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2012/11/16更新
ちょっと思い出

とても昔のことから、最近のできごとまで、何も考えずに書いた雑文です。

魚釣り プロレス BCL スーパーカー テニス ギター
プログラム パソコン プリンタ キーボード ランディ内田
花火 運動会 Midi 電化製品
混ぜる 青汁 簡単料理
ダイエット 冬でも冷房 おでき 網膜剥離
ADSL回線 迷惑メール Skype ハードディスク
100円ショップ はえとり紙 潮干狩り 神田川 携帯電話
エアコン PCモニター


魚釣り
 小学生位のときから、魚を釣るということに熱中していました。学校が終わると近くの川に友達とハゼを釣りに行ったり、朝早く起きて海岸に(これもすぐ近くにある砂浜)キスを釣りに行ったりしていました。余りたくさん釣れた記憶が無いのですが、雨さえ降ってなければ寒い風の日も日差しの強い夏の日も釣りに行ってました。
たまに親父にニジマスを釣りに車で渓流に連れて行ってもらったり、船で沖釣りをさせてもらったりしました。このときは、両方とも結構釣れた記憶があります。
お小遣いを貯めて当時高価だったグラスファイバーの竿を買ったり、仕掛けなどは全て手作りで友達の分まで作ったりしていました。
でも、高校に入った頃位から段々遠ざかり、道具もほこりをかぶるようになってしまいました。最近、本当に久しぶりに波止に行ったりしましたが、ろくろく準備もせずにでまかせの仕掛けで臨みましたが、やはり全く釣れませんでした。

スーパーカー
 昔流行ったスーパーカー。ブームにまんまと乗り、カメラ片手にあちこちへ行きました。近所にポルシェがあると聞けば、駆けつけてパチリ。どこそこの道路でカマロを見かけたと聞けばカメラを構えて待つものの、やはり通らず、がっかり。でも気長に待っていると色々と変わったクルマが通るもので、結構パチリしていました。最初はこういった仲間同士の情報交換で、スーパーカーとは言えない様な普通の(?)外車を撮ったりしてました。たまに近所のバイパス道をロータスヨーロッパなどが通ったときは、大喜びしてました。
 そんなある日、スーパーカー仲間(?)が鈴鹿サーキットでスーパーカーフェスティバルなるイベントがあると言うので、わざわざ行ってきました。ブームの真っ最中だったので、大勢の人が集まっています。サーキットの駐車場でも、改造車やハーレー等が集まっていて、入る前から大興奮していました。サーキット内は、想像以上にたくさんのスーパーカーが集まっていて、しかもコースの中(の芝生の部分)まで入れて、カウンタックやミウラ、ディノ、ロータスヨーロッパ、ポルシェ930ターボ、トヨタ2000GT等々をごく近くで見れて、何だか異常に舞い上がって写真を撮りまくっていました。
 そんなこんなで集めまくった写真は数100枚。一体どこに行ってしまったのでしょうか。今でもフェラーリやポルシェは見かけますが、ランボルギーニはどこにいるのでしょうか。あの情熱はどこに入ったのでしょうか....

プロレス
 プロレスにハマッた頃がありました。第一段階は、アントニオ猪木やジャイアント馬場、ラッシャー木村らが活躍していた頃。毎週金曜の夜だった気がしますがテレビ放映は欠かさず見ていました。プロレスの本を買ってもらい、読みふけっていました。知り合いのお兄さんに足4の字やキーロックをかけられ、あまりの痛さに0.5秒でギブアップしました。ドロップキックは余り効きませんでした。意外とヘッドロックが効きました。猫にフルネルソンやバックドロップをかけては、引っかかれていました。
 第二段階は、長州 力やマサ斉藤らの維新軍と猪木、藤波、藤原らの正規軍が全盛の頃。長州のファンで、これまた猫にラリアートしたりしましたが、全く効いていないようでした。プロレス雑誌は毎週購入、果ては東スポを駅まで買いに行き、頭の中はプロレスだらけ、という毎日でした。これほど熱中していたプロレスですが、長州 - 藤波 戦や藤原とのシングル戦のあたりを頂点に、プロレス熱はみるみる冷めていってしまったのです。
 最近、知り合いにチケットを頂いたので、女子プロを見に行ってきました。横浜アリーナの2階で、割と良く見えました。最近はオープニングイベントで花火をあげたり、選手入場時に大音量の音楽を流したり照明にも凝ったりで、演出にも力が入っているのですね。試合の方は、第一試合のさくら えみに笑わしてもらい、メインイベントの中西 - 浜田戦は見ごたえありましたが、昔のように燃える(?)ことはありませんでした。それから極悪軍団(魔界?)が復活したのは良いのですが、タレント(?)として有名になったダンプ松本は加わらない方が良かった気がしました。(2003年5月)

BCL
 これもまた結構流行りました(何の略かも忘却のかなたですが)。誕生日にねだりにねだってSonyのスカイセンサーという受信機を買ってもらい、日夜北京放送やラジオオーストラリア等の日本語放送を聴いていました。ただ、自分の場合は放送内容には殆ど興味が無く、ベリカード欲しさに聞いていただけという感じでした。ですので、受信状態はまじめに書いたものの、感想などは適当に書いて、エアメールで送ってました。でも返信のエアメールが届いたり、きれいなベリカードが送られたりすると、とてもうれしくて、あー国際的だなー(?)などと感動したりしていました。スーパーカーの写真もそうですが、集めたベリカードは一体どこにいったのだろう。

ギター
 中学生位の頃、親から頼んでもいないのに何故かフォークギターを買ってもらいました。しかたがないので一人で練習していたのですが、そのときはFどころかCもろくろく押さえられず、指先も痛くて2週間位であっさり手を切りました。
 高校に入って、周りでも楽器を弾く人が多くなりました。下手者どうし集まった感じのバンドに入れてもらい、「フォーク」なぞをしておりました。ただ、このときはボーカル担当だけが突出してうまく、彼が愛想をつかして他のバンドに移ってから数日後に解散となりました。
 大学入学後は、高中正義の真似をしたくてバイトで貯めた大金を持ってヤマハのGS何とかという、高中と同じギター(グレードは全然違う)とグヤトーンのアンプを購入しました。しかし、全く音が違う。違い過ぎる。テクニックも当然違うが、これは置いておいておく。しばらくしてエフェクターが無いせいと思い至り、またまたバイトで貯めてBOSS(たぶん)のコンプレッサー、ディストーション、コーラスを購入。おおっ!そっくり。音はそっくりとなった。ということで、新しいバンドで披露するが、音だけとの評価に高中は自分に合っていないと判断する。が、サンタナもジェフベックも、もちろんリッチーもチャレンジしては即座に、はね返されます。しかたがないので、おとなしくバンドのオリジナル曲のバックに徹していましたが、そのうちボーカルの自称アイドルの女性が抜け、なし崩しに活動が終了することになりました。
 卒業してサラリーマンになってからはギターを弾く暇も無く、今も押入れの奥に飾ってあります。

テニス
 中学に入学したときサッカー部に入ろうと強く思っていましたが、クラスでテニス部(軟式)に入る人が多かったので、とりあえず入部することにしました。が、その練習量は予想をはるかに上回る本格的(?)なもので、田舎の広い校庭をぐるぐる走ったり、何とすぐ近くに砂浜があるので「俺は男だ」はだしに、延々と続く砂浜を走らされたり、腕立てをしたり腹筋したりダッシュをしたり素振りをしたり、しました。そんな訳で、一緒に入った新入部員はいつの間にか殆どいなくなってしまい、10人ほどになっていました。私も辞めたかったのですが、他に何かすることもないし、せっかく買ったテニスラケットももったいないので、そのまま続けていました。そのせいか、市の大会では割と皆いい成績でした。市の新人戦で優勝したこともありました。3年の最後の県大会には天狗になって出場しましたが、3回戦位で敗退し、パートナー(ダブルスなので)が悪かったのだとお互いに思いつつ帰途につき、中学のテニス生活が終わりました。
 入学した高校にも軟式テニス部があったので入部しましたが、先輩とうまが合わず、いつの間にか全く参加することはなくなっていました。

プログラミング言語
 初めて自分でコンピュータというものを触ったのは、高校3年のときに買ったシャープのポケコンで、言語はBASICでした。ポケコン自体が1行しか表示できないので、幅5センチ程のロール紙にリストを印刷してはデバッグしていました(ゲームも、画面ではなく、印刷しながらプレイする(!)というものもありました)。何を作ったのか記憶に無いのですが、このとき、プログラミングのおもしろさやデバッグの難しさ(何時間眺めても正しいロジックなのに、人に見てもらうとすぐに誤りが分かったりする→自己嫌悪する)を実感したのでした。また、大学でPASCALという言語で再帰的手続きというアルゴリズムを知り、感動したりしました。
 メーカー系のソフト会社に入り、企業内教育でCOBOLを経験しました。おお、COBOLって使いやすいなどと思いつつ、その後は1回も使う機会が無いまま今日まで来ています。職場に配属後は、アセンブラとPL/Iでひたすら汎用機でのオンラインコントロール系のコーディングをしていました。このとき、データ中心アプローチや構造化プログラミングといった今では当たり前の考え方に触れたのです。余談ですが、配属当時はコーディング用紙にひたすらロジックを書き、何回かのチェックを受けて、何度も書き直して、やっと端末(PCではなくただのダム端末)でパンチ作業をします。ワープロが1フロアに1台、などという時代で、必須ツールはテンプレートと、大きな消しゴムでした。先輩には紙カードで入力した経験のある人もいました。
 世の中がCSSの方向に向かおうがWEBアプリケーション全盛になろうが、ただ汎用機の世界に閉じこもっていたものでした。
 少し作業に余裕が出てきた頃、ちょっとWindowsのプログラミングもやってみようかっといった感じで、趣味でDelphi3.0を購入しました。当時のVBはランタイムが必要で抵抗があった事、学生時代に少しPASCALをかじった事、Cのソースは見ただけでめまいがした事、からDelphiを選択しました。使ってみてすぐに簡単なプログラム(メモ帳とか…)は作れて感激しました。その後は仕事関連の簡単なツールを作ったりしていましたが、段々と個人ユースのツール等も作り始め、GUIプログラミングのおもしろさ、難しさを実感(痛感)中です。

パソコン
 最初のPCは、プログラミング言語のところでも書いた通り、高校時代に買ったシャープのポケコンでしたが、WindowsPC(PC/AT互換機)については、1995年初頭に、富士通の初代デスクパワーS(DX2、メモリ8M)を購入したのが初めてです。初代から付属ソフトは豊富でしたが、使ったのは一太郎くらいでしょうか。この一太郎で年賀状を作成したのですが、差込印刷が非常に遅いので、16MBのSIMMを増設しました。当時はメモリの価格が急落する「直前」で、5万円弱もしました。しかし、差込印刷は驚くほど速くなり、その他のソフトの動作もキビキビし、大満足でした。
 1年半ほどたち、Window95も使いたくなってきたので、そろそろ新しいマシンが欲しくなってきました。しかし、メーカー製のPCに乗り換えたのでは現在のパーツがもったいないという思いから、自作に踏みきりました。初めての自作PCは、Pentium100MHzに元々24MBあったメモリ+安くなった16MBのメモリを追加して作ったものです。FDDやHDD、CDROMドライブは元々のものを使いました。でもCPUを変更するとマザーボードの変更が必要だったり、結構新しいパーツが必要です。が、CPUがDX2からPentiumにした事とメモリ増設の効果は素晴らしく、大大満足でした。
 しかし、また2年弱ほど後、ゲームのためにより速いCPUとビデオカードが欲しくなり、部品を交換しようと思い始めました。が、使用しているのマザーボードはPentium166Mhzまでしか対応していませんでした。そこで、MMX対応のマザーボード、MMX Pentium233MHz、メモリを16M×2、ビデオカードを購入し、組み立てました。OSは勿論最新OSであるWindows95です。ケースが小さめだったので苦労した記憶がありますが、OSの組み込みはそれ程のトラブルはありませんでした。Windows95のユーザインタフェースの変更やらゲーム(モトレーサー等々)やらで遊んでいましたが、この頃流行だしたインターネットもやってみたくなり、外付けの28.8Kモデムを購入し、フリーのプロバイダ(画面の一部に常に広告が表示される)で遊んでいました。その内、そのプロバイダが倒産し、後を引き継いだHi-HOにそのまま加入していました。当時はダイアルアップだった事と通信速度が遅かったため、しょっちゅうオフラインモードで見ていました。その後はWindows98にアップグレードし、DVD-ROMドライブとMPEG2デコーダカードを増設しました。DVDのきれいな映像に大満足でした。
 更に2年ほどたち、画像編集や動画編集をやりたくなり、速いCPUに替えようと考えましたが、やはりマザーボードが対応していないため、Cerlon700MHzにマザーボード(ASUS CUSL2)に、ATX対応のPCケース等を購入し、組み立てました。アクションゲームは余りしなくなったので、ビデオはマザーボード内臓のものをそのまま使いました。現在も現役で使っています。メモリはSDRAM256MBで、古いSIMMは箱の中で眠っていますが、早いとこ売ってしまえば良かったと後悔しています。
 今は仕事でWindowsアプリケーションを作っていて、DelphiやPhotoshop、WORD立ち上げ時等に若干のストレスを感じてきたので、そろそろ作り変えたい熱が高まってきました。今度は2GHzくらいのCPUにメモリ512MB、くらいのスペックが欲しいな、と、思うだけは思っています。

花火
 実家のある小田原では、毎年夏に酒匂川で花火大会が開かれます。
帰省したときとちょうど重なった年に、家族で見に行きました。屋台などの出店があり、結構人も集まっていていい雰囲気です。
花火の発射する場所から割りと近くに座って見ていました。今まではずっと遠くからしか打ち上げ花火というものを見たことが無かったのですが、今回初めて近くで見ることができました。
始まる前までは田舎の花火大会とバカにしていました。みくびっていました。しかし、スミマセン花火の主催者さん。最初に上がったときは、恥ずかしながら鳥肌が立ちました。これほどの迫力とは…。
いつのまにか家族とはぐれて、お店で買ったビールを飲みつつ一人川原にゴロンとなって見ていましたが、ちょっと退屈になったので川原の上の道路をぼんやりと歩いていると、姉夫妻と出会いました。私の中学時代の友人がいるとのことで、案内されて行ってみました。
おぉ!懐かしい顔です。隣に座って、思い出話をしていると、ばかでかい紙コップにたっぷりと焼酎のウーロン割りを作ってくれたので、仕方がないのでがぶ飲みしました。久々に会った懐かしさもあったのでしょう。しかし、そのウーロン割りが約5対5の割りとは後で知りました。ちょっとかなり酔っ払って、花火大会も無事済んで、家族と帰途につきました。一緒だったはずです。確かに。途中までは。しかしふと気づくと、一人で暗い夜道を歩いていました。記憶はここまでで、どこをどう歩いたのか分かりませんが、翌朝自分の布団の中で目覚めました。かなり頭が痛いです。顔がむくんでいるのが鏡を見なくても分かります。
家族が言うには、途中ではぐれてかなり酔ってたみたいだし心配したとのこと。ゴメン、でも悪いの懐かしの悪友のアイツなんです。本当に!

混ぜる
 市販の飲み物を混ぜて飲む、ということをよくやるのですが、どういうい訳か人には、変わったことをすると言われます。特にかみさんからは不評のようです。
例えば
1.ビールとトマトジュース(5:5くらい)なかなかです。
2.ビールとウィスキー(9:1くらい)パンチが効きます。
3.ビールと日本酒(適当)柔らかな味に…
4.白ワインと日本酒(1:9くらい)少し酸味…
5.コーヒー(無糖)と麦茶(5:5くらい)なかなかかもです…
普通、しますよねぇ?

簡単料理
 電子レンジやトースターでできるものなどです。
ゆで卵は生卵をアルミホイルで包み、15分くらいトースターします。たまに上下をひっくり返すと黄身の位置が片寄りにくくなります。
野菜スープはキャベツのざく切りやニンジンなどを鍋に入れて1時間くらいゆで、スープと塩コショウなどで味付けします。
鶏の手羽先を油で素揚げします。このとき油は低温にして30分くらいかけて揚げます。

青汁
 先日(04年6月吉日)、生まれて初めて「青汁」を飲みました。きっかけは冷蔵庫の整理でした。
よく言われる「冷蔵庫の法則」の通り、我が家の冷蔵庫はぱんぱん状態でしたので、一念発起して整理に取り掛かりったのでした。整理中の逸話も少なからずあるのですが、ちょっと心を落ち着けて書く必要があるので、後に譲りたいと思います...
何はともあれ、冷凍室の奥の奥から冷凍パックの青汁が出てきたのでした。同居人がしばらく前に知り合いからもらってきて、すっかり忘れていたものらしいです。賞味期限は過ぎていません。今日は少し蒸し暑いです。でも、青汁をおいしい、という話を聞いたことは一度もありません。そのまま戻せば良かったのかも知れません。しかし、折角整理した冷蔵庫。最近少し疲れ気味でもあります。ここは体のため、健康のため、話のタネ、と言うことで解凍にかかりました。と言っても、テーブルの上に置いておいただけですが。
その後、しばらく家に持ち帰った仕事をしているうちに、すっかりと青汁の存在は忘れていました。そろそろお昼だ、腹減ったなー、などと台所に行ったところで思い出しました。すっかり解凍されており、かつぬるくなっています。ま、飲んで飲めないことは無いだろう、これを作って売っている人がいて、買って飲んでいる人もいるのだし、などと気軽に考え、コップに青汁を入れます。コップに半分くらいあります。においは殆どありません。
おもむろに一口...うっこれは...!? 特にむちゃくちゃ苦い訳ではないです。ほんの少し甘みもあります。塩分も感じられます。そして、草の味がものすごいです。そばにあった麦茶を一気飲みしました。
ふ〜、少し落ち着いたところで二口め。あわてて麦茶を飲みます。
結局全部飲みました。体に良さそうな感じはします。コレを常飲している人がいるということは、よっぽど体に良い成分が含まれているのでしょう。でも、でも、私にはこれは続けられそうにありません。青汁に負けました。完敗です。

Midi
 大昔、音楽ツクール95+というツールで Midi を作ることにはまっていた時期が数日間ほどありました。結局、制作したオリジナルの作品は、曲も曲名もヘボくて変テコなこの2曲だけでした.....(mp3に変換してあります)
1曲め
2曲め

電化製品
 うちにある電化製品は、なかなか壊れません。洗濯機、エアコン、冷蔵庫、掃除機、みな15年以上使っています。最近のもののほうが高機能で電気代が掛からず、環境にもやさしいらしいので買い換えたいのですが、うーん、なかなか丈夫です。
しかし、壊れるときはいちどきに壊れるものです。冷蔵庫、掃除機、テレビを買い換えました。冷蔵庫はノンフロン、インバーターで、掃除機はサイクロン、テレビは液晶と、テレビ以外は何だかよく分からないのですが、新しくてうれしいですが、出費が痛いです。(2005/8追記)

運動会
 会社の運動会で「主将」をしたことがあります。主将とは、運動会の各チームの最高責任者 兼 全ての雑務をこなす人 のことです。主将の下に、「団長」とか「補佐」とかいった役割の人も数人割り当てられるのですが、ほぼ全ての人は客先に常駐していたり出張していたりしており、連絡もおぼつかない状態で当てになりません。
やる事はごまんとありました。まず運動会の各種目の選手を決めます。最初は、やっぱりリレーには足の速い若者を、とか綱引きには体のでかい奴、などと選ぼうとしていましたが、誰が足が速くて体がでかいか、情報が全然集まりません。各職場の管理職や庶務の担当者も良く分かっておらず、そもそも運動会などに時間を割くより自分のプロジェクトの遅れを何とかしたいと思っている人ばかりだからどうにもなりません。最後はえいやで名簿から、力の強そうな名前だ、とか何とか適当に選手を決めます。今度は、決めた選手に運動会に出てもらわなければなりません。管理職以上は別として、社員は会社の運動会なんて全然行きたくないのです。そんな暇があったら日頃の睡眠不足を解消したいはずです。そこを何とか出てもらわなければなりません。というわけで、任命状を作成する事にしました。口頭やメールで連絡するよりも、かしこまった任命状の方が重みが出て効果があるのでは、と思ったからです。ところがこの任命状作り、想像以上に大変でした。任命状の大半は決まりきった文章なのですが、種目名と名前は変えなければなりません。この名前をパソコンで打っていく、という作業で苦労したのです。人の名前は千差万別。それを間違いなく入力しなければなりません。一字でも間違えたら逆効果だし、期待通りに日本語変換されることはまれで、ほぼ一字一字を入力していく必要がありました。名前と種目の部分を差込み印刷するのですが、通常の印刷と比べて差込み印刷はひじょーっに遅い(当時はメモリもまだ高く、増設もままならなかったのです)。この作業で3日ほど終電で帰宅するはめになりました。
また、各チームの選手宣誓をする人(部長クラスの方が行います)には特別な衣装を着せて、場を盛り上げるという慣例があり、我がチームは赤集団ということで、赤鬼の衣装を手作りしました(殆どは庶務担当の女性や家内に頼みましたが)。
当日配布するお菓子や日本酒、ビール等も準備しておかなければなりません。大きめの段ボール3箱分のお菓子とビールを2箱(350ml24本)、日本酒の一升瓶を3本用意しました。前日の土曜日1日掛かって買い出しに行き、翌日まで自宅に保存しました。
当日は車で迎えに来てもらい、何とかトランクや後席に荷物を積み込みます。駐車場からグラウンドまでがまた結構あり、3回ほど往復し、これでもう2種目くらい出場した気分です。
無事に開会式や選手宣誓も終わり、これで後は終わったあとの片付けくらいだ、と思っていたら甘すぎました。任命状をあれほど苦労して作ったのに、任命した選手が欠席する種目が続出したのです。他の選手にあわててお願いして出てもらったりしましたが、それでも足りなかったり嫌がったりする種目には、自分が出場しなければなりません。障害物競走やリレー、綱引きなど、半分近い種目に出ました。
終わったあとは、もうへろへろでした。運動会の成績は、4チーム中4位でした。汗とほこりにまみれた顔を洗い、着替えをすませると、重たい足をひきづって帰宅の途につきました。何だか中途半端な達成感と疲労感につつまれつつ、残り物のぬるいビールを少し飲んで早めに寝ました。
翌日、使用したはちまきを洗濯して事務局に返さなければならないので、近くのクリーニング屋に100本くらいを持って行きました。予算もそう大してある訳ではないので、値引きの交渉をしましたが、はちまきは単価が低い割りにアイロンがけが大変な作業になるらしく、あまりいい顔をされません。結局Yシャツの値段以上でお願いをしました。
最後に、チームの役員で飲み会(お疲れさん会)を開きました。予算の残りの中で何とか済みました。あー、疲れた。
不況のため、この年の運動会が最後となりました。復活する事はもうおそらく無いことでしょう。あの洗濯したはちまきは、まだどこかの倉庫の中で出番を待っているのでしょうか。

ダイエット
 「何も食べないダイエット」をしていた(させられていた?)ことがあります。
朝は食べないか、せいぜい牛乳1本。昼は食べません(たまに麺類)。夜も食べません(たまにコンビニの弁当)。夜中にチョコレートなどのお菓子を食べます。このような生活を、2ヶ月ほど続けていた時期がありました。これはさすがに、劇的にやせます。70Kgくらいだった体重が55Kgになりました。しかし、体はだるく、頭もはっきりしなくなったり妙に冴えたり(徹夜続きだったせいもありますが)、精神的に少し危険な状態になりかけたりもしました。
その後、まともに食事をとれる(睡眠もとれる)環境に変わったら、驚くくらいに体調が良くなりました。やはり食事や睡眠はきちんととらないとあかん、という事を実感した経験となりました。

冬でも冷房
 これもあるお客様のところで常駐作業をしていたときの話です。コンピュータ・ルームは年中、空調で一定の温度を保っていますが、開発作業の部屋は冬は暖房が普通です。
ですが、この冬は違いました。開発期限は何が何でも、石にかじりついても、猫の手を借りても、どんな悪さをしても良いから絶対に絶対にぜーったいに守らなければならない開発でした。
広くて広くて、席が「がらがら」でしょうが無かった場所に、あーっという間に人がなだれ込んできて、通常5人で一島の机に8人も押し込まれました。夜中もこうこうと明かりが付けられ、それぞれのパソコンはほぼ24時間スイッチが入ったままで、人の怒号や熱気、照明やパソコンの熱で、いつも30度前後を保っていました。担当者は死にそうな顔で、ユーザーの管理職は怒気で顔を赤らめ、ベンダーの管理職は泣きそうな顔で、暑さに耐えていました。あるいはあまりの緊張感と疲労と眠気で暑さを感じていなかったかもしれません。
(結局このプロジェクトは大きな問題点を抱えたままカットオーバーし、世に大きく知られることとなりました。とほほ。)

おでき
 あるお客様の会社に常駐して仕事をしていたとき、貸していただいた椅子があまりにも硬く、3、4日ほどでおしりに大きなおできが出来てしまいました。余りの痛さに立ってキーボードを打っていたら、腕がつってしまい、無茶苦茶痛かったでした。
その後、厚めの座布団をひいたらあっさり解決しました。なぜもっと早く気が付かなかったのでしょう。

ランディ内田
 きゃつが死んでもう、何年経っただろう。今さら、だけですがちょっと書いておきたいと思います。
聞いたときは、びっくりした。死んだって。肝炎で病院にお見舞いに行ったことはあったけど、でも、そのときは元気そうだった。私がそう思ってただけかもしれないけど。今でもその光景を思い浮かべられる。仕事仲間のみんなを前にちょっとはにかんでる感じ。全然元気な感じ。普段とちっとも変わらない感じ。ちょっと、すごく悲しい。
お通夜に行ってみたら、バンドの仲間やファンらしき人たち、日立関連の人たち。たくさんの人たち。ホントウにたくさんの人に見送られたね…。そのときワタシは他の案件で死にそうなほど追い詰められてたけど、通夜には行って来いと当時の部長に言われて、行けました。

彼は、何だか憎らしいところもあって、憎めないところもありました。
思えば初めて出会ったのは、三和の仕事をしていたとき。彼は正直で素直で、でもいまいち信用できないところも感じました。でもいつしか仲間で、彼に仕事を任せておけば、結構良くやってくれる、という意識になりました。
他の人があまり書かないPADも当然のように書いていたし、彼のモチベーションを期待するまでになっていました。三和の仕事をしているなかでもバンド活動はやってるようで、何と取引先の行員までライブに誘って、評判を勝ち取っていた感じです!

網膜剥離(もうまくはくり)1
 2004年9月のとある日、左眼から見る景色が白くかすむようになりました。
実は昨年の同じ頃に同様の症状が起き、そのときは網膜裂孔と診断され、レーザー凝固の治療を受けました。網膜に穴が開き、そこから出血してその血で白くにごって見えるので、レーザーで穴を癒着してふさいでしまう、という治療でした。

今回も同じ原因かなと思い、眼科を受診したのですが、穴は開いていないとのことです。なぜ白っぽくかすむのか分からないまま、定期的に診察を受けていましたが、11月のある日、突然左眼の下半分が何かもやっとしたまくで覆われたような感じで殆ど見えなくなってしまいました。いつもの眼科を受診すると、網膜剥離と診断され、都内の病院を紹介されました。とにかくすぐ行け、直行しろ、との事なので、紹介状を持ってまっすぐ病院に向かいました。緊急外来扱いですぐに見てもらい、すぐに入院、と宣告されました。

入院前の検査のレントゲン撮影、心電図、採尿、採血を、広い病院内をあちこち移動しながらこなし、最後に入院手続きをして眼科外来に戻り、眼底写真を何枚も何枚も撮り、入院と言われたのに外来の先生は更に診察し、正常な右目に瞳孔を広げる目薬を差しながら診察せず、何だかわけが分からないまま眼科病棟に連れて行かれました。

一息つく間もなく担当の医師二人の診察を受け、手術が必要と宣告されます。なんとなく感じていたのでそれほど驚かずに説明を聞いていました。現在は眼内の出血がひどいので、明朝、再度診察してから手術方法、手術日を相談することになりました。病室に戻り、ようやくベッドで一息つけました。もう夕方の5時半。仕事でもないのに今日は朝から忙しかったでした。

18時少し過ぎに夕食が運ばれてきました。夕食後に家族に連絡し、明日、着替え等の入院に必要なものを持ってきてもらうことにして、朝出かけたときのままの服でベッドに横になり、眠りました。
翌日の朝の診察後、今日手術をする旨説明がありました。家族と共に手術内容の説明を受けます。バックリングという、眼の周りをベルトのようなもので巻き、その圧力で網膜を復元する方法を基本的に採り、状況次第で硝子体をすべて抜き、オイルと入れ替える方法も採りうる旨を説明されます。失敗の可能性や術後の症状などを聞き、了承します。手術室の予約状況を確認するのでとりあえず部屋で待機しておくように言われて病室に戻ります。とりあえずパジャマに着替えていると、看護士さんが来て手術室が空いているのでこれから手術をする、と言われます。おおっ、今日もまた朝から急展開な一日です。看護士さん達がいれかわりたちかわりやって来て、あわただしく体温や血圧をはかり、点滴をされます。麻酔の注射の痛みを軽減するシールを眼の下に貼られ、瞳孔を開く目薬を何回も差し、手術同意書にサインをし、車椅子に乗せられて手術室に向かいます。時間は午前10時半。手術室前のドアで何やら手術室の看護士と手続きをした後に手術室に入り、手術台にあがります。
網膜剥離2
 手術台に横たわるとすぐに体中に心電図のシールを貼られ、左腕に定期的に動作する血圧測定の器具を巻かれます。頭を固定され、麻酔の太い注射を眼の下の骨に突き刺されました。注射針をさすときにはそれほど痛みを感じませんでしたが、麻酔液を注入するときにいやーな感覚が眼の周りに充満するのがつらかったでした。

執刀担当医が麻酔の効き具合を確認し、手術が始まります。局所麻酔なので意識ははっきりとしていますが、何をどうされているのかはまるでわかりません。ただ、執刀医が若い方の医師に「こういうのを見る機会も余り無いだろう」とか、執刀を手伝わせているらしく、「違う!もっと手前!」などといった話し声は普通に聞こえます。途中、麻酔が切れ掛かり、追加注入をされたり、筋肉の部分に若干痛みを感じたりはしたものの、特に不快感はなく、何だかあっという間に終了しました。
終了後、自分で立って車椅子に座り、簡単に手術の経緯の説明を受けます。バックリングをし、若干のガスを注入して網膜を元の位置に復元したとの事です。

病室に戻るとちょうど昼食が運ばれてきていました。正味1時間半ほどの手術だったようです。麻酔が効いているのか痛みは殆ど無く、昼食をとります。手術直後なのに、食欲は(かなり)ありました。
昼食後に表に出て一服して戻る頃あたりから若干痛みを感じ、病室のベッドで休んでいると痛みが増してきました。看護士さんに連絡して痛み止めをもらって飲みますが、余り効き目がないようです。やっぱり手術をしたんだなーなどとぼんやりと考えつつしばらく横たわっていましたが、夕食の頃にはだいぶ楽になってきました。痛み止めのせいかとも思いましたが、消灯時間を過ぎても痛みがぶりかえさないので、ほっとしながら眠りにつきました。忙しかった入院2日目の手術日も、ようやく終わりました。(私の場合は普通に寝てもOKだったのですが、網膜のはがれ方や手術方法によっては、夜うつぶせで寝ないといけない、などの制限があるようです)
網膜剥離3
 手術の翌日からは、眼球を動かすと少しごろっとした感じで鈍い痛みを感じますが、その他には特別な症状はありません。食事もそれほどまずい訳ではありませんし、場合によっては結構なごちそうが出るときもあります。お願いすれば洗髪もしてくれますし、眼に水がつかないように注意しながらですが、お風呂にも自由に入れます(結構広い浴室です!)。点眼や回診の時間を避ければタバコも一服できます。21時消灯ですが、イヤホンを使ってテレビを見ることはできます。うーん、もっともっと苦しむものだと覚悟していたのですが、なかなか、もしかしたら家にいるときよりも快適です。

手術後4日目に眼帯を外されました。初めて手術後の左目を鏡で見たのですが、予想以上にひどい外見です。まるでお岩さんか壊れかけたときのターミネーターの眼です。白目の部分は全て赤黒く変色し、眼の下と左の箇所は内出血で赤黒くなっています。なかなかの迫力です。すれ違う人はほとんど振り向いてくれます。外出時はしばらく眼帯が必要なようです。

ちなみに私は4人部屋だったのですが、眼科というのは結構入退院のスパンが短く、白内障で手術する人などは、ほとんど1泊2日で退院しますので、結構入れ替わりが激しいのです。その白内障で入院してきた、一人の方のいびきに参ってしまった夜がありました。サラリーマンの管理職らしいその人は、日ごろの疲れからか消灯時間の1時間後には眠ってしまったようで、その瞬間から、「ぐうぉーう、がぐうぉーん」などといびきをしはじめました。そして、そのものすごい音量と予測不可能な発声パターンに、とてもなかなか眠りにつくことは困難な状況でした。「ぶぐあうぉー、ぐあおーーーんむ...ばふぉーーぐん」などと最大音量が続いた後、しばらく収まったので、さてこれで眠れるか、とまどろみかけました。と、次の瞬間、「ぷひゃーーほ、ぷひゃーほぷーぐーおん、ぴゃーほーん」などと予想だにしないいびき音が響き渡りました。ったくもー。で、病室から少し離れたナースセンターにも聞こえたらしく、看護士さんもときどき来ては起こして、「大丈夫ですか?」などと声をかけるとその人は「え?何が?」などと答え、看護士さんが「いびきがすごかったですけど」と言うと、「あ..すみません」などと答えていましたが、その後約3分ほどでまた大音響が響き渡ります。今まで、学生時代の合宿や大学のゼミの旅行、社内旅行、徹夜で仕事、等々で雑魚寝をしたり同室になったりして、いびきのすごい環境でも何とか眠ることができたのですが、今回はNo1です。あの豊かな音量、予測不可能な発声パターン、更に豪快な寝返り時のベッドのきしみ音。それでもいつの間にか眠っていましたが、よく眠れたものだと自分をほめてあげたいです。翌日、その患者さんはすがすがしい顔で退院していきました。
網膜剥離4
 いびきで悩まされた1夜を除いてはなかなか快適な入院生活も、終わりです。手術して1週間で退院しました。その間、同室のSさんには大変お世話になりました。Sさんは、今年(2004年)になって入院(手術)が5回目というベテランです。両眼ともに網膜剥離となり、さらに再手術もあったそうです。でもとても明るい方です。洗髪や入浴の方法、病院の売店や喫煙場所、それぞれのすいている時間帯、回診の時間帯(ベッドにいないといけない)、などなど(頼みもしないのに)色々と教えていただきました。また、ほとんど全ての看護士さんと仲良しみたいで、あの人は厳しいからおとなしく対応するとか、あのこは2年目なので頼みごとをしやすい、など(これも頼みもしないのに)アドバイスをいただきました。本当に色々とお世話になりました。

さて退院当日、パジャマから普段着に着替え、一緒に退院する患者さん7,8人と迎えに来てくれた同居人と共に、退院に関する説明を受けました(そのとき私はトイレにいたため、途中から参加しました)。説明が終わり、看護士さんやSさんに挨拶をし、眼科病棟を後にしました。外来で目薬を受け取り、入院、手術代を支払い、病院を後にしました。晩秋にしては暖かな日和です。すがすがしい感じとなぜか妙に寂しい気持ちで駅に向かいました。

退院翌日から仕事に戻りました(戻らされました)。職場でうっとうしくて眼帯を外していると、お岩さんか壊れかけたときのターミネーターのような眼に、みな驚き、同情してくれました。先輩のFさんだけは、気になるから眼帯してるよう、忠告されました。いい人なのですが、厳しい人です...

週に1回通院しているのですが、家から片道1時間かかる上、常にものすごい混みようなので、丸1日かかります。診察前の視力検査で1時間ほど、診察に2〜3時間ほど、眼底写真などの検査がある場合はさらに1時間ほど待ちます。診察や検査は10分ほどで終わります。さらに診察料の支払い、目薬が出る場合は調合待ちでそれぞれ30分ほど待ちます。えーと計算すると、家をでて帰ってくるまで最大で8時間半。朝の7時半ころに出て、帰ってくるのが16時。もっと早い日もあるのですが、通院日を土曜日にしているせいもあるかもしれませんが、それにしても混みすぎです...たまにいらだって大声で文句を言う患者さんもいたりするのですが、その気持ちも分からなくもありません。
網膜剥離5
 手術から半年ほど経ちました。手術した左眼は相変わらずぼやけて見えます。近視でぼやける感じと違って、何といいますか、少しずれて見える感じです(これじゃ分からないと思いますが、表現しづらい感覚です)。白く濁ってもいますし、飛蚊症もあります。めがねをしていても文字は読めません。ものの輪郭は分かります。ほとんど右目だけでの生活ですが、やはり遠近感が乏しくなる感じです。何かをさっととろうとしたときにとれないなどの不便さがあります。パソコンでこまかい文字を追いながら作業をしていると急に見えにくくなったりして、集中力が続かないときもあります。

今は3ヶ月ほどの間隔で通院していますが、医者はもう少し視力がでるはず、と言います。手術の結果は良好で、術後の経過も問題ないそうです。半年以上経ってから回復する例もあるそうなので、期待しつつも落ちこむときもありますが、すぐに気を取り直して仕事を片付けないと、今日もまた終電 or 徹夜になります。(^_^;

最後に、私の場合は強度の近視が原因らしいのですが、糖尿病や頭への強い衝撃も原因になりうるそうです。パソコン等でのこまかい作業は直接の原因にはならないそうですが、近視が進むと発症の可能性は高まります。結構不便ですので、少しでも異常を感じたら、早めに眼科を受診するようにしましょう。

ADSL回線1
 突然、インターネットが使えなくなりました(2006/6/29午後)。一体どうしたのだろうと、あせりました。
最初に考えたのはSkypeでした。仕事の取引先の方から、これから色々と連絡しあう事柄が増えるのでSkypeを導入して利用しよう、という案内のメールが来たのです。これが6/29(木)のお昼ごろでした。なんじゃSkypeというのは、と言うことで、早速Webサイトで調べてみました。そして、P2PのIP電話システムらしいこと、複数人で電話会議やテレビ電話もできるらしいこと、メジャーなアプリケーションであること、などが分かりました。まあ安心そうなので、早速ダウンロードし、インストールしました。インストールは順調に終了しました。しかし、ユーザー登録のところでエラーが出て、登録できません。これはうちのファイアーウォールかルーターの設定がまずいのかと思い、色々と(かなり)いじくったのですが、登録できません。そんなこんなのタイミングでインターネットとの接続ができなくなったので、こりゃSkypeにやられたか、と思い、とりあえずアンインストールしました。アンインストールは正常に終わりました。しかし接続はできません。何やらネットワーク関連の設定を変えられたか、とも思い、Windowsの「システムの復元」でインストール前の状態まで戻しました。しかし、接続はできません。困った。当日(6/29)はここまででした。明日になればつながっているかも知れないし。
ADSL回線2
 昨日の夜(夜中)、明日になればつながっているかも知れないし、との期待もかすかにありましたが、そうは問屋がおろしませんでした。少し冷静になって、PCから自分に、そしてモデムに対してpingをしてみました。応答があります。モデムのツールでモデムからPCにpingをしましたがこれも通ります。LANは正常で、ADSLが障害となっているようです。
というわけで、今日(6/30(金))はインターネットプロバイダに連絡しました。サポートセンターの電話はすぐにつながり、回線障害の経緯を説明したところ、ADSL接続会社に調査を依頼する事となりました。結果は今日中か、土日をはさんで月曜に分かるとのことでした。しかし今日は連絡がありませんでした。
それにしても、インターネットにつながっていないと言うことがこれほど不便だとは思ってもみませんでした。
プログラムを作っていてちょっと分からないところや、出張時の電車の乗り換えや天気予報を調べたり、金融機関口座の確認や振込み/振替などや、メールの送受信など、いかにネットに依存しているかが良く分かりました。
ADSL回線3
 土日はADSL接続会社も休みと思っていましたが、日曜(7/2)の午後に電話がかかってきました。担当者の方の言われる通りに、ADSLモデムとNTTのモジュラージャックをスプリッタ経由なしで接続したりケーブルを替えたりモデムの初期化をしたり、ラジオや電子レンジなどのノイズが入る可能性のある機器の確認をしたり光ファイバーの導入やNTT以外の電話会社との契約状況などの質問に答えたりしましたが、原因の特定には至りませんでした。うちはマンションなので、MDFまわりの工事状況の話もでましたが、今日は日曜なので管理人さんがお休みで確認できません。結局、モデムを交換する方向で話は終わりました。来週の水曜か木曜に到着する予定だそうです。
夕方出かけようとすると、管理人さんがいました。休日出勤だったようです。そこで電話の工事の話を聞いたところ、昨日工事があったとのこと。昨日では関係ないなと思っていたら、いやおとといだったかも、いや木曜だったかな、と言います。少し年をとっている方なのであいまいですが、可能性はでてきました。そこで、インターネットに接続できない、ADSLが接続できないと言うと、明日マンションの管理会社に確認する、と約束してくれました。
翌日の月曜(6/3)は管理人さんと会わずじまいでしたが、何も連絡はありませんでした。当然接続もされていません。
火曜日(6/4)の朝に管理人さんに聞くと、昨日は会社がお休みで連絡をとっていないそうで、今日連絡するとのこと。テレビの件ですよね、と言うので、いえインターネットです、ADSLです、と答えます。ほどなくマンションの管理会社の担当者から電話があり、テレビの件で何か不都合があるとのことですが、と切り出され、うーむこりゃあかんと思いつつ、インターネットです、ADSLです、と言うと、至急NTTに連絡して調べてもらうとのことです。するとほどなくNTTの担当者から自宅まで伺うとの連絡が入ります。今回は対応が早いです。30分ほどしてNTT(の関連会社)の担当者がこられ、少しみてもらいましたが、結局回線自体は問題が無い、モデムが疑わしい、との説明をされ、帰りました。
と、ほとんど入れ違いに宅急便が来ました。一日早いモデムの到着です。早速梱包をといて、全く同じ機種ですが新しいモデムと交換してみます。ADSLランプは…付いた!おおっやっぱりモデムが壊れていたのかあっ。
その後、モデムに対してプロバイダの設定やらセキュリティの設定などを行い、Webサイトの閲覧、メールの送受信ができることを確認しました。さらに帯域調整をした(低速の)回線を元の高速回線に戻すよう依頼をしました。出張してくださったNTTの方に報告とお礼の連絡をしました。メールは200件ほど受信しましたが、180件くらいは迷惑メールでした。残りの20件ほどは小1時間ほどかけて処理しました。そして、モデムとケーブルが場違いにきれいになりました。

迷惑メール
 ここ最近、ますます迷惑メールが増えてきました。1日にだいたい20から50通程度やってきます(2006/4)。これが多いのか少ないのか分かりませんが、削除するのが面倒、というよりも、「メールが届きました」と数10分おきにポップアップ表示されるので「お、○○さんからかな?」と思って見てみると迷惑メールばかり、という状況に腹がたちます。セキュリティソフトが迷惑メールと判定したものは、ほぼ無条件に削除しますが、過去に1件だけ取引先からのメールが迷惑メールと判定されていたことがありましたので、注意が必要です。このときは開封済みにしてから「Delete」キーを押す寸前で送信者名で気がつきました(重要度高めの内容でしたのであぶなかったです)。

腹をたてるのにも最近は疲れてきたので、今では機械的に「開封済みにする」→「ちらっと送信者名や件名を見る」→「削除する」動作をするよう、指がかってに動いてしまっています。そんな嫌われ者の迷惑メールですが、件名については考えたなというものも中にはありました。以下に、思わず開けそうにもならないのですが、興味深い件名を紹介したいと思います。(思わず開けてしまったものは書いてません)
・オシャレなお兄さんあっそっぼ(≧▽≦)  (注:ふ...「オシャレなお兄さん」 か….)
・あなたがチュキだから!!  (注:チュキって……)
・オナヌー現場  (注:………)
・一緒に癒しあいませんか?  (注:別にいいっす)
・主婦と友  (注:主婦の友でも別にいいのでは…)
・堀江です。  (注:事件直後からたまにきます)
・もう絶対にメールも電話もしませんから…せめて最後だけ聞いてください。  (注:このあとも同じ名前でさんざん来ました)
・お前ら給料泥棒か!?  (注:意味不明)
・もうすぐ夏ですね  (注:「そ・う・だ・ね」とつぶやきながら開封済み→削除)
・あなたはロック☆オンされました!!!(注:意味不明)
・わたしもうだめかも…(注:おもわず開けそうになりました)

2007/10現在、週末は1日に100通以上の迷惑メールが…

Skype
 取引先の方からの要請で、Skypeを使い始めました。バージョン2.5です。インターネット回線を使用して、電話のように通話をしたり、チャットをしたり、ファイルを送受信したり、ビデオ通話もできる、というものです。
うちにある最高級のパソコンはCeleron700Mhz、メモリ512MBなのですが、それに取り付けて試してみました。
■通話
電話より少し聞きとりづらいです。こちらのPCやヘッドホン、通信回線などの環境のせいか相手の環境のせいかは不明です。また、通話中は他のアプリケーションの操作は極めて遅くなります。
■チャット
普通にできます。
■ファイルの送受信
遅いです。FTPによるダウンロード時は5,6MByteで受信できますが、Skypeでは1〜3MByte程度でした。
■ビデオ
ビデオの設定時に画像が表示されず、試せていません。これはPCの能力不足のためかと推測しています。

無料で通話ができるというのはかなり魅力的ですが、仕事のツールとしてはまだ少し使いづらい感もあります。また、このアプリケーションはなぜかアクセラレータキーがありません。

ハードディスクの不調
 発端は、何か作業をする度に(ファイルを開いたりソフトを起動したり、エクスプローラで右クリックしたり...)ディスクがカリカリ、カリカリ、と、何度もアクセスしてようやく始まる、という状態となったことが始まりでした。どうしたのだろうと思いつつもそのまま使っていると、2、3日後にWindows(XP HomeEdition)が起動しなくなりました。「\WINDOWS\SYSTEM32\CONFIG\SYSTEM」が存在しないか、壊れている旨のメッセージが表示されて起動が止まってしまいます。

サブのパソコンでWebで調べてみると、どうもメッセージのファイル(拡張子がないので、当初はフォルダだと思っていましたが)が何らかの原因で壊れたから復旧しないといけないらしいのです。回復コンソールでSYSTEMファイルをリネームしたりコピーしたり、再起動したりと、七面倒くさい手順を踏んで復旧したのですが、Windowsインストール時の状態まで戻ってしまうので、ドライバはインストールし直さなければなりません。とりあえずグラフィック、マウス、プリンタ、サウンドブラスターだけを最新の状態にしてその日は何とか使っていました。原因は全く不明なままですが、次の日も問題なく使えていました。

そしてその次の日の朝、また、あのメッセージが出て、Windowsの起動が止まりました。七面倒くさい復旧作業をします。ドライバもインストールし直します。で、何とか使っていました。その日の夕方ころ、原因が分からないのが気になって、また再起動してみました。止まりました。復旧作業をします。今度はChkDskをしてみました。おおっ、エラーが出てくる出てくる。スワップファイルもエラーになったので、一旦削除して再起動したり、またエラーになって起動しなくなったので復旧したり、何度もChkDskしたりと、この夕方から深夜にかけてのことはよく覚えていません。

結局何とか復旧したようなので、その日はやけ酒を飲んで寝ました。次の日は問題なく使用できました。ChkDskをあれだけしたのだからディスクも回復したのでしょう、などとのん気に考えていました。ですが次の日、またWindows起動中に止まりました。このとき、ディスクの交換を決断したのでした。
ハードディスクの交換
 これ程大変だとは...(ここから少し長文です)
メインで使用しているパソコンの(OSが入っている)ハードディスクが不調なため交換したのですが、交換作業やOS、アプリケーションのインストール、環境設定等に3日もかかるとは思いもしませんでした。
ディスクの交換を決断したのは朝9時ころ、パソコンショップはまだ開いていません。仕方がないので、吉野家で納豆定食を食べたり、図書館でOS再インストール関係の本を読んだりして、開店の11時を待ちました。11時3分ほど過ぎたあたりに店に着き、、まだディスプレーを整えている店内に入り、ハードディスク(IDEバルク)のコーナーに行きます。おおっ!最近は100GB越えてるのに1万円前後で買えるのですね。おもむろに店員さんにキャッシュの2Mと8Mの違いとか、音が静かなのはどれか、とか適当に聞いて、結局HITACHI製の160GBのものを購入しました。

家に帰り、早速ケースを開けます。現在は、プライマリーのマスターが壊れかけているディスクで、スレーブにデータ用のディスクが接続されています。まずは壊れかけているディスクをスレーブにして、新しいドライブをマスターにします。OSをインストール後、必要なファイルをコピーしてから、元のスレーブドライブに接続し直す、という計画です。が、ケースの構造か、ディスクを取り出すのさええらい苦労です!取り出そうとするとマザーボードの部品にぶつかってしまうのです。そこを無理やりマザーが壊れないことを祈りつつ斜めにして取り出します。大昔にやはり取り出しに苦労して結局そのまま何にも接続されないままケース内に放置されていた400MBのディスクも取り出します。ここまでで約3時間(!)かかりました。

IDEのソケットやジャンパを変更して、パソコンを起動して、OSをインストールします。OSのインストール自体は順調に終わりました(それでも2時間弱かかりましたが)。うう…、ですが、元の壊れかけたCドライブディスクをスレーブ接続してインストールしてしまったため(最初にパーティションをよく確認しなかった)DVDドライブ等もあったので、Fドライブとしてインストールされてしまいました。OSがインストールされているドライブのドライブレターは変更できないようですし。やり直すことも頭をかすめたのですが、2時間を無駄にはしたくなかったので、このまま進むことにしました。
壊れかけたCドライブのディスクから、必要なデータ類をFドライブにコピーします。やっぱり分かりづらくなるかな、と思いつつもそのままコピー作業を続行します。MPEGデータなども結構あるので、コピーだけで2時間程かかりました。IEのお気に入りやOEのアドレス帳、メールデータ、IMEのユーザ辞書などもエクスポート、インポートをします。

移行が終わったころは外は暗くなっていました。昼飯は抜きです。壊れかけたハードディスクにさよならをします。PCの電源を落とし、元のスレーブのディスクにつなぎ換え、ケースにしまいます。1日目はこれで終了としました。
2日目は、Windowsのアップデートや、ドライバ、アプリケーションのインストールです。どうせならと、最新のドライバをダウンロードしまくり、インストールしましたが、あまり変わっていない感じです...(唯一サウンドブラスターのドライバ変更後に音質が若干良くなったのが救いです)。後はアプリケーションをインストールしまくります。Officeは本体だけでなく、サービスパックのインストールにも時間が掛かります。ほこりをかぶったCD-ROMを引っぱり出し、次から次へとインストールし、Webでアップデートできるものは片っ端からダウンロードします(最近はこの手のソフトが増えています)。また、アプリケーション開発ソフト(Delphi)に、大量のフリーコンポーネントもインストールします。これがまた一つでも漏れるとそのコンポーネントを使用するソフトのデバッグが出来なくなるので気を使います。深夜まで作業し、何とか主要なソフトのインストールは終わりました。疲れました。

3日目は、オンラインソフトの残りのインストールと、通信関連ソフトなどの設定作業を行います。また、Windows自体のカスタマイズ、スタートメニューの調整、送るメニューの変更などなど、最終的なチューニングをして終わりです。と、ここまで来て、エクスプローラの表示が変です。左側のフォルダ表示欄にアイコンが何も表示されていないのです。こんなだったかな、などと疲れた頭で考えていましたが、昼食のときについでにパソコンショップでエクスプローラを見てみると、ちゃんとアイコンが表示されています。これはやはりおかしい。Microsoftのサイトで調べてみると、何と、Cドライブが何もないシステムではこのような現象になるとの記載が..でも対処方法も出ていました。コマンドプロンプトのsubstコマンドでドライブ名を関連付けることで解決するらしいのです。いまいち意味が分かりませんでしたが実行してみると、やっと元のエクスプローラに戻りました。良かった。でもWindowsの起動毎にsubstコマンドを実行しないといけないので、バッチファイルにしてスタートアップに登録しておきます。うーん、何だかやっと元の環境に戻った感じです。

ところが、まだありました。新しいドライブのプロパティを見てみると、容量が127GBしかありません。確か160GBのドライブを買ってきたはずなのに...でも、そう言えばハードディスクを買うとき、店員さんがWindowsのバージョンがどうとかサービスパックがどうとか百何十ギガしか認識しないとか言っていた記憶がよみがえって来ました。そのときは何も気にしていなかったのですが。Windows Updateの「重要な更新」は全て済ましていたので、コントロールパネルからコンピュータの管理ツールを起動して見てみると、おお、Fドライブの未使用の領域が25GBありました。これを使用する設定にしてフォーマットして、ようやく認識するようになりました。

何だか、疲れました。ハードディスクの容量が増えたこととサウンドの音質が若干良くなったことを除いては、以前の環境と全く変わっていないのに。Windows98の頃に同じようにディスク交換したときは、こんなに苦労した記憶はないのですが。インストールするソフトが急増したためでしょうか。こういう「移行」作業を簡単に行えるツールが製品として存在する理由がよく分かりました。
100円ショップ
 ここ最近、生活雑貨などは100円ショップで買うことがとても多くなってきました。また、どこに行っても100円ショップがある感じです。
100円なのにとっても役にたっているもの、長持ちするモノがある反面、やっぱり安いだけのモノかと、納得 & 反省することも多々あります。
以下は主な購入品の感想です。
■時計
割りと正確ですが、カチカチ音がうるさいです。また目覚まし時計など、朝ちょっと(バンっと)ベルを止めるボタンを押したら針が取れました。
■割りばし
80膳も入っていてお得な感じです。別の店では100膳のものもありました。ただ、割るときに失敗する可能性が少し高い気もします。
■歯ブラシつるし(と言うのか、鏡にペタッと貼ってはさんでおけるもの)
10年くらい使っています。
■はさみ
普通の紙紙など用。切れ味は落ちていません。
■めがね用などの小さいマイナスドライバ8本セット
めがね用でしか使ってないので(力を入れないので)つぶれることはありません。他のサイズのものは全く使ったことがありません。
■花瓶、植木鉢
これはおしゃれ!というものはほとんど見当たらないのですが、普通な感じのものは探せば見つかります。
■懐中電灯
スイッチが壊れやすくて、電球の接触もよくないようです。
■乾電池
減り方がとてもとても早い気がします。
■食器洗いスポンジ
4枚入りのもの。何だか薄くてしょぼいです。。一応洗えてはいるのですが。
■A4の透明ブリーフケース
長持ちはしているのですが、近くのスーパーで80円くらいで売っていました。
■詰め替え用のシャンプーなどを容器に入れるじょうごみたいなもの
最近の詰め替え用の容器はうまく出来ていて、直接入れやすいように工夫がされているので、まだ1回も使ってません。
■デジカメの液晶保護シート
電子辞書用の大きいのを切って使ってます。9回くらい使えます。

はえとり紙
 最近、ホームセンターなどで「はえとり紙」を見かけることが多くなりました。はえとり紙と言えば、昔まだ子供だったころ、夏休みなどに(母方の)田舎に遊びに行くと、天井からぶらさがっていたことを思い出します。そして一度それに頭をくっつくてしまったことも思い出します。それはそれは強力な粘着力で、どうやっても髪の毛からはがれてくれませんでした。どうやってはがしたのかは憶えていませんが、はがした後も髪が粘土のようにべたっとしていたこと、何度かシャンプーで洗ってもなかなか完全には取れなかったことは記憶に残っています。
とんまな思い出はさておき、最近、はえや蚊ではない小さな虫が部屋に入ってくるようになりました。最初は、むーしむしのーーー!(ゴームゴムのーーー!調)などと言いながら手でつかんでいたのですが、効率が悪いため、また100円ショップでも売られていたので、はえとり紙を買って付けてみました。最初はあまりくっつかなかったのですが、一匹くっつくとどんどん取れるようになりました。
しかしふと考えたのですが、このはえとり紙というもの、虫にとっては結構残酷な装置なのではないでしょうか。手でつぶされたり殺虫剤でならほぼ即死でしょうが、これにくっつくと、生きたまま何も食べられず、何も飲めず、どこにも行けず、完全に自由を失ってしまうのです。自分がある日部屋の壁に手がぴたっとくっついてしまい、声も出せず、連絡も一切とれず、人もやってこない状況になったとしたら、これは悲惨な状態です。これを解決するために、最近では毎日はえとり紙に殺虫剤をまいているのですが、粘着力が落ちないか少し心配です。また、昔のように誤って頭などをくっつけないように、より注意をしないといけないと言うわけなのです。

潮干狩り
 久しぶりに潮干狩りに行ってきました。学生時代の友人と、車で木更津まで出掛けたのですが、いかに道路が混んでたか、どれだけトイレを探し回ったか、駐車スペースをいかに探し回ったか、何回道を間違えたか、誰のせいで間違ったかという事でけんかになったこと、等々の、到着までの道程は記しません。
 なにはともあれ、想像以上に楽しかったのでしだ。行く前までは、何を今さらって感じで、疲れるだけだしって感じで、雨でも降ってパチンコでもした方がましだって感じだったのですが。到着後も妙な格好の赤い橋を渡らなければならないし(風が強くて高所恐怖症の私はこの高い橋が怖かった)、人がとにかくたくさんいて歩くのにも苦労するし、ゴムサンダルが足の指の間にくい込んで痛いしで、さんざんだったのですが。やってみると、これがおもしろい。
 最初はこんなに人がいちゃあ、貝もすっからかんだろうと話していたのですが、どっこい、貝さんはまだまだたくさんいたのですねえ。だだっぴろい砂浜というか泥浜を色々と掘っていると、全然いないところや、数はたくさんいるけど小粒のものだらけのところや、大きめな貝が集まっているところ(ラッキー)、赤貝やあおやぎがいる場所など、さまざま。熊手で砂を掘るときに、カチャっと貝の手ごたえが感じられるのも、釣りのウキがぴくっといったときの感じと少し似ていて楽しい。足が痛いのでサンダルを脱ぎ、素足で生暖かい砂の上を歩くのも気持ちが良い。迷子の放送がひっきりなしに流れるのも慣れると心地よい(?)。
 という訳で、すっかり童心に帰って楽しんだ一日でした。帰りにどれだけ道路が混んだか、有料道路を通るか通らないかで口論になったか、晩飯を何にするかでひともんちゃくあったか、等々は記しません。
 最後に、次回行くときの必須アイテムを書いておきます。服装:半そで(又は簡単にまくれる)シャツ、半ズボン(又はひざ位までめくれるズボン)、帽子(日差しが強いときは絶対に必須)、足が痛くならないサンダル。道具:熊手(手でも掘れるがだんだん痛くなる)、網(泥が落ちる程度の網目のもの)、ザル(あると便利)、クーラー(電車で行く場合はあった方が便利)、ペットボトル(海水を持ち帰る。クーラーに入れる場合は必要ない)


神田川
 かぐや姫の歌った神田川。もう、かな〜り前にヒットした曲です。最近部屋の整理をしていたところ、どこからか出てきたカセットテープの、ライブ収録のものを聞きました。確か日比谷公会堂でのもので、テープなので音質は良くありませんでしたが、フォークで長髪にジーパンな時代、昭和の感じ、それからなぜか曇った灰色の空と晴れた青空、を思い出しました。
 その後、ライブのDVDを購入しました。昔のライブ映像なども含まれていてなかなか良かったです。(後半から登場したバックのドラムの女性がチャーミングです^^)


携帯電話
 2000年ころから携帯電話を使っています。最初は、同居人が「今どき携帯くらい持ちなさいよ」と言いながら勝手に買ってきた TU-KA のプリペイド式の携帯電話が始まりでした。プリペイド式とは、料金を前払いで支払う(プリペイドカードというものを買って登録した分だけ通話やメールができる)というものです。
一定間隔でカードを登録するのは面倒でしたが、基本料金がかからず、通話料は割高ですが発信することが余りなくメールで済ませることが多いため、リーズナブルではありましたので、何となく使い続けてきました。
それが、2007年の初めくらいに、TU-KA が2008年3月で終了、というニュースを知りました。で、同じ KDDI グループの au に携帯端末代無料で移行できるらしいのですが、その当時は3万円くらいあった登録済みの残高は au には移行できなかったため、しばらくはなるべくこちらから発信するように使って残高を減らすようにしていました。
そんな折、移行時に残高がカードで返還されるように方針が変更となったとのニュースを知りました。au のぷりぺいどサービスは TU-KA と違ってEメールができないこと、センター留守録もできない(携帯端末の簡易留守録のみ)、ということなので、ソフトバンクのホワイトプランにしようかかなり迷いました。ですが、残高が結構残っていること、ソフトバンクは電波が不安定(?)でつながりにくい、あるいは切れやすい、という噂を耳にしたこと、また現在使っている端末もバッテリーの持ちが悪くなってきて、さらに通話中にやたらとよく切れるようになってきたため、au に移行することにしました。
2007年5月に変更しましたが、やはり新しい端末は機能豊富です。薄いしきれいだし、かわいい感じ?って感じ?うれしい?って感じ?とはしゃいだりもしたりしました。ただ、前のものより少しヤワな感じかなって感じ??
(2007/6記)
2007/8追記:落としました。自転車からコンクリート道に。壊れはしませんでしたが、傷が少々。悲しいものです。
2007/10追記:また落としました。今度はウラのバッテリーも飛び出てしまいました。適当にはめ込んだら無事に動作はしました。傷はまた増えました。悲しいです。


プリンタ
 パソコンのプリンタが壊れました。CanonのBJC-250Jです。考えてみると、ずいぶんと長持ちしたものです。以前は年賀状を印刷したり、せいぜい月に1回くらい交通機関の乗り換え案内のHPなどを印刷する程度でした。最近では仕事用のサンプルPOPや仕様書などの印刷が増えてきて印刷量が増えてきたせいで寿命となったのかもしれません。
 ある土曜日、月曜の打ち合わせに必要な書類を印刷しようと電源を入れると、アイドリングのジージーという音の途中でピッと音が鳴り、ランプが点滅するのみでプリンタが立ち上がらなくなってしまいました。休日でサポートセンターもお休みですし、Webサイトを検索しても、昔の機種ということもあるのか、ほとんど情報が集まりません。
 ここはもう寿命と考えて買い換えることにしました。とは言っても、絶対に明日の日曜中には書類を印刷しておかないといけません。安売り店などを探す時間もなく、近所の量販店でCanonのIP4500という機種を購入しました。
 しかしこういうときに限って自転車の調子が悪く、歩いて持って帰りました。10分ほどの距離なのですが、結構重く、腕がつりそうになりながらようやく持ち帰りました。
 早速梱包を解いて、セットします。結構でかい。使っていたBJC-250Jをおろし、新しいIP4500を置くと、今まであったスペースがほとんど無くなってしまいました。ケーブルをつないでインクをセットし、パソコンにプリンタドライバをインストールします(40分ほど掛かりました)。インクヘッドの位置調整のテストプリントも順調に終わりました。少し時間が掛かったものの、めずらしく順調にセットアップが完了しました。
 早速必要な文書ファイルを開き、印刷してみます。おお〜っ!無茶苦茶速い!感動モンです。激速、、超速、スーパーカー並み、といっても過言ではない感じです。旧機種が遅すぎたせいかも知れませんが…それから、思っていたより静かです。旧機種がうるさすぎたせいかも知れませんが…
 何はともあれ、これで年賀状も印刷できるというものです。買い置きしていたインクは無駄にはなりましたが、今までありがとう、BJC-250J。
(2007/11記)


キーボード
 今までパソコンは最初の1台とノートPCを除き、全て自作してきました。なのでキーボードやマウス、ディスプレーなども好みのものを個別に買ってきて接続して使っています。ディスプレーやマウスに関してはある程度こだわって選んできたつもりですが、キーボードは特に意識せずに、1,000円前後のものを使ってきました。
 あるとき、家電量販店で時間が余っていたので、何のきなしにマウスやキーボードを触ってヒマをつぶしていました。そこで偶然東プレやFILLCO、富士通のリベルタッチなどのタッチの良さに気がつき、へ〜値段も高いけどタッチも全然違うな〜などと思いながら、そのときは連れの買い物が終わるのを待っていました。
 それから2ヶ月ほど経ち、あのタッチの良さが忘れられずにいるところに、使っていたIBMのキーボード(2,000円くらいのモノ)が突然認識しなくなりました。WindowsXPでユーザープロファイルを指定しているため立ち上げ時にパスワードを入力しなければいけないのですが、キー入力ができないのでどうにもなりません。そこで先日の家電量販店におもむき、色々と物色していました。最初はFILLCOの黒軸のヤツでも買おうかなと考えていたのですが(これでも9,000円以上!キーボードにこの金額は全くの想定外なものでした)、東プレのも良いな、などさんざん迷った挙句、富士通のリベルタッチというキーボードにしました。17,800円・・・何をとち狂ってこんなものを買ってしまったのでしょう。
 そして家に持ち帰り、USB接続し、PCを起動してみると、認識しません!これは!!と再度USBケーブルを抜き差しすると、何故か今度は認識しました。ホッ。
 この文章はリベルタッチで作成していますが、やはり打ちやすいです。割と打鍵音も静かです。なかなか良いです。これだけ出して買った甲斐があるというものです。あと10年くらいは使いたいものです。
 色は白と黒があったので白い方にしたのですが、黒も良かったかも、などとは思いません。NumLockやCapsLockのLEDが中央にあるのは少しなじめませんが、また「Libertouch」のロゴがいまいちなフォントにも見えますが、すぐに慣れることでしょう。
 もう少ししたら付属の重いキーや軽いキーなどとの付け替えも挑戦してみたいと思います。
(2008/1記) キーボードの画像はこちら


エアコン
 2月のある朝、エアコンがリモコンに何も反応しなくなっていることに気付きました。困った…。今日は比較的暖かいので良いのですが、まだまだ寒い日も続くことでしょう。
 そこでまずは、リモコンの電池を交換してみました。だめでした。
 次に、Webサイトで検索して見つけた「コンセントを抜いてしばらく待ち、再度さしてみる」という技を試してみました。だめでした。
 今度は取扱説明書に書いてあった(順番逆な気もしますが)「リセットボタンを押してみる」、「フィルターを掃除してみる」を試してみました。だめでした。
 購入してから6年半。保証期間は冷凍サイクルというよく分からないものも含めて過ぎています。修理にいくら位掛かるのだろう…買いなおした方が安いかも…などと考えつつ、昼ご飯食べに行こうと玄関まで行って、見つけました。エアコン用コンセントのブレーカーが落ちていることに!うぅ、これだったのかあ、と、ひとしきり感慨深げに落ちているスイッチを見上げたあと、ブレーカーを入れてリモコンのスイッチを押すと…暖かな空気が出てきました。あぁ、ぬくい。今日はそれほど寒くないけど、ぬくい〜。
 というわけで1時間近く悩みましたが、おかげで久しぶりに内部の掃除もできたことですし、リモコンの表示も濃くなって見やすくなったことですし、ブレーカーの存在を再認識できたことですし、何はともあれ良かった良かったです。と言いますか、すぐに気付けよ、自分!


PCモニター
 かなりの長い間、パソコンの画像を映し続けてくれたソニーのCPD-G200、ようやく引退の時期が来たようです。
 思えば当時の17インチディスプレー(CRT)は高かった。それに重かった。ですが、人とのI/O関連は高くても良いものを、とキヨミズの舞台から飛び降りる思いで購入した記憶があります。
 購入当時はその広大な画面にとまどいつつも便利に使っていました。いつしか液晶全盛の時代になっても、我関せずといった具合で鮮明に表示してくれてました。先の大地震でも、筐体のプラスチック部分の一部が壊れましたが、何とか画像は普通に映していました。
 ですが、段々と黄色っぽい画面になるときがあったり、画面の左側が暗くなったり(特にパソコンの起動直後は見えないほど暗い)、ちらつきが目立ってきたりと、目に悪そうな不具合が出てきました。
 そこで液晶ディスプレーへの交換を検討し始めました。調べてみると、TN とか IPS とか液晶パネルにも色々な種類があることが分かってきました。特に動きの激しいゲームなどをやるわけでもなく、正面から見て画面のすみまでちゃんと表示されてれば良し、で、目に優しめな感じで価格の安いもの(コレが最重要項目)を優先して、最終的に三菱のRDT232WX、DELLのU2311H、LG電子のE2370Vに絞りました。DELLはノートPCで痛い目にあってるのでパスして、国産の三菱にしようかとも思ったのですが、スピーカーは必要ないし少しでも価格の安いE2370Vにしました。
 アマゾンのオンラインショップで購入しました。注文のポチ後の翌々日に到着しました。早速パソコンに接続して写ることを確認し、地震対策で机にひもでくくりつけて、解像度や明るさを調整(明るさは0〜100まで変更できますが、0でもまだ明るめです)し、1時間くらいで作業が完了しました。
 ふ〜、思ったより順調。ドット欠けなどもないし視野角もTNパネルよりは充分にあるし普通に写るしで、まあ満足です。
 ところで、ソニーのCRTディスプレーの破棄をどうしようかと市役所に相談してみますと、それはメーカーで引き取るとのこと。早速ソニーのサイトを見てみると、リサイクル料がなんと4,200円とのこと!エ?結構高いのね。中古引取りのお店で処理してもらうことも考えたのですが、面倒くさいので結局依頼することにしました。
 Web上で依頼のポチをしたら、翌々日にゆうパックの書類が郵送されてきました。すぐに郵便局に連絡すると、その日の夕方には引き取りに来て持っていってしまいました。
 思えば長いことお世話になったものです。単なるモノなのですが、何かペットが亡くなったときのような悲しい気分になりました。ありがとう、CPD-G200。リサイクルされて世の中のお役に立てればうれしいな、と思っています。


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