index

伯爵の館

重厚な木の扉が開いたとたん、輝は思わず鼻に手をやり眉をひそめた。
「うっ、かび臭い…」
「申し訳ございません。もう少し早く来て、空気を入れ替えておけばよかったですね」
そういって、如月は持参したライトで薄暗い屋敷の中を照らした。
そこは、洋次郎が所有している、とある旧華族の洋館だった。
都心にあるが、戦争の爆撃にもバブル時代の地上げにも合うこともなく、長いことうっそうとした屋敷林に囲われて、ここだけ時が止まったままになっていたのだ。

輝は、如月に先導されて洋館の中に足を踏み入れた。
「電気は使えませんが、昼間ならば扉を開け放したサンルームをご利用いただけるかと思います」
交流試合のあと、十月の最後の週に朱雀高校の弓道部にも声をかけ、慰労を兼ねたパーティをやろうという話が急浮上した。そして会場として洋次郎が所有しているアールヌーボーの飾りがふんだんに使われている、この洒落た古い屋敷はどうだろうということになったのだ。
特別な理由があったのか、この屋敷を洋次郎は何十年もの間、手をつけることもなく管理だけをしていた。子供の頃から、輝はこの屋敷のことは知っていたが、中に入ったことはない。子供心に本物のお化け屋敷だと思っていたのだ。
しかし、ついにここもレストランに改築するという話になり、年明けからは工事が入ることを洋次郎も了承したのだという。そんなこともあり、その前にぜひ中に入りたいと輝が切望しての今回の企画であった。

「電気がダメなら、ろうそくの明かりでっていうのもいいんじゃない?ハロウィン・パーティ会場にはうってつけでしょ」
その日、洋次郎から屋敷のカギを預かってきた如月は、輝の会場下見にも付き合ってくれていた。
「ふうん、けっこう広いんだ」
何十年ぶりかに開け放たれたサンルームの白い扉から秋の陽光が差し込んでくると、部屋で埃にまみれている調度が、ふっと息を吹き返したように浮かび上がった。
「何人ぐらいお集まりになるのかわかりませんが、とりあえずこちらの部屋とテラス、廊下、トイレと玄関周り、それから天井からのカーテンに清掃を入れれば、パーティ会場としてご利用いただけるのではありませんか」
「そうだね。食事ったってサンドイッチとお菓子ぐらいだろうから、折り畳み式のテーブルに白い布を被せれば十分だろうし」

そういった輝は、エントランスの中央にあるメイン階段を見上げた。絨毯こそ色はすっかり褪めてしまっているが、手すりは重厚で凝った彫りがされているもので、ライトを当てると歴史を感じさせるように渋く光った。
「二階は?」
「屋敷に住んでいた家族のプライベートルームになっているようです」
如月が広げた図面のコピーには、主寝室などいくつかの部屋が区切られている。

「ところで、ここには誰が住んでいたの?」
「詳しくはお聞きしていませんが、明治〜大正の頃は松平伯爵という方のお屋敷だと伺っています。その後、所有者はいろいろ変っているようですが」
「ふうん、名前からいくと将軍家の末裔か…。それが没落して…」
伯爵という今はなきロマンチックな響きに、輝は興味深そうな顔をした。

その時、如月の携帯の着信音が鳴った。すぐに胸ポケットからそれを取り出すと「輝さま、少し失礼します」といって、彼は建物の外に出て行った。
その間、輝は埃を立てないように、ゆっくりと絨毯を踏みしめてメイン階段を上って行った。明り取りの窓には、黄色とオレンジを主体とした色鮮やかなステンドグラスに光が集まっている。
「こういう階段をドレスを引きずって下りてくるのが女の子の夢なんだろうな」
旧伯爵邸でパーティをやろうなんていえば、たいていの女の子は目を輝かせるだろう。今回は交流試合関係者ばかりでなく、その友人も呼ぶようにするつもりだから、きっといろんな女の子がやってくるはずだ。
「出席者にはちょっと条件つけたいところだけど…まあ、それはいいか。それにしても、どうして今までこんな面白いこと考え付かなかったんだろう(^^)」

ワクワクする心を抑えながら、輝は二階の南側に当たる部屋に入り、内カギを外してバルコニーの扉を開けた。
ここからは、屋敷林の向こうに新宿の高層ビルも見える。
一方で、眼下には雑草だらけの庭園が見えた。元は洒落た庭園だったのだろうが、大理石の像の噴水は壊れかけ、その面影もない。まさに、ここだけが時間から取り残された空間だった。

そのとき、その噴水の近くに人影らしいものが動いたのが見えた。
最初は如月かな?と思ったが、それは彼のような長身ではない。
しかも、先ほど何十年ぶりに正面門のカギをあけたばかりだし、道路からも離れているこの庭まで第三者が入るとは考えにくい。ホームレスが住み着いているのかとも思ったが、塀が壊れているわけでもない。そのあたりの管理だけはしっかりしていると聞いている。
「誰だ!」
思い切って輝は、その影に声をかけた。
すると、その声に驚いたのか、おずおずと一人の少女が現れた。
目を凝らしてみると、どうやら自分と同じ年頃の高校生のようだ。
この辺ではあまり見かけないセーラー服を着ている。最近の女子高に多い、今にも見えそうなミニスカートではなく、膝が十分隠れるロングスカートで、背中に垂らした豊かな髪とともに、清楚なイメージをかもし出していた。
「君は誰? どうしてここに入ったの?」
輝はバルコニーから身を乗り出すと、明るく声をかけた。しかし少女は見つかってしまったことを恥じるかのように、胸の前に両手を握り締めて後ずさりをしている。
「待って、別に怒っているわけじゃないんだ!」
少女はそんな輝を見ると、少しホッとしたのか、長いスカートの裾を広げるようにして優雅に会釈した。

―――なんて上品で可愛い人なんだ!

もっと近くで見たいと、輝は慌てて階段を駆け下りて行った。
そして最初に入ったサンルームからテラスを抜け、たぶんこっちの方だと見当をつけた中庭の方に走っていった。
追いかけていくと、人形のような美少女は、庭の真ん中に立っていた。
「ごめんなさい、勝手に入ってきてしまって。実は猫がここへ逃げ込んでしまいましたの」
「猫?」
「ええ、いつもこの先のバラ園のベンチでお昼寝をしているんです」
「いつも…って」

だって、ここは「いつも」なんて入れない場所だろう。


「見つけたら、すぐに出て行きますから」
そういうと、彼女は微笑んでまるで知り尽くした場所であるかのように、庭の奥へ歩いていく。
「…この先は、たぶん草ぼうぼうだよ」
輝の声など聞こえないかのように、彼女は先へ進んでいく。
「ほら、あそこに…」
彼女が手を伸ばした先は、そこだけまるで別世界のように秋のバラが咲き誇っていた。その奥にあった大理石の小さなベンチには、黒猫が一匹、四肢を伸ばして眠っている。
「…な、なんでここだけ…?」
思わず頬をつねってみたが、別に夢を見ているわけではなかった。

少女は猫を抱き上げると、そのままベンチに腰掛けた。輝もまた、惹かれるようにして、その隣に座った。
「…このあたりでは、あまり見かけない制服だね。どこの高校?」
「たぶん、ご存じないと思います」
「…それはまあ、女子高との付き合いはあまりないけど…」
セーラー服の校章らしきマークは、よくわからないが優雅で高尚そうな図柄が刺繍されていた。一見して超お嬢様学校という感じだ。
絵から抜け出したような清楚な彼女は、膝に乗せた黒猫を白魚のような指で大事そうになでている。二階から見たときから美人だと思ったが、こうしてすぐ隣で見ると、最近の女子高生のようなメイクもしていないのに、すごい色白で目鼻立ちもスッキリした本物の美女であった。
雅希や宇都宮の彼女も美人だが、それに負けない、いや、完璧に勝っている正統派の美人である。

「あの…君の名前を教えてくれないかな。僕は鴻池輝、東都学院高校の3年生で生徒会長をしているんだけど」
「そんなこと…初めてお会いした方にお教えすることなどできません」
恥ずかしそうにそう言う彼女を見て「これぞ本物のお嬢様なんだ!」と、輝はトキメキを隠せないでいた。
「じゃあ、せめて携帯だけでも…」
「携帯?」
怪訝そうな顔で、彼女は輝の顔を見つめている。
「あ、それもダメなんだね…(^^;」
もともと「会長の彼女って、チョー可愛いですね!」と皆に言われるのが彼の願望だったので、こうなったら自分のプライドにかけても後へは引けない。

どうやって彼女の気をひきつけたらいいのだろう。落ち着けない輝は、周りを見渡すと一際ゴージャスに咲いている赤いバラを見つけると、プチンと折って彼女に差し出した。
「あ、あの…今月末のハロウィンの日に、ここで僕たちの仲間でパーティ開くんだけど、どうかな。君も来てくれないかな?」
「ハロウィン?」
「そう仮装パーティだから、どんな格好で来ても大丈夫だし…」
捨て身で告白したのが通じたのか、彼女も少し関心を寄せてくれたようだ。
「ハロウィンって、万聖節の前夜祭でしたわね」
「よく知ってるね。もしかしてクリスチャン?」
「ええ、死者の霊が家族を訪ねる日なんです。お盆と同じですわね」
「へえ、そうなの。でも今は楽しいパーティの日で定着しているよね」


彼女はニコニコと微笑んで輝の話を聞きながら、膝の上の猫をなでている。
「ね、だからぜひパーティに来てくれないか。僕がエスコートするから」
「え…、パーティだなんて、どうしましょう…」
「門のところで待っているから」
「わかりました。鴻池さま」
「鴻池さまだなんて言い方はやめようよ。輝って呼んでくれないかな」
「そんな…恥ずかしいです」
「ねえ、せめて下の名前だけでも教えてくれないかな」
そんな熱心な輝のプロポーズについに彼女も折れて、小さな声で瑠璃子と教えてくれた。
「瑠璃子さん…か」
ちょっと古臭い感じもするが、考えようによっては今風の漫画の主人公のような軽い名前よりも高貴さがにじみ出てくる感じで、輝はすっかりとりこになっていた。

そのとき、輝を呼ぶ如月の声が、屋敷の向こうから聞こえてきた。
「如月。こっちだよ、中庭の方にいる!」
大きな声で返答したつもりだったが、如月の姿はなかなか現れない。しかたないなと、輝は瑠璃子を置いて声のするほうへ走っていった。
「輝さま、お探ししましたよ。屋敷の中に見当たらなかったので、迷われたのかと…」
「ちょっと中庭に出てみたんだ。不思議なんだけど、ここだけすごくきれいでさ…」
と、今まで瑠璃子と会話していた場所に如月を誘ってきた輝は、再び息を飲み込んだ。
あの優雅なバラ園は枯れ果てた、草ぼうぼうの庭園だったのだ。しかも瑠璃子が猫を膝にして座っていたベンチは、崩れかけて原型をとどめていなかった。
「な、なんで…、だってほんの数分前に僕は…」
雑草をかき分けベンチに近づいたが、瑠璃子の姿も黒猫もいない。

「輝さま…」
「…幻を見たのだろうか」
と、足元を見ると、そこには先ほど輝が彼女に捧げたバラが落ちていた。周りのバラの木は何十年前に枯れ果てているが、その一枝だけは、捧げたときのまま、鮮やかな赤い花をつけていた。
それを拾い上げて、輝は思わず屋敷の二階に目をやった。
そこには長い黒髪の少女が、猫を抱きながら輝を見下ろしていたのだ。
「瑠璃子さん!」
「輝さま、どうなさったのです」
「如月、あの部屋、セーラー服の女の子が見えないか?」
輝が指差す先を如月も見上げたが、輝が言うようなものは何も見えない。
「なぜだ?」
といって、輝は如月の横を走りぬけると屋敷に入り、階段を一気に駆け上っていった。
「瑠璃子さん、どこ、どの部屋にいるの?」

いくつかの扉を開けた末、彼がある部屋で見つけたのは、壁にかかったセーラー服の少女の肖像画だった。その胸には、あの黒猫がしっかりと抱きかかえられていた
「これは…」
「絵のタイトルでしょうか…『瑠璃子、17歳の秋』…」
輝を追いかけてきた如月は、肖像画の下に小さく書かれていたプレートの文字を読むと、青ざめている輝の肩にそっと手を置いた。
「この屋敷のことですが、実はちょっと調べさせておいたのです。それが先ほどかかってきた電話だったのですが、それによると松平伯爵という方は、相談役さまのお父さまと交流があった方のようです」
瑠璃子がその松平伯爵の娘だとすると、丁度、洋次郎と同じぐらいの年頃だったのだろうか。


「しかし、関東大震災の頃に事業に失敗されるなどで、どうやら松平のお家は傾いてしまわれたようです」
「その結果、家族はこの屋敷をあとにしてって…?」
「それ以上の詳しいことは…」
聞いてはいけないのかもしれないと、輝は唇をかみ締めた。
せっかく出会えた、友達の誰にも自慢できる素敵な彼女だったのに…。
そう呟いて肖像画を見つめると、黒目がちの美少女は輝に謎の微笑を返してくれたようだった。

―――ハロウィンには、死者の霊が戻ってくるんですって

***

「足元にお気をつけください」
如月は杖を突いて車を降りた鴻池洋次郎に、そう声をかけた。
洋次郎も何十年ぶりかに松平伯爵邸に足を踏み入れたのである。
「…少し放置しすぎたか」
「でも、中は比較的きれいでしたよ」
輝もまた洋次郎の腕を支えながら、再びこの屋敷にやってきたのだった。
「ならば、ちょっと掃除すればパーティぐらいはできそうだな」
「うん…。でもここでパーティやるのはやめようかと思っているんだ」
エントランスの重厚な鍵を開けながら、如月はそう呟いた輝を、少し心配そうに振り向いた。
「どうした?元はお前が、この屋敷を使いたいと言ってきたんじゃないか?」
「それはそうなんだけど…。何だか、この静寂を僕らの遊びで侵してはいけないような気がしてきたんだ…」
洋次郎は、いつもの溌剌さが影をひそめた輝の顔を見つめた。
「如月、先日、二人でここの様子を見に来たとき、何かあったのかね?」
「いえ…特には…」
「…あったんだよ、おじいさま…」
輝は思い切って、洋次郎にあの不思議な話をした。

「瑠璃子―――?」
「17才だって。セーラー服を着て黒猫を抱いていた…」
布を被せた埃まみれの椅子に座ると、洋次郎は杖を両手で支えるようにして曾孫の話を聞いている。
その隣で、如月は輝を擁護できないのを歯がゆく思っているのか、黙って立っていた。
「如月には見えなかったっていうのだから、たぶん幻を見たのだと思う…」
「…で、その肖像画というのは、どこにあったのだね?」
「二階の部屋だよ。何十年も経っていて色は落ちていたけど、綺麗だった」
「そうか…そんな絵画が残っていたとは知らなかったな…。案内してくれ」
といって、三人は二階に上っていった。
そして輝があの日、無我夢中で探し当てた部屋に入ると、少し傾きかけた秋の陽光が、静かに差し込んでいた。
「…これだよ、おじいさま」

「瑠璃子、十七歳の秋―――か」
「如月が調べてくれた松平伯爵家の話から想像すると、彼女って、丁度おじいさまと同じぐらいの人なんじゃないの?」
「いや…少し年上だったかな」
瑠璃子の絵の前で、洋次郎は何か思い出しているのか、目を細めて見入っていた。
「でも、実際に会ったことはありそうだね」
「ああ、僕の父親と伯爵が友達だったからね。何度かこの屋敷にも遊びに来たことがあったな。ハイカラなこの屋敷に来るのが楽しみでね。伯爵は若いころから西洋の文化を生活に取り入れていて、けっこう洋行もしていたらしい。時々、ユニークなお土産をもらったものだ」
「ふうん…」
「きれいなお姉さんに会いたかったというのもあったがな(笑)」
少年時代の洋次郎の様子が垣間見られるエピソードである。
「だが、手広く事業を広げすぎたのが悪かったのかもしれないな。その後、この屋敷を担保に借金をずいぶん作ってしまったらしい。風の噂では瑠璃子さんは、やはりその関係で意に染まない相手と結婚したが、その後、胸の病が見つかって実家に戻されたとも聞いた。そのあとは…」
予想されたとはいえ、彼女の悲惨な末路の話など聞かなければよかったと、輝は思わず眉根を寄せて、額の中の哀れな瑠璃子を見つめた。

「そうか…輝には見えたのか…。ということは、まだ彼女はここにいるんだな」
「え?」
「パーティ…ここでやってあげなさい。彼女はきっと喜ぶよ。実はよく自らクッキーやケーキを焼いてはお客に振舞ったり、ピアノを弾いたりしてもてなすのが好きな人だったんだ」
「そ、そんな…(ホステス)風には見えなかったけど…;」
「しかし、この肖像画はよく描けているなあ(笑)」
そんな言い方だと、今まで温めていた清楚なお嬢様のイメージが音を立てて崩れていくんだけど…と、輝は唖然として洋次郎を見た。
「ただし、彼女の席も、ちゃんと用意してあげるんだぞ」
そういうと、洋次郎は如月を促して、では帰るかと言った。
そして帰りがけに、もう一度、瑠璃子の方を振り向いてポツリと呟いた。
「来春オープンのマダム松平のレストランでは、貸切パーティもできるようにしよう。エントランスにはグランドピアノと、彼女のあの肖像画を飾ろう。きっとお客を謎の微笑みで迎えてくれるだろう」

(おわり)


<あとがき>
今年の2月ごろに偶然に出張先で見つけた「旧小笠原伯爵邸@新宿区」を見て以来、ずっと温めていたお話でした。もとは、もうちょっとBLっぽい展開だったんですけどね。
今回はハロウィンに一日遅れてしまったため、大雑把(で、よくあるストーリー)でしか書けませんでしたが、たまにはこんな独立した小話も面白でしょ?
しかし…輝くんって、本人は怖がりなんだけど、どうも「憑かれる」タイプみたいだなあ。

index