キャラバンサライ


 昼前に秋葉原へ到着した彼は、歩行者天国の大通りを抜けて小さな電気商が軒を並べる路地へ入った。
まずAV機器のセカンドハウス店を覗き、めぼしい物がないと定番のジャンク屋を次々と見て回った。

 1つの店では、国内ブランドの中国製モノーラル・ラジカセが定価の92%OFFで展示されていた。
彼は路上に並べられた段ボール箱の中から1台を取り出すと、傷をつけないようにそっと蓋を開けてみた。
保証書や取扱いの説明書は抜かれていたが、新品特有の電子部品の匂いが彼の購買欲をそそった。
段ボール箱には控えめな表現で、”動作しないかも”と製品の品質を保証しない旨がフェルトペンで記されていた。
彼は最悪の場合自分で修理するつもりで、店内のレジへ向かった。
するとそれまで彼の様子を見ていた数人が、連られるように手に取りレジへ並んだ。
支払いを済ませ店を出ると、イラン人らしい2人連れが大きな声で話しながらラジカセを取り出し、ビニール袋を破いていた。
彼は諦め顔の店員の側をすり抜けるときに、”おやおや”と呟いて同情を示した。

 駅へ戻る方向に1ブロック進むと、いかがわしそうな箱を積み上げたテキヤ風の露天商があった。
アイディア商品の店で売られるような置物を、横目で眺めながら足早に通り過ぎようとした彼は、ふと少年時代を思い出す懐かしさを覚えた。
フラッシュ・アートと書かれた、ガラス球の物体がテーブルに並べられていた。
彼は立ち止まり、しげしげと見とれた。

 リストウオッチを確認すると、彼女との待ち合わせの時刻までに少し余裕があった。
彼は露天商の店員に声をかけると、テーブルに貼られたカタログを見ながら四角錐の上部が切りとられた台上に、直径20cm程のガラス球が乗ったデザインの物が欲しいと訴えた。
しかし隣に座っていた若い店員からは、昨日最後の1個が売り切れてもう在庫がないので、別のデザインのパーツを外してはどうかと言われた。
年嵩の店員は、そのような経緯を客に言ってもしょうがないと若い店員を嗜めた。
「明日か来週の土曜日にここへ来れば、このデザインは手に入りますか」
「いや、もう倉庫にも在庫がないからだめでしょう。それに我々はサラリーマンで、路上でこのように売るのは例外なんです」
店員は、すぐ近くにある事務所へ来てみないかと彼に尋ねた。
彼はすぐに了承して、その店員の後へ続いた。

 連れて行かれたのは、電子部品のダンボール箱が無造作に置かれた、いかにも秋葉原らしい事務所だった。
「ここに販売店から返品された展示品がありますが一応新品です、もしこれでよければお安くします」
取り出してくれたのは、先ほど彼がカタログ上で示したデザインの物だった。
「動作すれば買いますが、放電する以上寿命は数百時間ですか」
「ええ消耗品と考えて下さい、でも1日7時間の点灯で1年は大丈夫だと思いますよ」
店員はACアダプターをコンセントに差し込むと、2つ備わったボリュームの1つを回した。
直径20cmのガラス球の中に4cm程の小さなガラス球があり、さらにその中には黒い塔のような電極が備わっていた。
店員がボリュームに連動したスイッチを入れると、キーンと高い発振音がして大小のガラス球間に赤いアーク放電が飛んだ。
ボリュームを調整すると10数本のアークがガラス球間をさ迷った。
彼が手を外側のガラスに寄せると、球に分布する電位差から指先へアークが集中した。
高圧電流は、ガラス球間しか流れないので感電することはない。
彼は納得して購入する旨を伝え、価格を尋ねた。
店員が示したのは、新品価格から40%低いものだった。
先ほどの路上へ戻り少し傷んだ箱へ詰めてもらうと、ポータブル扇風機と得体の知れない液体が入ったアイディア商品を、”おまけです”と言って手提げ袋へ入れてくれた。

 待ち合わせのCOFFEEショップへ着くと、彼女は窓際のテーブル席でミルクティーを飲んでいた。
「待った?」
「10分くらいかしら」
彼が遅れた理由をかいつまんで話すと、彼女は子供みたいだと言って楽しそうに笑った。
窓から入る午後の日差しが彼女の薄いコーデュロイのシャツへ降り注ぎ、彼はとてもよく似合っていると思った。
「水曜日のバースデイは、何をしてたんだい」
「そうねえ、会社の友達とお食事してカラオケに行ったわ」
「楽しかったかい」
「いえ、やっぱり女性だけのお誕生会なんてつまんない」
「僕は出張して箱崎まで行ったんだ、だから帰りに飯でもと思ったんだけど、先約があるって言うから今日にしたんだ」
彼女は、先日24才を迎えたばかりだった。

「今日は、横浜で妙子さんに会えるのかしら」
「うん、木曜日にはOKだって言ってたから大丈夫だろう、でも木,金,土の夜に電話を入れたんだけど全部留守電なんだ」
「心配ね」
「3時に桜木町って言っておいたからもうすぐ自宅を出る頃だろうね、じゃあ確認の電話を入れて見よう」

 彼が店の出入口に設置された電話専用のスペースへ行くと、カードの使用できない電話機しかなかった。
ハンドセットを取ると、市外を考慮して5枚のコインを投入した。
遠い呼び出し音が3度ほど続いて相手が出ると、回線のルートが切り替わったのか突然大きな声で彼女の声がした。
「もしもし」
「やあ、寺尾です」
「ああよかった、今日はだめなのよ」
「そうか、残念だね」
「どうやって連絡しようかと悩んだわ、ところで優子さんはいるの」
「うん、今日は小田君も荒井君も都合が悪くて、君に会いたがっていたけどね」
「ごめんなさいって言っておいて」
「うん、わかった」
彼は誕生日のプレゼントに、彼女を横浜まで連れて行く約束をしていた。
そして彼の友人達と食事する予定でいたが、親しい何人かは横浜を離れる予定が入っており彼女だけが頼りだった。

 二人は、東京駅で東海道線へ乗り換えた。
休日の午後早い時間帯からか下り電車はすいており、その車両は川崎まで二人しか乗っていなかった。
「車の買替えはどうするんだい」
「それが、親戚から頂いたあの車は返しちゃったの」
「へえ、何かしでかしたんだろう」
「荒川沿いの土手に駐車出来なくて、前の持ち主の駐車場の前に1週間くらい置いていたら邪魔になって警察まで出てきたの」
「凄いな、それは事件だ」
彼は大げさに驚いてみせた。
「で、前の持ち主からは怒られただろう」
「お母さんの知り合いだから謝ってもらったんだけど、妹とお母さんからひどく叱られたわ、もう家族には呆れられたみたい」
彼は一頻り笑った後で、”君らしい”と言った。
「そうなの、最近は私の結婚相手が家に来たら”本当にうちの娘でいいんですか”と確認をしなくちゃいけないってみんなに言われるの」
「そうだね、僕も君に会って半年くらいは呆れていたものなあ」
「まあ、ひどい」
「いいじゃないか、その結婚相手とやらもすぐに馴れるさ」
彼は、怒った彼女を楽しそうに見ながらフォローにならない言い訳をした。
川崎を出て新子安を過ぎるあたりから雨になった。
「東京は晴れていたのに、予報通りだね」
「すぐに止むんでしょう」
「うん、20%程度らしいからね」

 横浜駅で京浜東北線に乗り換えた2人は、隣の桜木町で降りると駅ビルとも言えるピオシティーへ入り女性用の傘を1本買った。
「はい、これもプレゼント」
「それじゃあ悪いわ、男性用を買って持って帰られたらどうですか」
「うん、でも本当に買いたい傘を探すには時間がかかるから、とりあえず君が使える傘にしよう」

 桜木町の駅を海側へ抜けると、2人は動く歩道に乗って日本丸の係留された場所まで出た。
雨はまだ、1本の傘で間に合わない降りだった。
「僕の緊急用の傘も出そう」
「あら、持っていたんですか」
「うん、15年前に買ったものなんだ」
彼が古い3段の折り畳み傘をさし、2人は横浜博の跡地を海側へ歩き始めた。
跡地は港未来21として高層ホテルや国際会議場が建設され、横浜博の名残は美術館とコスモクロックと呼ばれる大観覧車に併設された、いくつかの乗り物だけだった。
全ての乗り物は、雨にもかかわらず動いていた。
コスモクロックには約30人近い列が出来ており、カップルが多いせいか乗り込むまでに10分ほど待たされた。
コスモクロックは、ちょうど15分かけて1周回る。
「あのホテルは、横浜らしい形をしていますね」
「うん、素敵だね」
「あそこが赤煉瓦ですか」
「そうなんだ、2度ほど撮影会をやったよ」
「へえ、面白そうですね、自由に入れるんですか」
「あそこは税関の中だから、入るときにあの橋の入口で携帯している輸入品のリストを書かされたよ、今でもやっているかなあ」

 観覧車を降りて日本丸まで歩くと、傘をたためる程度にまで雨の降りが小さくなった。
彼は、予定通りメモリアルパークに併設されたVIEW21レストランまで彼女を連れて行ったが、披露宴の2次会らしい宴会席にほとんどを予約され、入ることが出来なかった。
 2人は桜木町駅の構内に設けられたCOFFEEショップで休憩すると、電車で横浜駅へ戻った。
「フラッシュ・アートの紙袋が結構濡れちゃったな」
「どうしましょうか」
「何か買物をして、さっき見かけた”そごう”の大きな紙袋をもらおう」
「そうですね」
エスカレーターで6階まで上がると、彼がパスケースを購入し店員に頼んで大きな紙袋を分けてもらった。
「これからシーバスで山下公園まで行き、夕食だ」
「ええ、何処から乗るんですか」
「ちょうどこの”そごう”の裏から出ているんだ、何でも食べられるかい」
「大丈夫ですよ」
「じゃあ、昔君だけ行けなかった、トルコ料理にしよう」
「橋本さんの歓迎会をやった店ですよね」
2人は、2階に設けられたシーバス専用連絡口から乗り場へ出ると、18時40分のマリンシャトルに乗船した。
シャトルは、20分間隔で運行しているようだった。

 山下公園の中央口から中華街の方向へ出ると、幌をかぶりシルバーのアルミドアを輝やかせた車が交差点に停車していた。
「窮屈そうですね」
「うん2人乗りだからね、それにこいつは、元々はレーシングカーなんだ」
「なんて言う車ですか」
彼は横断歩道を渡りながら、ボンネットのエンブレムを確認した。
「ロータスのセブンて言うんだけど、こいつはケーターハム社のライセンス生産でスーパーセブンだね」
「こういうのは、あまり好きじゃないわ」
「げっ、僕はRX−7よりこっちのセブンの方が好きなんだ、中古で300万程度だから、いつか買いたいね」
「この車はやめましょうよ」
「そうかい、ところで優子はどんな車を買うつもりなんだい」
「外車で左ハンドル」
「じゃあ価格からゴルフだな」
「あれも嫌いだし、ローバーのミニも嫌い」
「国産だと、ほらここに駐車している車はどうかい」
「最近のトレンドでこの車も丸っこいですね、でも嫌い」
彼は中古車雑誌を見て、彼女の選択にアドバイスをする約束をしていた。

 山下公園から2ブロック離れた路地を歩き、目的の店に到着した。
「ここがトルコ料理の店キャラバンサライって言うんだ、日本語で商隊宿かな」
「へえ、面白そうですね」
店内には、トルコに関係ありそうな日用雑貨がテーブルに並べられていた。
2人は、標準的なコース料理とトルコ産の蒸留酒を1杯だけオーダーした。
彼が彼女と食事をするのは、この日で4回目だった。
約3年半の付き合いでは少ない方だと思っていたが、なんとなく2人で出かける機会がなく、無理のない付き合いだと思っていた。

 氷の入ったポットと1/10程蒸留酒が入ったグラスが運ばれた。
老店主は、黙ってテーブルに置くと静かに戻って行った。
「きっとこのアイスウォーターをグラスに入れるんだな」
「飲んだ事あるんですか」
「ない、このままちょっと口をつけて、アルコールの強さを試してくれないか」
彼女がそっと舌先に乗せるように含んだ。
「うわっ、強い」
「じゃあ、やっぱり水で割ろう」
彼がグラスに水を注ぐと、トルコ産の蒸留酒は少し白く濁った。
「今度はどうだい」
「これでも少し強いですね、寺尾さんも飲んでみなさいよ」
「どれどれ」
彼女の真似をしてほんの少し舌先にころがすと、強い焼酎に香辛料を入れたような味がした。
「うん、独特の香りがするね、飲めるだけ飲んで残しなよ」

 店には彼女達以外に数組の客が入り、彼が思っていた以上に繁盛しているようだった。
「はいこれがプレゼント、お誕生日おめでとう」
「どうもありがとうございます、ところで開けてもいいですか」
「どうぞ、遠慮なく」
「これは時計ですか?」
「そうなんだ、ウェザーリポート付きトーキングクロックだな」
「寺尾さんらしい」
「そうだ怒られる前に言っとかなくちゃ、優子は英会話科だったよね」
「そうですよ、でももうだめ」
「しっかり勉強しろ、取扱い説明書もそうだけど天気予報も時刻も英語で知らせるんだ、そいつは」
「どうしよう、辞書は妹にあげちゃったのに」
”どうしよう”は、彼女特有のいつもの甘い口調だった。

 外へ出ると天候は冬型の気圧配置に変わり、空はすっかり晴れていた。
「風が強いな、寒くないかい?」
「大丈夫」
「そうか、さっきセーターを着たんだ」
「ええ」
2人は大さん橋入口から県庁前へ出て、日本大通りの銀杏並木をスタジアム方向へ歩いた。
このコースは、彼の最も好きな道順だった。
「昔、この通りをある女性と歩いたんだけど、その人から”ここで腕を組んで一緒に歩きたかった人がいる”と突然言われたんだ」
「その相手の人は、寺尾さんだったんですか」
「いや、僕じゃあない」
「それじゃあ、寺尾さんが腕を組んで歩いてあげましたか」
「出来なかったね、自分に余裕がなかったのかな、言い出せなかったよ」
数m程歩いて、彼が言った。
「優子、僕と腕を組んで歩いてくれないか」
「いいですよ」
彼女は、荷物を左手に持ちかえると躊躇わずに彼の左腕を取った。
彼は彼女の優しさと、彼の袖を持つ遠慮がちな腕の組み方に感心した。
そしてこの女性の本当の大切さが、このように表現された意外性に驚いた。