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獅子座流星群 |
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「胤、やめなよ。盗賊だったらどうするんだ。じいを呼んでこよう。それからでも大丈夫だよ」 ほっそりと優しげな顔だちの少年が、弟らしいもう一人の少年の袖を掴んで必死に引き止めようとしていた。庭で遊んでいた彼らは、屋敷の門前に腰掛けては鼻歌を歌っている、ちょっと胡散臭い男を見つけ、どうしようかと悩んでいたのだ。 「だけど、僕たちがしっかりと母上を守ってあげなければいけないと、父上はいつも言っていたじゃないか。変な奴だからこそ、早く化けの皮を剥してやらなくちゃ」 胤と呼ばれた少年は、兄の手を振りきって、果敢にも木刀を後ろ手に男に近づいていった。 「おや、ここの坊ちゃんたちかな?」 ふいに男に声をかけられて、胤は思わず息を呑んだ。 「おっ、おっ…おじさん。な、何か、ご用ですか;;」 男には悪意はなさそうである。ひげ面で身なりもこぎれいとはいえないが、人懐っこい笑みには、どこか愛嬌もある。 「父上に、お会いしたいのだが」 後からついていった周循は、長男の責務とばかり、意を決して男の前に出て鷹揚に拱手した。 「…失礼ですが、どちらさまでしょうか」 どこから見ても、東呉軍の大都督である周瑜に直に面会をしに来るような風には見えなかった。戦時下である。それに、討逆将軍孫策が暗殺にあって以来、周家では不審者の訪問には一層神経を使っている。 「おや、先生、[广龍]統先生じゃありませんか!」 聞きなれた声に周循たちも振り向くと、馬に乗った魯粛の姿が見えた。 「お待ちしておったぞ、子敬どの。やはり、わし一人では周家には入れてもらえませんでしたよ」 「だから、ご一緒しましょうと言ったじゃないですか。まったく、せっかちなんですから」 魯粛は馬から降りると、鞍にぶら下げていた柑子の袋を外して周胤に渡した。 「いいかね、半分は父上に差し上げるのだよ。これを甘く煮詰めて、その汁を飲むと体によい」 周循はにっこりと頷くと、袋をぶら下げて勝手口の方へ走っていった。 「相当…お悪いのかな、都督どのは…」 「寒くなってきたからな、私も秋口に引いた風邪がなかなか治らんよ」 二人は寒そうに肩をすぼめて、周循の先触れで屋敷の中へ消えた。 周瑜の屋敷には四季折々の木々が植栽されており、冬枯れたこの季節でも赤い山茶花が客をもてなしていた。 新婚当時に建てたという屋敷は、いつもきれいに整備されいて、庭ひとつとっても見る者の心を和ませてくれる。しかし、その主は今、病床に就いているという。 「ご主君も太夫人も、公瑾どのの容体を、ご自分の事のように心配されております。で、どうなんです。公瑾の容態は?」 魯粛は真剣な眼差しで小橋に詰め寄った。 赤壁の後、膠着してはかばかしい結果の出ない戦況に、周瑜は過労から血を吐いた。東呉に周瑜公瑾ありといわれたことで、その衝撃は内政にも外交にも大きな陰を落としていた。 「ご心配をおかけして申し訳ございません。おかげさまで、このところは楽と書を友にして、穏やかに過ごしておりますわ」 「よくなっていらっしゃるのですな。それはよかった」 [广龍]統が小橋をまぶしそうに見つめると、彼女は、ふと花の顔に翳を浮かべた。 「…でも、夜になると微熱が続きますの…。それに咳が…」 小橋は顔を逸らせて、袖でそっと口元を隠した。この屋敷を包む何とも言えない重苦しい雰囲気は、これだった。 「…申し訳ございません。今、公瑾に…伝えてまいりますわ」 小橋は作り笑いをして、小走りに部屋を出ていった。 そんな母の様子を心配して、三人の幼い子供たちが廊下でうろうろしているのが見える。 「おいで。お菓子がある。おじさんたちと食べよう」 [广龍]統が手招いている。最初は胡散臭そうな男だと思ったが、子供に話し掛けるときの雰囲気は魯粛よりも優しいので、子供たちは少し安心して部屋に入ってきた。 「君が、周瑜どのの長男だね」 「はい、周循と申します」 「父上によく似ておられる。顔や声ばかりでなく、礼儀正しいことろも」 「それに読書家だしな、循は」 魯粛も少し落ち着いてきて、いつもの穏やかな様子を取り戻していた。 「ほほう、それは将来が楽しみだな」 「ただ、少し体が弱い。小さな頃からよく高熱を出しては、小橋どのをあわてさせていた」 「それはよくないな」 雰囲気が似ているということと周瑜の病気が、どうしても二人の脳裏にはだぶってしまうのだ。 不安な気持ちを追い払おうと、[广龍]統は弟の方に目をやった。 「君が次男か。おお、こちらは元気の固まりのようだ。えーと」 「周胤です!」 「おう、周胤くんか。わしは[广龍]統、字を子元と申す。なあ、子敬どの。この子は、どこか伯符どのに似ていないか?」 孫策の字を聞いて、周胤は大きな目を輝かせた。 「伯符さまを知っているの?おじさん」 「もちろんさ、君たちの父上と江南を縦横無尽に駆け巡っておられた頃から、よく知っているよ」 「僕、伯符さまのようになりたいんだ」 「ほほーう、これは頼もしい」 [广龍]統は、表情を崩して周胤の顔を覗き込んだ。少し勝気そうな瞳は、孫策の忘れ形見である孫紹よりもずっと似ているような気がする。まるで周瑜がそれを望んだかのようだった。 最後に、[广龍]統は一人娘の鸞を抱き上げて膝に乗せた。両親の美貌を受け継いだこの娘は、将来の妃候補であることは間違いないだろう。 「周瑜どのは幸せだな」 「幸せ…かな」 魯粛は、ぼそりとつぶやいた。 「意味深な台詞だな。子敬どの。確かに若くして病を得るのは不幸この上ないが」 「いや、そうではない」 孫策に似ているという周胤の頭を撫でながら、魯粛は何かを思い出しているようだった。 「伯符さまが亡くなったあとは…」 周瑜は孫策の夢を叶えることだけに命を懸けているといってもいい。そして東呉の大部分の人間が、周瑜に亡き孫策の姿をだぶらせていたはずだ。 「ご主君のお気持ちが気になるのか?」 周瑜が頑張れば頑張るほど、孫策の色が東呉軍の中に残る。孫権はいつまでたっても軍の総帥にはなれないのではと、口の悪い連中が陰で噂する。 「…どうなのだろうか、私もまだそのあたりを直接ご主君に聞いたことはないが…。しかし、それは公瑾自身がよくわかっているはずだ」 難しい立場なのだなと、[广龍]統は改めて思った。孫策の死は周瑜の人生をも変えてしまったのだ。 「では、何が気になるのだ、子敬どの」 魯粛は、難しそうな顔をして、暮れなずんできた庭に視線を当てた。 「志を継いだといえば聞こえはいい。だが、時々、公瑾には…その…危うさのようなものを感じるんだ」 「危うさ?」 「たぶん、彼に会えばわかるだろう。…奥方が戻ってきた」 魯粛は視線を回廊に移した。 どうぞ奥の部屋へと、小橋が告げに来た。 「おや、珍しい人がご一緒だったのですね」 「赤壁以来でしたかな」 客人の前に出るために、周瑜は身だしなみを整えて端座していた。そして[广龍]統を見ると、上品な顔をにこりと崩した。 「思った以上、元気であられるな」 しかし、あの赤壁で雄々しく東呉の船団を率いていた時の面影は、ない。 「鳳雛先生も、少しも変られませんな」 「相変わらず着の身着のまま。ヒゲもぼうぼう。坊ちゃんがたにアヤシイ道士と思われてしまいましたわ」 「ご主君までにも嫌われてしまいましたよ。せっかく推薦したのに…」 「外見よりも中味が大事。まあ、外見もよいに超したことはないですけどね」 「わかっているんじゃないですか」 軽い会話に、男たちは声を立てて笑った。屋敷内に大人の笑い声が響いたのは、いつ以来だろうか。 客間には、やがて酒と肴が運ばれて来て、しばし ささやかな酒宴が開かれた。 しばらくぶりに夫の楽しそうな顔が見れたので、小橋も少しほっとして、会話の邪魔にならない程度に部屋の隅で琴をつま弾いていた。 「ところで、ご存知ですかな。今宵は天上から流れ星が雨のように降るそうです」 天文に詳しい[广龍]統が、酔って真っ赤になった顔でそう言った。 「ほう、雨のようにと…。それは見ごたえがありそうですな」 「では、庭に出てみますか」 周瑜が率先して席を立った。 「あなた…」 思わず駆け寄る小橋の手を周瑜は軽く握って、大丈夫だからと囁いた。しかしその手は彼女が危惧したとおり少し熱を帯びていた。彼女は夫に着せる服を取りに、あわてて部屋を出ていった。 「ほう…これは見事だ」 今夜は新月のため、流れ星が各方向に流れ落ちていくのがよく見える。 「特に、あの南天のひときわ大きな星の付近から、勢いよく飛び出していくように見えますな」 周瑜は目を細めて魯粛が指したその星を見上げていた。 それは、いつだったか、孫策が俺の星だといっていたものだった。 ――― あの隣の星が、きっとお前の星なんだろうな 少し小さいが、彼の星に負けない青白い光を放っている星があった。 ――― お前がいつも俺の横にいてくれるから、俺って無茶ができるんだと思う あの日、二人で野原に横たわりながら流れ星を見ていた時、孫策はぽつりとそう言った。 ――― 何を言ってるんだ。私こそ、君がいてくれたから… そんな、どこか甘酸っぱい昔のことを思い出していたとき、周瑜ははっとして振り向いた。丁度、小橋が着物を肩にかけようとした時だった。 「あなた、ご無理はなさらないでくださいね」 小さくそういうと、彼女は後ろ髪を引かれるように建物に戻っていった。 「おおっ、これはすごい…」 男たちの歓声が上がる。天上から降るような星々… ――― 公瑾… 今度は俺がお前を支えてやる番だな 流星群の放つ光に打たれながら、周瑜は孫策の息吹をその身に感じていた。 失われかけていた力が、体の中から蘇ってくるような気がする。身震いするように、彼は両手で思わず自分の身体を抱きしめていた。 「公瑾どの、お寒いのではありませんか。そろそろ中へ入ったほうが…」 [广龍]統の心配をさえぎって周瑜は魯粛を見た。それは病人の顔でも、温和な士大夫の顔でもなく、東呉軍を率いる大都督の顔だった。 「子敬、明後日、登城すると、ご主君に伝えておいてもらえないだろうか」 流星群に見とれていた魯粛は、周瑜の声にはっとして振り返った。 「水軍を動かしたい。荊州を取る」 「公瑾…それは…」 無理だ、と魯粛の口が微かに動いた。 「せめて、暖かくなってからの方が、いいんじゃないのか」 「いや、今がいい、今しかないのだ」 より強い光を放つ星の力を得られる、この冬の季節がいいと周瑜は思った。 「春の雪解けで水が増える前に…ということですな」 [广龍]統は自分に言い聞かせるように軽く頷いた。確かに理屈ではそうだ。しかし周瑜を見ていると、何か抗えないものに引き寄せられているようにも見えた。 深夜近くになって [广龍]統と魯粛は馬を引きながら周瑜邸を出た。そして最初の辻の所で再び夜空を見上げて立ち止まった。 「子敬どのが言っておられたことが、何となくわかったよ」 そう[广龍]統が言った時、青白い星が二人の視界を横切って流れていった。 ![]() 「先生、先生も孔明どののように星を見られるのでしょう。あの星は…」 「…荊州の方に、流れていったな…」 [广龍]統は魯粛の意図するところの答えは、あえて明言しようとはしなかった。 「そなたが、しっかりせねばならなくなるぞ、子敬どの」 「…ふむ…」 魯粛も何かを決心したようだ。温和な顔が少し緊張している。 「…勝たねばならぬな…」 「…ああ、必ず…」 二人は、言葉を切って、再びゆるゆると歩き出した。 咳が止まらなくなった。 寝台から起き上がった周瑜は、家族に気づかれないよう、布で口を抑えて咳を静めようとした。苦しい…何か胸の中が破裂しているようだった。布を広げると見ると、庭の山茶花よりも濃い赤の固まりが張り付いている。それを思い切り握りつぶした周瑜は、しばらく動かなかった。 ――― まだだ。まだ死ぬわけにはいかない…。私は伯符の遺志を何一つ実現していないのだ 息がやっと整うと、周瑜は一振の剣を手にして再び庭先に降りていった。それは孫策の形見の剣だった。 身を突き刺すような寒さの中で、周瑜は鞘をするっと引き抜き、それを孫策の星に向けてささげ持った。 ――― 荊州を取ることが、私に対する最後の命令だと承った。 どうかそのときまで、私に、力を与えたまえ …伯符よ… 剣の刃に沿って光の玉が滑り落ちてくる。それに周瑜は包まれていた。 そして目を閉じると、気持ちが少し軽くなったような気がした。 |
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| (終) |
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作者コメント Copyright Yomogi / 著作 春野蓬 |