講演レビュー  by 岡庭 昇
 「民衆運動としての創価学会」

2002/06/26



「民衆運動としての創価学会」



岡庭――先日、川崎市に伺った時は七百人で後ろの方は全部立ってましたが、同時代シンポはささやかだなあ。色々あっていいんですがね。

 最近の事件から話しましょうか。亡命の件がありましたね。中国のシンヨウの領事館に北朝鮮の人が逃げ込んで、それを中国人警察が、踏み込んで捕まえて、「主権の侵犯である。」と。ずいぶん話題になりました。それは当然、主権の侵犯なんですけれども、そもそもそういうところで、「けしからん! 中国は! すぐこうだから」と、おっさん達がすぐカーッとなりますよね。でも、そういうことが大事なんじゃないと思うんですね。

 あの事件で大事なのは、実は色々あって、かっとなるところではなくて、主権の侵犯には間違いないけれども、まあそればっかり話題にしていたら仕方ないと思うんです。

 あの事件はどのように読むかと言えば、つまり、「中国と北朝鮮の関係はどうせグルである。」と、みんな思っているけれども、たとえそうなのか? 北朝鮮と中国がグルなのかどうか? そこから考える必要がありますね。

 実際問題として、中国はアメリカに非常に接近して儲けばっかり考えている。ま、はっきり言って堕落している。北朝鮮なんかともうつきあいたくないと思っている、ということです。それは露骨に出ている。社会主義には大儀というものがあるから、表面上、北を立てなければいけない……それが中国の立場です。それから、亡命についてのアメリカの立場はどうだったか?

 アメリカは騒ぎが大きくなればいい、何でもいいから騒いでくれればいい、そうすれば北朝鮮と戦争をするキッカケとなる……アメリカは兎に角、戦争をしたくてしょうがないわけです。アメリカは景気がいいと言うけれども、ご存じのように、ものすごい貿易収支の赤字ですね。何時不況になって、恐慌になっても不思議はない。

 だからそれを逃れるために、アメリカはもう戦争をするしかない。いつもワンパターンです。で、イラクか北朝鮮と戦争したい。したいというか、強引に戦争に持っていけるでしょう。だからあの事件の背後には勿論、アメリカがある。アメリカとしては、兎に角騒ぎが大きくなればいい。

 で、日本はどうか? 日本はあの時領事館が北朝鮮から逃げてきた人に対して、冷たかった。それから主権の侵害を無視した。抗議しなかった。そういうところで批判されている。事実ですけれども、しかし末端の領事館が、亡命問題に関して方針を出すわけに行かない。日本の官僚制度では全て本国が決める。

 ですから、あの時、領事館は同時に行動したわけではありません。日本そのものが亡命を認めなかった。それが背後にあります。それであの問題を本質的に論じられては困る。あの件はウヤムヤにしたいという理由があった。それはなぜと言えば、日本のいわば亡命問題に関する戦後50年間一貫した方針が問われては困る、ということがあったわけです。ですからあの事件に関係した三者のうち、中国・アメリカ・日本は、実は利害が一致していた。

 『あの事件はあらかじめ仕組まれたものであった』と見るのが、正解です。仕組んだのは韓国の民主主義勢力が仕組んだと言うことになっているけれども、それも本当でしょう。あの映像なんかはそういう風に仕組んだ。だけど実際には根本的には、中国とアメリカと日本が組んだ八百長である、と、考えていいと思います。

 つまり今言ったように、中国はもうアメリカに負けているというか、つまりアメリカを大事にして金儲け主義でいきたい。しかし、北朝鮮との間の問題は形式的には社会主義の大儀として、北を尊重したふりはしなければいけない、とすればあの時、亡命の邪魔はしたけれども、実は邪魔しておいて、当然、実は反中国の人は世界には多いわけですから、非難がまき起こる、そうしたらすぐ、第三国に逃がす、最初からの方針です。

 それからアメリカはさっき言ったように、もめれば何でもいいから戦争になって欲しい。

 日本について言えば、それは戦後50年間、日本が亡命を認めてこなかった。このことが、一番重要な問題です。

 我々にとって、中国警察の日本領事館進入という事件は主権の問題とか、応表面上はそうであるけれども、そういうことではなくて、戦後50年間の日本の亡命に対する姿勢を問われては困る――それが日本の官僚の姿勢です。だから、問題をそういう風に問わせないために、主権侵犯だ主権侵犯だ、とつまり他の問題に注意を持っていった。そういう言論操作です。その時中国はポロッと言った。「日本は亡命者を押し返した」と。あれはリアルです、本当でしょう。

 日本は亡命者なんて来て欲しくないんです。これは、国連憲章違反でしょう。国連に加盟しているんですから、日本は。国連は1952年に――大昔です。僕が11才の時だ、僕も年とったなあ、考えてみれば(笑)――亡命を正式に認めている。政治亡命というのは人間に許された基本的な権利であるということを認めている。国連に加盟している国はみんな亡命を認めている。日本だけは認めていない。実質的に認めていないのはもっと悪いですね。『1年に1人だけ認める。』あきれるようなアリバイ作りじゃないですか!亡命を認めているようになっているけど、その亡命を認めたわけではなくて、一時的な滞在を認めている。お情けで置いてやると言う、姿勢です。

 ですから日本は、実質的に戦後ずっと亡命を認めていない。例えば、台湾の蒋介石政権が健在で台湾独立という言葉が、中国にとってではなくて、台湾にとって、裏切りだった時代があった。台湾国家への裏切りとして、重大犯罪だった時代があった。その時その活動家が日本に逃げてきたのを追い返しているんです。追い返されたら死刑になるかも知れない、と言っているものを追い返した。それが日本の亡命に対する態度です。

 こういう風に日本は、憲法の精神とも一致するはずの、国連で決定している亡命権を認めていない。これは何を意味するのか。日本の戦後55年が、かつての戦前の海外への侵略と裏腹に、今後は外のこといっさい知らない、と言って中に閉じこもった。

 これは極めて無責任なやり方です。戦前の日本のやり方は無責任だったけれども、戦後それを全部放棄して、外にいっさい関わらないというのも、また無責任であると。韓国と台湾は日本の植民地でした。満州は形式上別の政権だけれども、実質上日本の植民地であった。

 その植民地で何があっても知らないというのは、第二の無責任です。戦後はその無責任の上に成り立っている。そのことを論じてもらっては、困るんですね。領事館の問題に絞られて、繰り返し、繰り返し――門のところで押し返していたところを何度も繰り返し放映したけれども、本当はそうではなくて日本が50年間亡命を拒否した、ということが大問題なんです。

 この事件について、なぜ語っているかと言えば、つまり戦争責任の不在です。戦争責任を我々は半世紀、全く、考えてこなかった。文部省は意図的に、教室で昭和の絶対歴史を教えないようにしている。そのことが問題だ。そしてその戦争責任がないということが、全て今起きている事実の何を考えるにしても、50年目になって、噴出的な感じがあるわけですね。何を考えても我々は戦争責任について考えてこなかったから、結局そういう事態が起きている、ということが起きているということが起きている。そのことが大事です。そのことを認識してください。この事件だけではないですね。

 戦前は大きく言って、130年前に日本の近代が始まった。そして戦前=昭和20年までの日本の歴史は何かと言えば、みなさんご存じのように富国強兵ですね。後から後から軍備に金を使って貧乏になる。国家予算をほとんど軍備につぎ込んでどんどんどんどん大砲を作り大きな船を造り、帝国主義に追いついて、帝国主義のまねをしたいと、植民地を奪い、どんどんどんどん軍備を大きくしていった。日清日露第一次世界大戦と、巨大な軍備増強を掲げてきた。それが富国強兵ですね。一言で言えば。つまり、よく歴史教科書やテレビ等の啓蒙的な番組で、『昭和16年の開戦の頃、軍部が独走して満州あたりで勝手なことをやった。だから日本はあの悲劇な戦争に突入したんだ』と、なってますね。

 こんなべらぼうな解説はありません。冗談である。130年前から、戦争に向かって投資を重ねてきたわけです。ですから、昭和20年になってパチンとはじけるのは、130年前に路線が変わらない限り、決まっていたことです。それを昭和16年になって、軍部が独走したからどうのこうのという話ではない。満州の軍部が勝手に独走したからせんそうになった、という馬鹿な話はない。これは拡大した軍備を積み重ねてきた路線が、必然的にそこにもっていったのです。

 で、昭和20年に平和国家でやっていくと決めた時に、戦争責任は反省されただろうか?
 思想文学の世界は多少あっただろうけれども、何処もまるでそういう気はなかった。戦争責任は誰も問わなかった。その結果何が起きたか?

 僕は今、そごうのことを考えるんですね。そごうのことはインチキだって、みなさんはご存じないから覚えておいてもいいんだけれども、実はそごうの水島というのは、私の親父と日本興業銀行で同期生です。三国志で親父が同じようなことをやっていたから、人のことばかり言うのはいかんのですけれども。今日は水島の話にしてください。

 つまりあれは、日本興業銀行という、戦後の経済人を養成するところから出て、それぞれの企業に入った。その一人が水島です。それで戦前の軍備と同じように、平和といいながら、経済中心で戦後は行くといいながら、同じことをやった。大きくすればいい、大きくすればいい、大きくすればいいとやってきた。それでパチンとはじけた。それがバブルがはじけた、ということです。

 つまり、その比較は何かと言えば、戦争も経済も同じであるということなんですね。何でも拡大していけばいい、それでパチンとはじける。昭和20年にはじけたのに何ら反省していないから、戦争責任が全然考えられてないから、今度は平和産業で同じことをやった。

 90年にバブルがはじけた。これは言ってみれば、50年前の昭和20年のパチンと同じです。戦争国家がパチンとはじけて潰れたのと、平和国家と。全く戦争責任に無反省なまま、同じく、経済でパチンとはじけた。そのことを考えないでどうやってパチンとはじけたバブルを立て直すかと考えても、それは全く無駄です。そんなこと出来るわけがない。そのことを考えなきゃいけない。

 根本から日本の体質でやれる――軍事主義者みたいな言い方になるけれども――日本の体力でやれる軍備があり得るかということを、考えなかったように、戦後の経済で、日本の体質でやれる範囲の経済がなかったのかと考えると、誰も考えなかったんです。

 で、悪いのは今も考えていない。今も、この小さな国がやる規模の経済が何か?それを考えなきゃいけないのに、誰も考えていない。何とか元の、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』なんてあんなもの嘘に決まっている。僕は当時から解っているし、書いているけれども、そんなものはホメ殺しですよね。ホメめ殺しと全く同じで、『ジャパン・アズナンバーワン』、なんてことはない。地球儀を見れば解るじゃないですか。うちにこれぐらいの地球儀があるけれど(直径50センチ)、日本はこれぐらいの(3センチ)国ですよね。こんなもんがナンバーワンになるわけがない。ホメ殺しです。

 だからその体力にあってやって行ける路線があったはずなのに、パチンとはじけるまでつっこんだ。そして、戦争責任を考えないように、バブルがはじけたのの構造的見通しが、全然なされていない。何とかもう一回バブルにしようと、しか考えていない。

 このことをなぜ言うかというと、戦後の1955年に成立した55年体制で、創価学会はユニークな役割を果たした。独自な役割を果たした。言ってみれば、戦後民主主義というのは、大きな組織で言えば創価学会だけが、それを体現したと私は思っているんです。そのことを考える時にこの歴史の構造を考えざるをえない。かつての戦争責任に対する反省がなかったように、バブルに対する反省が全くない。このままやっていけばどうなるんだろう。私はもう、戦争だと思います。

 僕はオオカミ少年は嫌いですよ。オオカミが来た、オオカミが来た、というのは嫌いだけれども、今の日本の状況は何に似ているか、ちょっと歴史に詳しい人は解りますね。第一次大戦後のドイツです。全く同じです。

 第一次大戦で負けたドイツは、ものすごい賠償金を払わなければいけなくなりました。ものすごく憂鬱な状態であった。つまりその時、自虐的になったのと同じですよ。自分が反省なんかしたら惨めになる。誰がそんな自虐者なんか、という状態になっていく。そうするとその憂鬱の果てに、第一次大戦後のドイツに登場したのがヒットラーであった。

 そのことは僕は、例えばつまらん話ですけれども、例が今度サッカーのことに感じます。なんであんな無邪気に「日の丸」の旗を振れるのか? 「日本、チャチャチャ!」なんて言えるのか? 恥ずかしいじゃないですか、あんなこと。まるで馬鹿みたいに。そりゃ日本を応援するのはいいですよ。あんなに熱中して日の丸を振り回すのはどう言うことだと。

 これは不景気が12年間も続いて、惨めな状態になって、自虐的になって、反省なんかしたくない、自虐思想なんか採用したくないという心理になっている。その日本人の上に、日本人が思いもかけず、サッカーでワーッとその心境が出てきたということですね。ですからこないだ、サッカーの大騒ぎを見ていると、これは小さな問題じゃないと思います。

 僕はオオカミが来た、というのは大嫌いだけれども、この場合はオオカミが来たと言わなければいけないんだと思います。今、幸い日本にはヒットラーみたいな魅力的な人は居ません。小泉程度じゃしょうがないんで、幸いだと思いますけれども、何かの弾みでそういう人物が出てくる、あるいは、小泉にそういう錯覚が集まる。そうしたら非常に危ないんですよ。

 戦争のために軍備をどんどん大きくする路線が潰れて、今度は会社をどんどん大きくする、そごうの水島の話は典型ですよね。支店をいっぱい作って行けば儲かるという――そういうわけはないんだけれども――そうしてパチンとはじける。そうすれば軍事もダメだ、平和産業もダメだ。じゃ、どうすればいいんだ。絶望的になっているところに、また再び戦争、というのは、極めてリアルな問題です。

 まあ冗談で言うと、私はもう絶対に引っぱられないから大丈夫だけれども、若い人に任せようなどと言う、こういう話なんていけませんよね。僕は今オオカミ少年じゃないけれども、戦争の危機が極めてあると思います。第一次大戦後のドイツのことを少し勉強して欲しいと思います。全くそっくりですよ。あの時のドイツと。ヒットラーがみんなの支持を得て出てきたんですよ。ヒットラーはファシストだけれども、政権はインチキに強奪したわけじゃない。国民の全部が指示したんです。ヒットラーを。

 今日本にヒットラーが出てきたら、いっぺんに持って行かれる。憂鬱を晴らすためには何だっていいやという心理が、今日本を覆っている。それを避けるためには昭和20年、敗戦というものはどういう意味があったのか、戦争責任の質の問題をちゃんと考える必要があると思います。

 さてそこで創価学会の話に結びつくわけですが、その前に、ここに居る方には別に問題がないだろうけれども、最近公明党を批判しているから、私は評判が悪い。悪くてもいいけれど。でもね、そういうことはおかしいと思うんですよ。信仰に関して問題は、意見の違いは、ないでしょうけれども、政党に関しては政治なんですから、違いはあるわけです。違いを持って連帯しなければいけないわけで、違いを持って公明党を支持する。批判をしても敵に回っているわけじゃないのに、『けしからん!』と、ガラッと変わりましたね。なんとも言いようのないことですけれども。証拠はないから困るけれど、何がどうなったということはないけれども、何かガラッと態度が……冷たい人とかが出てきて寂しいですね。

 でもその先のことを言いますとね、この前、川崎で700人の人達を前にしゃべった時に、僕は止めようと思ってたのに、ついついやっちゃうんですね。公明党批判を(笑)。

「ホント、またこれは嫌われるなあ」と思っていたら、また不思議なことに、実は会員の人の方が先行ってるんですね。僕の認識より。みんな、面白そうに、笑うんですよ。こりゃなんだと思って、ついつい調子に乗ってまたまた公明党批判すると、また笑うんですね。また引きつった表情で、僕のこと睨まれるのかなあと思ったら、前と違いますね。批判が当たり前みたいになった。非常にいいことと思います。実はそれが民主主義なわけですから。違いを持った上で支持するということでない限り、クローン人間じゃあないんですから。支持したら全部意見一緒だ、ってんじゃおかしいわけですよ。政治の場合は。違いを持って協力する、ということが大事だと思うんです。

 で、僕は今はあまりもう公明党に注文はないですけれども、ある意味で諦めたのか解らないけれども、これだけは望みたい。戦争だけは止めてもらいたい! 戦争を止める勢力になって欲しい!

 創価学会は明らかに平和団体である。しかし、公明党が本当にそうなるだろうか?

 公明党を支持した上で、かなり怪しいと、僕は思います。大人しくしてりゃいいや、と、大人しく小泉政権と連立をやってると、ヘタすると――主観的にはそうでなくても、客観的には――戦争勢力になる可能性がある。ですからこれだけは公明党に望みたい。戦争だけは止めてもらいたい! この私の言い方は、大げさだと思わないでください。今日本が戦争の主体になるというのは、ものの喩えではありません。極めてリアルな問題です。

 何処の誰がどうやっても、不景気に解決がつかない。それはつまり、バブルに対する捉えかたが違うからです。捉えかたが違うのにもう一回景気良くならないかなあ、と、それは考え方が違う。考え方を変えなきゃいけない。それなのにいつまで経っても、景気良くならないなあ、景気良くならないなあ、とだけ、考えていれば、当然やけくそになって、やるしかないと。つまり、戦争に踏み込む。

 アメリカは既にそういう国家ですよね。戦後50年間、もっぱら戦争をやっている国である。あれと同調しよう。ま、アメリカと戦うほどの根性はないけれども、同調しようともなりかねない。有事立法だの何だのって、役人の考えることは綺麗事ですよね。有事立法って何だって、要するに戦争したいってことです。私が公明党に望むのは、そういう戦争しようってことは止めてもらいたい。そういう風に私は思います。

 それからちょっとホメなければ、「あいつ公明党を支持しているって言ったって、やっぱり反対勢力じゃないか。」と思われるのは嫌だから、一ついいことだけ、公明党の認めるべき点だけ言いましょう。

 最近、僕は三重県に行った時、地元の人が「サカロカ」さんと話をした。坂口力さん――字からサカロカと読めますね。あの人は素晴らしい人です。あの人がやっていることはいいことだなあ、と、僕は思います。特に、ハンセン氏病の問題ですね。これ非常に深刻な問題で、差別と病気というのは結びついていることが多いんですけれども、中でも封建時代、差別と一番結びついているのが、ハンセン氏病です。人間の肉体が腐っていく病気なんですから。こんな怖いものはない。で、当時としては、子供の時代に罹らなければ大人になったら移らないんだってことも解ってないし、ましてや治療法も解っていない。封建時代一番差別されたのは、ハンセン氏病です。因みに封建病というのはハンセン氏病で、資本主義病というのが結核ですね。で、江戸時代、ものすごく差別された。その差別された例としてこういう例を挙げると解りやすいと思います。

 みなさんご存じの室生犀星の『故郷』という詩がありますね。これは誤解されている典型的な詩ですけれども。ご存じでしょう。
『ふるさとは遠きにありて思ふもの』この一行だけが使われる。テレビディレクターというのはいい加減なものですから、原点に当たろうとしない。で、この一行を使ってくる。『故郷はいいもんだ。望郷の詩である』と、いう風に使ってくる。たった4行の詩ですよ。「元を当たれ!」っていうんです。原点に。簡単じゃないですか! 本屋で文庫本を立ち読みすりゃいいんです。それもやらない。そのために誤解がついて回ってくる。そういう詩があります。どういう4行であるか。

  ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたふもの
  たとえ異土のかたいとなるとても
  帰るところにあるまじや            「小景異情」より

 ういう4行です。1~2行目『故郷は遠きにありて思うもの/そして悲しくうたうもの』これはいいですね。3行目の『喩え異土の過怠となるとても』これは何でしょうか。異土というのは異境です。過怠って何ですか――乞食です。喩えよその土地で、乞食になっても、4行目・帰るところじゃないんだ。それくらい故郷を憎んでいる詩なんです。

 室生犀星の故郷といえば金沢です。室生犀星はそこで色々小さい時に大変な苦労をした。そこで個人的事情から、彼は故郷を憎んでいる。一般的な、『故郷はいいものだ』という詩では全くない。『故郷だけは帰りたくない。』という詩です。ところがテレビディレクターというのは本当に困ったもんで、ああ故郷を懐かしがっている歌だ、と、『故郷は遠きにありて思うもの』と。本屋に行って、立ち読みすればいいんですよ。4行ぐらいなんだから。

 ところでこの故郷という詩に出てくる『異土の過怠となるとても』の、この過怠とは何か?『かたい』あるいは『カッタイ』。『カッタイ』というのは地方語で、標準語では使われないから、皆様ご存じないかな。知っている人もいると思うけど。これは色々奥が深くて、実は中国が前の民族を全部差別していますよね。東夷、フジ、南蛮――その北方民族の中に、契丹というのがあります。これ学校で勉強したでしょう?!

 ハルピンという都市があって、この間聖教新聞に出たハルピン大学は(池田)先生が学位もらったとか何とかで出ていましたけれども、そのハルピンに行ったことある方はお解りかと思いますけれども、銀座みたいな盛り場、キタイイスカイといいますね。私もよく間違えて、キタ・イスカイと言うけれど、あれはキタイ・イスカイなんですね。イスカイというのは都市という意味ですけれども、キタイつまり契丹という意味です。

 そのキッタンが日本の乞食を意味するカッタイになっているんですね。まあ、奥が深いのでこの話は今日はそのままにしておきますけれども、そういう風にして乞食のことをカタイと言う。これは何であるかというと、イコール・ハンセン氏病患者である。乞食がイコール・ハンセン氏病患者であるぐらい、封建時代差別されて、発病したら、村に入れない。追い出される。

 鎮守の杜というのはみなさんご存じですよね。鎮守の社には泊まって寝ていいんです。村の中の。というのは鎮守というのは、花園神社を考えれば解るように、花園町と花園神社はずいぶん離れているでしょう。つまり、鎮守というのは村から離れたところにあるんです。泊まってもいい。村に入っちゃいけない。こういう決まりがある。ものすごく、事実上の制度として差別しちゃった。そうやって、転々と鎮守から鎮守に移っていって、それも広いところでは河原なんか使っていいんですが、これ火も決まりとして使っちゃいけない。火事になるからね。

 そういう惨めなひどく迫害された生活を送って、転々としていかなければならないのが、らい病患者です。カタイという名前でらい病患者と乞食と言う名前が一緒になっているぐらい、差別の対象ですね。なんで江戸時代にこんな差別があるのかと言えば、実はこの差別は続いていた。あるいは続いているかも知れないけど、少なくとも行政の間に、戦後までその差別が持ち越された。

 ハンセン氏病は、戦後になって薬が発明されて治るようになった。それから原因が解って大人は移るものではないというのも、はっきりした。それから、はっきりしてから30年間ですよ。法律を変えないでほったらかした。その法律というのは、隔離して人の来ないところに押し込むという法律です。隔離して人と交わるという法律を作ったことは大問題だけれども、それは別として、すぐ改めなければいけない。実害なくなったわけですから。そうなって30年間ほったらかした。問題なくなったとしても、故郷に帰ろうとしても帰れなかった。30年間ですよ。その訴えが当然通って、さらにもう、国の間違いが解っているんだから、再審に持っていくなと、考えるべきなのを、官僚はそうじゃないですね。必ず引き延ばして再審に持っていく。それは役人のイロハです。それに反対したのが坂口さんです。ところがちゃっかり紛れて、小泉がその功績をもってってしまった。世の中、皆小泉君がやったと思っているんですよ。あれ。坂口力さんが力を込めてやったことですね。ま、坂口さんは持って行かれてもいいんでしょうけれども。小泉というのは小狡い男です。坂口さんはそこで頑張った。後、サラリーマンの医療保険の負担の問題も一人で頑張った。公明党があまりにも大人しすぎるのにたいして、坂口さんはよく頑張った、という風に思います。

 さて問題は55年体制と呼ばれるものです。我々は55年体制と簡単に言う。でもこれは深刻な問題です。一九55年に確立した55年体制。これに対して、異論を唱えた。55年体制の本質、もしくはその将来にもたらすであろう害悪を、理論的に見抜いていたかどうかは解らない。しかし実際問題としてそれに異論を唱えていたのは、大きな組織で言えば、創価学会だけだと私は思います。だから創価学会は憎まれた。

 1955年というのはご存じのように、保守が合同して、一方で社会党が合同した。賛成党と反対党の二つの党になった。これ自体は一致ですよ。例えば小泉君と森君の属する森派は、明らかに保守じゃないですよね。右翼です。これははっきりしている。満州の官僚だった岸伸介に始まる、右翼政党です。それが保守合同で保守に入って、右翼なのに保守みたいな顔をしているというインチキがいまだにある。これは55年体制のインチキです。

 社会党だって、反共の党と同共の党が一緒になっている。そんなもん一緒になれるわけないんだけれども。反共なんてある意味では保守より保守ですよ。それが左翼と一緒になれるわけないんだけれども、一緒になった。根本的に全てインチキな体制です。そしてさらに言えば、一方が賛成を言い、もう一方が反対を言う。その結果何も変わらないということがあらかじめ解っている。いわば、舞台の役のように、一方が「賛成!」と言い、一方が「反対!」という、3日後に通ると決まっている。

 これはどのように訳すかと言えば、賛成党・自民党だけいて、後は許さないという軍事天皇制みたいになったら、諸外国から非難され易いでしょ。そうではない、反対党は反対してますと、ただし事前に国会対策会議で3日後に通ると決まっているんだけれども、、3日間勝手なこと言え、と。こういうインチキ民主主義です。これは独裁より悪い。独裁は責任をとんなきゃいけない。ところが責任をとらない。民主主義というのを形だけ利用して数日後に通ることが決まっていて、本気で反対しているのもいるだろうけれども、いってみれば本質は八百長で、常に賛成と反対の役を振られていて、事前に結論が解っていて進行していく、さらに問題なのは、それが自民党の議員と社会党の議員のいってみれば意図的な馴れ合いもあるだろうし、本質的な馴れ合いもある。つまりいつも馴れ合いである。体制だけが問題ではなくて、あらかじめ決まった舞台の上に、賛成・反対をのせて操っているのが官僚です。実際上の独裁は官僚にある。こう二重三重のカラクリが55年体制です。

 役人とはどういうものであるか? 役人が支配する体制というのは、私は満州に始まると見ています。ですから私は戦後50年という言い方を採用しない。満州70年と言っています。昭和20年の敗戦に於いて何も変わらなかった。何も戦争責任を問わなかったというのは意識の問題だけではなくて、体制が昭和20年に於いて何も変わらなかったと言うことです。そのピークにあるのは天皇制ではない。天皇制も使われているだけです。そのピークにあるのは官僚独裁体制です。

 官僚独裁体制は満州でいわば実験的に試みられて、当時満州の三介と言われた岸信介やその他――満州はいわば実験地であった。どういう実験地かと言えば、権力の実験地であった。日本の支配の仕方を、トライ&エラーで色々と試みる場であった。そしてその勢力が満州から帰ってきた時、負けて惨めな権力ではなくて、発展的に満州の体制が日本を支配する体制になった。平和主義・民主主義もあったもんじゃないです。実体は権力はそういうものです。で、戦後まともな論議もあったことはあったけれども、1955年に押さえ込まれた時に、官僚独裁は1955年に始まったんじゃない。満州によって、養育されたものが一挙にそういう体質を作り上げた。こういう風に戦後史を新しく見直してください。

 そういう風に戦後史を見直すところに、創価学会はどういう役割を果たしたのか、ということもはっきりするわけです。体制が、今言いましたように官僚独裁である。政治家も八百長である。そうすると役人は先が見えているわけです。国会を通すのは仕上げであって、ただ判子を通すようなものであって、事前に全部決まっている。みなさんはどういう風に考えるか解らないけど、国対会議(国会対策委員長会議)ってありますよね。あんなインチキなものないですよ。

 考えてみてください。民主主義国家であるならば全て国会で討議の中で決めるわけですよ。ところが国会対策委員長会議というのは事前に集まっている。残念ながら公明党にもある。呼んでもらわなければ共産党になるから、困るわけだけれども、ある。国会対策委員長が事前に集まって、国会の運営を決めるなんてことはあってはいけないことです。そうじゃないですか。つまり、国会が開かれる前に全てが決まっているんです。そんなバカなことありますか。こんな形式ありますか。これこそ独裁です。そして、それを全部操るのは全部官僚です。

 因みにこの間、公明党に『背広事件』と言うのがあって、二見さんかなんか――二見さんって、あの人立派な人なんですよ。かなりちゃんとやっている人みたいで、落選したんでしたっけ――その二見さんが例に挙がってますね。背広の何着か(一着か)背広を国会対策委員のあれでもらったと。あれは人がいいから、すぐ引っかかるんですよ。つまり、お金については断ってた証拠なんですよ。ただ、そこで人がいいから、つきあいがあるから、ことを荒立ててはいけないと思って受け取った。それを相手は後で利用しようと思ってやっているんですから。人が悪くならなければいけない。政治家なんて、人が良くてやってられるわけないじゃないですか。ですから、元々人が良くても悪くならなければいけないんだけれども、公明党は背広の記事を受け取ってしまった。後になって、背広の生地で、公明党とばかりアピールする。

 本当は国会対策会議で何が問題なのかと言えば、金がいつも流れているんです。社会党はいい主張をしている時でも、ちゃんとごそっともらってた。そこが問題なんで、お金は絶対もらわないけど、つきあいがあるから(生地を)もらったからたたかれているのは、公明党はヘタですね。

 え、何の話だっけ……つまりそうです。官僚独裁と私は一言で言うけれども、それはどう言うことか? いろんな面にわたって言えるけれども、少なくとも民主主義の基本というのは三権分立という風に言いますよね。これについては高校でやったでしょう。司法・立法・行政、その三権分立が全くインチキであって、日本では最近になって変質したっていうんじゃなくて、55年体制の最初からでしょう。もしかしたら、満州からでしょう。形式的に三権がある。でも、行政だけが際だっている。立法も司法も、つまり政治家も裁判官もどうせ役人に使われている。はっきり言ってそうです。例えばその証拠に、日本の裁判所はユニークな判例を出したことがありますか?

 昨日(6月28日)ニュースで、アメリカで、『星条旗に忠誠を誓うのは違憲である。』という、素晴らしい判決が出ました。カリフォルニア州だったかな。今アメリカは特に、右翼的になっている時です。例のテロ事件、政権が共和党で、ブッシュみたいなクレイジーな人が大統領になっている。非常にアメリカが右翼的になっている時に、堂々と裁判所は『星条旗に忠誠を誓うことを強制することは違憲である。』と、こういう判決が出た。僕はアメリカが好きなわけじゃないけれども、しかし、こういう判決が出るから面白い。それこそ、司法が独立している証拠ですよね。役人はそんな判決出されるのは嫌だけれども、司法が独立しているから出る。

 かつて僕が感心したのは――みなさん気がついたかな――こういう判決が出た。『物乞い…乞食ですよ。つきまとって金くれという…は、表現の自由である』と。これ、アメリカの最高裁ですよ。最高裁、下じゃなくて。すごいじゃないですか!日本でこの判決が出ると思いますか? 『物乞いは、表現の自由であるからいい。』と。ま、逆に言えば浮浪罪がアメリカにはあって――僕もニューオーリンズで何度か会って(ニューオーリンズは乞食が多いですね)――乞食がものをくれとは言わない。寄ってきて、僕より贅沢な格好しているんですね。

「ミスター、私と一緒にお茶を飲みませんか?」と言うんですね。で、私はなんで男から声をかけられるのかと思う。きたないおっさんに声かけられたってと、断ると、片っ端から声かけている。で、気がついた。「金くれ」と言ったら、法律に引っかかるから、「一緒にお茶を飲みませんか?」と言うんだと解ったんですがね。で、その浮浪罪というのが日本より厳しくあるから、逆にそういう判決も必要になるんでしょうけれども、それにしても『物乞いは、表現の自由である』等という、素晴らしい芸術的な判決が出るんだから、まさに司法が独立しているんです。

 さっきも言いましたけれども、この状況下で敢然と、『星条旗に忠誠を誓うことを強制するのは違憲である。』と、判決を出すのは、素晴らしいというか、司法らしい司法、行政に使われない司法だと思いますよ。日本では絶対に出ません。仮に日本で、行政が有罪になるケースというのは、滅多にないんですけれども、なってもね、例えば、『この前の選挙は行政のミスである。当選者でこういう人を選んだから問題がある。』という判決が出ないわけではないけれども、不思議なことに、『行政は別に何もしなくていい。』と必ずついてくるんです。そんなアホなことないでしょう。『間違いである。でもそのままでいい。』そんなの論理じゃないですね。日本だけでしか成り立たない話ですけれども。

 つまり日本では三権が分立していない。行政が一人威張っている。そして立法に対してもそうです。立法とは政治家ですね。政治家とかいったって、族議員というのは自分で主張したような顔しているでしょう。あれは見方を反対から見なきゃいけないんです。そうじゃない。役人のために役に立っているから、お裾分けで、『少し金をやろう。』というのが、族議員です。役人からもらってんです。偉そう役人をやりこめているんじゃない。役人を使ったんじゃない。

 役人に使われたんです。鈴木宗男。だから、切られる。ずいぶんえん罪の要素も含んでいるようですけれども。さんざん使った挙げ句、今度は別の使おう、と、放り出されたんです。そう逆に見ていかなけりゃいけない。そういう官僚独裁があって、そしてその官僚の権限の本質は――何回も私言いますように――租税収奪ですよね。

 税金が全部官僚のところに行くから、それを元にして支配している。官僚の権力の本質は『集中・分散』です。例えば税金でいえば、税金を集中的に集めている。それを分配する。ここに絶対権力が発生する。政治家も何も金が欲しくてたかってくる。そういう権力が発生する。

 教育はどうだろうか? つまり租税・教育・情報の集中・分散だってことを私は言っているんですけれども。使える人間を作る。つまり、物事を疑う、私のようなひねくれた人間は作りたくない。素直に上の言うことを聞いて、使える人間を作るというのが、明治時代からずっと続いてきた日本の教育です。それを各企業にばらまく、集中・分散ですね。

 そして情報です。情報とは何か? みなさん、記者クラブというのはいつ出来たと思いますか? これも満州の官僚権力が発生したのと同じですよ。これは戦争中ですよ。だから、敗戦が全然自己批判されていないから、何年も続いているんです。戦争中有名な『大本営発表』というのがあった。大本営発表を集めたら、日本は大勝利の国になってますよ。嘘ばっかりついていた。日本の飛行機が落ちたのに、敵の飛行機が落ちた、って言う。そういうのが『大本営発表』ですね。あれは昔のことだ、って、みんな思っている。今は報道の自由があると、みんな思っている。

 冗談じゃない。同じ記者クラブが『大本営』以来続いているんです。そして、構造は同じです。出てる情報も同じです。

 何度も私は言いました。ニュースというのは、報道は取材しない。これを念頭に置いてください。理解のまず一歩です。ニュースというのは、報道の記者が取材したもんじゃありません。少なくとも第一報は。以来、第二報でも第三報でも、全部そうですけれどもね。少なくとも第一報は官僚が話を持ってきて、記者クラブで集まってください、というか、リリースや話をその通り書いて、各社に持って帰って出す。一見TBSのニュースだ、と出ているようだけれども、ネタ元は皆同じ、官僚です。

 つまり、『大本営発表』と同じなんです。全く同じことですよ。ですから、まあ、官僚にとってみれば、余裕がある時代とか、隠す必要がない上手くいっている物事の場合は、本当のこともあるでしょう。そのまま垂れ流していいものもあるでしょう。しかし、官僚にとって都合の悪いことは全部フィクションなんです。そのリークされたフィクションを、報道機関は自分の名前で出しているんです。こんな道理に外れたことはありません。国民を騙しているんです。

 これが記者クラブの本質です。そしてその記者クラブは、『大本営発表』ということでずっと続いている。官僚権力が満州に始まって、全部一つのものですよ。戦争責任なんて、何にも問われていない。同じことをやってんです。何にも問われていない。天皇制があら人神から、人間になった。でもどっちにしたって、そこに権力があったんじゃない。それは使われていただけです。政治家も使われてただけです。官僚がずっと権力を握っているんです。そのことが解らなければ、例えばニュースの一つを見ても、本当のことは解らない。ニュースの一つに接する時、もっともらしい顔で言っているけれども、何も自分は知らないでしゃべっているんだろうな、と考えてください。

 そしてさっきの「国対制度」の話ですけれども、例えばみなさんが気がついたかどうか? 最近のニュースでは、何かの法案は今日夜中に法案が通って参議院に行くという予想を言う場合に――いいですか――「そういう予定です。」とかつては言った。当然でしょう。将来のことを言っているわけだから。過去のことを言ったらこれ、SFですよね。そんなことはない。何時間か将来の話だから、「衆議院を通って参議院に行く予定です。」と言う。

 ところが最近はしばしば、というか、全部かなあ、「予定」って言いませんよ。「今日の夜中に、衆議院を通って参議院に送られます。」と言うんですよ。これ微妙な問題と思われるかれもしれないけど、決定的な問題ですよ。つまり国対制度がますます進んでいる、ってことです。もう、国会議事堂に入る前に、全ては決まっているんです。そんな馬鹿なことありますか? こんな民主主義ありますか? 何のための国会なんですか。つまり全部、尻抜き・骨抜きになっている。政治家も居ても居なくても、官僚が握ってそれで動いている。国会があってもなくてもいい制度になって、裁判も判子押すだけ。

 会社にもいるじゃないですか、部長なんかで一日中判子押してます。部下が全部決めて、課長あたりで全部決めて、部長あたりは「持ってきたのね、押せばいいのね。」と言う。国会とはそういう場になってる。それよりもっとすごいのかも知れない。まだ判子押してないのに、通ったと言っているんですから。これは重要ですよ。

 二つありますね。記者クラブの問題からすれば。とっくに実現していることですけれども、昔は、年輩の方はご存じかと思いますけども、「運輸省はこういう風に発表しました。」「農水省はこういう風に発表しました。」と、かつては言っていたんです。そうだったでしょう。ニュースは。今はそうじゃないですよ。「運輸省は発表した」というのが飛んでますよ。既に事実として、第一報が出ている。それと同じです。「何の法案は、今日の夜10時以降に…」とも言わない。「今日の夜12時に――と断言しますよね、あれどういうわけか――衆議院を通って、参議院に送られます。」

 こんな馬鹿なことないじゃないですか。国会で議論やってみなきゃ解んないじゃないですか。賛成反対があらかじめ決まってる、という段階がもっと進んでいる。その結果、何時に討議が終わって、何時に参議院に送られるかが全部解ってて、しかも「予定です」と言いませんよ。「です」と言いますよ。そこ、細かいところに気をつけてください。こういうところに出ているんです。ますます、官僚独裁は進んでいる。今は政治家なんて――日本に元々、民主主義なんて元々ないけれども――有ってなきのごとしの扱いを受けている。

 さてその根本は、55年体制が過去のものではなくて、今も続いているということです。創価学会が、その55年体制に突き刺さった棘であった。それは左翼のように明確な目的意識を持ってやったわけではないけれども、でもだから、大きな組織では唯一の民主主義の体験者であった。で、これは――当然でしょう――反感を買う。咽に刺さった棘ですから。不愉快な代物である。だから政治的な意味での、反創価学会キャンペーンも当然あるけれども、実際実感でもって悪口言われてるんですね。狙いだけではなくて、本気で悪口言っている。だから、悪口言われて誇りに思える、そういうことなんですけれども……。

 初期の朝日新聞があります。みなさん当然、人間革命をお読みになったと思われるけれども、(第九巻?)昭和32年か33年かあの頃に、大阪で白木理事長さんが――これは奇跡と言われたんだけれども――楽々(選挙に)通って、それに絶対通らないけれども、補欠選挙で自民党と社会党が一つを争っているのに、それを通るように示した時があった。

 大阪事件が起きた時ですね。あの頃だと思うけど、朝日新聞にこういう記事がある。『この創価学会という、驚くべき繁殖力を持った組織は…』と言うんですね。動物扱いですよ。これを、人間革命には「ある大新聞が」と書いてあります。僕はこれは朝日に決まっている。僕は朝日大嫌いだから。朝日というのは、進歩面をして、実は一番、陰謀・企みというのが、僕の認識ですから。実際に例を押さえてやってきた結論ですから。そう思ってますけれども。これは朝日に違いないと思って、本部で調べたら、やっぱり朝日新聞だということでした。

『この驚くべき繁殖力を持った』ってなんですか。馬鹿にした言い方ありますか。人間に向かってそんな言い方。

 それは今に至る、ある種のインテリだの、くだらない市民の偏見を表している。創価学会に対する偏見の質を表している。これは政略で悪口を言う前に、本気で嫌います。それは彼らの質を証明している。彼らが民主主義の担い手でなかったということを表しているだけです。創価学会の問題ではない。彼らの問題です。

 そしてそれから色々謀略が出てきて、大阪事件の選挙違反は――謀略かどうか解らないとなってますから、一応人間革命もぼかしてあるけど――明らかに謀略ですね。それだけじゃなくて、色々謀略が出てくる。言論弾圧事件だって、勿論謀略だし、もういろんな謀略が出てくる。片っ端から政治的謀略が出てきて、常に創価学会の悪口を言っていればいい、常に効果あると言っていれば、効果あるんですね。

「解らないけど、何か悪く言われているところなんだなあ。」という感じが最近理解されてきた、ということを言う人が多いけれども、僕は前々信用していない。与党3党に入っているから、一応遠慮しているだけであって、何も本質は変わってません。変わっちゃ困るんです。本質的に55年体制に対するアンチである以上――つまり民主主義の担い手であるということですよね――反感は当然だし、反感を持たなきゃいけない。そういう風に思います。

 さてその辺のところに絡んでくる問題ですが、例えば我々庶民を呼ぶ呼び方に、三つの呼び方がある。これは私はいつも言っているんですね。「国民」という言い方、「民衆」という言い方、そして「人民」という言い方。それぞれも立場があります。

 国民という言い方は、私もついさっきやっちゃったけれども、絶対私は使わないようにしようと思っています。これは当然ですね。国・民というのは、国があって、民がある。国に所属している民であって、国に所属している民である。国がやってくれれば、何でも言うことを聞くよ、という、いわば奴隷である。こういう人は日本人に多い。

 それは江戸時代に260年間で培われた感覚は、そう簡単に払拭出来るわけがない。国民という考え方がある。これは正しく言えば民国です。これが正しい。民国ならば、民の国だからそういうことはあり得るだろうけれども、国民なんてのはあるわけがない。しかし多数はここです。これは自民党です。自民党の感覚。アメリカで言えば共和党感覚ですね。

 それから人民という感覚・言い方がある。これはどうでしょうか? これは戦後、創価学会が、大阪事件に引き続いて、炭労事件というのがあるんですね。このことからも解るように、左翼の中に現れる反創価学会意識を表している。そういう人達の使う言葉が人民です。じゃ、人民という名はどうだろうか? なかなかいい言葉です。私も昔は好きだった(笑)。ちょっと話がずれるけど、私の思い出話をしたくなったんですけれども。今の話と関係あるかも知れないけど。

 僕は学生時代、この(大井町)近くの荏原町というところに住んでいたんですね。とぼとぼ歩いてうちに帰ろうとしていたら、バラバラバラと10何人ですよ。礼儀正しい若者に取り囲まれた。私も若者ですよ。で、「創価学会のものですが、そこで集会をやっているんです。参加しませんか?」と丁重におっしゃる。礼儀正しかったですよ。それで私は心の準備が出来てなかったんですね。酒かなんか飲んでて。「う〜ん。」と、行き詰まってなんて言ったかというと、未だにこれは意味になってないんですけれども、「あのぉ、私マルクスです。」と言ったんですね。それは全く馬鹿おかしい話ですけれども。それに対して相手は解ったんです。「ああそうですか。それじゃあ。」と言って帰っていった。未だにわけ解らない。しかし多少は解る。マルクスボーイってのは、これはとても創価学会の話は聞きにこないだろうと、相手は思ったんですね。そう思ってしかるべき雰囲気があった。私に対してじゃないですよ。

「私はちょっと雰囲気が違うんだけど。」ぐらいの意味で言ったんだけど、反創価学会は左翼の中に根強くあって、それを創価学会も知っていた、ということがあったんでしょう。その左翼の言い方が人民です。さて人民というのは民衆とどう違うのか?

 そこには、深いマイナスが今左翼の歴史を反省的に振り返らなければいけない時、この人民と――何が何でもいけないという意味ではないですよ――言うことに含まれているマイナス性が検討されなければいけないのだと思います。つまり、人民というのは民衆より高いところにあるんです。僕の意見ではないですよ。人民という言葉の意味です。「民衆ではダメなんだ。目的意識を持った人民になれ。」と、「引き上げてやるから頑張れ。」という発想です。そこでは間違っている。

 まず第一に、「なぜおまえ最初から人民なんだ。努力しないのに。」という話になるんです。威張ってんのがおかしい。

 それからもう一つ、人民と民衆を比べたら民衆は下なのか? そんな考え方が違うんです。それが間違いの元です。でも、民衆は人民にならなければいけない。よく勉強して革命意識を持たなければいけない。これは、発展したらどうなるのか? いわば、左翼の原理主義になる。ここで原理主義をマイナスの言葉で使って、ごめんなさいね(笑)。我々は普段原理主義を習ってるんだけれども、とりあえず今、マイナスの言葉として使います。マイナスが多い。マルクス主義は原理主義である。原理主義というのは、イスラム教だけではない。イスラム教の原理主義は「悪の枢軸」などという馬鹿な大統領によって、作られて宣伝されて、何か原理主義というと、イスラム教の思想だという風になっているけれども、実際イスラム教の原理主義はしんどいものです。だけど、イスラム教だけではなくて、マルクス主義にもキリスト教にもユダヤ教にもある。これは理解しなければいけない問題として言えば、例えばパレスチナ問題です。

 パレスチナ問題は日本人には理解が非常に難しい。理解出来ない。日本の報道はパレスチナ問題を、よっぽどの事件がなければ報道しない。アメリカなんかそうじゃない。膨大な報道の量があって、だから我々の関心はあまりなくて、しかし、パレスチナ問題は大問題です。何が問題かと言えば、あそこにはユダヤ教の原理主義が露出している。むき出しになっている。これをシオニズムという。我々が基本的に間違えちゃいけないのは、ユダヤ人の国がイスラエルである。という風には、間違えないでください。そうじゃないですよ。ユダヤ人の多くは最初からイスラエルに対して批判的ですよ。今堕落したから批判的なんじゃなくて。出来る前から。

 シオニズムというのはイスラエルより古い。ナチスのホロコーストよりも古い。ホロコーストがあったから、同情が集まって、戦後その勢いで作ってしまった。でも、シオニズムはその前からある。これはユダヤ教の原理主義です。そしてユダヤ教徒の中にはこの原理主義を批判している人は世界中にいくらでもいます。原理主義というのは非常に恐ろしい。何が恐ろしいか、まず、人間があってものを考えるんじゃなくて、常にイデオロギーが先行している。先行じゃない、ほとんどイデオロギーだけになってしまった。これが怖い。人間というのはそういう風に生きられるものじゃないです。ユダヤ教の原理主義のシオニズムにとっていえば、イスラエルを作ったこと自体がそれです。

 イスラエルを作るという試みは戦前からもいっぱいあった。戦争中はトロッキズムにしても、反対側日本の軍部にしても満州にユダヤ人の国を作ろうとしたし、あっちこっち試みはあった。戦後も、例えば大きな砂漠で使ってないような土地はいっぱいある。アメリカの砂漠で使ってない土地はいっぱいある。そこに土地を提供すればユダヤ人は勤勉だから、あっという間に緑の土地に変えたでしょう。砂漠でも。誰も文句を言うことはなかった。上手くいった。

 ところが、今のパレスチナの土地に原理主義だから――原理主義というのは、昔と同じでなきゃいけない。もし仏教にあるとすればお釈迦様の時代と同じ行き方をしなければいけない。という考え方です。そんなことは出来るわけないんだけれども――パレスチナの人達にしてみれば、ある日ドヤドヤと、おっさん達がやってきて、「おまえこの土地は2000年前に我々の先祖が住んでいたんだ。だから出てけ。」(ということになります)。こんな馬鹿な話がありますか? 2000年前に先祖が住んでいたからと家を追われるんですよ。それに対する怒りというのは、力で押さえつけようとしたって無理ですよ。今では、自爆してまで戦う。

 こういう怒りを引き起こすということは、当然解っていたんです。予想されたわけです。人が住んでいる土地にどやどやと入っていって、「2000年前に我々の先祖が住んでいたんだ。出てけ。」こんな変な話はないです。原理主義だからそれをやっちゃった。パレスチナ問題の本質はここにあるんですよ。パレスチナ問題の本質は「行き過ぎだなあ。」とか「何もそこまでやらなくてもいいじゃないか。」とか。「新しい土地で手を打てばいいじゃないか。」とか、そういう常識では理解出来ないんです。日本人の常識では理解出来ない。それは原理主義が理解出来ないから理解出来ない。理解出来ないことが正解かも知れないけれども、そういう問題として、パレスチナ問題がある。

 だからその原理主義ですけれども、左翼にも原理主義がある。マルクス主義にもある。ですから、「人民は民衆を引き上げなければいけない。一生懸命努力しても、引き上げられない、人民にしてやろうと思ったのに、でもだめだ。強制収容所に入れ。」と、こうなる。強制収容所というのはみなさん理解出来ないでしょう。なぜ、社会主義は民主主義のさらに進歩した体制だと、自ら言っているのに、最近の研究ではスターリンの時代になってから始まったのではなくて、強制収容所はレーニンの時からある、という非常に悲しむべき報告が出ています。つまり、社会主義の成立と同時に、強制収容所があるんです。社会主義というのは、強制収容所と裏表の関係にある。

 なぜそうなるのか? これは本質的には権力を持って威張りたくなるということではなくて――そういうこともあるでしょうけど――善意に発している。だからやっかいである。「民衆を引き上げて、人民にしてやろう。一生懸命鍛えたけどだめだ。強制収容所に入れ。」あるいは「農村に行って働いてこい。中国で苅生って言いますね。」――ま、これは多少役に立つんじゃないかと、僕は思うんですけどね。都会の人間の偏見は、1年ぐらい田舎に行って働いたら治るんじゃないかと思うけど、ま1年じゃ済まないだろうけど、いつまで続くか解らないけど――実際悲惨なことになるんですね。

 で、農村苅生が第一段階、第二段階で強制収容所。これ、典型的なケースは、文化大革命を考えれば解るでしょう。マルクス主義に於ける原理主義というのは、文化大革命が典型です。善意なんです。農村に行って来い、は、まだいいけども、強制収容所入れろ、甚だしきは、文化大革命の漫画っていうのは何かと言えば、カンボジアで大虐殺をやったポルポトです。あれはまさに文化大革命の必中の弟子であり、文化大革命の漫画です。つまり高見に立って、遅れた民衆を――つまり僕みたいのですよ――「引き上げてあげよう。」

「農村に苅生してあげよう。」「強制収容所に入れてあげよう。」挙げ句の果ては何ですか? 「こうしてあげよう。」「何かこうした方がいいから、こうしてあげよう。」

 こういう風に全員が常に虐殺になる。これが人民論です。社会主義の反省というのは、この根本を押さえないとダメです。善意でやっていて、そういうところに落ち込んでいく、原理主義の怖さ。

 僕はだから――国民は論外ですよ。国民なんて論じるも必要ない――人民もダメだ。創価学会の好きな、『民衆』という概念を僕は採用したい。これが勝ち残ったのは当然だと思います。戦後民主主義の体制として頑張ってきた創価学会は、民衆という言葉の採用においても、正しかったと思います。

 民衆とは何か? つまり、「人を引き上げてやろうとか、国に頼ろうとかしないで、自分のことを自分は一生懸命やる。」これが、民主主義です。そして創価学会の運動というのは、「自分のことを自分でやってきた。」そういう運動です。どっかに偉い人が居て、その偉い人のようになれ、ってんじゃなくて、自分の問題を自分達の問題で解決してきた、その結果戦後民主主義がそこに成立した。そしてそれは55年体制から見て、実は咽に刺さった棘である。

 さっきから何度も言っているように、55年体制というのは、民主主義を口実・言い訳にした体制ですね。解りますか? そして民主主義をそのものではなくてエクスキューズにしたのが、55年体制です。支配しているのが官僚である、というのは、独裁です。表に政治家がいても、それはシャンシャンで収まりがつく。結果は予定された政治です。そして、裁判は官僚のご都合に合わして判例を出していく。官僚が困るような判例は出てこない。そういう体制の中で唯一、「何あれ? 言うこと聞かないねえ?」というのが、創価学会です。

 ですから私は今、創価学会の歴史を振り返っています。創価学会は常に常に前へ進んでいる。常に何とか携帯電話で(携帯の普及は早かったですね。世の中に流行る前からです)。人に電話して、前へ、前へ、前へと……。それはいいけれども、たまには振り返ってください。そうしないと、歴史を知らない若い世代には、話が届いていかない。

「こういう風にやってきたことが正しいから、こういう風に押し進める。」ということ、かなり自覚的にやる必要が、僕は、創価学会にあると思います。

 それだけ僕は公明党に対して、やや冷ややかであると…。また悪口いうと、評判悪くなるけれども、今更しょうがないけれど。

 咽に引っかかった小骨が、今、55年体制がかろうじて生き残ろうとしているのの手助けをしているわけですよ。おかしな話じゃないですか! 別に自民党と連立しようが何しようが、それは自由です。僕はそのことについて文句はない。55年体制の唯一の岩であった意義申し立てをした勢力が、30数年後、それの補填作業をやったんじゃ、助ける作用をやったんじゃ、これは漫画です。

 これは自分達のやってきたことの素晴らしさを自覚してないから、時々、反対のことをやることになる。創価学会にはそういう間違いはないけれでも、公明党にはある。ま、これは同情する人が多いですよ。政党にはものすごく攻撃がかかっているわけだから。攻撃はかかっているし、脅かされてはいるだろうし、公明党にすれば非常に大変だと思います。それは僕も解ります。

 僕は臆病な人間だから、「おまえ刺されてもいいから、頑張れ!」なんて、無責任なことは言えません。自分が刺されるの嫌だから、そんな無責任なことは言えない。だからある程度政治というものは、色々状況見て、ある程度妥協してやっていくのは当然です。それはいいんです。それはいいけども、今や戦争の可能性がある時代に、戦争だけは平和勢力として阻止して欲しいし、それから55年体制の延長という、露骨な傾向が出てきた時には、それを助ける勢力になるようなことはだけ止めて欲しい。

 そうであっても、自民党との連立は出来る筈です。そこを上手く出来る筈です。そこを人がいいから、連立したら何が何でも自民党のクローンになっちゃうんじゃ寂しいですね。

 要するに55年体制の関係で言えば、異議申し立てであった。そこに創価学会の存在があった、と思います。そしてそのことを、若い人に創価学会がきちんとした形で、伝えていく必要がある。いつもいつも現在と未来ばかり考えて――それは素晴らしいですよ――じゃなくて、何らかの具体的な形で若い人に教えるような運動を内部で勧めていくように思います。特に戦争の危機が出てきているから、特にそういう風に思います。

 それそろ私の話は終わりますけれども、最後に大阪事件の取材に行った時の体験談をしたいと思います。私は一昨年大阪事件のあった当事者に会いに行きました。第三文明の溝口さんに連れられて、何人かに会ったんです。

 みんな素晴らしい人でした。堺市の市議をずっと勤めた人なんか、戦闘的な時代の創価学会を代表する人なんでしょう。道を歩いていて、お寺があると、片っ端から飛び込むんです。講談に道場破りって出て来るじゃないですか。道場破りやるんです。で、負けたことない。すごいですねえ。「法論やろう!」って、相手お坊さんですよ、専門家ですよ。絶対負けたことない。これもすごかった。

 でも僕が最後に締めくくりでお話ししたいのは、ある女性です。今、大阪の本部に勤めている。当時18歳ぐらいで100人指導してた。初期の組織の素晴らしさですね。18で100人抱えて選挙運動やっていた。で、大阪事件があった時なんですけれども、そして警察が創価学会に着目して弾圧に入った。それが大阪事件ですよね。その一環として、彼女のように前線で選挙運動を戦っている人を――彼女はデパートに勤めて、選挙運動やってた――脅かしてやれと、若い女性ですから、警察なんて脅すの専門ですから。何にも理由ないのに、選挙違反の言いがかりつけて、引っぱる。もうこれは大変だったんです。

 僕が素晴らしいと思ったのは、僕のささやかな体験から言えば、左翼の方はこういう時威張る。「私は信念を持って戦った。」と威張る。大体偉そうにしている。「鉄の信念を持って戦った。」なんて言いますよね。ところがこの方は正直で、「もう、怖かった。」18歳の女性だから、そんなの当たり前じゃないですか。刑事がいっぱい現れていじめるわけですから。選挙違反やったろう、選挙違反やったろう、と。「こんなしんどいことはなかった。怖かった。」もう毎日のようにやるでしょう。デパートに勤めて選挙違反やったと、寝てる時間も引っぱられるんだから、「イヤでイヤで、自殺したいと思った。」そりゃそうですよね。警察というのは慣れていないから。刑事の取り調べなんて、慣れてないじゃないですか。そして自殺したいと思った時にどうしたか。

 僕はこれを感激しているんですけどね。取り調べの最中、この18歳の女性は何をやったか。追い込まれていじめられて、とうとうどうにもならなくなった時に、お数珠を取り出した。ちょっと待てと、お数珠を持っていると、「南妙法蓮華教。南妙法蓮華教。南妙法蓮華教。」と、やったんですね。取り調べに煮詰まって、厳しくなると、お題目を上げた。上げると、「さあやろう。続きを。」と自分から言う。これはすごい。「鉄の精神を持って戦った」なんて言わないで、「弱い女の子は怖くてしょうがないけれども、題目三唱で乗り切った。」と、彼女は言った。今は本部にいますけれどもね。この話を聞いて、僕は創価学会の戦後というものが解った気がしました。
 ま、大体こんなところで僕の話は終わります。(拍手)



●以下、質問会
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司会者――質問とかありますでしょうか?今の話でも結構ですけれども、みなさんの方から何か、ございますでしょうか?

岡庭――野崎さんって、政治担当だから何かこう権戊戌鵜なのかと思ったら、わりとそうじゃなくていい人ですね。わりと、本音で言う人だと思われます。この前の悪徳弁護士の山崎正友の本はまだ読んでないですけれども……。
司会者――いかがでしょうか? みなさんの方から何かございますでしょうか?
岡庭――あ、そうそう、公明党の罪といえば99年に通しちゃった、国民総背番号制ね。ああいう発想が今、他の行政・例えば防衛庁の情報公開に基づいて、資料を閲覧した人の名前とか、原発の資料を請求した人の名前とか、露骨にチェックしているじゃないですか。あれね国民総背番号性の発想なんですよ。地方統制法でね。「赤は何処にいるか。」と言う。だから、ああいう法を通すとまずいんですよ。

質問者A――今日(6月29日)、北朝鮮と南朝鮮が国境でついにドンパチやってしまって、20数名死んだり怪我したり……。
岡庭――南朝鮮という言い方は北の立場ですからやばいですよ。左翼と間違えられますよ(笑)。

質問者A――新聞に載っていましたので、韓国から見ると北朝鮮、北朝鮮から見ると南朝鮮です。今W杯で、韓国が第3位を巡ってサッカー、ものすごく白熱してますよね。結局、戦争に繋がるのかと思って、周りが騒いでいるけれども、韓国の中の人達は、議論もしないで白熱している、と言う状態になるんですけれども、今後はどういう風に巡ってきて、日本としてはどうすればいいのか、この辺について聞きたいです。

岡庭――それは解りませんけれど、少なくとも北朝鮮を敵だと見なしているのは、アメリカだけでしょう。悪の枢軸なんて言っているのは。北朝鮮に問題はいっぱいあるけれども、問題があるから亡命なんかで逃げ出しているんだけれども、韓国は北朝鮮と戦争なんて、全然したくない。キムレジュンがやっていることだって、何とか北との戦争を避けることでしょう。アメリカの共和党がやりたいんです。イラクか北朝鮮と戦争を続けなければ、経済が持たないみたいな、そういう理由から当たっているわけです。ですから、悪の枢軸なんて幼稚なことを言っているわけですけれども。

 さっきの亡命事件でもそうですけれども、アメリカの立場に日本はベタッと一致することはないんです。少し一致しすぎていると思います。特に小泉君アメリカの――小泉君なんて言っちゃまずい。同じ学校の、同じ学部の、同い年の、そういう意味で言っているんじゃないですけどね――小泉のアメリカへの一体意識というのはひどいものがあります。

 あの中国シンヨウの領事館の亡命事件に関しても、北と中国は一体である、と、あれは意図的なガセネタ感覚の上に立っているのと同時に、北と中国を敵だと思わなければ、ああいう反応は出てこないですよね。訴権侵害は事実です。けれども、冷静に「それをしてます」ではなくて、「また中国はやりやがった。」というおじさん達多いでしょう。だから日本がアメリカと一体化するのは、非常に危険です。特に森・小泉政権になってから、そうだろう、と僕は思います。

 ニュースというのは、これ大事なことなんですけれども、ニュースに現れていることを相手にすることも重要だけれども、「何を隠したくて、このニュースがあるんだろう。」と、考えることが大事なんです。記者クラブ体制というものは、記者クラブ体制の情報に我々が向き合うとすれば、テレビならテレビを見て、「このニュースは何を隠そうとしているんだ。」と、それが重要ですよ。何かを隠そうとする場合に、何かを表すんです。記者クラブというのは、情報を配るわけだから――もちろん全部操作してますよね――その操作というのは関係しているものを全部触れないでいると何処かでバレる。他のものを出すことによって、隠すわけです。

 中国の亡命事件もあそこで隠されているのは何か? と見ていけば、それがはっきりするわけです。日本は亡命問題をどう扱っているのか? 例えばペルーのフジモリ大統領は日本に来ているでしょう。あんなのおかしいんです。何がおかしいかというと、まともな亡命を認めたというのが、おかしいんです。おそらくフジモリの問題というのは政治的な問題もあるし、日本が金を流した先の会社が出てくるとか、ものすごくやばいことが出てくると思います。そこまでは解りませんけどね。 

 本国に返してくれ、渡してくれ、と、何度も何度も請求がある。それでもそれは、亡命だから、と認められている。亡命とはそういうものなんですから。本国から受け渡し要求があっても、認めない。でもそんなこと、今まで一回もやったことない。なんでフジモリだけやるのか? まともなことが逆におかしく見えるようにやるとすれば、それは何なんだろう、と出しているニュースではなくて、隠れているものを想像していく、というのが、我々が記者クラブ体制で、とるべき態度だと思います。

 つまり今の問題で言えば、創価学会が、記者クラブ体制に象徴される戦後の体制に抗って来たんですから、これからもその原点を忘れないようにしたいということと、繋がっているんです。

 それぞれの仕事があるわけですが、僕の仕事で言えば、記者クラブ体制を最初からインチキと見て、そのインチキを利用して、情報の裏を読むって、ことだと思います。

質問者A――解りました。
質問者B――官僚独裁ですが、例えば議員立法で法案が提出される時も、官僚独裁というのは動いているんですか?
岡庭――もちろん、一生懸命勉強して県議になっているんでしょう。そのことを否定してるわけじゃなくて、「だからどうなのか?」と言う問題ですよね。それは議員が勉強して議員立法でやることはいいことですよ。でも、そんなことでは動かないし、それをどういう風に判断するか?という官僚独裁が背後にはあるってことですよ。本人の自覚は、いつから? 例えば社会党の人で真面目な人はいますよ。いくら本気で戦っていると言ったって、それと55年体制に於ける社会党の役割というのは違うわけで。本人の意識の上で良心的な人達は、もちろん、いっぱいいます。全部が全部、役人に相談して役人の言う通りにやっている、具体的にそうだ、ということではなくて、『意味」』です。

 ところで、あなた、昨日のニュースどう思いました。『星条旗に対して忠誠を誓うことを強制することは、違憲である。』と判決についてですね。ニュースは触れるだけで、全く論評しないんですよ。全く論評しませんね、見事に。

質問者C――アメリカの思想がそういう具体的にあるから、具体的にやろうと。あそこは突出してますよね。そういう意味ではいいと思うんですけれど、そういうアメリカの財政を見ると、戦争したくてしょうがないですね。元気のない経済ですから、今株価がどんどん下がっていますから、これを抑えていますけど、今年の12月頃は非常に危ないですね。株価というのは大体半年先を見ていますから、その目から見ていくと、今のアメリカの何とかして、日本を包み込んで有事法政に持っていったわけですね。

 僕は、なぜ公明党が有事法制に賛成するんだ、と言うための原点をもっと忘れないようにしなきゃいかん、と考えるんですね。その原点って何かと言ったら、創価学会が支持団体だ、ということです。その支持団体の二代会長戸田先生・牧口先生もそうですけど、治安維持法で引っぱられて、非常にとてつもない迫害を受けた。獄中で培ったわかけすね。その思想をすっかり忘れて、何かこの、今の権力に一緒になって、賛成している公明党の人達は非常に情けない。どっか間違ったところがある。それを創価学会が応援するということは、何か、意図的なものがあるんじゃないか……。

 で、真面目な創価学会員が、一生懸命公明党を応援することによって、強くなるんだ、という違った方向に仕組んでる、これが、去る50何年前に我々が感じた大東和防衛権・いわゆる、何かそういうものがあるんじゃなかろうか。
 上から指導してそれを応援する、という形はですね、どういう風に考えたらいいものでしょうか。その辺をちょっと、先生に聞きたい。

岡庭――公明党の問題は、あまり言わないことにしているんだけれども、今申し上げたように、55年体制の虚構・虚偽を撃ったのは創価学会なわけですから、55年体制の延命に力を貸すということは、それだけは止めてもらいたいと、思いますよね。

質問者C――今度の法案が全てですね、自民党の意のままに通っているわけですね。これは僕は非常に危険な状態だと、思います。
岡庭――ひどい法案が通ってますね。

質問者C――これは逆にとらえればですね、国民を本当に見れなくなっている。今、借金が700兆円までふくれあがった状況になるわけです。そして今本当に、日本国民はどうにもならない崖っぷちに来たわけです。そういう中で、そういう行政下で、今は端っこでやってますけれども、日本の立場ってのは非常にずれてますね。国債の信用度も下から二番目ぐらいの価値観になっているんですね。そんなかで日本がどうやっていくんだと言うことになると、戦争を始めてそこに荷担して、それを手助けして、日本を無理矢理上に持っていこう、デフレから戦争へ持っていこう、という情報が流れているんじゃないだろうか? そんな風に思うんですね。それもあくまで政治のための、創価学会が応援するんだろうか? こういう風に感じるんですけれど、その辺はどうでしょうか?

岡庭――格付け会社ってあるでしょ。あれは陰謀だと思いますね。あれは日本を戦争に持っていくためのアメリカの陰謀だと思いますね。だってこれだけの国連給付金出して、ODA出してる国が、全部やりゃいいじゃないですか。あんなめちゃくちゃな話はないわかですから。(Cさん同意)

 それとバブルの後始末の仕方が決定的に間違っているのは、実力相応の国になればいいわけで。例えば、世界で15番目の国になれば、いいわけで。それを目指してやればいいものを、もう一度バブルにしようと思っているから間違えなんです。じりじり下がっているのは、幻想の部分が実体に近づいているわけで、それを恐慌を起こさないで、荒治療やらないでやるために10何年間必要だったわけで、これは間違いじゃないんです。そしてじりじり下がっていって、幻想が実体に近づいたら実体の経済をやればいいんです。そうすれば官僚独裁自体が邪魔になるでしょうけどね。

 だから、狙いが逆なんですよね。もう一回、ジャパン・アズ・ナンバーワン、ならないかなぁ、なんてことはありえないんです。そうすると、必ず、弱者から金をとるなんてのは間違っているわけで――モラル的にはもちろんだけれども、経済的にも間違っているわけで――医療医療保険にしても、老人問題にしても、経済の元を考え直せばいいんです。だから老人医療の問題も・総じて老人問題も、そこで経済を発展させればいいんです。そこで物が動き、人が動く、新しい市場が出来たら、それは経済を回復する道になるんだけれども、そうではなくて、経団連がもう一度自分達の体制を作りたいから、弱いところから金を集める、と、そうするとこれ、僕は学会本部の面川さんと論争したことあるけど、97年の消費税ですね。

 九七年の消費税率アップが、回復しつつあった日本の経済を止めた、って言うのは定説なんですね。あれやんなかったらもう少し上がったんです。今頃、常態に復しているんですよ。だがそれをまたさらに、消費税率を上げようとしている。こんなことやって、経済が立ち行かなくなるように、立ち行かなくなるようにしているんです。

 その根本は経団連型の指導者の方向で、経済を立て直そうとする間違いです。そうではなくて、もっと慎ましい形で、僕は70年のレベルと言っているけれども、慎ましい形で日本の経済はいいから、そこできちっとそういう国にすればいいんで、70年代から90年代にかけでは、僕は、幻想に幻想を積み重ねたんだと思うんですよ。その幻想を積み重ねた時代は簡単で、つまり、官僚独裁だから、租税収奪だから、国が集めた金をばらまけばいいんです。幻想で、必要な経済を踏んだわけじゃないから、税金をばらまいただけだから、立ち行かなくなった時に、バブルがはじけてパチンと行った。そうすると実体――70年代ぐらいの経済――で今後きちんとやれれば、それは徐々に徐々にやっていけばいけるんですよね。バブルの負債を返しながら、徐々に経済を転がしていく。でもそういう発想がない。

 消費税を高くしようとか、医療保険を高くしようとか、「三方一両損」なんてあんな嘘はないんですね。さんざん損をしている人間に、一両負わせるなんて、三方一両損にならないじゃないですか。だから、弱いところから金をとるんじゃなくて、モラルとしてもけしからんけど、モラルだけじゃなくて、弱いところに金が転がるようにして新しい労働市場と、新しい消費者を作っていけば、経済はそこに出来るんです。そして、役に立たない経済、例えば、土建会社から余った人間をこっちに流せばいいわけで、何にもやってないですね。

 これ、アメリカの戦後、ルーズベルトがTVA・ニューディールをやった時に――ニューディールは成功したのか、失敗したのか、論議の分かれてくるところですけれども――ニューディールを片端で見ながら、朝鮮戦争で(経済を)持ち直しましたから、「もう戦争をやっていれば経済はいいんだ」となって、まともな努力であるTVAはどっかへ行っちゃった。そのところにアメリカの問題は発生しているんだけれども、今日本はTVA・ルーズベルトの原点に戻るべきだと、僕は思いますね。でもそうはならなくて、戦争やれば解決するんだ、になるんじゃないかと、リアルにあるんですよ。オオカミ少年風にするのは大嫌いだけれども、ものすごくリアルにあるんです。

 それと、Cさんが実際に体験されたように、この国では役人というのは自分は働きませんからね。戦争になったら、防衛庁働きませんよ。一般市民が働かされますよ。そういう国なんだから。

質問者C――経済の状況を見ると、外国から笑われているんですね。日本の経済の中で、動労とか民政族とか言いますね。そういう中で、そういう利権を持っていくところに持っていく、と、それによって生き延びていくと、後のことはどうなってもいい、20年、30年先はどうなってもいいということを、ありありと出ているんです。全部に。

岡庭――僕、一つあるのは、ブッシュと小泉と非常に似ているんだけれども、悪の枢軸論と同じように、抵抗族という敵を作って、何でも悪いのは抵抗族である、と、逆に小泉は何やっても正しいとなる、自民党の抵抗族は何でも悪いんだ、ということはないんですよ。全然。それ自体は非常に危険ですよね。

 だから、郵便局を民営化するのに反対しているのは全部悪人だなんて、それは違うんですね。どっか悪を作って、その反対だからと自分を連れて公とすること自体危険なんだと、僕は思うんです。

質問者C――本当に民衆が立ち上がらなかったら、必ず何処かで消費税を上げていく、民衆強制しかないですね。で、行く行くは必ず戦争に持っていく、という、意図が考えられますね。その点どうでも考えられますよ。

岡庭――解りませんけど……(司会者に質問)消費税は15%なの20%なの。
司会者――さあ……。

岡庭――要するに、我々民衆から貯金を吐き出させるのが、唯一の政策なんですよ。色々形を変えて、それしかないんですよ。
質問者C――オランダのようにビジョンが出来ていればいいですよ。消費税上げても。将来心配ないんだと、いうビジョンが出来ていればいいんですけれど、何も出来ていないところで消費税上げたら、本当にみんな参っちゃいますね。完全に……今でさえ本当に汲々ですよ。一生懸命、ないのに残業までして、それで働いて、必死になってるわけですよ。民衆は、ね。それを嘲るためのような、資本主義体制ですね。

 日本の国民は、ホント大人しいと思う。毎年、3万人以上自殺者が出ているわけですね。毎年毎年。交通事故よりも多い。それだけの自殺者がいるってことですね。私も考えたことありますけどね、自殺するってことは、非常に勇気が要るんです。死んだらだめですよ。その時代より、今は良くなっていますけどね。

岡庭――あれ、負債の額が桁が違うってことですか? 一番大きいの。
質問者C――どうにもこうにもならん、状態ってことを、今言ったんですね。ローンを抱える、出るもんは出ていく、で、もう返せません、というようなことで、自殺していくのが、ほとんどでしょう。気の弱い人は、本当、死んじゃいますよ。そういうのが全然、日本の――東京都もねえ――どんどん、悪い方向へ行っているわけです。税収が何のあてもないもんですから。解ることは解るんですけれど、とるところからとればいいのに、とるところからはとらない。で、弱いものからとっていく。というところを変えていかないと、本当に一度怒って、土壇場まで行って、昔じゃないけれど**立てるぐらいの勇気がなかったら、日本は救えないと思いますよ。

岡庭――はい。
質問者D――今ふと思ったんですけれども、素朴な疑問なんですけれども、公明党が今習った法律とか色々なところに関して、創価学会の理念に反したような、逆行してしまったりとか、協力してしまったりとかいうことが、公明党の議員さんも大変な状況の中、脅されたりして、議員の人達は感覚というものがズレてしまっているということなのか、それとも、色々な周りの状況の中で選択肢として、選択を誤ってしまっているということなのか、その辺、選択肢に違いがあると思うんですが……。

岡庭――そりゃ、僕は知りませんよ。よく知っている人に聞くべきじゃないですか。ただ、言えることは、創価学会の方から要求出さなきゃダメですよ。これは敵対してんじゃないんですから。仲間内の矛盾なんだから。意見の違う人間が、一緒にやっていくのが政治なんだから。そうだったらもっと思い切ってね――学会があまりにも大人しすぎるというか、自分の意見を持ってもいいんじゃないかと思うんですがね――支持しながら、もっと意見を出すってことが、あっていいと思います。もっと意見を言うべきだろうと思いますがね。まあ、場所が何処だ、と言われれば困っちゃいますけど。でも、座談会とかでも出せるんですよね。

質問者E――先ほど公明党がいろんなことをしちゃって、周りと雰囲気が違ってきた、と言う話だったんですけれど……。
岡庭――はッ? 最後何とおっしゃったの?

質問者E――冷たくなった雰囲気というのが、公明党の……。
岡庭――いや、冷たくなったんじゃあないんです。そんな、ガチガチに緊張してね、批判されるのが辛い、という雰囲気ではなくて、批判を楽しんで、同感するところもあると、それでやっていこうという――しかも敵対するんじゃなくてね――いいところが出てきたんじゃないかな、と思います。創価学会の方にですよ。公明党については僕は知りませんから。

質問者E――お話を聞いていく中で、戦後・旧満州に始まる官僚独裁体制が続いていって、また戦後55年体制という崩壊に対するカケ?であると。その、崩壊する中で新しい社会のあり方とか、そういうものの見本がないと、生きていくのにはなかなか難しい社会だと思うんですけれども。将来、日本の社会が進んでいく道として、モデルとなるような国とかそういう、ヒントとみたいなものはないんですか?

岡庭――さあどうですかねえ。ドイツもなんだか、だめな感じになりましたからね。かつてはドイツがモデルでしたがね。
 ドイツは同じ敗戦国でも、ずいぶん日本と違ったわけなんですよ。何処が違うかと言えば、日本は引き揚げ者なんかを中心にした中小企業の世界と、大企業の世界と、全然違う世界を作ったんですね。中小企業の労働者は給料も安いし、安定しない社会を作ってきた。その経済構造は、戦後とドイツは違って、同じ引き揚げ者でも、大きい会社も小さい会社もあるけれども、競争関係のある会社でやってきた。そういう点で、待遇の違いもあまりなかった。という、いい点があった。

 第三世界で物を買う場合に、気候その他で、農産物は影響を受ける場合が多い。それから鉱産物もたまたま鉱山から採れすぎたとか値段が暴落する場合があります。先進国の強さで値段の暴落につけ込んで、第三世界から物を買う、これは日本なんか、すきあらば、とたたいて買いますよ。ところが、ドイツは法律を作って、あんまり安い場合はつけ込んで買ってはいかん、と、ある値段以上にはしないようにする、例えば、そういう素晴らしい試みがあるし…まあ、最近ドイツも嫌なことが多いんで、一概には言えませんけれども…ある程度ドイツというのは参考になりますね。それがさらに言えば、州がものすごく権限が強い。ドイツは国が弱いんです。各州の権限が強い、これもいいことです。日本では中央から地方への権限委譲とかって、全然委譲していない。委譲した先の県単位だって、国の役人が行って、支配している。そういう絡繰りになっている。そうじゃなくて、ドイツは州が非常に強い。色々なドイツのいい面…今色々しんどいから賛成するわけにはいかないけれども…まあ、ドイツは参考になるでしょうね。
 北欧とか何とか素晴らしいけれども、人口が少ないでしょう。人口千何百万のところでは参考になりませんね。規模が違うから。

司会者……ちょっとよろしいでしょうか。もうそろそろ時間ということで。
岡庭――どうもありがとうございました。


●文責=夢野
2002年6月29日(品川・きゅりあん)