岡庭 昇 の評論
「民衆的」であることの卓越性 ――戦後民衆運動としての創価学会
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「民衆的」であることの卓越性――戦後民衆運動としての創価学会
岡庭 昇
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民衆運動とはいかにあるべきか
さまざまな意味で、戦後民衆運動としての、創価学会の卓越性に着目することが多い。かねて反・体制を称してきた政治勢力や運動の、あまりにも情けない現状がそういう気分の前提にあるのは否定できないだろう。だが、そういういわば相対的な理由だけではない。そもそも民衆運動はいかにあるべきかという本質的な問いを促し、かつその本質的な問いに応えるものとして、いわば創価学会に対するわたし自身の再認識と、創価学会をさらにさまざまに再評価したいという欲求がある。
さてでは、民衆運動とは何なのか。どうようにあるべきなのか。
結論からいってしまおう。それはなにも言い換えのできない、他の名分によって正当化されることのない、まさに民衆運動そのものとしての民衆運動なのである。断るまでもなく、このことをわたしはいかなる意味でもレトリックとして表現しているわけではない。
これこそはわたしにとっても貴重な発見なのであり、そこには戦後民主主義に関わる根本的な認識の転換が含まれている。
日本の百三十年にわたる近代化の虚妄といっても、そのアナロジー(類比)としての戦後民主主義の欺瞞(ぎまん)と言い換えてもいいが、そのすりかえられた精神を、ほんらいの精神のままごくまっとうに信じ、ごくまっとうに実践してきたののなかにこそ、民衆運動は実態として成立することを可能としてのである。
●「国民」という強制、「人民」という要請
戦後過程において、民衆はさまざまに「民衆という規程を強制」されてきた。たとえば一党独裁の方からは、それは「国民」であった。つまり「国」に「所属」するものとしての、そうであることで意味を持ち得るものであるに過ぎなかった。そこから民主主義を称しながらじつは権力をこそ主人とし、それに隷属することが民衆にとっても利益をもたらすのだ、とする国権主義が一般的になった。
では反・体制の側はどうたったか。
そこでは、民衆は「人民」であることを要請された。階級性に自覚的であり、みずから努力して「人民」へと上昇しなければならないとされたのである。それは一応は規範の獲得へ向けて努力することであり、体制に対して迎合しないこともあって、意思的に生きる志と呼応するものがあった。
ではそれこそ真に民衆を代弁したのか。そうではあり得なかったところに、戦後民主主義のまさに問題点がある。
その根本は、「民衆から人民」に上昇しなければならないとするこの規範そのものに存在した。たしかにそれは魅力的なテーゼではあるが、逆に考えればどうなるか。「人民たり得ない民衆」など認められないとする排除律は必然ではないか。実際、それは権威であることによる排除律として機能したのであり、そのことで権威はさらにそれゆえの権力としても君臨した。戦後民主主義の評価において、このことを欠かすわけにはいかない。
●補完し合う保守と革新
一党独裁は民衆を「国民」に変質させた。民そのものではない「国の民」なのであり、それは民がたみであることを放棄することにほかならなかった。そのようにして、一党独裁体制は民衆(の倒錯したありよう)の側からも成立したのである。
そしてそれに対置され、それと戦ったはずの反・体制の側も、選ばれた者、有資格者としての「人民」を、いわば民衆に要求することにおいて国民と同質の強制を結果してしまった。
ここに戦後民衆論は、閉鎖的で特権的な空間の成立に遮られ、ついに成立を困難にせざるを得ない。それらは体制と反・体制という意味では対立してはいるのだが、実際にはそれぞれの持ち分において、戦後という反・民衆的な体制を担ってしまうのである。
これはまた、五五年体制とひとくちに呼ばれる支配空間の本質でもある。つまりは一言で言って「役割としての異議」であり、「予定調和としての反対」を前提とする、一党独裁体制の一翼にほかならない。
一党独裁体制の強さは、異議を通じても支えられてきた点にこそある。皮肉に言えば、「国民」という服従の概念に対立するはずの「人民」は、じつは対立を役割することで「国民」のなかに確固とした位置を保証されたのではなかったか。
●民主主義を媒介にして独裁は完成する
この事実の分かりやすい(分かりやすすぎる)例が、社民党(かつての日本社会党)の現状である。権力翼賛と批判の側に分かれてはいるが、共通の虚構空間に位置し、それを共通に認めることで実は一党独裁の成立と維持において共同して努めてきたという指摘は、いまや逆説でもなんでもない。それはもはや、露骨な統一のもとにある。たとえ土井たか子が自民党に使われることにどれほど本気で不満であろうと、その一員である保坂展人が教育における市民運動でどれほど本質的な実践を積み重ねてきたにせよ。彼らはいま実際には、一党独裁の危機を市民に押しつけようとする権力の陰謀にまぎれもなく荷担している。
具体的な行動で賛意を投じながら、議会の外では政府批判をするような真似はやめろと菅直人が言うのはその限り当然だろう。
実際に、土井たか子の「自民党との連立」に対する不満が本気であればあるほど、それは自民党、あるいは一党独裁にとって有益であるだろう。きわめて非・民主的、独裁的に振る舞っている一党独裁は、すでにわたしが指摘したように、民主主義を媒介して成立する独裁という本質を持っているのである。そのような権力にとって、不満を持ちながらの連立ほどありがたいものはないだろう。このような狡智、狡猾な権力にとって、社民党との連立はこの意味で保・保連合よりはるかに政治的に優越しているのである。
それはさておき、社民党との連立が五五年体制の欺瞞を体現しているというは、たんに自民党とかつての社会党が連立しているからというだけではない。独裁に対して、雰囲気としての(それ以上はあり得ない)「ためらい」を付け加えることでまさに完璧にそれを示している。
●民衆が民衆そのものとして生きる道
先日、『ノリソダ騒動記』で知られる戦後派文学の作家・杉浦民平に話を伺う機会があった(月刊『潮』98年三月号参照)。
ところでその杉浦氏にあざやかに残る記憶がある。当時、農村対策に取り組んだ中国共産党などを参考にして活動したが、肝心の農村のもっとも貧しく、困難な状況にある層が連帯してくれない。いくら努力しても駄目で、封建制に打ちひしがれている。ところがいったん創価学会の活動家になったケースでは、堂々と胸を張ってモノを言うようになって、その変貌に驚かされたというのである。
『新・人間革命』はすでにこの誠実な作家の創価学会との鮮烈な出会いについて論及している。わたしはそれは創価学会体験であるとともに、まさに民衆とは何かについて本質的に考える機会でもあったのだろうと思う。
若き杉浦たちの反・封建の戦いが、戦後左翼一般がしばしばそうであるようには「高み」に位置していたとは思えないが、それにしても「人民」への脱皮・上昇は当然のこととして前提されていたであろう。わたしはまさにある思いを込めて言うのだが、問題はおそらくはこの、民衆に「資格」を要請することじたいの内にあったのだ。
つまり、民衆運動とは、民衆を国民に押し込めることも、人民になることを要請することでもなく、民衆が民衆であることを徹底する過程以外ではない、ということである。そしてあたりまえのようであるこの道は、五五年体制の幻想がどのようにも幻想たり得なくなった現在、その正しさを鮮やかに証明した。
●「住みよい社会」への熾烈な戦い
むろん、五五年体制の枠組みにいまだにしがみつくことしか想像力を持ち得ない勢力は、事実を事実と認めたくないだろう。一九九六年の宗教法人法改定において、五五年体制に執着する「左翼」のありようはあざとく示された
かつて「民衆がただひとえに民衆」であることを、あたかも人民の「資格」を持たない、怪しげな「ファシスト」呼ばわりした偏見そのままの延長上に、管理のなかに民衆を封じ込めることへの、「人民」の側からの「国民」に対する全面的な協力があった。国民ではなく人民でもない、民衆が民衆そのものであることを徹底する道。
それはたとえば、同志社大学の渡辺武達教授が提唱する意味での「市民」という主体軸とも重なっているだろう。
渡辺は言う。求められるべきなのは「住むのに楽しい社会」である、と。(『市民社会のパラダイム』)。これは決して気楽な言い回しではない。
「問題はこの権力というものが、ある社会集団の中において、その社会構成員に正しい情報が提供され、あらゆる機会におけるあらゆる人々の平等な問題接触の可能性。つまり、いざというときの市民による直接的なリコール権を装置として保証し、かつその社会が自由な言論体制にあるという条件のもとで、是認され委任されているかどうかということだ」(同)。
あたりまえこそ、いわば熾烈な戦いを必要とする。
第三文明/1998年4月号