東京同窓会の問題
(1)大地会……ではなかった?
別ページでも述べましたが、東京同窓会は少人数の互助会的な性格スタートしたため、
当時のメンバーの個人的な思い入れが会の運営に反映してきていました。
ある時期には、岩見沢大地会との間で行き違いによる確執も起き、
「東京同窓会は岩見沢大地会の支部ではない」という感情論から、
最近までは「大地会」という名前すら公式には使ってきませんでした。
(2)幹事持ち回りと会計
懇親会を主催する幹事は年度ごと持ち回りですが、その際には会費などの会計まるごとも
年度幹事に引き継がれてきました。
総会での会計報告や監査はあるものの、実質的にはその年度の幹事が自由に使うことが出来たのです。
使い道の是非についてはここで議論しませんし、諸先輩方が不明朗なことをしてきたわけでもありませんが、
一般の団体が行うような会計(金銭出納)の明確さには欠けていたようです。
(3)懇親会
懇親会は例年150〜200人が集う大きなイベントですので、何もしないでいると散漫な単なる飲み会になってしまいます。
そこで年度ごとに「カラオケ大会」「川柳披露」などの工夫がなされてきましたが、
世代の幅広さや会場間取りの制約などから、必ずしも全員が楽しめるものとはならなかったようです。
数年前からは幹事世代の担任だった恩師を2〜3人招待してスピーチをお願いするという企画がなかば
慣習化してきましたが、これも幹事世代以外の世代の方々にはあまりうけていないようでした。
出席者もある程度の年配者が大部分で、卒業したての社会人や学生の姿はほとんどみられませんでした。
逆に第27期以前の(お年寄りの)方々は懇親会参加費が半額になるという
優遇慣習(特に明文化されてはいない)があり問題となっていました。
通常、幹事世代の翌年世代(つまり次回の幹事世代→今回はわれわれ45期)が受付を担当し、
懇親会のやり方や雰囲気をマスターすることになっています。
2002年では管理人の他、安立さん、小林克彦・真理子夫妻、立川さん、船本氏、山本(充)氏、渡辺(鉄)氏、渡辺(芳)氏の
9人が受付を行いました。
しかし受付業務は意外と多忙で、会が開かれた以後も続々来られる方がいるため、
懇親会そのものをじっくり見る余裕はありませんでした。
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