坂道を駆け上がってきた黒いオープン2シーターが、T字路の赤信号に減速し停止線の少し手前で止まった。
右側の助手席にはポータブルのMD再生機が置かれ、オーディオカセットの形状をしたコネクティングパックを介してカーオーディオへ接続されていた。
小型オープンカーにはCDチェンジャーが実用的でないのを彼女はよく知っていた。
SPからは、エネルギッシュなデクスタ−ゴ−ドンのサックスが流れていた。
信号が青に変わると彼女はゆっくりと左折し、次のガードレールの境目からマンションの敷地内へ入った。
横浜の市街でも紅葉が始まりそうなこの時期、街路の楓はまだうまく電線を隠し穏やかな住宅地らしさを醸しだしていた。
地上4階建ての低層マンションは、全戸の駐車場を地下へ設置し坂道の多いこの地域によく溶け込んでいた。
彼女は階段を使用してエントランスへ出た。
エレベ−タ−ホ−ルの前に設置された郵便受けから、通販のカタログ雑誌とハガキ類を取り出した。
クラッチバッグを小脇に抱え、郵便物の差し出し人を確認しながらエレベーターを待った。
幾つかのダイレクトメールから宛先のシ−ルを丁寧に剥がすとポケットへしまい、メ−ルはエントランスへ備え付けられたゴミ箱へ廃棄した。
最上階でエレベーターを下りるとバッグからカードキ−を取り出し、1mほど後退したドアフォンと兼用のリ−ダ−に読み取らせた。
室内へ入ると、玄関に近いクローゼットとして使用している部屋で着替えを取り出し、浴室に備え付けの多目的棚へ置いた。
給湯栓を開き浴槽へ湯を出すと彼女はキッチンへまわった。
キッチンの壁に設置してある統合フォンのホームセキュリティが、留守に電話があったことをランプの点滅で知らせていた。
彼女は冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、書斎として使用している約4畳のユーティリティールームへ入った。
そしてパソコンのモデムへ接続している留守番電話の再生ボタンを押した。
内容は所轄の警察署へ連絡が欲しいとのメッセージが、若い男性の声で録音されていた。
彼女はメッセージの相手先電話番号をメモに記録するとすぐにボタンを押した。
缶ビールにまとわりついた滴がパソコンラックのテーブル上にたまり始めた。
事務的に対応する相手の用件は、交通事故で亡くなった男性の身元確認をやって欲しいとの依頼だった。
彼女はキッチンへ置いてあったバッグを取ると、浴室の湯を止め駐車場へと下りた。
彼女の黒いアルファスパイダーは、10分後には病院の駐車場へ乗り入れた。
小雨が霧のように漂っていた。
彼女は幌をかぶせるとドアをロックした。
正面玄関から中央に植木を並べた待合い室を通過し、電話で知らされた安置所へ直行した。
中には若い制服の警官と年輩の私服の男性が待っていた。
「よくいらっしゃいました」
年輩の男性の方が話し始めた。
「カミムラ・アキコさんですね」
「はい、ショウコと読みます」
「これは失礼、寺尾敏夫さんをご存知ですね」
「はい、友人です」
事務的な質問が続けられた。
「どのようなご関係でしょうか」
「ごく親しい友人です」
「そうですか、それは大変したね、お気持ちはお察しします」
「寺尾さんがどうなさったのでしょうか」
彼女は、安置されている彼らしい遺体と年輩の男性を見比べながら質問した。
「保土ヶ谷バイパスでの玉突事故です」
彼女は無言で次の説明を待った。
「後ろから大型が追突したので、彼の、えっとなんていったっけ」
若い警察官へ説明を求めた。
「ハッチバッククーペです」
「そうそう、そのクーペの上半分が吹き飛ばされて無くなりました、即死でした」
「そうですか」
彼女は納得するでもなく、頷いた。
「では確認していただけますか」
「はい」
彼女は返答したものの足が1歩も前へ出なかった。
「いや、もうすぐご家族が到着されるので、無理でしたら構いませんが」
彼女は周りを見回すと、遺体の側のベンチに彼のブリーフケースが置かれているのを確認した。
「彼の持ち物です」
「そうですか、あの小さなバッグの中にあった住所録からこの病院に最も近いあなたに来ていただいたんですが」
「はい、ありがとうございます」
「では、我々は少し席を外しますので、よろしかったら・・・」
年輩の男性は遺体に両手を合わせてから出ていった。
15分近くが経過した。
彼女にとっては長くもあり短くもあった。
その間に彼女は彼を見ることは出来なかった。
そのような弱い自分自身に納得できなかったが、彼が死んだことも実感としてなかった。少
し破れてはいるが、ブリーフケースの側に彼愛用のカメラバッグもあった。
よく見かけたものであった。
彼女のポートレートを撮影するときにも彼は担いできた。
彼女がそっと触れると、破れた隙間からプラスチック製のケースに入ったフィルムが1つ転がり落ちてきた。
ケースの蓋を開けるとフィルムはしっかりとパトローネへ巻き取られて、撮影済みであることがわかった。
フイルムケースは、全部で14本あった。
8本がISO400のスライド用カラーリバーサル、6本が同じくISO400のモノクロームフィルムだった。
彼女は彼がモノクロームを自宅で現像プリントし、カラーは現像所へ出していたのを思い出した。
全て彼から教わった知識だった。
彼女は彼の最後の行動を知りたい衝動に駆られて、黙って自分のバッグへしまった。
2人の男性は、まだ戻ってくる気配はなかった。
3日後、彼女は勤めからの帰りに、駅の側の夜遅くまで開いている写真店へ寄った。
秋雨前線で駅前のロ−タリ−は黒く沈んでいた。
8本のカラーリバーサルからマウントされた、全部で290駒のスライドを受け取った。
「面白い写真を撮りますね」
店主が親しそうな表情で話しかけてきた。
「はい、兄から出しておいて欲しいと頼まれたもので」
「そうですか、お兄さんですか」
店主は頷くとサービスだと言って、ダイレクトプリントのお試し券をフイルムの本数に数枚たして渡してくれた。
「じゃあお兄さんに、プリントのときはまたよろしくとお伝え下さい」
彼女は頷くだけで店を出た。
急ぎ足でマンションへ帰ると彼女はパソコンデスクの上に8個の四角いケースを並べた。
そして少し後悔した。
スライドを観賞する写真用品を持っていなかったことにたいする焦りを覚えたことからだった。
とりあえず彼から習った方法を思い出し、スライドをデスクの電灯に透かして四角いケースに付いた小さなルーペで簡便的に見ることにした。
写真は昭子にとって衝撃的な内容だった。
8本全てに一人の女性のヌードが撮られていた。
主に外国ブランドの下着を着けているものが多かった。
彼女は時間をかけて全部を見終わるころ、被写体の女性の名前を思い出した。
彼と親しい友人だけの食事会に出席したときに、写真とは髪型は異なるが会っていた。
昭子は、システム手帳を取り出すと記憶の名前と一致することを確認した。
”霧島庸子”、彫りの深い美人だった。
翌日昭子は、旅行用のフィルムをまとめて買うときに以前敏夫から連れていってもらった横浜駅に近いカメラ専門店のビルへ寄った。
1階のエレベーターの前には、各階の案内が書かれていた。
彼女はそれに従って地下へ下りた。
店員をつかまえるとスライドビューワの場所を尋ねた。
黒のベストを着けた胸の名札を読むような素振りで聞くと、各種ビューワを並べた場所まで案内してくれた。
そしてどのような方式が欲しいかと逆に尋ねた。
彼女は彼が使用していた背面からランプで照らすドイツ製の小型ビューワの特徴を答えた。
店員は彼女の説明だけで、同一のものを取り出してくれた。
そして電源として1階の売場で乾電池を買うように助言してくれた。
昭子は、毎夜彼のスライドを観賞した。
そして彼が何を撮りたかったかを想像したが、霧島庸子のヌ−ドからはそこまでわからなかった。
庸子に比較して、自分はまだポ−トレ−トしか撮影してもらったことがない。
それだけは、はっきりしていた。
手元にはまだ6本のモノクロームフィルムが未現像で残っている。
しかしこれは写真店には出したくなかった。
彼は必ず自分で現像すると言っていた。
ましてやカラーは全て霧島庸子のヌードだ。
モノクロームには何が写っているのか不安をかきたてられた。
敏夫の49日が過ぎた休日の午後、昭子は彼の実家へ寄った。
アルファスパイダ−で訪れると、珍しい車のせいか彼の両親は何度か訪れた彼女のことを憶えていてくれた。
座敷の仏前で線香をあげてから事故の様子を尋ねた。
両親は居眠り運転をした大型の運転手がブレーキが間に合わずに突っ込んだ警察の説明を、そのまま彼女に話してくれた。
「そうそう昭子さん、あなたは敏夫が勤めていた電気会社にいましたよね」
「はい、設計をやっていた敏夫さんとは部署は違いますが」
「だったら敏夫が事故に巻き込まれた日に持っていたビデオテープをうつしてくれませんか、ダビングとか言うらしいが」
彼の父親の頼みだった。
そして敏夫の使用していた部屋から3本の小さなビデオテープを持って来た。
「わしにはわからんのだが、どうもVHSとは違うらしい」
彼女にはすぐに8mmビデオテープだとわかった。
「わかりましたこれはHi−8と呼ばれるムービーで撮影されたテープです、お借りできればVHSへコピーしてきますわ」
「わるいなあ、線香をあげに来てもらったのに用事を頼んだりして」
「いえ何かのお役に立ちたいと思います」
両親は門から道路へ出て、見送ってくれた。
そしてくれぐれも事故には注意するようにと付け加えた。
昭子は、翌日会社からHi−8を再生できるビデオデッキを借り出した。
そして書斎のVHSビデオデッキへ接続するとコピーを始めた。
パソコンと兼用のモニターには、敏夫と庸子の撮影現場が映し出された。
勿論2人の会話も全てわかった。
彼女はコピーを途中でやめると、両親への説明を考えるのに苦慮した。
このまま渡すわけにはいかない。
そこで昨年の同じ時期に友人数人と旅行に出かけたテープから昭子が出てくる場面を巧妙にカットしたテープを1本作成することにした。
そして敏夫の8mmテープは自分が保管することに決心した。
翌日昭子は敏夫の両親へ先日の訪問のお礼とともに、テープがコピーできたので送る旨の手紙を入れて、偽のVHSテープをユウパックで送った。
コピー元のオリジナルテープは、敏夫にすら見せていなかったので安心して送ることができた。
手紙には元の8mmテープを貸しておいてくださいと書き添えておいた。
その日から彼女は時間をかけて3本のテープを見た。
テ−プの内容は、敏夫と庸子の撮影風景を撮影したものだった。
特にビデオ用のライティングに凝るわけでもなく、むしろ淡々と記録されたものだ。
そしてモノクロームのフィルムには、一般の写真屋へは出せない過激な裸体が写されていることを、そのテ−プから確認できた。
彼は霧島庸子のヌードの撮影方法として、まずしっかりと下着を着けた正当的なポーズをカラーで撮り、続けて下着を外したポーズをモノクロームで撮影していた。
カメラはニコンF4とF3を使い分けていた。
天窓から差し込む太陽光に女性自身を曝したもの。
適正露出は顔にあるので、その部分は白くとんでいるだろうと彼女にも想像できた。
また、ときにはさらけ出した女性自身をクローズアップレンズで撮影している場面もあった。
そのときの2人の会話は、不思議な内容に満ちていた。
彼は自ら下着の脱着も手伝い、カメラマンとモデルの関係を通り越していた。
でも男性の恋人が撮る遊びのヌードでもなかった。
自分と敏夫との間にはなかった不思議な関係だった。
庸子に対する嫉妬心に、僅かだが憧れが混在していた。
3カ月後、昭子はオートフォーカスの中級一眼レフを購入すると、ごく普通のネガカラ−フィルムで試してみた。
風景やスナップショットでは、マルチパタ−ン自動露出もフォ−カス精度も満足出来るレベルにあった。
次に敏夫が使用していた銘柄と同じモノクロ−ムの撮影を試みた。
その中から1本を写真店へ現像に出し、仕上がりのリファレンスとするべく保管した。
続けて10本近い撮影を済ませると、いよいよ自分で現像にチャレンジするべくまた用品を買い出しに出かけた。
以前ビュ−ワを購入したカメラ店へ寄ると、同じく地下の売場へ行き先日の店員を捜して用品を揃えた。
店員は昭子を憶えていなかったが、数日間続けて通ううちに親しくなりいろいろと助言をもらえるようになった。
彼女は敏夫と同じ用具を最初に揃えようと思ったが、頻繁に実家を訪れるわけにいかずこの助言にはずいぶんと助けられた。
彼女の書斎からはパソコンが一時的に片付けられ、写真関連の用品で占領されていった。
10本の現像をこなした頃、ようやくハウツー本に書かれた要領がのみこめ失敗無く仕上がるようになった。
彼女は、いよいよ敏夫のフィルムを現像することにした。
少し使い慣れてきたステンレスタンクのリールへ、ダークバッグを用いて未現像のフィルムを巻き付ける。
次に1体1に希釈した20度の現像液を入れ、本に書かれた通りに分単位で撹拌する。
所定の時間を経過したら躊躇わず排出し停止液を注入。
撹拌後に水洗。
そして15分の定着。
ここで始めて撮影済みのフィルムは明るい部屋の中で見ることが出来る。
しかし彼女は焦らずに1時間近い水洗を行い、クリップで書斎の鴨居に渡したロープに吊した。
まだ自然乾燥が終わらないうちからネガを確認した。
ビデオテープから想像していた内容ではあったが、淫靡なポーズが続いていた。
明日はビデオカメラの先端に取り付けて、ネガフィルムをポジに反転して録画するアクセサリーを買いに行くことにした。
1本を現像するのに1日を要した。
用具が1式しかないせいもあったが、失敗を許されないという彼女の気構えもあった。
全ての現像を終了すると、彼女は用具一式を片付けてビデオ機器をメインに書斎の中を配置替えした。
3本の8mmテープを参考に、カラ−、モノクロ計14本の504コマを時間の流れにそってインデックスを作り全コマを並べてみた。
それだけで土日の休みを費やした。
そして1コマ5秒間のインターバルで、1本のS−VHSビデオテープへ全てのコマを録画した。
彼が撮影した霧島庸子の写真集が、昭子の努力でビデオテープとして完成した。
敏夫なら必要なコマを選択し、うまく写真集風につくるに違いないと思った。
でもビデオ編集なら自分の仕事がら敏夫と同等以上の編集が可能だと彼女は思った。
彼女は敏夫が退職した後も電気メ−カ−に残り、営業支援の仕事を続けていた。
そこで彼女が独自に選択したフレームを別のS−VHSテープへ編集してみた。
約1週間後には、カラーのコマを多用した綺麗なポーズのテープと、モノクロームを多用した淫靡なポーズの全く異なる作風のテープが出来上がった。
「表と裏か」
出来上がったラッシュのような作品を観ながら、彼女は独り言のように呟いた。
季節が経過し、敏夫の命日が近くなった。
出来上がった2本の写真集とも言えるテープは、昭子の書斎の本棚に収納されていた。
彼女は何かが足りないと思い続けていた。
編集作業以降疲れが先に出て、8mmテープを見ることもなくなっていた。
その日、昭子は元町商店街の終点に近いウチキパンでばったりと霧島庸子に出会った。
「あら、こんにちは」
声をかけてきたのは庸子の方だった。
「お忘れかしら?」
美人が下から覗き込むように尋ねてくると、昭子は同姓ながらどぎまきした。
「いえ、霧島さんお久しぶりですね」
昭子は気を取り直して元気そうに応えた。
「やっぱり憶えていてくれたのね、嬉しいわ」
「敏夫さんの紹介ですから」
「そうだったわね、こんな再開をして彼いまごろ天国で笑っているかしら」
庸子はそう言うと涼しそうな目で微笑んだ。
彼女のアイシャドウは、ブラウンから淡いゴ−ルドへ丁寧に仕上げられていた。
彼が好みそうな艶っぽさだと昭子は思った。
「霧島さんはここのパンを好きなんですか?」
「ええ、食パンも有名だけど敏夫さんがここのフランスパンも好きだったの」
昭子はほんの少し嫉妬を覚えた。
そして唐突に写真の話題を切り出した。
「彼の撮ったあなたの写真を見ました」
「あらそう、ヌードかしら、それとも紅葉をバックのポートレートかしら」
彼女の声で、店内の客が数人怪訝そうな顔をして2人を見た。
「お話しがありますので、どこかでお茶にしませんか」
「そうね、じゃあ風雅亭でランチでもどう?」
庸子の方が先に店を指定した。
風雅亭は昭子も利用したことがあった。
店へ入ると、2人とも月代わりのメニューになったランチを注文した。
「ここで出すパンもウチキパンだったわね」
最初に庸子が話しを始めた。
「ええ」
「ところで私の写真って?」
「敏夫さんが亡くなったときに未現像で持っていたものです」
「じゃああなたが、それともご両親が」
「はい、私がカラーを写真店で、そして・・・」
「白黒もあったわね」
モデルとして見せた淫靡さを微塵も感じさせず、相変らず彫りの深い美しい表情で尋ねた。
「私が現像しました」
「へえとても素敵じゃない、敏夫さんから教わったの」
「いえ、自分で勉強しました」
「じゃあフィルムを見つけて、敏夫さんのために努力したのね」
「それもあります」
「あら、他にも理由があって?」
庸子の口許が関心を示すように僅かだが引き締められた。
海鮮のオードブルが運ばれてきた。
2人はフォークをとることもなく、見つめあっていた。
「敏夫さんが撮影していたビデオテープも見たんです」
庸子がバッグから革製のシガレットケ−スを取り出すと、店のマッチで煙草に火をつけた。
一息吸い込んでからゆっくり吐き出すように話した。
「いつも撮影場所を流し撮りしていたビデオね」
「そうなんです」
このような写真撮影が、あのときだけではないことが庸子の返答からわかった。
昭子はこれまでの経緯を、かい摘んで霧島庸子へ話して聞かせた。
「じゃあ今のあなたの悩みは、写真集が完成しないことね」
「そうとも言えます」
「私は頑張ってと応援するしかないわね」
彼女は美しさをたたえたまま、さらに困ったような表情をしてみせた。
「出来上がったら私にもくださるかしら」
「写真集としてのテープですか」
「そうよ」
その返答には庸子の確固たる意思が存在していた。
「ではもう少しお待ちください、なんとかしてみます」
「今度いっしょに遊びに行かないこと、私って強くなろうとするあなたのような女性は好きよ」
庸子の次の話題は、既に別のものに移っていった。
昭子は、その夜久しぶりに敏夫の8mmテープを最初から最後までとおして見た。
撮影デ−タ−の収集として確認したときと異なり、2カ所で気になる場面を発見した。
今までは編集に没頭して内容まで考えていないところだった。
先ず、敏夫が庸子のアンダーヘアをカットしている場面だった。
庸子のヘアは、少し上向きに跳ね返っていた。
そこで敏夫は余分な部分をハサミでカットし、ヘアクリームでセットしていた。
二人の会話では、ム−スよりうまく仕上がるはずだと言っていた。
続けて大きなテーブルの上で四つん這いになった庸子の背後から、敏夫は彼女の女性自身を広げて撮影用に固定していた。
庸子の、これ以上はない全てが映し出されていた。
ビデオカメラの位置からは、二人の表情は見えない。
庸子のポーズは、テーブルにかけられたグリーンのメタリッククロスの上で妖しく冴えていた。
そこでほんの一瞬、敏夫は庸子の女性自身へキスをしていた。
この動きでは、庸子は気付いていないと昭子は確信した。
なにしろその前の彼の行為は、大陰唇を指で押し広げることで庸子は彼の指としか錯覚しないはずであったろう。
また2人の関係にSEXが介在しないことも、テープの会話から確信していた。
昭子はこの一瞬をなんと理解してよいか、逆に悩むことになった。
次に3本のテープの終了間際に、敏夫は写真集の表紙になるショットを残していたいと発言していた。
モデルの庸子は既に疲れていて、その意見には同意していなかった。
テープから敏夫の唯一のかげりが伺える部分だった。
そのあと外のバルコニーで、ごく普通の服装をした庸子のポートレートが数ショット撮られている。
ビデオにはない部分である。
すでにビデオカメラは、片付けられた後なのであろうと昭子は思った。
彼女は、そのポ−トレ−トのプリントをデスクに並べてみた。
サイズはRP−LLだった。
ポ−トレ−トは、彼が撮ったと確実にわかる作品だ。
バストショットの場合、背景の木々のボケには必ず木漏れ日を入れていた。
これらのショットは表の写真集の表紙に使える。
表紙にはこのように、敏夫さんを間接的に登場させなくてはならないはずだと昭子は思った。
彼女の気持ちは女性としてではなく、男性つまり敏夫としてものごとを考えていた。
すると裏の表紙は。
そうだ、登場するのはやはり庸子だが彼がキスした痕跡だ。
でもいくら裏でも大陰唇を表紙には使えない。
昭子の推測はそこで一時停止した。
1週間後のまだ早い夜、昭子は庸子に電話してみることにした。
「今晩は霧島さん」
「あら昭子ちゃんじゃないかしら、お元気?」
「はい、先日はどうも」
「私はお風呂から出て、ワインをいただいていたところ」
「あれから考えたんですけど表紙が今一つわからないんです」
「そう、こまったわねえ」
夜の庸子の口調はまとわりつく雰囲気が増加していた。
逆に直接会ったときに受けた視覚的に聰明な美人度は薄められていた。
「唐突ですが、庸子さんは敏夫さんとキスしたことありますか」
数秒間の間があいた。
「彼とは長いけど、よく考えてみるとないわね」
「そうですか、残念です」
「あら、あった方がよかったのかしら」
庸子はからかうように言った。
「でもね、一度敏夫さんからキスした後の写真を撮りたいと言われたことがあったわ」
「キスが目的じゃあないのですね」
「そうよ、撮影の帰りの車の中だったわ」
「どんなシチュエーションでしょうか」
「なんて言うのかしら、グランドホテル形式とか言うのかしら」
「幾つかの物語が同時進行する映画ですか」
「そうそう、あれの新しい映画で日本人のカップルがアメリカで過ごす何日かが出てくる・・」
「わかったミステリートレインだわ」
「正解よ、そのビデオを見せてもらったことがあるの彼に」
「とすると、あのシーンだわ」
「参考になったかしら」
「はい」
「じゃあ、おやすみなさい」
「ちょっと待ってください、今度、いえ今月中に私と旅行に行きませんか」
「あらあなたから誘ってくださるの、嬉しいわ」
「彼の意志を継ぐために、最後の撮影をしたいんです」
「じゃあキスの後のシーンをあなたが撮るのね、黒いアルファで迎えに来てね」
「はい、彼があなたの女性自身へしたように、私はあなたの口にします」
「おや過激なこと」
「実はそのような敏夫さんの行為が、ビデオにあったのです」
「へえあの日にかしら、知らなかった」
「ミステリートレインがキーだとすると、私は庸子さんに強く深いキスをして・・」
「唇の周りがルージュで真っ赤に汚れるのね」
「いえ、素敵に汚れるのです」
しばらく間があった。
「きっと、私は泣くわ」
「是非泣いてください」
「そう言っていただけると嬉しい、彼と銀座で買ったLORACのルージュにパールを入れてみようかしら」
二人で彼の意志を継ぐキスをする。
昭子はその後で、一滴の涙を流す庸子の表情を想像できた。
亡くなった彼に対する庸子の憂いが含まれた、とても美しい表紙が撮れるだろうと確信した。
そしてそれは彼の遺作として、最も相応しいだろうと思った。
|