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五月の第二日曜日 |
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それは とある五月の日曜日のこと。 部屋で刺繍をしていた卞夫人は、扉の隙間から誰かが部屋の中を覗き込んでいるのに気がついた。 「誰ですか。そんなところでコソコソしていないで、お入りなさい」 「…っち、見つかっちゃったじゃないか」 「その声は子建ですね」 彼女はピシャリというと、自ら歩いていって扉を開けた。そこには大きな箱を抱えた曹植と異母弟の曹沖がうずくまるようにして隠れていた。 「大きな身体をして…何をしているのです」 「しかたありません、子建兄上、こうなったら堂々とお渡ししましょう」 曹沖はニッコリ笑うと、曹植が立ち上がるのを促した。 「あの…母上、これ…」 ひょろりとした曹植は、背中に隠していた箱をおもむろに取り出すと、照れながら母の目の前に差し出した。 「義母上さま、いつも私たち兄弟を慈しみくださって、ありがとうございます」 曹沖は、かわいらしくリボンが結ばれたカーネーションを一輪箱の上に置いて、一緒に差し出した。 卞夫人と曹沖とは血のつながりはないが、彼女は早くに死んだ曹沖の母に代わって、彼を実の息子と同じように育てていたのだ。 「二人とも、さあ中にお入りなさい」 「はい(^^)」 「それにしても、どうしてコソコソしていたのです?」 「いえ…まあ、その…」 曹植がモジモジして口篭もると、 「実は義母上がお留守のときにそっと置いておいて、ビックリさせようと思っていたのです」 と、年下の曹沖が答えた。要するに、面と向かって母の日を祝うのは、ちと照れくさいというのだ。 卞夫人は椅子に腰掛けると、嬉しそうにゆっくりと包みのリボンを紐解いた。 「まあ!」 箱の中には豪華なレースのショールが入っていた。 「義母上さま、このハンカチも使ってくださいね(^^)」 曹沖が指差したのは、おそろいのレースのハンカチだった。 「気に入ってくださいましたか?」 「ありがとう、二人とも。でも…私にはちょっと若すぎないかしら?」 「だっ、大丈夫ですよ。母上はいつも若々しいのですから、このぐらい」 そういうと曹植はショールに手を伸ばし、母の後ろに回ると、そっと彼女の肩にかけてやった。 「お似合いですよ」 曹植は鏡の前に彼女をいざなっていくと、甘えるように母の肩に両手を置いた。面差しのよく似ている母子を見ていた曹沖は、少しだけ羨ましいと思った。 その時、扉をコツコツと叩く音。 「母上、おられますか?」 あの太い声は次兄曹彰である。 曹植と曹沖は顔を見あわせると、思わず苦笑した。 卞夫人はショールを箱に戻して、扉のところへ歩いていった。 「あの…これ…」 扉が開くやいなや、曹彰は、ぬっとカーネーションの大きな花束を突き出すようにして母に手渡した。日頃、花などに縁のない息子が、肩をすぼめるようにして照れている様子は実に微笑ましい。 「ありがとう 子文どの(^^; さ、中へお入りなさい」 母に薦められて部屋に入った曹彰は、曹植と曹沖がテーブルのところでニヤニヤしているのに気がつくと、決まり悪そうな表情で「馬鹿、笑うな!」と拳を挙げた。 「やっぱり花束になると豪華ですね。僕なんか1輪しか持ってこなかったのに…」 曹沖は、曹彰の持ってきた花束に、思わず目を見張る。 「一輪には一輪の美しさがあるのですよ」 卞夫人は侍女に3人分の茶を用意させると、息子たちをいざなって席についた。 「でも、まさか花束だけってことはないんでしょう。子文兄上」 曹植は頬杖をついたまま、ニヤリとして曹彰の顔を覗き込んだ。 「え…?」 「僕たちは、レースのショールとハンカチを贈りました」 「うむむむ…(ーー;)」 曹彰が俯いて顔を赤らめているので、卞夫人は気の毒になって曹植をたしなめようとした。 すると曹彰は決心して、懐から小さな袋を取り出した。 「これって…母上の趣味かなって買ってから気になっちゃって…」 と、遠慮がちにそれを差し出した。 「何でしょう?」 曹植と曹沖も、興味深そうに身を乗り出してくる。 「口紅?」 「へー、ブランドものじゃないですか!子文兄上」 「いや…シャ○ルだかディ○ールだか知らないけどさ、デパートの姉ちゃんが、これが今年の流行色ですっていうので包んでもらったんだ」 卞夫人は、キャップを外してクルリと回転させると、少し困惑したような笑みを浮かべた。 「赤…すぎるか…な?…やっぱし(ーー;)」 曹沖も、その色を見て少し眉を寄せた。どうみても50に手の届く夫人にはビビッドすぎる赤色である。 「いや、いいんじゃないかな。母上にはいつまでも若くいて欲しいし」 「そ、そうですよ。そしていつまでもきれいでいて欲しいです」 「そ、そうだよなあ〜(^^*」 何となくぎこちない笑いを交わす三人の息子たち。 「さて、残すところは子桓兄上か。何を選んだのか楽しみだな〜」 曹植がそう言ったとき、廊下を近づいてくる足音が聞こえてきた。しかし、曹丕の歩き方とはちょっと違う。 「奥はいるか!」 卞夫人がそれに返事をする前に扉がバンと開いた。入ってきたのは曹操だった。 「なんだ、お前達、こんなところで何をしている?」 「おじゃまですか?父上(^^)」 「いや…別に、かまわんが…(ーー;)」 「本当はお邪魔なんだろうな。手に何か持っているぞ」 三兄弟は、興味深げに曹操の持ってきたものに注目した。 「いや…、いい品物が入ったのでな」 曹操は卓子にドッカと座ると、3つの細長い箱を取り出して卞夫人の前に置いた。中にはいずれも見事な首飾りが入っていた。 「景気いいな〜父上。3つも贈るのですか!」 「馬鹿もん、3つも贈っても首は一つしかないだろうが」 曹操の寒いジョークに、みんな思わず苦笑する。 「気に入ったものを一つ、いただけるのですね。あなた」 「ふむ…」 テーブルの上に並べられた3つの首飾りを、卞夫人はじっと見比べていた。その様子を、曹操もまた腕組みしながら見つめている。 「母上がどれを選ばれるのかを、試していらっしゃるようですね」 曹沖は、隣に座っている曹植に耳打ちした。 母がどれを選ぶのかで、自分の妻としてふさわしいかを試しているのかもしれない。そういうことを、この父だったら平気でやりかねないなと曹植は思った。 部下を評価する目の厳しさは有名だが、家族も容赦なく彼の秤にかけられる。糟糠の妻である卞夫人ですら例外ではない。 「もしかすると2つは贋物だったりしてな〜。で、「ハイ、ハズレ。残念でした!」っていうのを期待してたりしてさ。父上はクイズが好きだからな〜。俺、子供の頃、よくそういうのやられたぞ」 曹彰がそんなことを言って笑うと、曹操はジロリと睨みつけた。 「し、子文兄上、全部本物のようですよ;;」 曹沖は曹彰の袖を引く。 そんな風に父を語れる曹彰のことが、曹植には羨ましかった。兄だったら父とのゲームに負けても、笑い飛ばしてしまえるだろう。でも、自分にはできそうもない。父の前では不完全なところを見せるわけにはいかないと、いつのまにか、そんなことを身に付けていた。たぶん、同じような緊張感を長兄曹丕も感じているだろう。曹植は心の中でため息をついていた。 母上はどうなんだろう。三人もの息子を持ってはいるが、父の後宮には両手に余るほどの側室達がいる。今後、曹沖のような天才を産む女性が現れたら、その地位を脅かされるかもしれない。 ---- がんばってください、母上 思わず母を応援していた曹植だった。 「では、これを頂きましょう」 卞夫人はシンプルな真珠の首飾りを手にとって、胸の前に当てた。 「…よく似合うぞ」 試験官の顔を外した曹操には、満足そうな表情が浮かんでいた。彼がそうあって欲しいと思ったものを、彼女はみごとに選んだのだ。 「ありがとうございます」 卞夫人は夫に感謝を述べたが、息子達には、その選択に必ずしも納得できないところがあった。 「母上、どう見ても、こちらの金剛石の方がいいものではないですか。俺にだって、そのぐらいはわかります。丞相夫人だったら、このぐらい豪華なものを身につけられたほうがいい」 と、曹彰が不満げに言った。ちょっと地味過ぎるんじゃないかと思ったのだ。 同時に、せっかくみんなで母を若返らせようとしていたのに、その母が自分から一番地味な首飾りを選んだことに、やはり歳相応の落ち着いたものが欲しかったのではないかと、ちょっと心配になった。 「ところで、残った二つはどうなさいますの?」 と、少し意地悪そうに卞夫人は夫を見た。赤い石のは若い側室が好みそうですわねと、瞳が語っている。 「な、何を疑っているのだ。他のは宝石商に返すんだ。妻が気に入ったもの一つ買うからといって預かってきたのだから」 不意打ちを食らった曹操は、そそくさと二つの箱をしまいこむ。 本当かしら…と、卞夫人が笑う。 「と、ところで、お前達、何をしておる」 形勢が悪い曹操は、再び息子たちに矛先を向けた。 「母上に感謝の気持を述べに来たのです」 「ああ、今日は母の日だったな」 「父上にとっても、母上は妻であり母でもあるみたいですね」 「何を言うか、お前達とは違う;;;」 曹操は照れくさそうに、そっぽを向いた。 「それにしても、残るは子桓兄上ですね」 兄弟の注目は、長兄曹丕の贈り物に移った。 「子桓? あいつは今、許昌にはおらんぞ」 曹操は怪訝そうな顔でそう言った。 「え?」 「昨日から業β都に出張している。知らなかったのか?」 「兄上は、私たちには余計なことは何も言いませんからね」 「どうせまた仲達どのと一緒なんだろ。最近とみにアヤシイよな〜、あの二人」 曹彰が隣にいた曹植に囁くと、弟もまた意味深な笑いを浮かべた。 「アヤシイって、どういうことですか?」 曹沖が、真面目な顔で兄達に質問する。 「『すっご〜〜く』仲がいい!ってことさ (^^*」 曹彰は「すっごく」のところに一際 力を入れて曹沖に説明した。 「そういう友達がいるって素晴らしいことではありませんか!羨ましいな子桓兄上」 「あははは…こりゃ、いいや」 どこまでも純粋無垢な曹沖の返事に、曹彰も曹植も笑いがとまらなくなっていた。 「それにしても、母上にも挨拶ナシですか」 そう曹植が言ったとき、侍女が豪華なカサブランカ・リリーの花束を抱えて部屋に入ってきた。上等なサテンのような白く高雅な花。みんながその花束に目を奪われている間に、卞夫人はグリーティング・メッセージの差出人を確認して顔をほころばせた。 「噂の子桓どのからですよ」 そして、添えられた手紙の中からは、国立オペラハウスのS席チケットが二枚と、曹丕の手書きのカードが入っていた。 『母の日をともに祝うことが出来ず心苦しく思っております。せめてもの償いに、母上の一番大切な方と、最高の歌劇を楽しまれますように』 達筆な曹丕の文字の間からは、弟達には、こんなスマートなお祝いはできないだろうと言わんばかりの優越感がにじみ出ている。 「くそっ、兄貴のやつ、キザな真似をしやがって〜(^^;」 カードの文面もキザだが、花束もカーネーションを凌ぐ豪華さだった。おまけにオペラ鑑賞券だって〜〜;;; 「すごい。これは今一番人気のオペラで、なかなかチケットが手に入らないんですよ。それもS席をペアで!」 芸術に造詣の深い曹植も、曹丕がこのプラチナチケットを手に入れたことには、正直言って驚愕した。こういう点では、兄も隅に置けないと再認識せざるをえない。 「あら、でもこれは…今夜のステージですね」 卞夫人は、日にちを確かめると、部屋の時計を見た。 「どれどれ、あ、本当だ。子桓のやつ、せっかちなプレゼントなどしおって」 「いいえ、違いますよ、父上。きっと子桓兄上は、意図するところがあって今日の券を用意されたんだと思います」 曹沖は、羨ましそうな遠い目をした。 「あなた、時間があまりありませんわ。早くお支度をしてくださいませ」 いきなりそう言われて、曹操はきょとんとして妻を見た。 「わし?σ(^^;」 「そうですよ」 「わしは〜(ーー;)」 「オペラはお好きなのでしょう」 「…う、うん」 「それとも、もっと若くて美しい方とご一緒のほうがよろしいかしら」 「な…何を言うのだ(大汗;)」 曹操が口篭もると、曹沖はすくっと立ち上がり、父の前で鷹揚に拱手した。 「私たちの母上が、「一番大切な方」として父上を指名されたのです。今日はしっかりエスコートして差し上げてくださいね」 卞夫人が手を叩いて侍女たちに外出の支度を指図すると、曹操は追い立てられるように部屋を出て行った。 「みんなに畏れられている父上だけど、母上だけには頭が上がらないってことだな」 三兄弟は、テーブルの上に用意された初夏の果物に一斉に手を伸ばした。 「準備はよいか」 しばらくして、曹操が正装して卞夫人を迎えにやって来た。 「はい」 黒のロングドレスに曹植から贈られたショールをかけた卞夫人は、バッグの中に曹沖からのレースのハンカチを丁寧にたたんで入れていた。曹操から贈られた真珠のネックレスも胸元で静謐な輝きを放っている。 それに目をとめた曹操は、「なるほど…トータルコーディネートというわけだな」と、頬を緩ませた。 シックで上品にまとめられており、丞相夫人として申し分ない。 曹操のネクタイを直しながら、卞夫人もまた夫の姿を眩しそうに見つめていた。 「素敵です。母上!」 「父上もカッコいいです」 曹植たちが舞い上がっている中で、ただ一人元気のないのは曹彰だった。それに気がついた卞夫人は、曹操に少し待っていてくださいというと、奥の部屋に戻っていった。 「どうしたんだ?」 時間つぶしにタバコを吸い出した曹操が曹植に尋ねると、曹彰が派手な色の口紅を贈ったというのがわかった。それを聞いた曹操は、がっくりとテーブルに伏している次男を見た。 「おい、子文。昔から口紅というものはだな、男が女に少しずつ返してくれといって贈るものなのだぞ」 曹操は苦笑しながら曹彰を小突く。どうやらデパートの店員は、彼が同年代の恋人に贈るものだと思ったらしく、あんな色を勧めたのだ。 「いっそ返してもらったらどうだ。かあさんの唇から…(^^;」 「げ〜〜〜、俺は結構です;;;」 しばらくして、卞夫人が再び彼らの前に現れた。 「どうです、子文」 「け、けっこうです。母上;;;」 曹彰は大きな図体を隠すようにして、柱の陰に逃げた。 「つけてみると、とてもきれいな色で気に入りましたよ」 唇を小さく画いたせいか、むしろパッと花が咲いて若返ったようだった。 「子文、目をそらさないで見てちょうだい」 「ち、父上に、お返しください;;;」 「…?」 「こら、何をいきなり言い出すんだ、子文」 曹植と曹沖は、そんな三人の様子を見ながら、腹を抱えて笑い出した。 「おかしな人たちですこと」 「…まあ、いい。時間だ、行こう(^^)」 曹操が腕を曲げて卞夫人の方に差し出すと、卞夫人はその腕にそっと手を乗せた。 曹操は向こうを向いたまま、もう片手でピースサインを作って息子たちに応え、玄関の車寄せの方に歩いていった。 |
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| (終) | |
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