えない」、「三人麻雀だとほとんど流れない。麻雀としておかしい」というような主張です。この手の主張をする人と話していると、ほとんどの場合、その人はリアルでは四人麻雀ばかりしていることが分かります。つまり三人麻雀を四人麻雀と同様に論じているのです。
四人麻雀と三人麻雀では状況がまったく異なります。たとえば、らすかるの家さんの計算によると、天和の発生確率は四人麻雀ではおよそ33万分の1なのに対して、三人麻雀ではおよそ11万分の1だそうです。つまり、四人麻雀と三人麻雀ではあがりやすさが3倍も違うことになります。三人麻雀で役満が出やすかったり流局が少なかったりするのは当たり前です。
もっとも、こんな数字を出さなくても、このようなことは普段からリアルで三人麻雀を打っていれば分かることなのですが・・・


感覚論 V.S. 確率論

「感覚論」なんて言葉があるのかどうかは知りませんが、便宜上使わせてください。
どういうことかと言うと、「イカサマだ」とする人の多くは、自分の感覚に強い自信を持っており、それを根拠に「イカサマだ」と決めつけてくるのです。私はそういった論調を「感覚論」と呼んでいます。
この手の論者の多くは、その人の頭の中ではイカサマがあるということが既成事実化してしまっているため、こちらがどれほど口を酸っぱくして論理的に説明しても聞く耳を持ちません。「それは別におかしなことではないですよ」「ちゃんと検証してみてください」と言ったところで、「そんなこと言っても明らかにおかしいんだ!」と言い返されます。「自分がおかしく感じるんだから絶対におかしい」というわけです。こうなると、もはや確率論など何の役にも立ちません。確率論の無力さを嘆くことになります。

嘆いてばかりでは意味がありませんので、ここではなぜそういった人が出てくるのか、なぜおかしく感じてしまうのかについて考えてみたいと思います。念のために断っておきますが、実際には「おかしい」と言えるようなことは起こっていない(統計をとっても特におかしな数値は出ない)ことが前提です。実際そうですので。

まず考えられるのは、普段打っているときとの環境の違いによる違和感です。上に書いた対戦相手の打ち方の違いによる違和感もこれに含まれます。他にも、通信対戦では対戦相手が途中で落ちることもあります(この場合、私のアプリではコンピューターが代打ちすることになります)し、制限時間内に捨て牌しなければなりませんし、気軽に何度も対戦できてしまうなど、普通の麻雀(雀荘?)にはあまりない環境で打つことになります。そのため、普段よく打っている人ほど違和感を覚えるのではないかと思います。その中でもっとも大きな影響があると思われるのは単位時間あたりのプレイ回数です。ネット麻雀の通信ログを見ていると、1日に何十回もプレイしている人が多くいることがわかります。一方、リアルで1日に何十回も麻雀を打つ人などそうはいないでしょう。仮に、ネットでのプレイ回数がリアルの2倍であれば、「起こりにくいこと」も2倍起こることになります。「なんだかネットでは珍しいことがよく起こるな〜」という感覚はここから来ている可能性があります。

次に考えられるのは、「麻雀ゲームにはイカサマが付きものだ」という先入観による心理的な影響です。これについては説明の必要はあまりないと思いますが、この手の固定観念が蔓延しているのは誰もがご存じでしょう。「血液型がO型の人はおおらかな性格だ」というのと同じで、そう吹き込まれてしまうと本当にそう思えてしまうんじゃないかと思います。実際には「おおらかじゃない部分」もあるのにその部分には目が向けられず、「おおらかに見える部分」だけに目が向いて本当におおらかだと錯覚してしまうというやつです。昔心理学の講義で学びました。これと同じように、「麻雀ゲームにはイカサマが付きものだ」という先入観を持っている人は「イカサマっぽい部分」にしか目が向かなくて、イカサマだらけだと感じてしまうのかも知れません。ちなみに私はO型でおおらかです。

以上のことはもちろん単なる仮説ですから、これが絶対に正しいなどと言うつもりはありません。ですが同時に、これらの可能性を否定することもできないはずです。
ここで言いたいことは、自身の曖昧な記憶や感覚だけを根拠に「イカサマだ」と言い立てても、それは単なる思い込みである可能性が否定できないということです。思い込みではなく事実であると主張するには、合理的な検証作業が不可欠です。つまり、科学的な目が必要です。

人間の記憶や感覚というものが非常にいい加減で曖昧なものであるということを理解してもらいたいです。


なぜそこまで信じ込めるのか?

私は麻雀ゲームを作り始めてかれこれ10年以上たちます。その間、「これはイカサマだろう」という決め付けに悩まされ続けてきたのですが、その中で気付いた、興味深いことがあります。

それは、「イカサマだ」と決め付けてくる人たちは決まって「麻雀ゲームでは配牌やツモ牌はすべて操作されているものだ」と強く信じていることです。
あたかも「麻雀ゲームの作り方」の教科書のようなものが存在し、その教科書には「配牌やツモ牌はうまく操作しましょう」とでも書いてあり、すべての麻雀ゲーム制作者はその教科書通りに麻雀ゲームを作っているとでも考えているかのようです。
中には「(ネット麻雀ゲームの)ゲームバランスをもう少し考えてください」とか「もっと面白くなるよう調整してください」とか、なんだかよくわからないことを要望する人までいるのですが、このような意見が出てくる背景にも、この強い思い込みがあると思います。なぜ、ここまで信じ込むことができるのでしょうか。

いちプログラマーとして言わせてもらえば、ネット麻雀に限って言えば、わざわざ配牌やツモ牌を操作するメリットが制作側にあるとは到底思えません。ネット対戦でなく、コンピューター対戦のゲームでなら、コンピュータープレイヤー(CPUキャラ)の思考ルーチンを作る手間を省くために手牌を操作したり、またはキャラごとの個性を出すために手牌を操作したりすることは考えられます(だからこそキャラ重視の麻雀ゲームではそういったイカサマをするものが多いのだと思います)。ですが、ネット対戦では思考ルーチンもキャラの個性も必要ないのですから、あえて操作する必要性がありません。第一、「配牌やツモ牌をランダムに配る」というロジックは数行のコードを書くだけでできるのに、操作するとなるとその数十倍あるいは数百倍ものコードを書く羽目になります。それで制作側にとってどれほどのメリットがあるのでしょうか。私には「なにそれ?おいしいの?」程度にしか思えません。

さらに言えば、上にも書いたように、手牌の操作などしたら、科学的な手法で検証されたらほぼ確実にバレてしまいます。客観的な検証結果とともに検証方法や検証過程をすべてインターネット上で公開され、誰でも再検証できるようになってしまったら、開発側は致命的なダメージを受けます。そんなリスクを負ってまでわざわざ操作するメリットがあるとは思えません。

「麻雀ゲームは配牌やツモ牌はすべて操作されているものだ」と信じている人たちは、制作側がどのような理由でそんなことをしていると考えているのでしょうか。

もっとも、逆ベクトルのイカサマなら、もしかしたらしているゲームもあるんじゃないかと私は思っています。ここで言う逆ベクトルのイカサマとは、低確率な事象がまったく起こらないように操作するというものです。なぜそのような操作をするかと言うと、そうした方が変なクレームが減って楽になるだろうからです。私のような弱小運用者に対してさえ言いがかり紛いなクレームが来るのですから、大手のサポート窓口にはその手のクレームがたくさん押し寄せていることは想像に難くありません。昨今流行の消費者至上主義、お客様第一主義を真面目に貫こうとすれば、そうした“消費者の声”には応じなければならないでしょうし、サポートのコストもバカにできないでしょう。そうした意味で、特徴的な「滅多に起こらないこと」を、まったく起こらないように操作するというのは、ある意味理に適っています。
もちろん、こんなものはれっきとしたインチキですし、バカバカしいので私はしませんが、制作側がイカサマをする動機としては、少なくとも「起こりにくいことがよく起こるように操作する」ようなイカサマを考えるよりも、よっぽど筋が通っていますし、十分あり得ることだと思います。
麻雀ゲームにイカサマがあるかも知れないと主張している人たちは、その可能性も考慮に入れるべきだと思います。


最後に

いろいろと書いてきましたが、実のところを言うと、私はもうほとんど理解してもらえることを諦めています。これまでの経験上、「イカサマだ」と言ってくる人には論理的な説明がなかなか通用しないからです。そもそも話し合いにならないか、なったとしても以下のような不毛なものになったりします。

相手:「○○(起こりにくいこと)が起こった。イカサマだろう。なんとかしろ」
私:「イカサマなどしていません。○○は確かに起こりにくいことですが一定の確率で起こることです。お疑いでしたら統計をとるなどしてお調べください」
相手:「今度は××(起こりにくいこと)が起こった。一体どうなってるんだ。早くなんとかしろ」
私:「××も一定の確率で起こることです。疑うなら統計をとるなどして調べてください」
相手:「適当なことを言うな。確率なんて関係ないだろう。あり得ないことだしイカサマなんだ。さっさと認めて直せ」
私:「起こりにくいことが起こったというだけでは不正の根拠にはまったくなりません。役満をあがった人は全員イカサマ師だと言っているようなものです。不正があると言うのなら科学的な根拠を示してください」
相手:「あり得ないことはあり得ないんだ。それに統計なんて一般人に調べられるわけないだろう」
私:「統計をとることは確かに手間ですが、一般人でも十分可能です。また、手間がかかるからと言って調べずに不正だと決め付けて良いことにはなりません」
相手:「統計なんか取らなくても俺には分かる。俺は長年麻雀を打ってきた。その俺がイカサマだと言えばイカサマなんだ。さっさと白状して直せ」
私:「こちらではしっかり統計を取っています。そして不正を思わせる数値は出ていません。失礼ですが、あなたの主張には合理的、客観的根拠がありません」
相手:「統計なんて関係ない!俺がイカサマだって言えばイカサマなんだよ!屁理屈こねてないでとっとと直せ!!」

思い込みと決め付けだけで、よくもまあここまで言えるものだと感心してしまいます。一体どちらが屁理屈をこねているのやら。

みんながみんなというわけではないですが、このように理屈の通じない人が多いです。せめてこちらの言い分に論理的な反論をしてくれれば議論の余地が生まれるのですが、自分の言い分をごり押ししてくるだけなので議論にすらなりません。わざと私の言っていることを無視しているんじゃないかと思えることすらあります。

はっきり言ってしまえば、「イカサマだ」と言ってくる人たちの主張の大半は、「合理的、客観的な根拠がないですよ」だけで論破可能です。しかし相手が「論破された」ことに気付くかどうかは別の話です。
例えとして妥当かどうか微妙ですが、「血液型と性格には関連性がある」と信じ込んでいる人に、それはただの思い込みに過ぎないと説明しても無駄なのに似ています。

結局のところ、「イカサマだ」と言っている人たちにとって、この問題は理屈ではないのだと思います。私がどんなに理屈を言っても、この手の人たちにとっては「所詮は理屈」であり重要なことではないのでしょう。あくまで自身の感覚が絶対であり、自分の主張が絶対正しくて議論の余地などなく、異論はすべて悪というスタンスなわけです。であれば、私が何を言っても無駄というわけです。

念のために書きますが、上記のやり取りはそれほど特別なものではありません。これを読んでくれている人の中には、「ここまで一方的にんなこと言ってくる人はごく一部で滅多にいないだろう」と思っている人もいるかも知れませんが、「イカサマだろう」と言ってくる人に対して論理的な説明をすると、ほとんどの場合、何も言ってこなくなるか、無意味な罵声を浴びせてくるか、上記のような非論理的なごり押しをしてくるかのいずれかの反応が返ってきます。
もちろん中には「なるほど」と理解を示してくれる方もいますが、ごくごく少数です。
悲しいことですがこれが現実です。

この文章を書いたのは、麻雀ゲームのイカサマ問題について、制作側の意見を発信するためです。ユーザー側の意見はネット上でたくさん見ることができますが、制作側の意見はあまり(ほとんど)見られません。これはフェアな状況とは言えないでしょう。「麻雀ゲームにはイカサマが付きものだ」という固定観念がここまで蔓延しているのも、こういった状況が原因の一部になっているのかも知れません。
特定の麻雀ゲームにイカサマがあるのか否かを考える際には、ユーザー側の意見だけでなく、制作側の意見にも耳を傾けてほしいです。