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ハッピー・バレンタイン


小春日和の、ある晴れた日曜日―――

周瑜は一番下の娘、鸞(ラン)を連れて、駅前のお菓子屋にやってきた。
小さな指を折りながらチョコレートのワゴンを引っ掻き回している後姿は母親とそっくりだと、父は思った。
「決まったかい? 鸞」
「うん、これが循お兄ちゃん、これは胤お兄ちゃん、それからこれがパパの!」
鸞の手には、ピンクの包み紙のチョコが3つ握り締められていた。
「胤のが…ちょっと小さすぎないかい(^^;」
「いいのっ! 胤お兄ちゃんは、去年の夏に鸞のお人形を隠したから」
去年の夏の恨みが、こんな形で返されるとは胤も思っていないだろう; ま、チョコをもらえるだけありがたいと思わなければ。
「……そ、そうか…; ところでお金はママにもらっているんだったよね」
「そうよ、見て見て! ほらっ、ピカピカの500銭玉。これで買いなさいって」
――― おいおい、今時、500銭で3人分買えっていうのか;;;
財布の紐をしっかり握っている我が家の大蔵大臣の顔が浮かぶ。

周瑜は不安になって、娘が選んだ3つのチョコの値段を確認した。
――― 循のが150銭、胤のが100銭、自分のは250銭。しめて500銭! 
数字に強いのは小喬譲りか…(^^;(←とりあえず、ホッ)
「じゃあ、レジのお姉さんのところにいっておいで」
可憐な後ろ姿を、周瑜は店の入口のところで目を細めて見つめていた。ところが、レジの店員は困ったような顔をして周瑜の方に目配せしている。何かと思って近づくと
「お客さま…消費税がかかりますので、525銭になるんです」
店員はすまなそうに言うと、親子の顔を交互に見た。
――― しまった!!!
慌てて出てきたので小銭入れは置いてきてしまったのだ。
周瑜は札入れを取り出すと、恐る恐る中を覗いてみた。案の定、なけなしの虎の子の1万銭札が1枚入っているだけだった。
鸞の黒い瞳が心配そうに見上げている…
「…じゃあ…これで…お願いします…(ーー;」
釣り銭は9975銭…。とほほ…虎の子が猫の子になってしまった(T_T)。
この小猫たちは、すぐに羽が生えて飛んでいってしまうだろう。しばらくは飲み会も競馬も控えなくてはなるまい。

サラリーマンの悲哀など知らない娘は、表通りに誰かを見つけると小さな手を振っている。
すると自動ドアが開いて、外気とともに新品のゲーム機の箱を抱えた少年と、若い父親が入ってきた。その父親は、周瑜と視線が合うとニヤリと笑った。
「こんにちは、周瑜叔父さま」
お行儀よく挨拶をしたのは、甥の孫紹である。
「珍しいじゃないか。娘のお付き合いとは」
孫策は、からかうような瞳で店内を見渡している。
「な〜るほど、バレンタインデーね。さぞかし中護軍どのは、今年もたくさんもらうことだろうなあ」
「あまり甘いものは得意じゃないんだが…」
「ありがた迷惑ってところか…。ところで知っているか? 今年のチョコレートの変わり種。この前、深夜テレビでやっていたんだが、瓶の中にペースト状のチョコが入っていて、付属の筆で口紅のように塗るんだそうだ。名づけて「kiss me choco」だとさ(^^) ここには売っていないみたいだな」
「贈る方も贈る方だが塗る方も塗る方だな。下心みえみえじゃないか(ーー;」
「もっとすごいのもあったぞ。Body Painting Choco…(^^;;」
「…欲しいのか、君は;そういうのが…」(白い目)
「面白いな〜、とは思うぞ(^^;」

親父同士がくだらない立ち話をしている間、鸞は孫紹が持っている箱に関心があるのか、じっと覗き込んでいた。
「これ、なあに?」
「新しいテレビゲームだよ。帰ったらパパと一緒に遊ぶんだ…。あ、あの…鸞ちゃんも、うちに遊びにこないか。循と胤も一緒に…ゲームやろうよ(*^_^*)」
「そうね…(*^-^*)。帰ったらママに聞いてみる」
そのとき何を思ったのか、鸞は周瑜の脇に駆け寄ってきて服のすそを引っ張った。
「パパ、紹ちゃんにもチョコを買いたいんだけど、鸞、もうお金を持っていないの…(;_;)」
この時期にこの場所で、偶然だったとはいえ会ってしまったのだから、彼らにもチョコを渡さないわけにはいかないだろう。
「…じゃあ…パパが買ってあげるから、好きなのを選びなさい」
「ありがとう。パパ、大〜好き! (^.^) 」
鸞は嬉しそうにそういうと、周瑜の頬にキスをして、再びワゴンのチョコ選びを始めた。

「おーおー、嬉しそうだな。パパ〜(^^)」
孫策が、再び周瑜の隣に近づいてきた。
「ところでさー、前から思っていたんだけど」
声をひそめて、孫策が周瑜に耳打ちしてくる。
「お前の娘をくれないか」
突然の申し出に、周瑜は思わず息を呑んで孫策の顔を見た。
「な、何を考えているんだ…君は。うちの娘はまだ学齢前なんだぞ」
お得意の冗談にしては度が過ぎている。
「約束は早いほうがいいだろ」
「…義姉上の気持ちを考えているのか。娘のような年頃の姪を側室に迎えるなんて…(ーー*」
「おいおい、お前こそ何考えているんだ? 俺が鸞をもらうわけないだろ。孫紹にいいかな…って思ったんだよ。見てみろよ。お互いに意識しているじゃないか(^^)」
孫策が指差す先には、楽しそうにチョコを選んでいる娘と照れているような甥。確かにちょっといい雰囲気だ。
ふっと、周瑜は遠い目をした。あと10年もたてば、子供たちの将来も考えねばならないだろう。
自分のような立場にいると、どこの家と婚姻するにしても政治的な思惑が絡んでくる。可哀想だが本人たちの意思だけでは決められないところもあるだろう。そんな中で、娘の幸せを考えると孫策の息子ならばと思わなくもないが…。

「パパ、決めたわ!」
「え、何を?;」
「公瑾、チョコに決まってるだろ(^^;」
少し動転している周瑜を見て、孫策が苦笑している。
「そ、そうか…じゃあ、お姉さんのところに行っておいで」
娘に1000銭札を渡したことで、彼は現実に引き戻された。(ああ、早速小猫が一匹逃げてしまった;)
「じゃあ、俺たちはお先に。楽しい休日を! あ、そうだ、今度の土曜日さあ、一家揃ってうちへ遊びに来いよ。いい酒も手に入ったんだ。大喬にご馳走作ってもらうから」
ご機嫌そうに手を振って、孫策は店を出て行った。
「叔父さま、失礼します」
「じゃあね、紹ちゃん (^o^)/~」
鸞の笑みに見送られて二人が視界から消えた。
「はい、パパ、お釣」
鸞から渡されたつり銭は 265銭。
レシートを見ると、500銭と200銭のチョコレートと35銭の消費税…。
「鸞…この500銭のって…」
「これはねー、紹ちゃんにあげるの(*^^*)」
なんと、今までで一番高価なチョコレートは甥のものだった。
それが自分のより2倍も高いというのを知ってしまい、周瑜は複雑な気分になった。
――― 花嫁の父の心境とは、こういうものなのだな;
「でね、こっちが伯符おじちゃまの。最初はパパと同じのにしようかなと思ったけど、小さいのにしたの」
「どうして?」
鸞は少し困ったような顔をしていたが、やがて小さな口を開いた。
「伯符おじちゃまって…パパにくっつきすぎ! だから鸞は、ちょっとだけ嫌いなの」
そういうと、鸞は大きな黒い瞳で恨めしそうに周瑜を見上げた。
―――この娘は、小喬の分身でもあるのだ…!


鸞の手を握って帰宅すると、小喬はお気に入りの音楽を流しながら雑誌を広げていた。
「ただいま、ママ〜(^-^)」
「おかえりなさい。いいのは買えた?」
「うん、ほら」…といって、鸞はショッピングバックを開いて母親に見せた。
「あら、5つも?」
よく買えたわねといった顔で、小喬は袋の中を覗いている。
「途中で孫紹ちゃんと伯符おじちゃまに会ったの。だから二人の分も」
「そう、よかったわね」
周瑜は孫策たちの分の代金を払ってくれるんじゃないかと内心期待していたが、小喬はそんな態度はおくびにも出そうとしない。

その時、リビングの電話が鳴った。
「はい、…あ、お姉さま(^^)」
大喬からの電話らしい。ソファーに座って新聞を広げながら、周瑜は耳をそばだてた。
「土曜日? ええ…特に用はないけど…。じゃあ、みんなでお邪魔するわ…」
受話器を置くと、小喬はやれやれといった表情で周瑜の横に腰掛けた。
「週末に家族揃って遊びに来いって。義兄さまがお庭でBBQ(バーベキュー)をやるんですって〜。断れないわよね、あなた (-_-)」
「そ、そうだね…(^^;」
「まあ、一家揃ってのお昼のご招待だから、ヨシとしましょうか」
トゲのある言い方だなあと、新聞の陰から周瑜は妻の横顔を見つめていた。



その翌日(月曜日)のこと―――
職場から帰ると、周瑜は昨日と一転して笑顔に輝やいた妻に出迎えられた。
「あなた! 土曜日はもちろんお休みよね(^^)」
「え…まあ、でも伯符のところへ行くんだろ」
「それどころじゃないわ。見て! 雑誌の懸賞が当たったの。『ハッピーバレンタインデー、ときめきの夜をプレゼント!』銅雀台ベイサイドホテルのディナー券付き宿泊券よ!」
以前から小喬は熱心にテレビや雑誌の懸賞に応募していたが、当たったことはほとんどない。それが人気ホテルのペア宿泊券とは、今年の運勢を全て使い果たしてしまったのではないか。しかし、土曜日は先約が…。
「お姉さまに電話したら、めったにないチャンスだから楽しんでいらっしゃいって。子供たちも預かってくれるっておっしゃってくれたの。私、もう嬉しくて〜。何を着ていこうかしら(^o^)」
どうやら昼間のうちに彼女は全ての手はずを整えてしまったらしい。大喬も協力してくれるということになっているのでは、孫策でも横やりを入れることは不可能だろう。しばらくは嫌みを言われるだろうが、我が家にとってはこの家庭(特に奥方)サービスの機会を逃すわけにはいかないのだと、周瑜は思った。


火曜日―――
周瑜が役所に出勤すると、孫策は朝一番で孫権と江南方面へ視察に出かけたという。
近いうちに視察に行くぞといっていたが、こんなに突然。それも自分が同行するつもりだったのに。
「最近はだいぶ江南も治安が落ち着いてきたというが、孫権どのと二人だけで大丈夫なのか?」
「一応、周泰どのが同行しています」
几帳面な孫権のスケジュール表に書かれたメモを、魯粛が読み上げる。
「…そうか…」
土曜日の約束を反故されたことを恨んでいるのだろうか。自分に何も告げられなかったことが気にかかるが…。
「よっしゃー、気まぐれな上司がいない間に羽を伸ばそうぜー」
甘寧などは、朝っぱらからスポーツ新聞を大きく広げている。何となく職場全体に緊張感のないのは、そのせいか。
「伯符がいないからこそ、日頃たまっている仕事を片付けてしまえ!」
「おお、怖え〜〜;迫力あるぜ、中護軍どの;」


水曜日・木曜日と過ぎ、金曜日―――
「伯符から連絡はないのか? 帰着予定は昨日だったのだろう。事故か事件に巻き込まれたのではないか」
ここ数日のイライラのせいか朝から頭痛がひどかったが、今日孫策たちが戻ってくるというので、周瑜は無理を押して出勤していた。
「殿は子どもじゃありません。大丈夫ですよ。便りのないのは元気な証拠っていうじゃないですか」
「そうですよ。きっと仲謀さまと、のんびり虎狩りツアーにでも参加されているんですよ」
魯粛と呂蒙が、口を揃え笑いながらそう言った。
――― どうして こう みんな暢気なんだ。先代の孫堅どのの最期を忘れたのか; 
どうも孫策がいないというだけで、役所全体のタガが緩んでしまっているようだ。
周瑜は気難しい顔で決済箱の書類に目を通し始めた。

緊張感の切れた役所の中で、一人陸遜は周瑜のイライラした様子が気になっていた。
―――確か一緒に視察に行く予定だったのは周瑜どのだったはず。周瑜どのの知らないところでそれが変更されたみたいだな。二人の間で何かいさかいでもあったのかも…。
「伯言!」
「は、はいっ;」
いきなり周瑜に呼ばれた陸遜は、書類の山の中から慌てて立ち上がった。
「この文書、説明資料が抜けている。お前も気が緩んでいるみたいだな」
「す、すみません…」
慌てて書類を探そうとしたので、机の上の書類の束ごと、思いっきりひっくり返してしまった…。
―――やば〜、余計に刺激しちゃったみたいだ。
そんなことを思いながら書類を拾い集めていると、その中からピンクのハートの小さな包みが出てきた。
「何だ、これ?」
「やったな〜伯言、チョコレートだ(^^)」
緊張感のない仲間たちが、ワイワイと陸遜の周りに集まってくる。
「バレンタインデー当日は休みなので、これをきっかけに義理チョコはやめようって言った女官たちが多かったから、もしかするとこれは本命かもしれないな」
「いや〜、本命だったら黙って机の上なんかに置いておかないと思うぞ」
「保険屋のおばちゃんからの差し入れだよ」
「俺も保険入っているけど、置いてなかったぞ;」
「このこのぉ〜、憎いね。色男」(←死語だな;)
「やかましい〜〜!」
周瑜の剣幕に、一瞬、騒然としていた職場は静まり返った。上司の顔は怒りのせいか真っ赤だ。
「…皆、席に戻れ…」
冷静にならねばと思っていたのに、思わず大声を張り上げてしまった。我ながら情けない。
周瑜は、目を閉じて椅子に座ろうとしたが、そのとき急に目が回るような気がして、そのまま崩れ落ちてしまった。
意識が遠のいていく。それ以降のことは何も覚えていなかった。



「今年流行のインフルエンザですな。2〜3日高熱が続くかもしれんが、大丈夫でしょう。抗生物質を打っておきましたから、しばらく安静にされるように」
「ありがとうございました」
ホームドクターの華陀先生を玄関まで送ると、小喬はため息をついて周瑜の寝室に戻ってきた。扉の所では子供たちが心配そうに中をうかがっている。
「だめよ、パパ、病気なんですからね」
「呂蒙さんたちに担ぎ込まれてきた時は、驚いちゃったよ。あんなぐったりしたパパ、初めて見たもの」
「うん、死んじゃったのかと思った」(←胤です;;)
「パパ、苦しいのかな。かわいそう…(;_;)」
鸞はそう言うと、小喬の裳の裾にしがみついた。
「大丈夫よ。すぐに元気になられるわ。さあ、あなたたちは、向こうへ行ってらっしゃい」
子どもたちを追い払うと、小喬は病室に入った。
高熱のせいか、周瑜は朦朧として眠っている。額のタオルを取り替えながら、小喬は彼の頬にそっと手を触れた。
「…ま、しかたないわね」
小喬は、寝室に置いてあった子機に手を伸ばした。


1日おいて日曜日―――
「あら、あなた起きていらしたの?」
「ああ、だいぶ良くなったよ」
ベッドから起き上がっている周瑜の額に、小喬は自分の額をくっつけてみた。
「だいぶ下がったみたいだけど、まだダメよ。一昨日と昨日は朦朧としていたいたのだから…」
「金曜以来、情けないことに何も覚えていないんだ。あ、お前には悪いことした…。せっかく楽しみにしていたのに…」
「ああ、あれね。でも無駄にはならなかったのよ。実はお姉さまたちに差し上げたの。何か悪いわって遠慮されていたけど…」
「…ということは伯符が…」
「金曜の夜遅くに戻っていらしたそうよ。そうそう、先ほどお姉さまたちがいらしたの。お礼とお見舞いを兼ねてお菓子を頂いたわ。それから…」
小喬が、サイドテーブルの上の小さな包みを指差した。
「義兄さまから。視察のおみやげですって」
「伯符も来たのか?」
「あなたが役所で倒れたと聞いて、すごく心配されていたわよ。ちょっと覗いていかれたけど、すぐに帰られたわ」
そういうと、小喬は子機を持ってきて周瑜に手渡した。
「たぶん、お屋敷についた頃じゃないかしら。お話したいこと、たくさんあるんでしょ。私は外すから、ごゆっくりどうぞ(^^;;」

春色の領布をなびかせるようにして小喬が部屋を出ていく。
窓からは、やわらかな春の日差しが差し込んでいた。



<おまけ>
孫策の家に電話をかける前に、周瑜は視察のおみやげとやらの包みを開いてみた。外側は一見普通の地方名産のようだったが、その中には、ちょっと妖しげなデザインの紙に包まれた小さな箱が入っていた。
「な、何だ…これは;;」
箱から出てきたのは、小さなビンと筆が一本…

――― Kiss me choco!

周瑜は慌ててそれを箱に戻すと、包み紙を裏返して枕の下に押し込んでいた。

(終)


<あとがき>
これも元ネタは6年前もに書いたもので、若干、今風に直してみましたが、消費税も総額表示になっちゃいましたよねえ(しみじみ)
当時、あったらしい「Kiss me choco」とか「Body painting choco」は、今読むと逆に面白いので残しました。うちの伯符くんは、そういうアヤシイぶつが大好きらしい(笑)
「お互いベタ惚れの孫策&周瑜」と「嫉妬深い小喬」と「暢気で愉快な仲間たち」というのが、当時の銅雀台での東呉のベーシックなイメージでした。ファミリータイプの孫策・周瑜の人間関係は、今までにアップした一連のパラレルもの(&アヤシイ小話)とつながっています。

春野 蓬


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04/02/14 (C)Yomogi Haruno
素材提供:みどりの素材屋さん