時を越えて

(1)

それはGWのある日のこと。
輝は、母とパリのルーブル美術館で見たお気に入りの名画が東京でも公開されているので、もう一度見てみようと、一人で上野の美術館にやってきていた。

「さすがに混んでいるなあ。今年は曜日の並びが悪いから、あまり遠出しないで都内で遊んでいる人が多いんだな。は〜、それにしても暑い。あ、ヤバイ、UVしてくるの忘れた。日焼けしちゃうぞ」
と、木陰に逃げ込んだ輝は、ペットボトルを購入すると一気に飲み干した。
そのとき、携帯にメールの着信があった。
「ミハイルからだ(笑)」
密かにコードネームをつけて登録していた携帯には、父親の秘書の如月からのメールが届いていた。
よく見ると、その前に通話の着信も2回ある。美術館の中にいたから、気がつかなかったらしい。
メールを開くと、そこには「至急、松濤のお屋敷にお戻りください」とだけあった。
「松濤って…おじいさまたちに何かあったのかな?」
文面が文面なので、少し気がかりな輝は、慌ててタクシーに乗り込んだ。

***

GWの真っ只中だというのに、大鳥商事本社の役員室には、主だった役員たちが不安そうな顔で集まっていた。

役員A 「警察には連絡したのか?」
専務 「いや、まだその段階ではないと…」
役員B 「何かあったらどうするんだ」
役員C 「社長は何も聞いていらっしゃらなかったんですか」
輝の父である鴻池秀樹は、ゴルフ場から呼び戻された派手なウエアのまま、困惑した様子で首を振った。
秘書室長 「とりあえず、現在、秘書課と総務課の社員が手分けして可能性のありそうなところを、一つずつ確認しております」
役員D 「可能性?100歳近い相談役が、いったいどこへ一人で出かけるというのだ」
役員E 「犯罪に巻き込まれのではないか。身代金でも要求されたらどうするんだ」
専務 「ですので、あまり大事にせず、まずは社内で調査をと…」
役員A 「それにしても、相談役はあまり外には出られないはずだろう。それがどうして忽然と消えてしまうのだ。大奥様はお屋敷にいらっしゃるのだろう」
秘書室長 「今、如月が松濤に向かっておりますので、もうしばらくお待ちください」

秀樹 「ちょっと電話を貸してくれ。パリにも連絡しておく」
そういうと、社長は国際電話でパリにいる妻に電話を入れた。
真澄 「あら?どうしたの、パパ。こんな時間に、こっちは夜中なんだけど…」
秀樹 「大変なことが起きたんだ。おじいさまが…」
真澄 「え?行方不明?」
秀樹 「もしかすると、犯罪に巻き込まれたのかもしれない;」
真澄 「まさかあ〜(笑)」
秀樹 「なんでそんなに暢気なんだ」
真澄 「だって、おじいさまは若いころから放浪癖があったから」
秀樹 「それは若い頃だろう。今は杖がなければ散歩にもいけない状態だぞ」
真澄 「おじいさまにはケータイ持たせてなかったんだっけ」
秀樹 「持たせてるわけないだろう」
真澄 「GPSの徘徊センサーをつけときゃよかったわね」←全然心配していない
秀樹 「ともかく、また連絡入れるが、場合によっては帰国しなさい!」
真澄 「3月末に戻ったばっかりなんだけどな〜」

洋次郎の邸宅@松濤

心配そうにソファに腰掛けている綾子の横には、朝から夜まで通いで働いている家政婦のおばさんも緊張して座っている。
如月は、二人の女性に負担にならないように、優しく微笑みかけながら尋ねた。
如月 「朝食はご一緒に召し上がったのですね」
家政婦 「ええ、いつも8時〜9時にダイニングで、奥様と召し上がっていただいています」
綾子 「特に変った様子はなかったですわね。頂きもののアジの開きが美味しいって言ってたぐらいかしら」
如月 「お体の調子もよろしかったようですね」
家政婦 「食後には、お庭に降りられて薔薇を眺めていましたね」
綾子 「5月になってきれいな薔薇が咲いたと、毎日、アーチの下を歩いていましたね」
日当たりのよい南側の庭には、白や黄色、赤の薔薇が無数に咲いていた。
如月 「その後はいかがでしたか?」
家政婦 「私はお掃除とお洗濯をしていましたので、ご主人様のことは…」
綾子 「たいていはリビングでテレビを見ているか、書斎で本を読んでいるかしら。わたくしも、明日お友達とお芝居を見に行くので、その準備のために部屋に篭ってしまったので…」
如月 「庭でお姿を見たのが最後ということですか…」

家政婦 「あら、誰かいらしたわ」
大柄な家政婦が玄関に歩いていくと、しばらくして輝がリビングに顔を出した。
 「ど、どうしたの」
如月 「これは輝さま。突然お呼び出しして申し訳ありません」
 「いや、それよりもおじいさまが?」
綾子 「お昼前から姿が見えないの」
 「えええ??」
家政婦 「輝おぼっちゃま、どこかおじいさまが行きそうな場所に心当たりはありませんか?」
 「心当たり…だなんて、だっておじいさま、外に行く用なんてあるの?」
綾子 「主治医の先生も定期健診は往診してくださるし、何か必要なものがあれば電話で注文しているし…」
 「おじいさまの場合、外出の必要があれば車で出かけてるよね。如月こそ、何か頼まれていたけど、行けなかったこととかないの?」
如月 「このところ、特にございませんが…」
 「どっかでかくれんぼして、そのまま居眠りとかしているんじゃないの?この屋敷広いから」
家政婦 「お昼も召し上がっていないのですよ(苦笑)」

如月 「いずれにしても、外部から侵入の形跡はないようなので、相談役さまが自ら出かけられたと考えた方が自然のようですね」
綾子 「タクシーを呼べば、外出はできますね」
如月 「いつも利用しているタクシー会社はわかりますか?」
家政婦 「たぶん、ここだと思いますが」
家政婦が差し出した電話帳にあった番号に電話をすると、如月は真剣な表情で何かメモっている。
如月 「わかりました。やはりタクシーを呼ばれたようです」
綾子 「まあ…」
家政婦 「気がつきませんでしたね」
 「で、どこへ向かったんだ」
如月 「今、その運転手に無線で問い合わせしています。行き先がわかれば…」
綾子 「洋次郎さんったら…。外出するなら一言いってくだされば、こんな皆に心配をかけるようなことにならなかったのに…」
 「おばあさまに、行き先を告げたくないところだったのかもしれないな…。うちのパパも、そんなところがあるみたいだったし(笑)」

輝の横で、受話器を握り締めていた如月のメモが再び動き出した。
 「東京駅?」
意外な目的地に、みんな怪訝そうに目を開いた。
家政婦 「電車に乗られたんですかねえ」
綾子 「そんなに遠くへ…いったい何をしに…」
如月 「申し訳ないが、その運転手さんに少し聞きたいことがあるので、もう一度こちらへ配車をまわしてもらえませんか。はい、そうです、渋谷区松濤…」

日頃、温和な如月の顔がややこわばっているのを見て、輝は何か事件が起きるのではないかと、少しドキドキし始めた胸の鼓動を抑えていた。

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