私鉄の支線終着駅に到着した彼は、本線のホームへ移動するために高架になった陸橋を渡った。
陸橋の上り階段でカセットプレーヤーの電池が消耗したらしく、フュージョンばかりを録音していたテープが停止した。
左手にフライトバッグ、右手に傘を持っていた彼は、そのまま歩き続けて1番線のホームへ降りた。
 幾日か晴れが続き梅雨もそろそろ折り返す気配を見せていたが、今朝は時雨るような小雨が降り続き、時折強く吹く風は、ホームの白線近くまで雨痕を黒く印していた。
彼は白線の少し手前に立つとバッグを股に挟み込み、左の尻ポケットからカセットプレーヤーを抜き出した。
続けてジャケットの右ポケットからスペアのガム電池を取り出し、素早く交換を済ませた。
プレイボタンを押したままのプレーヤーは、突然回転を始めると元気良く続きを奏でた。
カセットプレーヤーを再びポケットへ仕舞いバッグを抱えなおすと、上りの急行電車がホームへ入ってきた。

 降客が全員降りるまで白線よりやや下がっていた彼は、後ろの乗客に押される直前に素早く乗り込み、入口より2番目の座席の前へ立った。
1時間程遅いフレックス通勤しているにもかかわらず、ほとんどの吊革がこの駅でふさがった。

バッグを網棚に上げ吊革を握ると、彼は前に座る女性の仕草が異様な状態であることに気が付いた。
彼女は、膝の上に巾着の形をした大きな革製のバッグを乗せていた。
目の高さまで持ち上げたカセットプレーヤーは蓋が開き、ハーフの小窓からは、わかめのようにくしゃくしゃになったテープがプレーヤーのピンチローラー辺りまでのびていた。
彼女は、ちぢれたテープを少しプレーヤーから引き出すと、ハーフの穴に指を入れては巻取る行為を繰り返していた。
何度目かに巻き付いたテープを引き出せなくなると、左手に持ったハーフを所在なげに降ろし、大きなため息を1つついた。
 彼女の服装は、グレイのニットセーターに紺のジャケット、スカートは若草色の花模様が描かれていた。
「僕に貸してごらん」
彼は、心の衝動を押さえきれずに声をかけた。
彼女は上目遣いに彼の方を見ると、両手でプレーヤーとカセットハーフを差し出した。
彼は、”失礼”とぶっきらぼうに一声かけると、プレーヤーからヘッドホンのプラグを抜き取って彼女の膝の上に落とした。
 プレーヤーを調べると、フォワード側のキャプスタンにテープが重なって巻き付いていた。
彼は、駆動機構がベルトで連動したデュアルキャプスタンドライブであることを祈って、もう一方のキャプスタンを手で逆方向に回した。
好運にもフォワード側が連動して回り、テープが少し解けた。
彼は、カセットハーフを彼女に渡すと、先ほどの彼女の真似をして指でたるんだテープを巻き取る動作をして見せた。
彼女は、すぐに彼の意図を理解して巻き始めた。
彼は、彼女のスピードに合わせてキャプスタンを徐々に回した。
程なくテープが外れると、プレーヤーを巾着バッグの上に置いた。

 この作業の間に、1駅が過ぎていた。
彼女は、最後のたるみを巻き取っていた。
彼は、バッグの上から再びプレーヤーを手に取ると、ピンチローラーの汚れ具合いを見た。
あまりひどく汚れていないことを確認すると、自分のプレーヤーからテープを抜き出して彼女のプレーヤーに装着した。
彼女の耳からさがったままのヘッドホンを差し込むと、再生ボタンを押してから音量を少し上げた。
彼女は、こくりとうなづくと彼に微笑んだ。